第25話

 夜が明けた。

 太陽がしっかりと雲を割ってから、ハルは小屋を出て城に向かう。

 片手には白いエリカの花束。髪に飾るサイズではない。胸に抱える大きさだ。

 城の正面扉を守っているのは、この日、カームとラバンだった。王子が入れられた地下牢の番をしていたふたり。

 悪くない偶然だ。

「エディアに会いに来た」

 ふたりの前で足を止めて言うと、カームとラバンは顔を見合わせる。年かさのカームが若いラバンに頷いた。

「こちらはマクリーン様のお弟子様だ」

 ラバンもカームに頷き返す。

 ふたりの手が、大きな扉を押し開く。

 いつかマクリーンとふたりで進んだ城内を、ハルはひとりで歩いていく。あの日は着飾った儀仗兵が門を守っていたが、それは自分が王に謁見する儀式があったからだとあとで知った。

 普段は普通の兵士が門番をしている。カームとラバンのような。

 つまり、今日、場内で特別な儀式はない。エディアは執務室で役人の報告を聞いたり大臣たちと荘園管理や外交の打ち合わせをしたりしているだろう。

 玄関ホールの三つのドア。マクリーンのあとをついていったときは真ん中の扉に進んだ。王に謁見する大広間へと。

 今日、ハルは右の扉を開く。

 役人たちの控えの間だった。何人かの役人がふり返る。少年魔法使いの姿に、訝しげな表情を浮かべた。

 ハルは部屋の中に歩みを進める。部屋の奥の扉に向かって。

 王子がいた。役人のひとりと向き合っている。役人が口髭を指で撫でつけながら、王子に言っている。

「……ほっほ、マクリーン様のご教授を受けた王子様に、私ごとき小役人がお教えできることなどありませんなあ」

 役人の言葉に、王子は黙って視線を下げる。

「ヘタレが」

 その横を通り過ぎながら、はっきりとハルは言った。

 王子が驚いたように顔を上げる。役人はぎょっとして声を向き、ハルを認めてさらにぎょっとした顔になる。

 室内の会話が止んだ。部屋中の視線がハルに集まって。

 奥のドアの前には、書付を手にした魔女がいた。ハルに『覚悟』を問うた魔女だ。名前は……忘れた。

「エディアは中?」

 ハルは魔女に確認する。

 魔女は軽く眉を上げた。

「素敵な花束ですこと。覚悟を見せてくれるのかしら?」

 冷ややかに質問を返す。

 ふん、とハルは鼻を鳴らした。魔女の前をよぎり、扉を開けた。

 エディアは執務机のそばに立っていた。机には地図が広げてあって、エディアはふたりの大臣とともに机を囲み、地図を指差しながら何か話している。

 扉の開く音にふり返ったのは大臣のひとりで、ハルを見て言葉を途切れさせた。

「どうした?」

 と、顔を上げたエディアもハルに気づく。唇が、ハル、と動いた。

 ハルはエディアの正面で足を止めた。

 片手で白い花束を突きつけた。

「これが最後だ。二度と言わねえ。──俺と来い」

 大臣どもがうぐっと変な声を上げる。

「この、無礼者──」

 と、ハルに詰め寄ろうとするのを、エディアは片手で制した。目を閉じてゆっくりとひと呼吸する。

 開いた目の、ハルを見る視線は揺るぎない。

「私の気持ちは伝えた。変わることはない」

「俺の女になる気はないんだな」

「ない」

「……じゃあ仕方ねえな」

 手にした花束を、ハルはエディアに投げた。エディアが反射的に花束を胸に受け止めたときには、ハルはエディアの前に片膝をついていて。

「おまえが俺の女にならないなら、俺がおまえの魔法使いになってやる」

 エディアの目が大きく見開かれた。受け止めた花束を胸に抱きしめて。

「……王家に仕えてくれるのか、ハル」

 尋ねる声が震えた。

「人の話はちゃんと聞け。王家じゃない。おまえに仕えてやると言ってるんだ」

「同じことじゃないか、ハル」

 そういう声は扉の方からした。目をやると、王子が扉に手をかけてこちらを見ている。王子の後ろには役人たちがひしめいていて。

「私は反対だ」

 と、声を上げる者がいた。ひとりが言うと、次々と。

「私も反対です」

「王家に仕えるならば魔力だけでなくそれなりの品性が」

「このような粗野な者がマクリーン様の跡を継ぐなど──」

「おまえたちはハルを粗野と言うか。だが、卑ではないぞ」

 役人たちの言葉を遮ったのは、エディアだった。

「ハルが王家の魔法使いとなるのにみなが反対なら、私はこの者を私の魔法使いにする」

 跪くハルの肩に、ふぁさ、と花束が当てられた。

「──それでいいのだな」

 尋ねられて、ハルは小さく笑った。そう言っただろうが。そして、エディアの前にこうべを垂れる。

 俺はおまえの魔法使いになる。

 エディアの声が凛と降ってくる。

「マクリーンの唯ひとりの弟子にして善き魔法を使う者、ハルベルティ、常に私のそばにいて、私を守る盾となれ」

 誓いの言葉というか、こういうときの決まり文句があるのかもしれないが、ハルは知らない。

「おう」

 短く答える。

 花束が肩から離れ、ハルは立ち上がった。向かい合うエディアは花束を抱きしめて白いエリカの中に顔を埋めている。

 泣いてはいない。微笑んでいる。幸せそうに。

 ハルは黒いマントを翻した。ドアを出ようとすると、王子がハルの腕をつかんだ。

「どこに行くの? 君、これからはエディアのそばにいるんじゃないの」

「俺はどこにいてもエディアのそばにいるんだよ」

 王子にだけ聞こえる声で言うと、王子は訝し気にハルを見たあとハッと何かに気づいた顔をした。

 そういえば、最初はこいつに聞いたんだっけ──マクリーンが光の魔法で城を守っているって話。

「てめえがヘタレてるのも、いつでもわかるからな」

 低く付け足してやると、王子の表情が真剣になった。ハルの腕から手を離す。

 魔女の前を通る。魔女は体の横で握り締めていた手を緩め、片頬で笑った。

「白いエリカの花言葉は、幸福な愛を、だったかしら」

 どうでもいいが、そうだ。

 役人たちの、ねめつけるような視線を切るように進み、通路を引き返して城を出る。

 カームとラバンが心配そうな顔をしていたので、にやりとしてやった。ふたりはホッと肩の力を抜いたが、芝地を横切って小川の前で足を止めたハルの顔は厳しかった。

 目を空に向ければ、マクリーンから引き継いだ光の糸が見える。糸の輝きは昨夜見上げたときと少しも変わっていない。弱く、穴だらけで。

 守れるだろうか、エディアを……心に影を差す疑問を、ハルは振り捨てる。守れるかどうかじゃなくて、守るんだよ。

 ハルは前を向き、ふたたび歩き始めた。

 もっと強くなるだけだ。

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性格に難のある魔法使いが姫王に膝をつくまで はお @rishu7

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