第10話

 エディアと王子は、今日も仲良く隣に並んで一冊の書物を読みながらマクリーンの講義を聞いている。

 ハルは読めない単語が多くて、窓際のテーブル席に加われない。実験台の上で難しい言葉の綴りを暗記中だ。

 ……が、ちょっと暗記に飽きてきて、ハルは考える──エディアは、王子には魔法より武技の才能がある、と言った。だが、本当は、魔法の才能もあるんじゃないだろうか。それで、自分の魔法は王子には効かないんじゃないだろうか。

 ここに連れてこられて最初の朝、ハーブ畑で王子と会ったとき、王子は『僕には魔法の才能がない』と言った。しかし、それは、自分を調子に乗せてマクリーンの弟子にするための王子の策略だったのでは? 

 なんて陰湿なんだ。何とか、ぎゃふん、と言わせられないものか。

 ──そうか。

 今まで魔法で王子をやっつけられなかったのは、自分が、王子が魔法を使えるとは知らなくて油断していたせいだ。今度は、自分が王子を油断させれば?

 マクリーンの授業が終わり、エディアと王子が席を立ったとき、ハルもすっと立ち上がった。小屋を出ようとする王子の前をふさいで言った。

「なあ、俺と剣の試合をしてみねえ?」

「君、剣の心得があったの?」

 驚いたように聞き返す王子。ハルは、ふふん、と笑う。

 ──ねえよ、そんなもの。

 エディアは、王子は武技が得意だ、と言った。見た目からは信じられないが、エディアの言うことだから本当だろう。

 王子の得意な武技で勝負する。王子は剣の試合で魔法を使うような卑怯者ではあるまい。

 だが、俺は使う。試合開始の合図とともに魔法を使う。不意を喰らって慌てふためき、エディアの前で無様な姿を晒すがいい。

 ハーブ畑の囲いと林の間の空き地で、ハルと王子は向かい合う。模擬戦用の剣は手元にないので、落ちていたまっすぐ目の枝を手にして。

「ふたりともがんばれ」

 エディアがさっと手を上げて試合開始の合図を送った。

 同時にハルは風を呼んだ。

 炎は、止めておいた。万一ハーブ畑に燃え移ったら嫌だから。

 剣代わりの枝を魔法の杖よろしく王子に向け、風に命じる。

 ──吹け。強く。王子を吹き飛ばせ。

 カン!

 乾いた音がして、ハルの手から枝が弾かれていた。

 え? と思う間もなく、腹に鈍い衝撃を受ける。

 ハル! と叫ぶエディアの声が聞こえたような気がしたが、そこでハルの記憶は途絶えた。


 ……目を開けると、乾燥させたハーブを吊るした天井が目に入った。

 マクリーンの小屋の、自分の部屋だ。

 窓から西日が差し込んで、吊るされたハーブの半分をオレンジ色に染めている。

「ごめん」

 声がして、そちらに顔を向けると、ベッドの端に王子が腰かけて自分を見ていた。

 ハルは王子から目を離さずに、体を起こす。

 狭い空間を、しばらく沈黙が支配する。

 口を開いたのは、王子。

「……さっき君を倒した技は、剣を弾いてから腹部に一撃を加えるまでが一連の動作なんだけど……止めようとすれば、止められたんだ。でも、僕は、勢いに任せてしまった」

 そう言って、王子は視線を下げた。

「君が剣の素人なのは、構えを見ればわかったのに」

 ハルは掛布の下でぎゅっと拳を握った。

 ──負けたのか、俺。先制攻撃の魔法もやっぱりダメで。

 しかも、勝ったやつに謝られるって、カッコ悪すぎないか?

「僕の中に、マクリーンに認められた君を羨む気持ちがあったんだ……」

 殊勝に言われて、さらに神経を逆撫でされかけたが。

「でも、君、今日の朝、母と僕を覗いていたよね」

 不意に強い視線を向けられ、思わず身を引く。

 え? バレてた?

「その失礼の分は返してもいいんじゃないかな──とは、思った」

「……なんでわかった」

 つい聞いてしまってから、しまった、と思った。ここはしらばっくれる場面だった。だが、口にしてしまったものは仕方ない。

「魔法か」

 もっとはっきり聞いた。

 やっぱり、こいつは魔法が使えたのか。

「そういう魔法はあるね。蜘蛛が巣を張るように人や建物を魔法の糸で包んで、悪意がその糸に触れると術者に伝わる魔法。……マクリーンはそうやってこの城を守ってくれている」

 こんなでかい城を、か? ──と、ハルはいささかビビる。どんだけ大きな魔力だよ。

「でも、僕に魔法は使えない。覗かれているのに気づいたのは、誰かが隠れている気配がしたから。石柱から赤い髪がはみ出ていたから、君だってわかった」

 なるほど、とは思った、が。

「ホントに、魔法、使えないのか」

 納得しきれなくて、もう一度聞いた。その説明は、なぜ自分の魔法が王子に通じないかの答えにはならない。

 王子はハルから視線を外した。

「そういえば、君にはちゃんと伝えてなかったかもしれない」

 そう前置きして、言った。

「僕に魔法は効かないよ」

 意味がよくわからなかった。

「魔法を防ぐ魔法が使えるってことか?」

「魔法が効かないんだ」

 ハルの質問に、同じ答えが返る。

 王子は立ち上がった。

「体質みたいなものかな」

 肩越しにふり向いて、少し笑う。その仕草と目元の表情が、今朝エディアが花壇の陰で見せたそれに似ていて。

 姉弟なんだな、と思った。エディアは可愛くてこいつはうんこだけど。

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