第9話

 びくっ、とふり向くと、エディアがいた。

 エディアが人差し指を唇に当て、ハルは喉から飛び出そうになった声を飲みこむ。

 唇から指を離すと、エディアはハルに『おいでおいで』をして背を向けた。

 ハルはテラスに視線をやる。王子は女を椅子から立たせて部屋に入るよう促している。

 すぐに目をエディアに戻した。幾つものアーチを潜って引き返していく背中を追う。エディアの背中にはいつも通り緩く束ねた髪が揺れ、結び目にはホワイトレース──王子の母親が手にしていたのと同じ花だ。

 芝地を横切り、花壇の隅にふたりで座った。夏バラがピンクの花をあふれるように咲かせている、その花陰に。

「覗き見とは良い趣味だな」

 いきなり言われ、ぐさりときた。

 王子を覗いていたことではない。魔法の円に、バルコニーで伸びをするエディアの姿を映してしまったことを思い出して、その部分が直撃を受けたのだ。

 そんなこと、エディアは知らないはずだけど。

「……おまえだって、覗きにきたんじゃねーの?」

 かろうじて、言い返した。

 エディアはあっけらかんと笑う。

「マクリーンが教えてくれたのだ。ハルがディアナムに会いに行った、って。だから、私も仲間に入ろうと思ったんだ」

 そうなんだ、と納得しかけたが。

 マクリーンが教えてくれた? ハーブ畑にいたマクリーンが、城のバルコニーで伸びをしていたエディアに?

「魔法か?」

「うむ。空文、という魔法だ。マクリーンが空中に指で光の文字を書くと、言葉を伝えたい相手のいる場所で、空中に光の文字が浮かぶんだ。とても美しい魔法だぞ」

 そんな魔法があるのか。

 エディアは腕を伸ばし、宙に文字を書く真似をする。もちろん、エディアに光の文字は書けなかったけれど、ハルの心には、自分が空に金色の文字を次々に並べる姿が浮かんだ。

 やばい、ぞくぞくする。早くマスターしてえ。

「……で、仲間に入ろうと思ってあの場所に行ったのだが、ハルがディアナムとメイジェイルどのを覗いていたので、それは良くないと思って止めたのだ」

 エディアが話を戻して、ハルも空想から引き戻される。

「メイジェ……?」

「ディアナムの母君だ」

 ああ、とハルは合点する。言ってみた。

「立太子の話をしていたぞ」

 女は王子が太子になることを望んでいるようだった。だが、王子はそれを否定していた。太子はエディア姫だ、と。

「おまえら、どっちが次の王になるかで、争ってたの?」

 マクリーンの小屋ではいつもいちゃいちゃしているくせに。

 エディアは、ううん、と腕を組んだ。

「少し話す時間はあるか?」

 それは……話していると、朝食のスープが冷めてしまう可能性があった。

 だが、ハルは首を縦にする。

 軽くため息をついてから、エディアは話し始めた。バラの花の隙間から空を見上げて。

「争いようがないのだよ、ディアナムと私とでは。私の圧勝なのだ」

「けど、普通は王子が太子じゃねえの?」

 貴族でも金持ちでも、跡を継ぐのはたいてい男だ。

「普通は、な。だが、私には強い後ろ盾がある。ディアナムにはない」

「後ろ楯?」

「私の父上と亡き母上は、はとこ同士なのだ。母も王族なのだよ。そして、母の実家の当主は王を補佐する宰相の地位にある。宰相は隣国の姫を妻に迎えていて、外交のパイプも持っている。ほかにも一族には大臣などの要職に就いている者が多い。彼らがみなで私を王に推すわけだ」

 つまり、王の長子というだけでなく、母親の実家も権力があるというわけだな。

「ディアナムの方は、母君がもともと私の母に仕える魔女だった」

 魔女?

 エディアは空を見ていた目をふいとハルに向ける。

「『雷帝』を倒した勇者の伝説は、知っている?」

「は?  知ってるけど?」

 グランガルの者なら、誰でも一度は聞いたことがあるだろう話だ。──今からおよそ二百年前、グランガルを『雷帝』と呼ばれた残虐な王が支配した。が、ひとりの勇者が現れて民を率い、『雷帝』を倒したのだ。

「けど、お伽話だろ?」

 『雷帝』を倒した勇者が新たなグランガルの王になったとか、今の王はその子孫だとか。

 エディアは浅く笑った。

「じゃあ、勇者に味方した『良き魔法使い』がいたことも知っている?」

「知ってる。勇者にも『雷帝』にもそれぞれ魔法使いが味方して、魔法使い同士も戦ったけど、『良き魔法使い』が勝ったんだ。そのお伽噺がどうかしたのか?」

 話が進まない感じがして、ハルは声を少し荒げたが。

 そのとき、エディアの微笑みが少し謎めいた気がした。

「何?」

 聞くと、エディアは軽く首を振って。

「で、その伝説を受け継いでいるというか、グランガルの王家には代々魔法使いが仕えることになっている。──仕える、と言っても王に助言できる立場で、今はマクリーンがそうなのだ」

 お伽噺と王位の話をつなげる。

「さっき、ディアナムの母君は魔女だと言っただろう? 魔法使いは王家に仕えるもの。だから、魔女の血を引くディアナムも王になるのではなく王家に仕えるべきだ、という理屈になるそうだ」

 突き放した感じの物言いだった。エディア本人は納得していないような。

 ハルはといえば、ハッとふたつのことを思いついていた。

 ひとつは、王子に向けた魔法がことごとく不発だった理由──魔女の子どもである王子は実は魔法が使えて、ハルの魔法を打ち消す魔法を密かに繰り出していたのではないか?

 もうひとつは──。

「じゃあ、俺がマクリーンの跡を継がなくても、あの王子が魔法使いになって王家に仕えりゃいいんじゃん」

 が、口にした途端、『王になったエディアにべったり寄り添う魔法使いになった王子』の絵が浮かんでイラっとした。……そんなことになるくらいなら自分が王家に仕えてエディアの隣に……いやいやいやいや。

「ディアナムは、魔法より武技に才があるのだ。将軍も武術師範もこぞってディアナムを褒めている」

 さらり、と言って、エディアはハルから視線を外した。

 武技? あのヘタレ顔の王子が? ……ていうか、質問の答えをはぐらかされた気がするが……。

「私たちはせっかく同じ師に学ぶ兄弟弟子なのだから、三人で仲良くしたいのだ」

 エディアはさっと立ち上がり、咲き誇るピンクのバラの横でハルに笑いかける。

「では、また、マクリーンのところで会おう」

「エディア」

 そのまま去ろうとするエディアを、ハルはあわてて呼び止めた。

 ふり向いたエディアの、揺れる髪の白い花束。

「髪に、花、いつも、飾ってるけど……」

 ああ、とエディアは頷いた。芯から嬉しそうな顔で。

「ディアナムが毎朝バルコニーに届けてくれるのだ。素敵だろう?」

 素敵──とは、花のことか、花を届ける弟のことか。

 去っていくエディアを見送りながら、ハルはとりあえずひとつの結論に達していた。

 王子は毎朝ねーちゃんとかーちゃんに花を届けている気障野郎だ──と。

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