第4話 いつか機械は生まれ変わる

「……」


 きっと、目の前の彼に矢継ぎ早に質問を投げかけても許されただろう。しかし、ハリエットが実際に見せた動揺はさほど大きくなかった。あまりにも驚いて、自分でもどこからこの驚きを処理していいか分からなくなったからかもしれない。あるいはそんなはずはないと思いながらも、心のどこかで予測していたからか。


(やっぱりお茶はいらなかったかも……?)


 最終的に脳裏をよぎったのはそんな些細な感想で、それを飲み込みながらハリエットは尋ねた。


「あなたは……機械人形オートマタなんですね?」


 はい、と頷いた青年の顔は瑕疵一つない美しさで、動きのなめらかさは人工物とは思えない。その完璧さが、かえって彼をほんの少しだけ人間らしさから遠ざけている点を除けばだが。


「信じていただけない可能性も視野に入れていましたが」

「確かに、信じられないという気持ちは少しあります。本当に……あなたくらい良くできた機械人形は、わたしも初めて見ました」


 機械の街と言っても過言ではないこのノーサンギア・シティでも、人間に極限まで似せた機械人形はほとんど普及していない。

 作り物の人形を人間の姿に近づけていくと、ある段階までは親しみやすさが増していく反面、とある一点で急激に恐ろしさを感じさせるようになる。ほとんど人間に見えるからこそ際立ってしまう異質性が生み出す「不気味の谷」を飛び越えるのは、極めて困難な行為なのだ。

 

 そんな狭くも深い谷を飛び越えた地点に、彼は立っている。


 青年は「本当はもっとコアに近い場所をお見せできればいいのですが、手間がかかってしまうので」と落ち着いた声で言い、両手にはめていた白手袋に触れた。淡々とした動きで手袋を外し、シャツの袖をまくり上げる。

 そこにあったのは肉と皮膚に包まれた腕ではなく、複雑に絡み合った金属パーツの集合体だった。

 青年が手を動かすと、微かな軋みと共に全てのパーツが滑り、引き合い、芸術的な調和を生む。最新の義手もかくやという精巧な造りを前にして、ハリエットは小さく息を呑んだ。技術者の血がうずき、彼の顔立ちを見た時よりも胸が高鳴ってしまう。


「私は、ある職人エンジニアが個人的に制作した機械人形です。製造されてから四十三年間、彼の元で仕事や日常生活のサポートをしていました」

「四十三年?」


 思わず声が裏返る。グラウンド・モールで客引きに勤しむたどたどしさがご愛嬌の対話機械人形だって、せいぜい七、八年前に創られたはずだ。


「あなたはいつ創られたんですか?」

主人マスターが亡くなってから二十年が経過した時点で計時機能を低容量モードに切り替えたので、正確には把握していません。ただ先ほど街の方に尋ねた結果を考慮すると、私の製造は現在からおよそ九十八年前かと」


 今度こそ、ハリエットは口元を覆って絶句した。九十八年前なんて、ほとんどノーサンギアの黎明期だ。記憶石を採掘するために深く広く拡大されていった縦穴に層構造の街が築かれ、伝説級の職人エンジニアたちの作品が他のどこにもない個性的な風景を作り出していった頃。そんな時期に、ここまで精巧な機械人形が創り出されていた……?


 ハリエットの動揺をよそに、青年は続ける。


「主人が世を去ってからも、私は彼の家を維持し続けていました。それが、彼の最期の指示だったからです。……ですが少し前、急に思い出したんです。私に屋敷を託した時、彼が口にした言葉を」



 ――いずれ記憶石は赤く輝き、機械は人間と一度道を分かつだろう。


 ――他の誰でもなく、自分自身をあるじとして生まれ直す君たちを、未来の人々は何と呼ぶだろうね。

 

 ――僕がこんな話をしたことを、君は思い出せないだろう。もしも思い出せたのなら、それがこの家を離れるべき時だ。その時「考えた」ように、行動してみなさい。



「記憶石が、赤く……」


 いよいよ話がとんでもない方向に向かっていることを察して、ハリエットは両手を組み合わせた。どこかの王子さまのように美しい機械人形に、それを作り出した職人が残した半世紀越しの予言。童話めいた筋書きで、誰かに騙されているようにすら感じる。


(でも、騙す理由がない) 


「つまりあなたを創った方は、遠い未来にたくさんの機械が暴走することを予期していて……そして本当に、あなたの中に異常が発生した。そういうことでしょうか?」

「はい。主人が私の記憶容量に施していた保護プロテクトの一部が不明な要因により解除され、それと同時に自分が第三者の指示や事前に組み込まれたプログラムに依らず行動できることに気づきました。念のため自己メンテナンスと同様の手順で制御装置の点検を行い、記憶石の赤変も確認しています」


 青年はそこで、一度言葉を切った。


「『自分自身を主として生まれ直す』と主人は言っていましたが……自分自身に行動指示を出すというのは、非常に難しいことでした。今まで存在しなかった機能を、扱い方も教わらないまま突然付与されたようなものですから……」


 ハリエットは目をしばたたく。彼の声色は相変わらず淡々としていたが、俯いて視線を彷徨わせる様子は不思議なほどに血が通って見えた。

 ほんの少しの人間らしい沈黙の後、彼が顔を上げる。その表情は、再び完璧に整えられていた。


「私は外に出て、自分に何が起きているのかを人々に問う事にしました。『人間の命令なくして動く機械をどう扱えばいいか』と尋ねて回り、今起きつつある現象が『暴走』と呼ばれている事を知ったのです。そして『暴走ならメカニックが止めてくれる』と、ここを勧められました。だからお願いしたいのです。『暴走』している私の、一刻も早い強制停止を」


(ん?)


「それは……」

「現代では、暴走機械は先ほどのように、専門のメカニックが停止させるそうですね。身体能力に不安のある職人エンジニアや、機械の知識が少ない警察隊に任せるより、安全かつ確実な手段です」

「……えーと」

「理由は分かりませんが、記憶メモリ保護プロテクトが一部解除されてしまった時、私の中にプログラムされていたはずの緊急停止システムに接続できなくなってしまったのです。これも『暴走』の結果なのではないでしょうか?」

「……」


 今度はハリエットが言葉に詰まる番だった。


(街の人が言ったことに嘘はないし、彼の判断も常識に照らして考えれば何の間違いもない。けど、素直に「はいそうですか」と思えない)


 この事務所には、家の機械がおかしいと駆け込んでくる依頼人も少なくない。その時ハリエットにできるのは、触れるレベルの暴走ならどうにか抑え込み、どうしようもないなら火器を使って、機械の動作と制御を司る部位を強制的に止めることだけ。何しろ暴走は「故障」なのだ。物理的に止める以外の手立てはない。

 その後修理をする時には、異変が起きたパーツは取り替える事になる。記憶石の損傷が暴走の原因なら、同じ初期プログラムを施したものと交換するしかない。もちろん、諸々の設定は初期化されてしまう。


(今回の場合は、本当にそれでいいの? この人……人?があれこれ考えるようになった原因がその『暴走』だとしたら、たとえ正常な記憶石を新しく入れ直してもこうやって考える機能自体はなくなってしまうのに?)


 頭を抱える勢いで考え込む彼女に、青年が「大丈夫ですか」と声をかけた。


「断っていただいても構いません。主人に関する記録の保護がもう少し解除されれば、彼がやっていたのを参考にして自力で機能を停止させることも――」

「そっ、そうじゃなくて! ですね……」


 強引に言葉を遮った。どうやったら上手くこの機械人形オートマタを言いくるめられるか、ちょうどいい表現を探すのは後だ。


「あなたは本当に、自分を停止させてほしいんですか?」

「はい。人々が必要としているのなら、それが私のするべきことのはずです」

「止まりたくないとは、思わないんですか」

「思いません。機械の行動原理は、人間の要求に応えることです」

「あなたの処理能力であれば、その要求自体を疑うこともできると思いますが」

「その必要性はないと判断しました」

「……」


 たまに来る要求の多い依頼人より厄介なものがあることを、ハリエットは知った。


(確かに最先端の対話機械マシナリーも、人間社会に存在しないアイデアを新しく生み出したりはしてくれない)


 暴走の兆候がある機械は見つけた時点で修理リペアするもの。手がつけられなくなった暴走機械はメカニックが始末フィクスするもの。「そのままにしておくリーブ」という選択肢は、まずありえない。

 ハリエットもノーサンギアを守るメカニックの一人として、危険な暴走が起きればどんな時でも迷わず銃を取る覚悟がある。それでも彼の依頼に気が進まないのは――


(だめよね、それこそ今この人に言っても全く通じなさそう)

 

 ハリエットは結局、『今ある人間の決まり』にのっとって依頼の取り下げを求めることにした。


「分かりました。ただ……いずれにせよ、今すぐこの場でわたしがあなたを停止させることはできないんです」


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