第20話

 地下牢の前に立つ番兵はふたりで、階段を降りてくるエディアとハルを見て、驚きと戸惑いの表情を浮かべた。

「姫様……いえ、王様、こんなところに何の御用で……」

 若い、まだ少年の顔をした兵士が言いかけると、それを遮るように年かさの兵士が口を開いた。

「ディアナム王子の処刑のことでしたら、明日の昼、宰相様将軍様立ち合いのもと──」

 年かさの兵士はそこで声を低め、目を伏せた。

「──苦しませないようにと、将軍様から命じられております」

 そういえば、王子は軍人たちには人気があったんだっけ、とハルは思い出す。武術の腕前がすごくて。

 苦しませるな、という将軍の命をエディアに伝える兵士の顔は辛そうだった。王子のために胸を痛めているような。

 エディアは、と見ると、ふたりの兵士の前で腕を組んでいる。とても簡単に言った。

「いや、私はディアナムを牢から出すつもりでここに来たのだ」

「……は?」

 年かさの兵士が伏せていた顔を上げ、若い兵士はポカンとエディアを見る。

「牢の鍵を開けよ。ディアナムを外に出せ」

「はい、え? ええっ……いえ、あの……」

「うむ、おまえたちの立場では隊長の許可が必要か。だが、許可をもらいに行くのも面倒だな。おまえたちが開けられないなら、魔法で開けてしまうか」

 狼狽える兵士たちにそう告げて、エディアは一歩横に動く。エディアの後ろにいたハルの全身が兵士たちの目に映る。

 魔法使いの黒衣を身につけた少年が。

「直に会うのは初めてかもしれないが、評判を聞いたことはあるだろう。ハルベルティだ。マクリーンが直々に弟子にした天才魔法使いである」

 自分ではいつも平気で口にしていた『天才』だったが、エディアの口から出ると、なぜだろう、ちょっと気恥ずかしい。

 無論、そんなこと、欠片も表に出さない。

 評判というのも、大概が悪い評判だろうが──窃盗団あがりの悪童とか口の利き方を知らぬ無礼者とか──そこはまったく気にしない。

 ただの事実だからだ。

「ハルベルティならば魔法で牢の鍵を開けることも可能だ」

 いや、どうだろう。そんな魔法は知らない。マクリーンにも習っていない。盗みを働いていた時代も、鍵はみんなで叩き壊していた。

 だが、ハルは、ふふん、と笑う。エディアのハッタリを台無しにするつもりはない。

「エディア様……」

 おろおろし始める兵士たちをしり目に、エディアはハルに質問を振る。

「ハル、魔法で鍵を開けるのにどのくらい時間がかかる?」

 さあて、初めてだからな。

「すぐに、ってわけにはいかねえだろうな」

「そうか」

 軽く受けて、エディアは兵士たちに視線を戻した。

「すぐには無理だそうだ。人を呼びに行くなら今のうちだぞ。私を止めるとなると、宰相であるとか大臣たちとか将軍たちとか……ハルベルティを止めるには魔法使いたちも必要かな?」

 兵士ふたりは互いに顔を見合わせた。

「エディア様、ここで、しばし、お待ちを」

 年かさの兵士が叫んで走り出すと、若い兵士も従った。ハルの横をすり抜けて、狭い階段を駆け上がる。

「おまえは隊長どのにお知らせしろ。俺は宰相様に取次ぎを願う」

「へい」

 なんてやり取りを暗い空間に響かせて。

 兵士の影が見えなくなると、エディアは牢に近づいた。ハルも。

 王子が鉄格子を両手でつかんでぼう然とこちらを見ていた。

「……エディア……ハルベルティ……」

 自分たちの名前を呟いて、それきり声を出せないでいる。

 エディアが鉄格子ごと王子の手を握った。

「ディアナム、迎えに来た」

「マクリーンが亡くなったというのは本当?」

 かすれた声で王子が尋ねる。エディアの声は聞こえなかったみたいに。

 すっと一呼吸して、エディアは王子の問いに答えた。

「亡くなった。私の代わりに」

 鉄格子を握る王子の手がずるっと滑り、王子は石の床に座り込んだ。

「ディアナム」

 同じように膝を折ったエディアに、王子は項垂れて言葉を押し出す。

「僕は母のところへ行かなければ」

「ディアナム、メイジェイルどのも亡くなった」

「知っている。母は僕の目の前で倒れたんだ。花を届けに行ったら、母は呪いの儀式を行っていて……僕は母を止められなかった。間に合わなかった。僕は──」

「おい、鍵、開いたぞ」

 ガチャリ、と鍵を回して、ハルは格子の低い位置にある小さな扉を開いた。

 辺りに沈黙が落ちる。

 エディアと王子がハルに視線を向けている。ふたりとも床に膝をついているので、立っている自分を見上げる角度が心地いい。

「……魔法?」

 尋ねたのは、エディア。本当にそんな魔法があるとは思っていなかった顔で。

「いや?」

 ハルはエディアの目の前で握った手を開く。

 手のひらの上には、鍵。

「さっきの牢番が腰に鍵をぶら下げていたから、横を通るときに、掏った」

 鍵を吊るした革ベルトを風で切るなんて小手先の魔法より、落ちる鍵を素早く掠め取る指先の技術の方が難しい。

「出て来いよ、くそ王子」

 ハルは鉄格子の内側に声をかける。

「いや、僕は……」

「おまえ、処刑されたいの?」

「そうではないが、僕は母の罪を償わなければ……」

「なんでおまえがかーちゃんの罪を償うんだ?」

「だって、マクリーンが亡くなってしまって……」

「あー、それは俺も腹が立っている。マクリーンは俺が倒す予定だったからな」

 そう言って、ハルは赤い髪をかき上げる。

「だけど、呪法を行った魔女は返しを受けて死んだ。それで終わりだ。おまえは関係ないだろ?」

「僕の母がしたことだ。僕は……」

 あーこいつぐずぐすとめんどくせえ。

「俺の親父は酔っ払いのクズでな」

 ハルは開いた扉に肘を乗せ、王子の顔を上から覗き込んだ。

「あっちこっちで揉め事を起こして迷惑かけて、果ては自分の子どもに焼けた火かき棒を振り下ろそうとするようなやつだったんだ。おまえの理屈だと、俺はそのクズの罪を背負って罰せられなきゃならないのか?」

 王子が目を瞬かせた。それから、眉を寄せた。ハルの言ったことを反芻するような間をおいて。

「……それは、違うんじゃないかな。君は、むしろ、その男の被害者で……」

「なら、おまえだって被害者だろう」

 ──権力争いとかいうやつの。

 エディアも驚いたようにハルを見ていた。

「苦労していたのだな、ハル。火かき棒を振り下ろされるなんて……ケガはなかったのか?」

「なかった」

 きっぱりとハルは答える。

「親父が火かき棒を振りかぶったときに、魔法の才能が目覚めてな。火かき棒が火に包まれたんだ。ついでに親父にも火が移った。俺はそのまま家を逃げ出して二度と戻らなかったから確認はしてねえが……俺は、たぶん、そのとき親父を焼き殺している」

 エディアが息を飲む。

 ハルは唇の端で笑った。なんでこんなときにこんな話をしちゃったのか、よくわからないが。

「びびった? 俺が人殺しで」

 エディアは『びびった』表情を確かに浮かべた。

 でも、一瞬だけ。

 ふるふると首を左右に振って。

「いや、実は私も殺人者同然なのだ。私の軽率な行動のせいで、ターレンは命を落としてしまって……」

 ターレン?

「誰?」

 と、牢の中に座ったままの王子に聞く。

「あ、ええっと、以前、エディアに剣を向けた氏族の長がいて……」

「ああ、はいはい。その話ね」

 以前マクリーンに聞いた──王妃になった魔女を陥れようと図った氏族の長のことか。悪巧みの相談をかくれんぼしていたエディアに聞かれ、エディアを殺そうとしたやつだ。

 エディアの危機を王子がかっこよく救った話も一緒に思い出しかけたが、その記憶は封印する。

 王子が牢の中からエディアに語りかけていた。

「エディア、あれは仕方なかった。彼は王に対して悪事を働いたのだから、その分の処罰は受けなければならなかったんだ」

 それから、王子の目はハルに向く。

「ハル、君の場合は、ただの正当防衛だ」

「仕方ない、正当防衛」

 歌うように、ハルは王子が口にした言葉を繰り返した。

「人を殺した俺たちがそれで済むなら、何もしてないおまえがなんで刑を受けなきゃならねえんだよ──さっさと出ろ。番兵が戻ってくるぞ」

 催促したのは、エディアは王子を逃がそうとしていると思っていたから。

 王子の目が大きく開く。

「でも、僕を勝手に逃がしたりしたら、君たちが……」

「逃がすのではない」

 エディアが凛と声を上げた。

「ディアナムが刑を受ける必要はないと、みなを説得するのだ」

 えええ、説得? みんなって? ハルは思わずエディアをふり向き、

 ──あ、なるほど。

 合点する。エディアがさっき牢番たちにとった言動の意味を。

 エディアは、牢番たちに呼びに行かせたのだ──宰相や将軍たちを。あわてて駆けつけるだろう宰相たちに、この場でディアナムの解放を訴えるつもりなのだ。

 くっ、と笑いが喉に込み上げた。

 堂々と勝にいく……いつだったか、エディアはそんなことを言っていた。

 そうか。こういうことか。

 ときにはきついこともある──そうも言っていた。確かにただ逃がすよりきつそうだ。

 格子の中に、エディアは手を差し入れる。

「そこから出るんだ、ディアナム」

 くそ王子は嫌いだが、エディアの応援なら、してやる。

 ハルも牢屋の中に手を入れた。王子は自分から動こうとはしなかったが、抵抗もしなかった。ハルはエディアとふたりで王子を引っ張り出す。

 エディアが王子を抱きしめた。王子はぼう然と何もない空中を見つめている。

 足音が聞こえて、ハルは耳を澄ました。──複数の足音……。近づいてくる。

 ハルは地下に下りる階段に目をやった。幾つもの人影が慌ただしく駆け下りてくる。番兵が呼び集めた城のお偉いさん方だろう。

 先頭は城を警護する将軍。さっきの牢番ではなく、位の高そうな兵士を数人つれている。軍装の上に魔法使いの黒いマントを羽織ったやつもいる。軍属の魔法使いか。

 少し遅れて宰相もやってきた。髪は白くなっているが、背筋はピンと伸びた体格のいいじいさんだ。宰相の後ろには、大臣や役人。こちらにも魔法使いがいる。こちらは、おばさん──魔女だ。

 最後に、年かさと若いのと、ふたりの牢番が全員の後ろから怖々と顔を覗かせた。

 この短時間でこれだけのお偉方を呼び集めるとは、なかなか気の利いたやつらだ。

 床に膝をつくディアナム、ディアナムを抱きしめたエディアとその横に立つハル──三人が、狭い通路で宰相たちと向かい合った。

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