第11話

「なあ、マクリーン」

 運ばれた夕食をマクリーンとテーブルで食べながら、ハルは心に引っ掛かっていることを口にする。

「ディアナムってやつ、自分には魔法が効かない、って言ってたんだけど、どういうことなんだ?」

「言葉通りの意味ですよ。ディアナム王子に対しては、すべての魔法か無効になってしまうのです。私の魔法もです」

 パンが喉に詰まりそうになって、ハルはあわてて水を飲む。

 マクリーンの魔法も効かない、だって?

「なんでっ」

「生まれつきなのです。王子の母君は魔法使いの一族の出身なのですが、王子は魔法が使えません。けれど、自身に向けられた魔法を無力にする力を持って生まれました」

 じわじわと、ハルはマクリーンの話を理解した。王子は自分に対する魔法を無効にする力を持っている。──天敵じゃねえか、魔法使いにとって、というか、俺にとって。

「あいつ、魔法使いになりたい、って言ってたぞ」

 マクリーンの弟子に──だったかな? まあどっちでも似たようなことだ。

 ふっ、とマクリーンのまなざしが翳った気がした。

「王子はいずれ国主となるエディア姫を助ける存在になりたいのです」

 ハルはちょっと考えた。

「……自分が王様になりたいんじゃなくて?」

 この際だから、いろいろ聞いてしまおう。

「ディアナム様は自身が王にはなれないことをよくわかっています」

「魔女の母親のせいで? エディアの母親の一族は有力者ぞろいだから?」

 エディアはそう言っていた。

「それもあります。けれど、エディア様自身に王たる資質がなければ、反対する者たちが出たとは思いませんか」

 ハルはふたたび考える。──エディアの母の一族に力があるなら、それに反発する勢力もあるだろう。エディアの資質に問題があれば、反対勢力がそこを梃子にしてディアナムを次の王に担ぐ展開はあり得る。

「ええと、誰も反対しなかったのか?」

「むしろ、宰相派以外の氏族がエディア様を推したのです。エディア様は、母君のご実家の当主である宰相にも、毅然とものを言えるお方なのです」

 『面白いな、おまえ』──初めて会ったとき自分にそう言った、エディアの声が聞こえた気がした。自分と王子の肩を抱いて『仲良くしよう』と言った声も。

 毅然と、というか、無邪気に物怖じしない、というか。

「対抗氏族の味方となるわけではありませんが、母君のご実家に対しても遠慮しない。ひと言で言えば、フェアなのです。そして、自分が過たぬために、日々学び努めています」

 窓際のテーブルで真剣にマクリーンの講義を聴くエディアの姿が、ハルの胸に浮かぶ。

「宰相一族の傀儡とならないエディア様は、他の氏族には宰相たちの専横を防ぐ盾と映ったようです。一方、宰相どのはといえば、自分の妹が産んだ利発な姫が可愛くて仕方がない。他の者が言えば眉を逆立てるに違いない意見も、エディア姫の口から出れば目尻を下げて聞くのです。そして、宰相どのも、とても頭の良い方なのです。怒らせずに冷静に話し合うことができれば、理詰めで説得することはできるのです」

 マクリーンは、にこり、と笑んだ。

「王と亡き王妃との間に生まれたただひとりの御子というお立場と、磊落なご気性と、双方がそろわなければできないことでしょう」

「……魔女の子どもじゃだめってことか」

 呟いたのは、生まれながらに日陰に置かれたらしい王子に同情したからではなく、魔法使いとしていささか不愉快に感じるところがあったからだ。

「魔女だと王妃にはなれないのか?」

「メイジェイルに会ったのですか?」

「見かけただけだけどさ。まあ、なんつーか、王妃ができる雰囲気じゃなかったけどさ」

「メイジェイルは、もともとはエディア様の母君に仕えた魔女でした」

 それはエディアにも聞いたけど……。ふと、長い話になる予感がして、ハルはつかんだパンを皿に戻す。

「エディア様の母君が亡くなったとき、王はとても力を落とされました。メイジェイルも女主人をとても慕っていたので、王はメイジェイルと亡き王妃の思い出を語り合うことで互いの心を慰めていたのですが、ふたりで長い時間を過ごすうちに……」

 そこで言葉を途切れさせ、マクリーンは何かを心配するような表情でハルを見た。子どもにこれを言うのはどうでしょう──みたいな。

「あー、はいはい、そうなっちゃったわけね、ふたりは」

 ハルは、わざと大きい声で、雑に言った。大魔盗団の大人どもがやっていた『女と遊ぶ』ってやつだろう。自分はあんまり興味がなくてやったことはないが、だいだいのところは理解している──つもりだ。

「……そうですね。そして、ディアナム様が産まれました」

 ハルの顔をちょっとの間眺めて、マクリーンはふたたび話し出す。

「王は王子の誕生を喜びました。エディア様にきょうだいができたと。メイジェイルは王妃に迎えられました」

 マクリーンの静かな声がふと沈んだ。

「しかし、数年後、不穏な噂が流れました。先の王妃が産後の肥立ちが悪く亡くなったのはメイジェイルに故意の不手際があったからでは、という噂です。魔女は医療や出産の手助けもしますから」

 灰色の目を軽く開いて、ハルはマクリーンの顔を見る。

 王家に仕える魔法使いは、悲しい目をしていた。

「メイジェイルはもちろん噂を否定しました。しかし、間の悪いことに、噂と時を同じくして王が体調を崩されたのです」

「……それも、魔女のせいに?」

 マクリーンは目で頷く。

「誰だよ、噂を流したのは」

 尋ねながら、宰相じゃないか、と考えていた。王子がいると、エディアの王位継承の邪魔になるから。

 が、マクリーンの答えは違った。

「後にわかったことですが、次の王妃に自分の娘を送り込もうとしていたある氏族でした。メイジェイルが王妃に仕える魔女という身分にも関わらずその地位についたことに、承服できなかったのでしょう」

 ハルは椅子の背もたれに、どさっ、と背中を預ける。

 なんつーか……権力争いって、やっぱりドロドロしてるのな。

「私は占いによってメイジェイルの潔白を示しました。王は私の占いを尊重し、メイジェイルを処罰することはありませんでしたが、二度とそばに置くこともありませんでした。ご自身の命を占いの結果に託すのは不安だったのでしょう」

 ハルは、ふん、と鼻を鳴らす──不安を拭いきれない王の気持ちもわからなくもないけど──王は、自分が王妃に迎えた女のことも、王家に仕える魔法使いのことも、信じ切れなかったってことじゃん。

「メイジェイルは、魔法使いの一族の出身ですが、身分は高くありません。一族のほとんどは市井で生きる者たちです。ハーブで薬をつくったり、幸運の呪いを施して手紙を代筆したり、占いをして悩む人の相談にのったり……」

 しょぼい魔法使い連中だな、とハルは思ったが。

「ただひとり、メイジェイルの兄は強大な力を持つ魔法使いなのですが、山に籠って魔法の研究に余念のない人物です。つまり、宮廷には、王の庇護を失ったメイジェイルを守る力と意志を持つ者はいませんでした。──エディア様を除いて」

「エディア?」

 聞き返す、ハル。エディアが魔女を守ろうとしたのか?

「エディア様は、たったひとりのきょうだいであるディアナム様が大のお気に入りでした。──もちろん、今もそうですが」

 いや、わざわざ付け足さなくても、知ってるから。そこ、むちゃくちゃムカついているから。

「部屋を訪れてはメイジェイルに声をかけ、ディアナム様を連れ出しては自分に同行させるのです。ここに学びに来るときも、馬術や武技を習うときも。軍の師範が、ディアナム様には優れた武技の才能がある、と褒めたときは、本人よりも喜んでいました」

 胸がもぞもぞする。エディアが王子を自慢するのが不愉快だというのもあるが──王子は、武技より魔法の才能がほしかったんじゃないのかな。俺に『君が羨ましい』と言った顔は本気だった。

 魔法の才能がほしい理由が、エディアを守る魔法使いになるため、だったら『ざまあああ』なのだが。

「エディア様が十一歳のときでした」

 マクリーンの話は続く。

「城でディアナム様とかくれんぼをしていて、ある氏族の長と側近の立ち話を盗み聞きしたのです。彼らは王の見舞いに城を訪れた帰りだったのですが、長が王にメイジェイルとの離婚をいくら勧めても王が頷かないことに不満をぶつけ、メイジェイルの悪い噂を流すだけでは手ぬるかったのだ、と側近を責めていたのです」

 ほう。

「エディア様は隠れていた場所を出て『聞いたぞ』と彼らに宣言しました」

 えっ、そんなことして大丈夫なのか。

「彼らは驚き、ことが露見しないようにエディア様を亡き者にしようと、剣を向けました」

 ……だよな。かくれんぼで隠れる場所、人に聞かれたら困る話をする場所、どちらにしても人気はないはずで……。

「そこにエディア様を探していたディアナム様が駆けつけて、彼らの斬撃を護身用の短剣で防いだのです」

 なん……だと?

 想像してしまった──長い黒髪を翻し、短剣を逆手に握り、エディアを背にして悪い氏族に立ち向かう王子。

 そんなかっこいいことをあの王子がした、だと?

「ディアナム様が時間を稼いでくれたお陰で、私の魔法はおふたりを助けるのに間に合いました」

「魔法……?」

「私は城に魔法の『糸』を張り巡らせています」

 マクリーンがハルに手を差し伸べた。自然な仕草にうっかりつられて、ハルはその手に自分の手を乗せた。

「見えますか」

 尋ねられて、周囲を見回した。

 蜘蛛の糸のような細い光の筋が自分たちを薄い繭のように包んでいた。

「目を閉じて」

 言われた通りにすると、空からの景色がまぶたの裏に浮かんだ。ハーブ畑から幾筋もの光の糸が四方に広がり、林も庭園も、城の塔まで包んでいる。

 これか、と気づいた。王子が『マクリーンは城を守ってくれている』と言った魔法。

 輝く繊細なレースが、ふわりと城にかけられているようだ。

 ……すげえ。

 ハルはきらめく糸に心を奪われていたが。

「私はこれをあなたに引き継いでほしいのです、ハル」

 ぱっと目を開き、マクリーンの手を払った。

「……で?」

 つっけんどんに話の先を促す。

 光の『糸』を受け継ぐって、それは王家に仕えるってことだろう。御免だ。美しい光の魔法に魅了はされても。

 マクリーンはそれ以上『跡を継ぐ』話はしなかった。声の調子も変えずに、エディアを襲った者の結末を語る。

「『糸』が私にエディア様とディアナム様の危機を教えてくれました。私は『糸』におふたりを守るように命じ、『糸』は集まって盾となり、あとは空文で警護の兵に異変を知らせるだけでした。氏族の長たちはその場で取り押さえられ、翌日には斬首となりました」

 斬首──ぎょっとしたが、姫様を殺そうとしたのだから、当たり前か。

 が、マクリーンは斬首のもうひとつの理由をハルに告げる。

「その氏族の長は宰相と対抗していました。エディア様が襲われたことは、宰相一派にとっては、その氏族の力を削ぐに十分な口実となりました。累は一族に及び、領地は没収されました」

 おお、渡りに船で邪魔者を潰したわけだな──と、ハルは思った。ま、謀反だからな。反対意見も出なかった……ていうか、誰も反対できなかっただろう。

「このことはエディア様に大きな衝撃を与えました」

 そりゃ、殺されかかったわけだから──と、ハルは考える。……怖かっただろうな、エディア……。

「エディア様は、ただメイジェイルの濡れ衣を晴らせるとの一念でその者の前に飛び出しました。が、その行動は自身とディアナム様を命の危険に晒し、結果としてその氏族の長の命を奪い、一族すべてを失脚させました。エディア様は自身の行いが周囲にどんな影響を与えるかを、そのときまで深刻に考えたことがなかったのです」

 んん? 怖かったとか、そういう話じゃないのか?

「正しいと感じた気持ちのまま、まっすぐに行動することは、良いことです。けれど、自分の行動の結果は自分が責任を負わねばなりません。エディア様はそのとき初めて自身の立場の強さと負うものの大きさに気づいたのです」

 ハルは瞬いて、マクリーンを見つめ直す。どういうことだ?

「氏族の長が斬首に処された日の夜、エディア様はこの小屋を訪れ、一晩を過ごしました。今あなたの使っている部屋で」

 思わず、ふり向いていた。自分の寝室のドアを。

「私はこちらの部屋のベッドに横になっていましたが、壁を隔ててエディア様が泣く声が聞こえました」

 ──泣いていた? エディアが?

「夜が明けたとき、部屋を出られたエディア様は、私のベッドの横に跪き、体を起こした私に尋ねました」

 何を? ──ハルはマクリーンに目を戻す。

「『私は自分の心に正直に生きたくて、そうしてきた。でも、自分が姫で、我儘が許されることに甘えてきただけだった。今回、私は周りの者のことを深く考えないで思う通りに行動して、多くの人を不幸にしてしまった。たくさん学べば、自分の信じるままに振る舞っても過たず、みなを幸せにすることはできるだろうか』──と」

「……マクリーンは、何て答えたんだ?」

「全き人はいません。何が正しいか、後になってわかることもあります。これは正しい、あれは正しくないと単純に決められないことも多くあります。学びは大切です。人は、日々学び、最善を尽くすことができるだけです──そう答えました」

 マクリーンが口を閉じると、テーブルに、しん、と静寂が降りた。

 ハルも黙り込んで。

 泣いているエディアがうまく想像できない。まっすぐに人を見て、やんちゃな男の子のように快活に笑う顔しか思い浮かばない。

 でも、マクリーンが言うのだから、エディアは泣いたのだろう。マクリーン以外には知られないように、この小屋に来て、ひとりで。──自分を殺そうとした者のために。

 静かにしていたら胸の奥が落ち着かなくなって、ハルは無理やり沈黙を破る。

「……あの、さ……あー……じゃあ、メイなんとかって女の疑いは晴れたわけじゃん? なのに、なぜ、いまだに城の隅っこにいるわけ? 一応、王妃なんだろ?」

 答えが返るまで、少し間があった。マクリーンがハルを見つめて。

「ハルは、メイジェイルを見たのでしょう? どう感じました?」

 それは問いかけの形の答え。覗き見た女の、王子の言葉を理解しているとは思えなかった表情を、ハルは思い出す。

「……病気?」

 短く聞いた。

「メイジェイルは悪意のある噂によって王の庇護を失いました。メイジェイルが王妃に仕える身分から王妃に迎えられたことを快く思っていなかった者たちの中傷やからかいを、直接受けることになったのです。彼女は心を病みました。疑いが晴れたときには、王妃の務めを果たせる状態ではなくなっていたのです」

 ハルは小さく息を吐く。──うん、あの女は、心の病気だ。

「治してやれないの? ……魔法で」

 王子は嫌いだ。だが、だからってあの女まで嫌う理由にはならない。中傷された理由のひとつが『魔女だから』なら、むしろ味方したい。

「外からの原因によるケガや火傷なら、治癒魔法で回復させることができます。けれど、病気や年齢による体の衰えに効果のある魔法はありません。薬で体調を整えるくらいしか……」

 ああ、それで王子は女にハーブを届けているのか。そして、気づく──だから、王もずっと病気のままなのか。マクリーンにも治せなくて。

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