第3話
……いい匂いがする。
目を開けると、天井が見えた。太い梁から乾燥させた草花が吊り下がっていた。
深呼吸すると、草花の爽やかな香りで胸がいっぱいになる。
体を起こして辺りを見回した。
細長くて小さな部屋だった。ベッドの他には、狭い壁に棚があるだけ。
ベッドの横には窓があり、外は明るい。そして、窓の反対側に、ドアがある。
ハルはベッドを出た。ここはねぐらで自分が使っているいちばん上等な客室ではない。
──じゃあ、どこだろう?
ドアを開けると、広い部屋だった。
正面の窓から明るい日差しが差し込んでいる。ハルは片手をかざして光を遮り、細めた目で室内を見回す。
右の壁は一面が棚になっていて、本や瓶がびっしりと並んでいた。
左側には細長い台の上に見たことのない形のガラス道具が並んでいる。指がすっぽり入りそうな細長い管や丸く膨らんだコップ……。
自分が出てきたドアの横には簡素なベッド。
部屋をぐるりと見回したあと、ハルは正面の大きな窓に目を戻す。
窓のそばにはテーブルがあって、誰かが椅子に腰かけていた。身に纏った白いローブが太陽の光に輝いている。
逆光だったのに、白いローブの人物が自分を見て笑んだのがわかった。
……マクリーン。
不思議と心は波立たなかった。魔法で、負けたのに……。
「よかった。ちょうど食事が届いたところです」
言われて、腹が減っていることに気づいた。テーブルの上に湯気をたてているものがあることにも。
黙ってテーブルに近づいた。
白いパンと豆のスープと沸かしたミルク。あと、切り分けた果物の皿がある。
おそらく、二人前。
座りはした。食べなさい、と目で促されたが、ハルは手を拳にしてテーブルに置いた。
「……みんなは」
手下どもや、チビたちは。
兵士たちに捕まって……今は牢屋だろうか。それとも、もう殺された?
──あれ? なぜ俺は牢屋じゃないんだ? 王都を恐怖に陥れた大魔盗団のボスなのに?
「大人たちは軍に引き取られました」
見上げたマクリーンの顔はもう笑ってはいなかった。真面目で……だけど、穏やかだ。
「レーヌ川の治水工事に人手が必要です。賃金は出ませんが、食事は与えられます。盗んだ分を償えば、そのまま軍の下働きになることもできます。しかし、ふたたび罪を犯したり逃亡したりしようとすれば、命はないかもしれません」
ごくっ、とハルベルティは唾を飲む。
「子どもたちも引き取られました。大きな農家や、商店に」
チビたちの顔がハルの胸に浮かぶ。
「彼らは大きな盗みに加わってはいないようですね。そして、盗みが悪いことだと学ぶ機会もなかった。学ぶ機会は必要でしょう。けれど、機会があって学ぶ心がなければ、罰せられることになるでしょう」
何を言っているのか、ちょっとよくわからない。
とりあえず、ハルは鼻で笑った。
「俺たちが盗みをしたのは、俺たちが学ばないバカだから、ってことかよ」
テーブルの上の料理を見る。温かくて、彩りも綺麗で……こんなのを当たり前に食べてるやつに、俺たちのことがわかるか。
「食べる物がなきゃ、盗むしかねえだろう。金持ちや貴族ばっかりが美味いものを食べて、いい服を着るなんて、えーと……えーと……」
「世の中が悪い、と言いたいのですか?」
「そう! ふ、ふこ……」
「不公平、と言いたいのですね」
「わ……わかってんじゃねえか」
ハルは腕を組み、椅子の上で胸を反らした。
「俺たちが盗むのは、不公平をなくすためなんだよ。俺たちは悪くねえ」
「でも、ほとんどの者は、たとえ貧しくても人様のものを盗んだりしないで、誠実に働いて生きていますよ」
「え」
虚を衝かれた。
だが、魔法で負けてさらに言い負かされるわけにはいかない。
「そいつらは、バカなんだよ。世の中が不公平だって、わかってないんだ」
「真面目に生きることが愚かなのですか。あなたたちが盗んだ品物はその人たちが一生懸命につくったものですが、あなたたちはその品物をどうしました?」
どうって……。
気に入ったものは自分のものにした。要らない豪華なドレスは持ち主の貴族の女の前で引き裂いた。悲鳴を上げるのが面白かった。食器棚を倒して薄くて綺麗な食器をいっぺんに割ったときはすごい音がしてすかっとした。絵は……落書きして捨てたっけ?
「誰かが心を込めてつくったものだったのですよ。この食事のように」
長い指がひらりと返って、ハルの前に置かれた料理を示す。
「小麦や豆を育てた農民、牛の乳を搾った誰か、食材を買い入れて運ぶ商人、料理をする者、料理を入れる器をつくる者──この食事のために、どれだけの人が務めを果たしたのでしょうね。物を盗むということは、それをつくった誰かの努力と誠意を踏みにじるということなのですよ。……冷めないうちに食べなさい」
いろいろ質問されたり説明されたりした気がするが、やっぱり意味がよくわからない。
が、食べてほしいなら、食べてやる。腹が空いているからな。
スプーンをわしづかみして、緑色のスープを掬った。
旨い。
スプーンを放り出し、皿を持ち上げて口をつけた。パンも果物もあっという間に平らげた。マクリーンが自分の分も食べていいというから、遠慮なく食べた。ミルクをごくごくと飲み干して唇を拭い、
「……で、俺はどうなる?」
上目遣いにマクリーンを見た。なにしろ自分は大魔盗団のボスだ。手下以上の罰が待っているはずだ。
はっ、そういえば、聞いたことがある。死刑の前はご馳走が出るって。今のがそうだったのか?
心臓がどきどきしてきた。──どうやって逃げよう?
マクリーンは微笑んだ。
「私の弟子になりませんか」
デシ?
考えた。
「デシって、手下みたいなもんか?」
「違います。ともに学ぶ仲間です。師は弟子のほんの少し先を歩くだけで」
シが先でデシがあと、ってことか? うーん、手下っぽいな。
「もっともっとすごい魔法が使えるようになりますよ。あなたには大きな才能がある」
ちょっといい気持になった。大きな才能。ていうか、俺は天才だからな。
だが。
「ゆくゆくは私の跡を継いで王家に仕えてほしいのです。あなたにはそれだけの才能がある」
仕える? 王家に? 大嫌いな金持や貴族のさらにその上にいる、王家に?
「冗談じゃねえよっ」
ガタン、と椅子を鳴らして立ち上がった。
昨日は調子が悪かったが、今日は通用するかもしれない。
テーブルの上に炎を呼んだ。呼ぶと同時に結果は見ないで身を翻した。
自分が最初にいた小部屋と棚のある壁が短い通路をつくっていて、その先にドアがある。
ドアに鍵はかかっていない。ハルは外へと飛び出した。
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