第19話

 城にはマクリーンの他にも魔法使いがいる。医療を担当する者や、軍属の攻撃魔法の使い手たちだ。

 マクリーンほどではないにしろ、レベルの高い魔法使いたちだ。当然、城内での呪術の発動に気づいた者たちがいた。呪いが最初はエディアに向いていたことも。

 呪法を使った術者を見つけるのは簡単だったろう。城の中で返しを受けて死んだ者を見つければいいだけだ。

 魔女の死体は城壁の外側に引きずり出され、更なる災いを呼ばないように魔法使いの呼び出した聖なる火によって焼かれ、川に流された。

 マクリーンの遺体は丁寧に整えられてハーブ畑の片隅に埋葬された。特別な儀式はなかった。ハルは知らなかったが、マクリーンが生前希望していたことだそうだ。この身はただ自然に還してほしい、と。

 何人もの人間がひっきりなしにハーブ畑を訪れてマクリーンのために祈っていった。ハルは小屋の窓からそれを眺めた。礼装を纏った身分の高そうな者もいたし、前掛けをつけたままの下働きもいた。

 ──弔いの人の姿がようやく減った日。

 日が沈んで、辺りがまったく静かになるのを待って、ハルは小屋を出た。

 風が吹いている。月はまだない。透き通った星明りが降ってくる。

 マクリーン。──心の中で呼んだ。

 ハーブの香りの下で目を閉じて眠っているから、マクリーンは返事をしない。

「勝ち逃げかよ、じじい」

 何度呼んでも、声に出しても、二度とマクリーンの声は返らない。

 ぽろぽろっ、と頬に涙がこぼれた。

 誰もいないから、涙を拭ったりはしなかった。

 初めてだった。痛いとかひもじいとかじゃなくて泣いたのは。

 魔法を使えるようになってからは、たいていのことは思い通りになって、泣いたことなんかなかったのに。

 マクリーンに会えないのがこんなに辛い。

 エディアがハーブ畑に現れたのは、同じ夜、ハルが泣き止んで小屋に戻り、細い月が東の空に昇った頃だった。


 とっくに深夜を過ぎていた。

 供も連れずに林を抜けてきたエディアは、ハーブの中に隠れるように膝をつき、声を殺して泣いていた。

 ハーブ畑の上に、ハルの広げた細い光の糸がきらきらと瞬く。

 エディアに光の糸は見えないが、ハルは糸を通してエディアを見守れる。月の光も差し込まない暗くて狭い部屋でベッドに座り、無表情に壁にもたれていても。

 長い時間、エディアはハーブの中にうずくまっていて。

 立ち上がったときには、エディアの顔に涙はなかった。

 東の空が白んで細い月の明かりは薄れている。曙光に照らされた顔に強い決意を滲ませて、エディアはハーブの中を歩き出す。

 エディアは前と変わらず白いチュニックを着て長い髪を背中で束ねていた。

 だが、髪の結び目に花はない。

 王が亡くなってから、ハルはエディアに会うことがなかった。花も届けていない。王子も……。

 ハッとして、ハルは壁から体を起こした。

 エディアが何をしようとしているのか、直感したのだ。

 ハルもここ何日か考えていたことだったから。

 ディアナム王子は魔女の死体から引き離され、城の地下牢に入れられたのだ。心を病んで判断力を失くした魔女が、自分の子どもを王位につけようとしてエディア姫を呪殺しようとしたのは明らかで、王子も同罪に問われたから。

 謀反は、極刑。かつてエディアに剣を向けた氏族の長がそうだった。

 ハルはベッドの端に置いてあったマントをつかむと、小屋を飛び出した。林の小道へとエディアを追った。

「エディア」

 呼ぶと、エディアは驚いたようにふり向いた。だが、足を止めたのはその瞬間だけで、すぐに視線を前に戻して歩き続ける。

 ハルは走ってエディアに並んだ。エディアはもうハルを見ない。唇は軽く、だがきっぱりと結ばれている。

 手にした黒いマントを、ハルは細い体を包むように纏う。

 無言でエディアの隣を歩く。

 小川の橋を渡るとき、エディアが小声で言った。

「ハル、私がどこへ行くか、わかってついてくるのか」

「ああ、わかっている。俺は天才魔法使いだからな」

 エディアが橋の途中で立ち止まった。

 ハルを見た。若干見下ろされ加減だ。まだ自分の方が背が低いから、仕方ない。でも、差は縮まりつつある──と、思う。

 視線を返すと、きつかったエディアの表情からふっと力が抜けていた。唇が、てんさいまほうつかい、と動く。

 そして、その唇が笑みをかたちづくる。エディアらしい強く明るい笑みを。

「それは心強いな。行くぞ、ハル」

 ふたたび歩き始めたエディアから一歩遅れたのは、胸が痛んでしまったからだ。こんなときでも強くあろうとするエディアの気持ちに。

 だが、ハルはすぐに、にやり、とする。

 エディアは王子を逃がそうというのだろう。力を貸してやる。……別に王子を助けたいわけじゃない。ただ……そう、面白そうだからだ。

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