第2話 

 外は夜。旅館が繁盛していたときは庭だっただろう場所は荒れて木が茂り、森の続きのようになっている。

 梢の上に月はない。周囲は真っ暗だ。

 でも、闇は怖くない。気持ちいい。暗闇を走ることも平気だ。目には見えなくても、どこにどんな物があるのか感じられる。

 まずは街道に出よう。そして、道の反対側逃げ……いや、一時退却だ。

 木々の間を街道に向かって走って、走って……ハルは足を止めた。

 おかしい。街道に出られない。

 方角を間違えた? と、振り向くと、旅館がなかった。

 あわてて辺りを見回す。さっきまであった木々の影がない。夜に動く獣や鳥たちの気配も消えた。

 沈黙の暗闇が自分の周りにどこまでも広がっている。

 こんな闇は初めてだ。

 ぞくり、とした。ちょっと怖いのと、何だか嬉しいのと、両方で。

 ……この果てしのない闇の中に自分を沈めてしまったら、胸の隙間が埋まるだろうか……。

 そのとき、遠くに小さな光が見えた。

 蛍のように小さくて、太陽のように暖かい。

 ──何だろう。

 ハルは不思議に思って歩き始める。……隙間を埋めるのには、あんなふうに小さいものの方がぴったり……するかな?

 小さな光はなかなか近づかない。ハルは少し意地になって歩き続ける。

 ようやく光のそばに辿り着いて、ハルは唇の端を上げた。俺は欲しいものは手に入れるのだ。

 光はハルの目の高さにある。近づいても、蛍みたいに小さい。

 手を伸ばした。光は自分の手の下に隠れたが、開いた指の間から光が筋となって美しく立ち上り、そのとき、初めて、光が大きな手のひらの上にあるのに気がついた。

 白いローブの老人が───マクリーンが自分の前に立っていた。

 マクリーンは光ごとハルの手を握った。大きくて乾いた手だった。

「善き哉」

 と、柔らかな声がした。

 その途端、闇が消えた。

 ハルが立っているのは、ねぐらにしている古い旅館の広間だった。ろうそくの火がハルの目の先で小さく揺れた。

 ……さっきつかもうとした光はろうそくの火……?

 混乱したハルの耳に、

「立て!」

「さっさと歩け」

「子どもはこっちだ」

 厳しい声と乱雑な物音が聞こえ、ハルはふり向く。

 兵士たちが手下どもを縛り上げ引き立てようとしている。

 手下どもには抵抗の素振りもない。チビどもは縛られてはいなかったが、兵士に囲まれ怯えた目をハルに向けた。

 助けて、と言っているように見えた。

 だけど、ハルは動けなかった。

 魔法が通じなかったら、自分は彼らと同じただの子どもだ。

 ──そう、自分の魔法は通用しなかった。白いローブの老人、王家に仕える魔法使い、マクリーンに。

 立ち尽くすハルの前に手が差し伸べられた。

 老いた手ではなかった。すらりと指の長い瑞々しい手。

「君も一緒に来るんだ」

 黒髪の少年だった。

 ハルは両手を拳に握った。

 負けた、マクリーンに。

 だが、こいつには負けん!

 握った拳を少年につき出すようにしてぱっと開いた。

 手のひらから、少年目がけて炎が噴き出すはずだった。

 が、何も起こらなかった。

 少年がふっと身を沈めていた。

 そのあと何がどうなったのか、ハルにはわからない。

 鳩尾に衝撃を受けた次の瞬間、目の前が真っ暗になって、意識が途切れた……。

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