第5話 イライザ

「……そうなんですか?」

「はい。技術者が機械の解体を伴う処置を施す場合、原則として所有者の許可が必要なんです。そして所有者と認められるのは、人間だけです」


『機械が自分自身の主になる』ことを、今の法律は認めていない。というよりも、当たり前にその可能性を想定していない。


「わたしたちメカニックが許可なく機械を止められるのは、暴走機械の挙動が明らかに人間に危険を及ぼすと判断できた時だけです。あなたの挙動は、当初の設計意図を逸脱しているのかもしれませんが――差し迫った緊急停止の対象にはできないんです」

「……そうですか」


 彼は心持ち肩を落として、静かに俯いた。視線がゆらゆらと彷徨い、先ほど一瞬だけ見せたような人間らしさが表情に滲む。その姿が道に迷った子供のように見えて、ハリエットは励ますように声のトーンを上げた。


「き、きっとあなたを作った方は、あなたが自分の目で色々なものを見て、色々なことをしてほしいと思っていたはずですよ。もし良かったら、一緒に考えてみましょう! できることはたくさんあるはずです。あなたの思考の動きが掴めたら、今あちこちで起きている危険な暴走を制御する鍵が見つかるかもしれませんし……」


 彼はゆっくりと視線を上げて、ハリエットと目を合わせた。澄み切った一対のアメシストが、彼女の顔を映し出す。そして、ゆっくりと瞬いた。

 

「……ありがとうございます」

「⁈」


 思わず声を上げそうになって、ハリエットは口元を押さえた。


(笑った⁈)


 機械人形オートマタだと打ち明けられる前から思っていたが、この青年はとことん表情が希薄だった。どこまでも左右対称で、話すために口を動かす時と瞬きする時にしか顔のパーツが動かない。

 そんな顔が出し抜けに、花が綻ぶような笑みを披露したのだ。びっくりもするし、心臓も跳ね上がるというもの。千万の星が散って、部屋が一度に明るくなったみたいな心地になるのだって、そう、全然おかしな話じゃない。


「いえそんな、まだお礼に値することなんて何もできてませんし!」

 

 パタパタと手を振りながら、ハリエットは意味もなく椅子の上で体を揺らした。これはそう、機械にここまで自然な表情が作れることに驚いただけで、見惚れたとか照れたとかじゃない。

 青年の顔は、元通りの涼やかな無表情に戻っている。そうなってしまうといよいよハリエットばかりが動揺しているのが気まずくなり、なんとか姿勢を正して依頼人と向き合った。


「――その、まずはあなたの主人マスターについてもう少し思い出してみませんか? あなたがどう呼ばれていたかとか、主人のお名前とか」

「呼び名ですか……」


 彼が、記憶をたぐるように俯く。今までで一番長い沈黙が、二人の間に降りた。

 しかし静かな時間は、二人のどちらでもない第三の原因によって遮られた。


「ハリエット、今話せるか? さっき君が止めてくれた運搬機について、共有したいことがあるんだが――」


 個人的な来客を意味する青いベルの音、こちらが何も言わないうちから開かれるドア、そして入ってくる紺色の制服姿。きりりとしたショートヘアの女が何の躊躇もなく事務所へ踏み込み、そして青年を見て足を止めた。


「すまん、デート中だったか」

「違います!」

「まだこれからという事だな」

「依頼人です警部!」


 二回り年上の顔馴染みの軽口を止めるべく、ハリエットは慌てて立ち上がった。母と年齢がほとんど変わらないこの敏腕警察官は、こう見えて愛らしい挿絵でいっぱいの恋愛小説を愛読するロマンチストだ。

 

「その手のジョーク、気まずいからやめてっていっつも言ってるじゃないですか」

「あはは、ごめんよハリー。しかし素敵な方じゃないか、まるでほら、メリッサの本に出てきた――」

「ほんとにそのくらいにしてくださいイライザさん!」


 楽しそうに目を細めるクールビューティーの口を両手で勢いよく塞いだところで、ハリエットは座ったままの青年が置いてきぼりになっていることに気がついた。


「ごめんなさい、こちらの方はノーサンギア警察隊のハンターさん。機械マシン絡みの事件で、よく相談に乗っているんです」

「ノーサンギア警察隊第六課所属、イライザ・ハンターだ。よろしく」


 青年の方へ右手を差し出したイライザは、はっとしたように目を見開いた。手袋を外したままの彼は、明らかに人のものではない腕を剥き出しにしている。

 彼女は右手を引き、ハリエットに耳打ちした。


「……珍しいお客さんだな。一人で来たのか?」

「はい。実は――」


 簡単に事情を話すと、イライザは考え込むように顎に手を添えた。


「彼の話を交えると、いろいろと筋が通る。よければ三人いるこの場で、話をさせてくれないか」

「わたしはもちろん大丈夫です。あなたは?」

「私も、ぜひお願いいたします」

「わかった」

「お茶、淹れてきましょうか?」

「お構いなく。残念ながらまだ忙しいんだ、話が終わったら署にとんぼ返りしなきゃならない」


 イライザは空いていた椅子を引いて腰掛け、二人の方を向いた。薄い唇が開き、淀みなく情報が流れ出す。


「今朝ハリエットが止めてくれたのは、スミス社の六十三年製二脚二輪型運搬機だ。現在主流になっている八十年型に比べれば古い機体だが、月に一回の定期メンテナンスでも目立った問題は見られなかった。記憶石メモリー・ストーンの赤濁以外に、制御装置の異常はない。今までのケースと同じだな。それで、記憶石についてなんだが……以前暴走した警備ロボットの記憶石を解析していた班から、先ほど報告が上がったんだ。その結果、濁った記憶石を赤色に見せていたのは、内部で過剰に増加したプシュケウムだと判明した」

「プシュケウム……じゃあ赤濁の原因は、元から石の中にあった回路形成合金なんですね?」

「そうなんだ。何らかの要因で、想定を遥かに超える数の演算回路が記憶石の中に構築されているらしい。解析を頼んだ担当者は他にも色々言ってたが、あまりにも早口だったからほとんど聞き取れなかったな……まあ恐ろしく簡単にまとめてしまえば、記憶石の赤濁で暴走した機械はどれも、『ありえないくらい頭が良くなってる』んだとさ」


 記憶石が制御装置として機能するのは、その内部に含まれる合金「プシュケウム」が極めて特殊な可変性を持つからである。

 プシュケウムは外部の環境に反応して、鉱石の内部で樹状の構造体を形成する。そして機械の基幹部に接続すればその構造に応じて信号を伝達し、カムやゼンマイだけに頼るよりも効率的な動作の切り替えを可能とするのだ。記憶石の内側に溝を作ってこの樹状構造を誘導する技術が発達したことで、機械文明は大きく発展した。

 さらにプシュケウムの構造を自動更新する機構を組み込めば、自ら必要に応じてプログラムを洗練させることもできる。ノーサンギアで使用されている高級機械マシナリーで、この自動更新機構を組み込んでいないものはほとんどない。


「自動更新システムが暴走して、複雑なプログラムが記憶石の中に勝手に組まれたということですか?」

「状況から判断するとそうなるだろう。どういうわけか絹糸よりも細いプシュケウムの構造体が四方八方に張り巡らされて、その全部がきちんと『何か』を考えるために使われてるそうだ。あまりにも密に……それこそ色が変わって見えるほど密に回路が作られてるもんだから、仕組みの解析はできていない。ただまあ――うん、笑ってくれていいよ」


 頬を掻きながら、優秀な女警部はほんの少し迷うような微笑みを見せた。


「なんだか私にはああなった記憶石が、おとぎ話に出てくる『心』に見えた」


 絵本の中の物語。鉛でできたおもちゃの兵隊が、バレリーナの人形に恋して「心」を宿す。 

 ハリエットは、彼女の言葉を笑わなかった。むしろ、今まで技術者の端くれとして納得したくないと意地を張っていた部分が、すとんと腑に落ちたような気分だった。


「……それで、彼が主人マスターから聞いたという予言と繋がるんですね」

「そういうことさ。自動更新機構を組み込んだ記憶石の内部で、極端に発達したプシュケウムの回路が機械に意思や感情を与えた。そして機械は人間の意図を外れ、自分自身の目的のために走り出した――とね」


 ふう、とイライザは息をついた。ゆったりと足を組み、遠くに思いを馳せるように目を伏せる。


「とはいえ、警察としてはそんな仮説は受け入れられない。いつも通り、異常が発生した原因と責任の所在を地道に検証するしかないはずだよ。だからね、ハリエット――個人的な依頼をしてもいいかな。暴走した機械を『感情を持つ存在』と捉えて、今回の暴走を調べてほしいんだ」

「わたしより、もっと向いている人がいるんじゃないでしょうか? 私立探偵とか……」

「ああいう奴らは人間専門だ。私たち以上に『機械の心』なんて考えに入れてくれないさ。ハリエットなら適任だ。私が保証する」


 イライザは後ろを向いて、本棚に並ぶ大量のファイルを目で示した。彼女が言いたいことを察して、ハリエットはぐうと唸った。趣味であり、誇りでもあるこれのことを言われたら、ハリエットは弱い。


「わかりました、やってみます」

「ありがとうハリー、感謝するよ!」


 ハリエットの手を取って、イライザはぱっと笑った。それから真面目な表情に戻り、腕を組んで口元に手を当てる。


「差し当たっては、暴走を起こした自動更新機構に共通点がないか調べるか……ただ、この三ヶ月で強制停止された二十七の暴走機械に関しては、本体も制御装置もメーカーはバラバラだったんだ。特定の機種に問題があったとは考えにくい。とすると一体何が――」

「〈ウルカヌス〉です」


 口を挟んだのは、それまで沈黙を続けていた青年だった。ハリエットとイライザの視線が、彼に集まる。淡々とした声で、彼は続けた。


「現在使用されている自動更新機構の原型を発明し、鍛治の神ウルカヌスの名で呼ばれるようになった彼は、全ての制御装置につながる共通項と言えるはずです」


 彼は胸に手を当てて、二人を見据えた。紫水晶の瞳に、はっきりと光が灯っている。


「たった今思い出しました。私は『セブンス』。職人〈ウルカヌス〉――エイドリアン・アスターが生涯最後に完成させた、自律型の機械人形です」

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