第4話

 ざわっ。風に草花が揺れた。

 一瞬、果てしなく草原が広がっているような幻にとらわれて、ハルは足を止める。

 瞬きすれば、目に映るのはハーブ畑だった。細く伸びた葉や紫の小さな花。

 畑の向こうは手入れされた明るい木立。木々の中を進む小道を目で辿ると高い塔をそびえさせた城があって。

 王都の街路から丘の上に眺めていた王の居城によく似ていた。

 ふり返ると、自分が出てきたのは庭師の住まいのような質素な小屋だった。小屋の周囲はハーブ畑。ハーブ畑は低い垣根で囲われて、その外側は林。

 ハルはもう一度城に目をやった。

 王の居城に似ているんじゃない、王の居城だ。ここは王の居城の……たぶん、裏庭だ。

 しばらくその場に佇んでいたが、マクリーンが追ってくる気配はない。

 自分が呼んだ火に焼かれて……なんてことは、絶対にない。わかっている。自分の魔法は、マクリーンには通じない。

 昨夜も、マクリーンはねぐらを逃げ出した自分を追って来なかった。自分は闇の中をたくさん走ったのに、気がついたらマクリーンが前に立っていて──そんな記憶が浮かんで、ハルはゆっくりと短い階段を降り、ハーブ畑の中へ歩き出す。

 走っても無駄だ。あのじじいからは逃げられない。

 ハーブ畑を吹く風は、とてもいい匂いがする。

 罰せられないみたいだ、とは何となくわかった。その代わりにデシになれ、と言うのだろうか。

 冗談じゃない。俺は命令するのは好きだが、命令されるのは嫌いなんだ。でも、デシにならなかったら死刑だったら?

 ……死にたくはなかった。デシにもなりたくない。どうしよう……。

『もっともっとすごい魔法が使えるようになりますよ』

 ふとマクリーンの言葉が浮かんで、ハルはハーブの中に立ち止まる。

 風がボサボサに伸びた赤い髪を吹く。灰色の目が空を見上げる。ハーブの香りが胸の奥まで沁み通ってくるようだ──嫌な感じではない。

 もっとすごい魔法、って、どのくらいすごいのだろう。じじいは俺の呼んだ火を細い竜に変えてしまったけれど、それよりもっとすごいのかな。

 しばらくハーブの香りの風に吹かれていたが、ふと、空を見ていた視線を前方へと向けた。

 林の小道をこちらに歩いてくる者がいる。

 相手もこちらに気づいたようにいったん足を止めた。そして、ふたたび歩き出す。木々のつくる影を抜けだす前に、それが誰なのか、ハルは気づいた。

 昨日、マクリーンと一緒にいた黒髪の少年だ。

 ハーブ畑の囲いをはさんで、ハルは少年と向き合った。

 少年の黒い髪が風になびいてきらきらと日の光を弾く。

 軟弱そうだが、整ったきれいな顔立ちだ。宝石みたいな濃い青い目をしている。

 昨日は青い袖なしの上着を着ていたが、今日は白いチュニックだけだ。ドレープをたっぷりとった以外はシンプルな、膝上丈のチュニックに革ベルト。褐色の脚衣に、革のブーツ。

 派手さはまったくないのに、さり気ない高級感がすごい。それに負けない少年の品の良さはまるで王子のようで……。

「昨夜は、ごめん」

 しばらく無言で見つめ合ったあと、少年がすらりと唇を開いた。

「君がいきなり手を突き出したから、攻撃されたのかと思って、反撃してしまったんだ」

 昨夜って……そう、火の魔法で攻撃したんだよ。なぜか不発だったけど。

 ていうか、こいつか──俺の腹に一発喰らわせたやつ!

 むらむらっ、と怒りがこみ上げた。昨日の不愉快な発言の分も全部まとめて。

 絶対に泣かしてやる、と決意を新たにした。……だが、どうやって? こいつに対しては、なぜか魔法が不調なのだ。普通にケンカしたら、俺は滅法弱いし。

 とりあえず、にらんでいると、青い目が瞬いて、少年が尋ねてきた。

「それで、君はマクリーンの弟子になるの?」

「へ?」

「マクリーンは、君を弟子にしたい、と言っていた」

 少年は目を伏せる。

「君が羨ましい」

 ウ・ラ・ヤ・マ・シ・イ?

 もしかして、こいつ───。

「おまえ、あのじじいの弟子になりたいの?」

「マクリーン様と呼べ」

 むっ、としたように少年が鋭い目線を向けてくるのは無視して、

「──なりたいのかなあああ?」

 ハルは首をかしげて少年の顔を覗き込んだ。

 少年は視線を逸らした。

「なりたい。だけど、僕は魔法の才能がなくて……」

 ほほう、才能。俺には有り余っているものだな。

 ハルは薄い笑いを浮かべて少年から顔を離した。

 なるほど、マクリーンの弟子になると、こいつを『きー、悔しー羨まし―』な状態にできるわけだ。

 今まで、先のことを考えたことはあまりなかった。だから、このときも自分の行く末を深く考えたわけではない。

「ま、じじいがどうしてもって言うからな。しょーがねーから、デシになってやろうかな」

 瞬間、少年の表情が変わる。

 読み取れたのは羨望と絶望。そして、少年は肩を落としてうつむく。

 しょぼーん──ハルは少年の様子に合わせて心の中で擬態語を呟いた。それから、くくくっ、と勝利の味を噛みしめる。少年の打ちひしがれ加減が、最高に気持ちいい。

 勝利を確定するために、ハルは小屋へと踵を返した。

 ドアをバン! と開け、大声で言ってやった。

「おい、マクリーン、デシになってやるぞ!」

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