第2話 メカニックの仕事

 群衆の叫びが聞こえるか聞こえないかのうちに、ハリエットは動き出していた。


「中でお待ちください。すぐ戻ります!」


 青年に告げると玄関の戸棚を開け、「仕事道具」一式を引っ張り出す。家の中を走り抜けながらリュック型の補助装置アシスタント・ユニットを背負い、そのままの勢いでバルコニーから飛び降りた。装置から射出されたワイヤーが手すりに巻きつき、着地の衝撃を和らげる。ワイヤーを素早く解いて、ハリエットは駆け出した。


(音からして、ウエスト・エリア方面に行ったはず)


 並ぶ建物の屋根から屋根へ飛び移りながら、望遠単眼鏡モノクルのピントを合わせる。ハリエットがいる十一層のさらに下、蠢く黒い影がレンズの中に映った。

 ハリエットはワイヤーを前方に放ち、一際強く屋根を蹴る。跳躍と巻き取られるワイヤー両方の勢いを借りて、一気に対象ターゲットとの距離を詰めた。


 黒光りする鉄の塊が、進路上のあらゆるものを跳ね飛ばしながら突き進んでいる。推進力を与える一対の金属脚が騒がしく路面を打ち、車体を支える二つの大きな車輪が深い轍を刻んでいる。その背に被せられた幌の隙間からは、どこかの青果店に運ばれるはずだったオレンジがボロボロとこぼれ落ちていた。


(ヴァーランド・スミスの六三年製二脚二輪型自律装置――)


 少女の脳内で、標的ターゲットの三面図が展開される。幸い、暴れているのはこの街のどこでも見かけるありがちなマシンだった。どこにどんな機構が取り付けてあるのかも、熟知している。


(三発で足りる)


 ハリエットはそれまで小脇に抱えていた己の得物――カスタム済み半自動小銃セミオート・ライフルを構え、迷いなく引き金を引いた。

 計算し尽くされた軌道を描いて、銃弾が暴走する鉄塊へと吸い込まれる。機械の前方、獣であれば頭部にあたる位置に食い込んだ弾が、厚い鉄板の隙間に潜り込んで浮き上がらせる。もう一発同じ位置に撃ち込むと、火花を散らしながら鉄板が吹き飛んだ。


(見えた)


 保護プレートが剥がれた運搬機の頭部から、絡み合う無数のカラクリが露出している。もう少し奥で唸っているはずの動力装置がマシンの心臓コアだとしたら、忙しなく動いているこの歯車の集合体はさしずめブレインだ。


 ハリエットは呼吸を整え、精神を研ぎ澄ませる。


 狙いを定め、「脳」の中心を撃ち抜いた。



   * * *


 

 横倒しになり、完全に動きを止めた運搬機の横にハリエットは着地した。新鮮な果実が体の下で潰され、場違いに爽やかな香りと共に液体が路面にゆっくりと広がっていく。遠巻きに一部始終を見届けていた市民たちが、銃を携えて現れた彼女を見て安堵や驚きの混じった声をこぼした。

 

「ブライトンさんが止めてくれたのか」

「助かった。ギルドに人を呼びに行ったんだが、すぐに出られる人がいなくてな」

「え、あんな若い子がメカニック?」

「知らなかったの? あの子真面目だし腕もピカイチよ」


 ざわめきを聞き流しながら、ハリエットは作業用の携帯ランプを取り出した。運搬機の頭部を覗き込み、銃弾の位置を確認する。狙い通り、三発目の弾は制御機構ブレインを貫く軸の一本を砕き、そこで止まっていた。引き続きハリエットは、カラクリの内部を探っていく。


(やっぱり、記憶石メモリー・ストーンが濁ってる……)


 致命的な一点を破壊された制御機構の内側にある、淡い光を放つ部分をハリエットはそっと撫でた。ほとんど金属で構成された機械の中で、その部分だけは正八面体にカットされた大ぶりな鉱石で形作られている。透明なはずのそれは今、別物に見えるほど赤く濁っていた。


(記憶石はちょっとやそっとじゃ変成しないし、不純物が紛れ込むなんてもっとあり得ない。大体の暴走は、伝達回路の破損か石の内部損傷で起きるのに)



 内部に特殊な金属を含む「記憶石」は、職人エンジニアの加工によって優れた制御・演算装置へと生まれ変わる。機械に複雑な動作をプログラムし、時に臨機応変な対応すら可能にする記憶石は、この機械時代マシナリー・エラの礎を築いたと言っても過言ではない。


 しかし記憶石はその繊細さゆえに、些細な不具合が深刻な異常を引き起こす場合がある。一度マシンの制御装置が壊れれば、待つのは良くて機能停止、悪くて暴走という結末。高い馬力を誇るマシンの多くは、一度暴走が始まってしまうと通常の方法で停止させることもできず、エネルギー切れを待つにも限界がある。


 だからハリエットのような「メカニック」がいるのだ。


 近づくことすら困難な暴走機械の急所を的確に撃ち抜く、機械専門の「殺し屋メカニック」が。


 

(わたしが請け負った分だけでも、暴走した機械の記憶石が濁っていたケースはもう今月に入って六件目。理由もさっぱり分からないから、まだ街の人たちはよくある暴走だと思っている。きちんと調べれば、何か分かるかもしれない……けど)

 

 念のためカメラで機体そのものと制御装置周辺を写真に収め、ハリエットは体を起こした。依頼人を待たせているのだ。考えるのは後にしよう。


 その時、ハリエットの耳が野次馬たちの言葉の一つを拾った。


「なあ、そういえば『ブライトン』ってあのマシン嫌いの――」


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