性格に難のある魔法使いが姫王に膝をつくまで

はお

第1話 



 信じられなかった。自分が魔法の勝負で負けるなんて。しかも結構あっけなく。




 魔法は誰に教わったわけでもない。もの心ついたときには炎を出現させ、風を呼ぶことができた。走ったり声を出したりするのと同じような感覚だった。

 でも、裏町に暮らす浮浪児仲間に同じことができるやつはいなかった。

 浮浪児たちのリーダーは十五歳くらいの少年で、みなでケチな盗みを働いていた。魔法は追手を振り切るのに役に立って、リーダーは彼をちやほやしたり脅したりして魔法を使わせるのだった。

 ある日、彼はふと馬鹿らしくなった。──なんでこんなやつの命令を聞かなきゃならねーんだ。俺の方が力もアタマもあるのに。

 屈服させるのは簡単だった。服の裾に火をつけてやった。やつが泣き叫びながらようやく火を消し止めて、頬の涙が乾かないうちに、笑って言ってやった。

「体に火をつけられたくなかったら、これからは俺の言うことを聞け」

 グループには寄生虫みたいに稼ぎの上前を撥ねる大人のワル集団もいたが、そいつらも同じようなやり方で従えた。

 浮浪児なんてだいたいがそうだが、彼も自分の年齢は知らなかった。十歳よりは上で十五歳よりは下だろう。真ん中をとって、十三歳ということにした。

 というわけで、自称十三歳で、彼は窃盗団のボスになる。

『ボス』

 ねぐらの一段高い場所に置いたソファにふんぞり返る彼に、手下どもは揉み手をしながら言ったものだ。

『ボスは魔法の天才でさあ』

 魔法の天才───床につかない足をぶらぶらさせながら、その通りだ、と彼も思った。

 聞いた話だと、魔法を使うには才能と修行が必要らしい。だが、彼は修行なんてしたことはない。そんなことはしなくても、炎と風に命令できた。

 これは天才というしかあるまい。

 もう小汚い商店から食べ物を盗んだり間抜けな旅行者の身ぐるみを剥いだりしている場合ではない。

 天才は! 天才らしい盗みをしないとな!

 狙うのは大金持ちの商人や貴族の館だ。盗み出すモノは、金もいいが、やつらが大事にしている絵や宝石もいい。

 名前も名乗ることにした。───大魔盗団、だ。

 ねぐらも王都の外れの裏町から引っ越した。森の中、王都に向かう古い街道沿いにある使われなくなった大きな旅館だ。そこから、商人なんかのフリをして昼間のうちに王都に入り、夜になるのを待ってターゲットの屋敷を襲う。

 手下たちも大喜びした。今までとはケタ違いの金を手にしたから。

 でも、金があっても使い方はよくわからなかった。

 大人たちと年かさの少年たちは稼いだ金で王都に出かけ、酒を飲んだり女と遊んだりしたが、彼には酒も女も何が楽しいのかわからなかったし。

 浮浪児グループの頃から一緒にいるチビどもが喜ぶ甘い菓子は、自分も大好きだったけれど、菓子にはすごい大金は要らなかったし。

 自分たちが盗みを成功させて世間が騒ぐのも最初は面白かったけれど、だんだん気持ちが沸き立たなくなってきた。

 胸のどこかに空っぽな隙間が生まれて、コレジャナイ、と変な音がする。

 もっと、ぴりぴりしたい。隙間を埋める何かが、ほしい。

 ある夜、彼はねぐらにしている旅館の広間に手下どもを全員集め、次は王宮を襲う、と宣言した。

 貴族の館から掠めてきた豪華な燭台の火が広間を照らしている。そのろうそくの明かりの中、手下どもは一斉に引いていた。

「さすがに王宮は」

「いくらボスでも」

「大魔法使いのマクリーン様がいらっしゃるし」

 大魔法使い? 様? いらっしゃる?

 空中に盛大な炎を燃え上がらせて、手下どもを黙らせた。

「そいつに俺が負けるって言うのか?」

 手下どもを見回すと。

 返ってきたのは苦笑い。つまり、負けると思っているのだ。

 むちゃくちゃ腹がたった。

「じゃあ、俺ひとりで王宮に忍び込んでやる。そうだな、王の冠でも盗んでやるよ」

「それはあんまり無茶でさ」

「これまで通り、それなりに活動しやしょう」

 みんなあわてたように止めにきたので、今度は風を起こして手下どもを床に伏せさせた。

 ふん。嘲笑を残し、ねぐらを出ようとした。宣言通り、ひとりで王宮に盗みに入るつもりだった。

 だが、ノブに手を触れる寸前、ドアが開いた。

 ハッとして一歩下がる。

 外からドアを押し開けたのは、自分と同じ年頃の──つまり十代前半の少年だった。

 ぱっと見、貴族の子どもか? と思った。

 そのとき彼自身が着ていたのは、貴族の館で奪ったお坊ちゃまの衣装だった。刺繍やレースをふんだんに使い、金と赤の色目も華やかな。

 なのに、シンプルで色を抑えた少年の服の方が、ずっと高価に見えた。純白のチュニックと袖のない濃紺の上着も、腰に巻いた光沢のある革のベルトも。

 少年は艶々した黒い髪を肩より長く垂らし、軟弱そうな顔立ちをしていた。が、濃青色の目はまったく臆する気配がなく、ただちょっと戸惑ったように彼を見た。

「……あの、君がハルベルティ?」

 日常会話の口調で聞かれ、彼は答えるのに間を置いてしまった。

 何だこの緊張感のないやつ。

 だが、そう、俺こそが、泣く子も黙る大魔盗団のボス、ハルベルティ様なのだ。

「だったら?」

 はあ、と少年はため息をついた。

「……本当に子どもなんだ」

「てめえもガキだろうがっ」

 思わず大声を出して少年に詰め寄る。

 そこで、少年の方が自分より背が高いことに気づいた。

 いや、少し、ほんの少し、だけだが。

 少年はため息を落とした顔のまま、続けた。

「大魔盗団なんて名前、子どもっぽいなあ、と思っていたけど、本当に子どもなら仕方ないか」

 何だと?

 ハルは背後の手下どもをふり返った。

「大魔盗団、かっこいいよなあっ?」

 チビたちは力いっぱい頷いた。が、大人たちは目を逸らした。──どういうことだ?

 黒髪の少年も後ろをふり向いていた。

「どうしましょう、マクリーン」

 マクリーン?

 どこかで聞いた名前だった。

 それもつい最近。

「ま、マクリーン?」

 ガタガタッ。手下どもが足音も荒く一斉に後ずさっていた。

 黒髪の少年が大きくドアを開き、その後ろから姿を現したのは──。

 じじいだった。

 白いローブを纏った、背が高くて、しわしわなじじい。

 が、ハルの足も一歩下がっていた。

 髪色のせいかもしれない。老人のくせに豊かで長いそれはプラチナに輝いて、まるで後ろから光が差しているみたいだった。

 老人の視線がハルベルティを通り過ぎて手下どもを見た。

 鋭い目ではなかった。むしろ穏やかな目。

 なのに、目から怖しい何かが発射されたかのように、手下どもは誰も彼も膝をつき、床に平伏した。

「……てめえらっ!」

 怒鳴っても、手下どもは顔を上げない。まるで、老人の顔を見るのも畏れ多いみたいに。

 だが、ハルはすぐに冷静さを取り戻す──ま、手下なんて俺には必要ない。なぜなら、俺には魔法があるからだ。

 ふふん、と余裕の笑みを浮かべ、改めて少年と老人に向き直ったが。

「僕がやりますか、マクリーン」

 黒髪少年はハルを無視して老人を見上げていた。よく見たら、腰に剣を下げていて、柄に手を置いている。

 ばかだ、こいつ。ハルは鼻で笑う。剣で魔法が防げるかよ。

 髪の毛を燃やして頭ツルツルにしてやる。

 いつものように心の中で炎を呼んだ。──来い! あいつの髪の毛で燃えろ!

「いいえ、私が」

 老人が少年に微笑んでいた。

 少年は、こくり、と頷く。

 ……あれ?

 ハルはもう一度炎を呼んだ。目標がよくわかるように少年に人差し指を突きつけて。

「……彼、僕を指差していますが、何でしょう」

 老人に尋ねる少年の髪は艶々と黒いまま、何も起こらない。

「ディアナム様に魔法で攻撃を仕掛けているようです。おそらく火を呼ぶ魔法でしょう」

 答える老人の声は穏やかにゆったりしている。

 静かだった少年の表情が変わっていた。驚きに見開いた目をハルに向ける。

「火を呼ぶ……詠唱もなしに?」

「そ……そうだ。驚いただろう」

 エイショウ、って何だ。火、来なかったけど。

 だが、とにかく。

「俺は魔法の天才なんだよ!」

「ええ、とても大きな才能を持っています」

 気がついたときには、頭に老人の手が乗っていた。

 ──え。いつの間に俺の目の前に。

 老人の手が、優しく、ハルの頭を撫でる。

「子ども扱いするんじゃねえ」

 あわてて飛び退ると。

「だって子どもだよ?」

 ぼそっ、と少年が言って、ハルは少年をねめつける。

 決めた。こいつ、絶対に泣かす。

 三度目の正直で炎を呼ぼうとしたが。

「でも、せっかくの才能も、学びがなければここまでですよ」

 老いた声に言われて目標を変えた。

 炎よ、じじいの服の裾を燃やせ!

 老人はスベスベの布地でできた白いローブを着ていた。床すれすれの裾に、ぼっ、と火がつく。

 やった。──何だかほっとする。

 どうだ、と顔を上げて老人と少年を見た。

 けれど、ふたりの表情はさほど変わっていなかった。

「本当に詠唱なしで火を……」

 呟いた少年は真面目な顔で炎を見つめ、老人は笑んだままで。

「は、早く消さないと焼け死ぬぞ」

 慌てふためけよ、と思ってそう言ったが、炎は燃え広がらなかった。

 まるで老人のローブの裾飾りのようにちらちらと揺れるだけで。しかも、何だか楽し気に。最後にパッと明るく燃え上がり、一瞬で消える。

 白いローブは焦げ目ひとつなくすべすべのまま。

 おおっ、というどよめきが後ろから聞こえた。手下どもの、老人に対する感嘆の声だ。

 カッとして火を呼んだ。手下どもの頭の上に。

 手下どもは悲鳴を上げてふたたび床に伏せる。───同時に、炎が空中で、ゆるり、と巡り、細い竜のかたちをとった。

 炎の竜はハルの横を通り過ぎて老人の元へと向かった。甘えるみたいに白いローブを一周して、すうっと見えなくなる。

 手下どもの拍手喝さいを背に、ハルは歯を喰いしばった。

 風だ。風を呼ぼう。火より風の方が得意なんだよ、ホントは。

 ふわり。

 肩が何かに包まれた。目をやると、透き通った人がいてハルに微笑みかけた。男か女かはわからない。目に瞳もない。だけど、綺麗だ。肩を包む長い腕はそよ風のように優しくて眠気を誘う……。

 いや、違う! 俺が呼んだのは、手下どもを吹き飛ばす猛々しい風なんだよ!

 乱暴に腕を払うと、透明な人影は消えた。優しい風がさよならのキスのようにハルの頬を撫でて……。

「諦めれば?」

 黒髪の少年が言った。

「君はマクリーンに勝てない」

 体の奥から込み上げてくるものがある。

 マクリーン───思い出した。手下どもがさっき言っていた、王宮の魔法使いだ。

 勝てない、と直感した。……なぜなら、今日は魔法の調子が悪いからだ。

「次に会ったときが本当の勝負だ」

 叫ぶと、ハルは老人の横をすり抜けてドアに突進した。

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