第8話

 次の朝、確かめることにした。──が、次の朝、ハルは寝坊した。

 畑に出たが、誰もいない。だが、風に耳を澄ましてみると、王子の姿が浮かんだ。少し前までここにいた、ってことだ。

 そのまましばらく風に吹かれてしまったのは、王子の姿と一緒に何だか悲しい気分が心に流れ込んできたからだ。

 ──いくら願っても叶わないもの。

 ハルは頭を振って風が伝えたものを払い落とす。

 指で宙に円を描いた。

 ──王子を映せ。

 マクリーンに教わったばかりの魔法だ。遠くのものを円の中に大きく映し出す。目で見える範囲にないものでも、ターゲットがはっきりとイメージできれば周囲の景色と一緒に映し出すことができる。

 もちろん、自分は天才だから、そんな魔法、すぐにマスターした。マクリーンにも褒められた。まあ……嬉しくなくはなかった。

 昨夜は覚えたてのその魔法で、窃盗団の手下どもやチビたちを映し出してみた。ここに連れてこられて最初の朝に目覚めて以来、ハルの寝室になった小さな部屋の暗闇の中で。

 夜だから、映し出されたやつらは、みんな寝ていた。

 手下どもは粗末な小屋に大勢で転がっていた。寝具はなくて外套にくるまっているだけだったけれど、寝顔はやつれてはいなかった。

 マクリーンは、大人は川のナントカ工事をさせられる、と言っていた。食事は出る、とも。

 チビたちは全員をいっぺんには映し出せなかった。お仕着せを着て大きなベッドに五、六人で寝ているチビもいたし、納屋で藁にシーツを被せただけのベッドに横になっているチビもいた。みな、すやすや、と寝息をたてていて、顔には涙の痕も殴られた跡もなかった。チビたちは大きな商家や農家に引き取られて働くんだっけ?

 手下どももチビたちも、昼間がんばって働いて疲れて、すきっ腹を満たしたあとぐっすりと眠っている──そんな寝顔をしていた。

 最初に感じたのはさみしさ。みんな、大魔盗団じゃなくなっちゃったんだな──って。

 もし、自分がマクリーンよりすごい魔法使いになって城を飛び出し、もう一度大魔盗団を結成しても、みんなは戻ってこない気がした。

 そう思わせる寝顔だった。一緒に暮らしていたときよりも、心地よく安心している感じで。

 いいんだけどさ。誰も戻ってこなかったら、新しい手下を集めるだけだから。

 そうして、大勢の手下を引き連れすごい魔法で大金持ちの家を襲う自分の姿を想像してみたのだか、あまりワクワクしなかった。新しい単語の綴りや術式を覚えたり、魔力を高める修行の方が面白いような気が……いや、気のせいだな。

 暗闇の中そっと閉じた円を、ハルは朝のハーブ畑の上に出現させる。ターゲットの王子の黒い髪やほんのちょっとエディアに似ている目元を思い浮かべて。

 だが、円は何も映し出さない。白い霧のようなもの以外は。

 ハルはいったん円を閉じ、もう一度指先で円を描く。昨夜は、大魔盗団のほぼ全員をちゃんと映し出すことができたのだ。

 二度、三度、とハルは宙に円を描くが、円は何も映さない。試しに、エディアをターゲットに変えてみたら、バルコニーで朝日を浴びて大きく伸びをするエディアが映って慌てて円を消した。

 エディアを覗き見するのは、何かだめだな、うん。

 四度目の挑戦で円を描こうとしたが。

「何を映したいのですか」

 不意に声をかけられて、ぎくうっ、とする。

 マクリーンだ。術に夢中になって、小屋から出てきたのに気づかなかった。自分がなかなかハーブを摘んで戻らないので、様子を見に来たんだろうか。

「……花泥棒、いたみたいだから……つ……捕まえてやろうかな、って」

 後ろのマクリーンを見ないで答える。

 窃盗団のボスが、泥棒を捕まえる、って言っちゃったよ。───これはさすがに体裁が悪い。

 返ってきたのは微笑みの気配。

「ディアナム王子は花泥棒ではありませんが、お会いしたければ、小川を渡って芝地を右に進んでごらんなさい。果樹園のアーチの先にテラスが張り出した庭があります。王子は花を持ってそこにいます。───あなたたちは良い友人になれると思いますよ」

「はあ? なれるわけ、ねーだろ!」

 反射的に、怒鳴っていた。

 それから、咳払いして、付け足す。

「と、とりあえず、あいつが花を持っていったのかどうか、確かめてくるぜ」

「どうぞ。食事の時間には戻りなさい。せっかくの料理が冷めてしまいますから」

 ……子ども扱いされているようだ──と、感じたが、言い返さなかった。ここで余分な時間を使ったら、朝ご飯が温かいうちに戻れなくなる。

 林の小道を走って抜けたら、小川の前で息が切れた。呼吸を整えながら橋を渡り、芝地を右に進むと果樹園があって、石造りのアーチが果樹園の奥へと並んでいた。

 リンゴの白い花が甘く香る中を進み、最後のアーチの前で足を止めた。アーチの陰からその先を窺う。

 王子が花泥棒なのを確かめに来たのであって、会いに来たわけじゃないのだ。

 そこにはマクリーンの言った通りテラスが張り出した庭があった。細い枝を伸ばした木々に囲まれ、庭もテラスも小さい。ドレスを着た女がテラスの椅子に座っている。

 その女のそばに、王子はいた。椅子の横に膝をついて女を見上げている。

 女の長い髪は褐色で、頬は青白かったが、美人だ。ぼんやりと庭を見ている。その手に白い花が握られていて、ハルは目を凝らした。

 ホワイトレースだ。マクリーンのハーブ畑にあるやつだ。

 拍子抜けした。

 王子は、エディアのために花を摘んでいるんじゃなかったのか?

 女は美人だが、年増だ。こいつ、こういう趣味だったのか──と、思ったとき、女の手からホワイトレースが滑り落ちた。

 王子は白い花を拾い、女に差し出した。

「母上」

 と、呼んで。

 母? ということはエディアの母親……いや、違う。ふたりは腹違いの姉弟で、エディアの母親は死んでいる。つまり、王子の母親は後妻ってやつだ。

 でも、王の後妻なら王妃のはず。なのに、なんで城の片隅のこんなさみしい場所でぼうっとしているのだろう。後妻でも王妃がいるなら、エディアが病気の王の名代をひとりでがんばらなくても、王妃がその役目を受け持ってもいいんじゃないか。

 ──なんて疑問がハルの頭に次々に浮かんだが。

 女は呼ばれて初めて王子がいることに気づいたように彼に視線を向けていた。

「ディアナム、王は?」

「王はご病気なのです」

 とても静かに、王子は答える。

「いつもご病気なのね」

 女は笑い、王子が差し出す花に目を留めた。

「これは王から?」

「はい」

 と、王子は目を伏せる。

 いやいや、その花はお前が持ってきた花だろう? ──ハルは心の中で突っ込むが。

 女はホワイトレースを受け取り、首をかしげた。

「王はいつあなたを太子に立ててくださるのかしら」

「母上、太子はエディア姫です」

 目を伏せた王子の答えは、やはり静かだ。

「なぜ? エディアは姫、あなたは王子。王位を継ぐのは、王子であるあなた。……王がご病気なら、なおさら早く立太子の礼を行ってもらわなければ」

「行われました。太子はエディアです」

「なぜ?」

 女は見開いた目を王子に向けた。

 その目に浮かんだ表情に、見ていたハルの胸がざわっとする。

 この女……。

 背中が、ぽん、と叩かれた。

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