第7話
エディアは午後になるとマリクーンの小屋に現れた。
特別な用事がなければ、ほぼ毎日。
そして、明るい窓際のテーブルに座って古い書物を読み、マクリーンの歴史や科学の講義を聞くのだった。
現グランガル国王の長子にして亡き王妃の忘れ形見、エディア姫──という肩書はマクリーンが教えてくれた。
国王が病がちなため、王の執務はエディアがほとんどを担っている。
公式な場に出るとき以外は、動きやすいから、と男物の衣服を着ている。誰にでも気さくに声をかける彼女は、城の下働きの者にも慕われている。
……そんな情報はすぐに集まった。風を操って城内を巡らせ、噂話を拾って来させて。
ついでに、マクリーンが妙な子どもを拾ってきた、という噂話も耳に入った。エディアに初めて会ったときの自分の態度は城内ですこぶる不評だ。──知るか。
さらについでを言えば、いつもエディアにくっついてくるいけ好かない野郎のこともわかった。
王子っぽいと思ったら、王子だった。
エディアの腹違いの弟、ディアナム。
──弟か。確かに髪の色は同じで、目元はちょっと似ている。しかし、エディアと違って、鼻くそほども可愛い部分がない。
エディアは可愛い。笑うと特に可愛い。
マクリーンが、読み書きができるようになったらエディアと一緒に授業を受けていい、と言うので、ハルはがんばって文字を覚えている。魔法用の特殊文字も学ばなければならないから、大変だ。
だが、がんばっている。テーブルに並んで座るエディアと弟王子の間に割り込むために。
ふたりがマクリーンの授業を受けるときは、必ず密接して隣に座り、一冊の書物を顔を寄せ合ってのぞき込むのだ。マクリーンが持っている書物はどれも貴重で一冊しかないのだから仕方ない、などとはハルは考えない。離れろ、くそ王子、と思う。思うが、ふたりは離れない。──というわけで、ふたりの間に割り込んで座るために、読み書きを猛勉強中なのだが。
今朝がた、ちょいとした事件があった。
マクリーンの弟子になってひと月が過ぎようとしている。
ハルは毎朝ハーブ畑に出てお茶にするためのハーブを摘む。
ここに来たばかりの頃はマクリーンの淹れるハーブ茶を飲んでいたが、ハーブの名前と効能を覚えたら自分でハーブ茶を淹れてみなさい、複数のハーブを混ぜ合わせてもいいですよ、と言われ、いろんな組み合わせを試すのが面白くなっているところだ。
今日はたまたまいつもより少し早く目が覚めた。それで、いつもより少し早くハーブを摘みに畑に出たら、弟王子がすでにいて、ハーブの花を手折っていたのだ。
「てめえ、人んち畑のハーブを盗んでんじゃねえ!」
すぐさま怒鳴ったら、
「マクリーンの許しは得ている」
と、冷ややかに返されて、そのあと独り言のように、ぼそっ、とつけたされた。
「自分のことを棚に上げる、って本当にあるんだね」
その場は、マクリーンが許しているならしょうがない、と見逃してやったのだが、『自分のことを棚に上げる』が窃盗団だったハルを当て擦った発言だったことに、昼頃になって気づいた。
弟王子はますますムカツクやつになったが、盗まれる方の気持ちも少しわかって、軽く落ち込んだ。
いやそんなことはどうでもいい。問題は、その日、いつものように午後になって小屋にやってきたエディアが、ローズゼラニウムの花を髪の結び目に飾っていたことだ。弟王子が、朝、ハーブ畑から持ち去った淡いバラ色の花を。
おいおいおい、とハルは考えた。
エディアはいつもゆるく束ねた髪の結び目に花を飾っている。庭園に咲く豪華な花じゃなく、小さな花だ。例えば、マクリーンのハーブ畑に咲いているような。
まさか、王子が毎日ハーブ畑で花を摘んでいたのか? エディアのために?
──なんて気色悪い弟なんだ。
だが、エディアは弟と仲がいい。エディアはいつも笑顔で弟王子に話しかけ、弟も嬉しそうにそれに答える。
今もエディアの軽やかな笑い声が聞こえる。実験器具の並んだ棚の上でひとり綴りを学ぶハルの背後から。
ハルは、ちらっ、と窓際のテーブルをふり向く。
いつもは窓からの日差しを受けて輝く黒い髪を眺めるのだけど、今日は、結んだ髪に飾られた淡いバラ色の花に目がいってしまう。
王子が摘んだ花か、たまたま同じ種類の花か。王子は毎日エディアのために花を摘んでいるのか。
気になって勉強に集中できないので、次の朝、確かめることにした。
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