第5話

 大きな鏡の前で、ハルは赤い髪を手櫛で整える。マクリーンがそうしなさいと言うので。

 弟子になってやる、と宣言したのは一昨日のことだ。まあそのくらいのことは聞いてやろう、と思う。これからすごい魔法を教えてくれるらしいから。

 すごい魔法をマスターしたら、じじいを倒オサラバだが。

 鏡に映る自分は黒尽くめだ。袖の詰まった黒い上着に黒い脚衣。ベルトも靴も黒で、黒いマントも羽織った。

 うーん、魔法使いっぽい。

 だけど。

「なあ、マクリーンはなんで白い服なんだ?」

 尋ねると、

「すごい魔法をマスターすれば、ハルも白いローブが着られますよ」

 と、答えが返った。

 より上級の魔法使いの衣装ということか。

 でも、俺は黒の方が好きだな。鏡で見ると、自分のほっそりした体にも切れ上がった灰色の目にもすごく似合う気がするし。

「では、行きましょう」

 どこへ? ───と、思ったが、マクリーンが歩き出したので、後に従った。

 マクリーンは小屋を出た。ハーブ畑を過ぎ、林の小道へと入る。マクリーンの背中を見ていた視線を上げると、そびえる城が目に入り、ハルは、朝食の時間にマクリーンが『王に目通りする』と言っていたのを思い出す。

 林を抜けて小さな川を渡ると、緑の芝地が広がっていた。噴水がある。ピンクや白の花が咲いている花壇も。

 やがて、城の広いアプローチにたどり着いた。

 ハルは重厚な両開きのドアを見上げる。でかいな、城───ちょっと、どきどきする。

 儀仗兵がマクリーンに恭しく礼をして、ドアを開いた。マクリーンに続いてハルが通るとき、儀仗兵が伏せた面の下で、ちらっ、と胡散臭そうな視線を自分に投げてきたので、舌を突き出しておいた。儀仗兵のぎょっとした顔に笑い、わざとらしくマントを翻し、ハルは玄関ホールへと進む。

 ホールには正面と左右にそれぞれドアがあり、マクリーンは正面のドアへと歩く。ドアの向こうは長い廊下、そして、ふたたび大きなドア。そのドアを開くと、吹き抜けの大広間に出た。

 入口から奥に向かって、濃紺に金の縁取りの絨毯が長く伸びている。絨毯の両側には軍装の男たちやドレス姿の女たちが立ち並び、絨毯の終わる場所は一段高くなって天蓋が設えられていた。

 天蓋から垂れ下がった絨毯と同じ色調のカーテンは大きく開かれて、豪華な椅子に誰かが座っている。

 ハルは目を細めた。

 王に目通りする、とマクリーンは言ったのだし、玉座には王以外は座れないと思うのだが。

 椅子の上には菫色のドレスの女の子が座っていた。ふわりと長いスカートの前面には金の刺繍のある幅広の白い帯を長く垂らし、高くまとめた黒い髪には銀のティアラと薄青の小さな花束。

 マクリーンが絨毯の上を歩き始めたので、自分もそうした。

 絨毯の両側に並んだ男女から、城の入り口で儀仗兵に向けられたのと同じ種類の視線が一斉に自分に集まったが、それよりも女の子が気になった。

 自分と同じ年頃の女の子が、なぜ玉座に座っているのだろう。お姫様みたいな格好で。

 玉台の下で、マクリーンは足を止める。

 ハルも。

 近くで見ると、女の子の瞳は黒曜石のような漆黒で、長い睫毛が目元をくっきりとさせていた。まなざしは小さな子どものように無邪気で、怖いもの知らずな強さがある。けれど、柔らかそうな頬と薄いピンクの唇はその年齢の少女らしい可愛らしさで、気がついたときには、ハルは感じたことをそのまま口に出していた。

「可愛いな、おまえ」

 びしっ。部屋の空気が凍りついた。

 女の子の目は丸くなっていた。

 が、すぐに女の子は悪戯っぽい微笑みを浮かべた。──というか、にやり、と笑った。

「ハルベルティ、無礼だろう……!」

 咎める声は、女の子の隣から。

 女の子が座ったまま腕を横に伸ばす。椅子の横から前に出ようとした少年が、女の子の腕に遮られて足を止める。

 そこで初めてハルは気づく。例の黒髪の少年が玉座の横に立っていたことに。

 まったく目に入っていなかった。女の子にばかり目がいって。

 ……なんでこいつが玉台にいるんだ? という疑問は浮かんだが、それよりもやっぱり女の子だった。

 きらきらした黒い瞳が自分をじっと見つめていて。

「面白いな、おまえ」

 澄んだ声が男の子のような物言いで言葉を紡いだ。

 が、女の子はふいと口調を改める。

「なるほど、おまえがハルベルティか。私はエディアだ。現グランガル王の長子である。本日は父の加減が優れず、名代としておまえに会うこととなった。マクリーンのもとでよく学び、やがては王家に仕える良き魔法使いとなるように」

「───はああ?」

 王家に仕える、だと?

「聞いてねえぞっ」

 と、横のマクリーンを見上げたが。

「最初にお話しましたよ。忘れてしまったのですか?」

 穏やかに言われて、続く言葉を失う。

 そういえば、聞いた気がしないでもない。黒髪の少年に嫌がらせができることに心が弾んで、すっかり忘れていたかもしれない。

 ぷっ、と噴き出す声がした。

 ハルは鋭く声の方へと視線を向ける。

 玉座の上で、女の子が両手で口を押さえていた。苦しそうに見えた。必死に笑いを堪えていて。

 黒髪の少年が素早く天蓋のカーテンを下ろした。

 あっという間に玉座を隠した重そうなカーテンの向こうで、あははは、と笑う声がする。

 女の子の声だ。名前は、エディア、といったっけ。

 ハルはぼう然とカーテンを見つめている。

 彼女は、びっくりした顔も、必死で笑いをこらえる顔も、すごく可愛かった。

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