第3話 榎木あんなは攫われる



 ★


 一分後、日向ひなたは校舎裏のフェンスをよじ登っていた。


「パンツ見えてるぞ」


 俺は日向を見上げて言ってやる。


「見るなあ!」


 日向は顔を赤くして怒り散らす。

 やがて、日向はフェンスの向こう側へと飛び降りた。


「せっかく、大金を稼ぐチャンスだったのに……チキンめ」

「馬鹿言わないでよ。あんな頭のおかしな連中に構ってられないわよ。ほら、そこの鞄、こっちに投げて」


 日向は冷めた調子で言う。俺は仕方なく、足元の、日向の鞄を拾い上げる。


「そうか。じゃあ、仕方が無いな」


 俺はそう言って、思いきり息を吸い込んだ。


「いたぞお! 日向だ! 水前寺すいぜんじ日向ひなたを見つけたぞおおお! 校舎裏から逃げようとしてる! 逃がすな! ぶっ殺せえええ!」


 と、思い切り叫んでやる。

 直後、校門の方から一斉に馬鹿共の雄叫びが上がった。すぐ、連中は此方へとやって来るだろう。


「国士、あんた……」

「ほらほら。早く逃げないと捕まっちゃうぞ?」

「う、うう……クズ! あとで覚えてなさいよおおお!」


 日向は半泣きで駆け出した。間もなく、沢山のバイクが校舎裏の路地へと殺到する。連中は、パラリラパラリラ音を上げ、怒声を上げながら日向を追いかけていった。


「……さて、と」


 俺はフェンスを乗り越えて、ゆっくりと日向を追いかけた。

 道中、通学路には、日向にやられたと思しき暴走族のむくろが、点々と転がっていた。俺はそいつらのポケットから財布を抜き出して、現金を奪って回る。

 躯の道しるべは、学校から程近い江津湖えづこ公園へと続いていた。


 江津湖公園の草原には、おびただしい数の不良が横たわっていた。

 その真ん中には鬼が居た。

 鬼はたった一人で立ち尽くし、目を吊り上げて息を荒げていた。


「こ、く、し、くうううううん」


 鬼が俺の名を呼んだ。まるで、地獄の底から響いて来るような、怨嗟に塗れた声だった。


「やあ、ご苦労ご苦労。大活躍じゃないか」


 俺は鬼、否、日向に労いの言葉をかけながら、にこやかに歩み寄る。


「ふざけたこと言ってるんじゃないわよおおお!」


 日向は俺に詰め寄って、グッと胸倉を掴む。あまりの馬鹿力で、俺の足が地面から離れた。

 これは本気で怒っているな。仕方がない。

 俺はそっと手を伸ばし、日向の髪を撫でてやる。するとほんの少しだけ、日向の力が緩む。その隙に、ぐっと顔を寄せ、口づけをした。


「な、なん、で?」


 日向は途端に正気に戻り、顔を赤らめる。


「そうか。怖かったんだな。よしよし。怖かった怖かった。もう、大丈夫だからな」


 と、日向の頭を撫でてやる。

 やがて、日向の目に涙が滲む。


「う、うう。馬鹿。馬鹿馬鹿。怖かったんだから。本当に、怖かったんだからね!」


 日向は俺に抱きついて、盛大に泣きだしてしまった。俺は日向を抱きしめて、大きな背中をポンポン叩いてなだめてやる。

 思わず、俺の口元が緩む。

 チョロいぞ。チョロ過ぎるぞ日向!


 さて、大量のカツアゲを終えた俺は、目標金額の三倍程を稼ぎ出した。その資金を元手に、翌日から、必要な物を買い集めた。

 まず、ホームセンターに行ってロープやビニールテープを買った。インターネットの通信販売で手錠や鎖も買っておいた。ノートパソコンも購入した。テントに寝袋、キャンプ用品一式も買い揃えた。

 優しい俺は、誘拐したあんなが退屈しないようにと気を使い、アニメや映画のDVDも沢山買った。そしてノートパソコンを使い、それらに手を加え、洗脳用のDVDに作り替えた。サブリミナル効果で俺を好きになるように、様々な仕掛けを施しておいたのだ。

 保存食や着替えも用意した。あんなの服のサイズについてはよく分からないので、日向に調査させた。調査を元に服を買い揃え、メイド服の類も用意した。

 最後に、俺はあんなを尾行した。

 なんと、あんなはアパートで一人暮らしだった。しかも、住まいは俺の近所だった。


 念入りに監視していると、あんなはインターネットを使い、動画投稿サイトで都市伝説紛いの配信を繰り返していた。内容は、以前日向が言った通り、陰謀論や都市伝説紛いのメッセージを出しまくるものだった。あんなは可愛いからそれなりに視聴者が付いていたが、コメント欄に寄せられた内容は、


○:都市伝説界隈キモい。

○:あんなちゃん可愛いね。何処に住んでるの?

○:またコレ系ね? ツマンネ

○:ガチで言っててキモッ!www

○:いっぱい陰謀論調べてて偉いね。ちょっと上着脱いでみて。

○:陰謀論者乙! パクリやめたら?

○:こういう無知な人を見ると教育の大切さがよく分かるな。俺、大学行っといて良かったわwww

○:詐欺師じゃん。ムカつくわ。

○:なんか変なお薬やってるの? 可哀想に。


 みたいに、クソみたいな奴らの嘲りが延々と並んでいた。まあ、いくつかの大国が環境兵器で人工地震を発生させているだとか、一般人の目に付かない形でずっと戦争をしているとか、地球の気候変動の原因が太陽の暴走にあり、人類が悔い改めなければより一層深刻な事態になるとか、遠からず地球全土で大干魃だいかんばつが起こって人類の七割が飢え死ぬとか、気候変動に便乗して人類を大幅に間引きしようとしてる連中がいる、なんてこと、信じる奴はそうはいないだろう。

 仮に、あんなの主張が事実であったとしても、人は臆病だから自分が信じたい事しか信じない。あんなが伸ばしたのが救いの手だとしても、証拠がどうだとかソースはあるのかだの、くだらない陰謀論だのと言って平気で踏み躙る。それが、今の人類ってものだ。滅んで当然だ。

 俺も信じているわけではないが。

 なんて考えていると、あんながおもむるに席を立ち、フローリングの床の真ん中でボーっと立ち尽くした。何をしているのか分からなくて見ていると、そのまま三○秒程が過ぎた時、突然、あんなのスカートに染みが広がった。あんなの脚を透明な液体が伝い、床に水溜りを作る。そのせいで靴下がびしょびしょになったが、あんなは微動だにしない。

 失禁……しているのか? 何故だ!

 流石の俺もかなりの衝撃を受けた。

 翌夜も、あんなは動画配信を終えてから暫くして、前日の夜と同様に、一人でボーっと立ち尽くし、そして失禁していた。何故かはわからない。が、その様子は寧ろ、俺の深い部分に刺さった。

 やはり、あんなは最高だ!


 ともあれ、少々驚きはしたが、これであんなの生活も、登下校の道筋も把握した。

 準備は、全て整った。

 そして話は現在へと戻る。


 ★ ★ ★


 あんなは、思っていたよりも軽かった。

 俺は、蒸し暑いアーケード街の人混みを、あんなを抱えて駆け抜けた。それを日向が鬼の形相で追いかけてくる。簡単には振り切れそうにない。


「待ちなさい国士いいい! あんた、私という者がありながら何をやってるのよお!」

「なにを言ってるんだ日向。俺達は付き合ってる訳じゃないだろ」

「何よ何よ! じゃあ、この前のあれは何だったの? 騙したの?」

「あははは! あんなのはただの挨拶じゃないか」

「ふざけるな! 待ちなさい」


 逃走経路は完璧だった。計画は順調に進行している。俺が日向対策をおろそかにする筈がないのだ。

 俺は、某、工業高校の前へと辿り着いた。そこは素行の悪い生徒が多いと有名な学校だった。


「日向だ! 水前寺日向がいたぞおおお!」


 駆け抜けながら叫んでやる。

 不良達の目が、一斉に日向へと集まる。


「あ、ちょ、私は違……う」


 日向は焦って言い逃れようとしたが、無駄だ。身長一八三センチの女子高生なんてそうそういない。日向は目立ちすぎるのだ。不良どもが、あの鬼を忘れる訳がない。

 途端に、日向は不良に取り囲まれてしまう。そう、この学校には、この前カツアゲした暴走族の連中がたくさん通っているのである。


「国士、あんた本当にどこまで!」


 日向は再び喧嘩独楽のように回し蹴りを繰り出しまくり、大立ち回りを演じ始める。こうして、俺はまんまと日向を振り切った。


 やがて、俺は人気の無い橋の下へと辿り着いた。そこに隠しておいたリアカーに、あんなを放り込む。


「きゃあ。なんか痛いんだけど」


 あんなが可愛く悲鳴を上げる。


「ああ、ごめんごめん。少し揺れるけど我慢してくれ」


 俺はそう言って、原付バイクにリアカーを繋ぐ。その作業をする間も、あんなは特に暴れたり叫んだりすることはなかった。

 こうして俺は、あんなを誘拐した。


 ★


 日が沈んだ頃、俺は目的の場所へと辿り着いた。

 そこは熊本市から南の、とある山の物置小屋だった。もう、辺りは真っ暗だった。懐中電動の光がなかったら、まともに歩けなかっただろう。


「よっと。長いこと雑に扱って悪かったな」


 俺はあんなを抱え上げ、物置小屋へと放り込む。


「きゃあ。落ちたんだけど」


 あんなが声を上げるが、落ちた場所はソファーの上である。今日のために、中古のソファーベッドを運び込んでおいたのだ。物置小屋は四畳半ぐらいの広さで、やけに古い農具や錆び付いたのこぎりなんかが置かれていた。

 俺は、そっとあんなの麻袋を取り払い、腕に手錠を付けた。


「ここはどこ。暗いんだけど」


 あんなは、珍しい物を見るように手錠をカチャカチャやる。

 俺は懐中電動を置き、鞄からLEDランタンを取り出した。灯を灯すと、暗闇にあんなの白い顔が浮かび上がった。優しげな瞳が不思議そうに、俺を見上げている。身震いする程に美しかった。


「ここは遠い山の中だよ。俺とあんなの愛の巣だ。もう、何処にも行っちゃ駄目なんだぞ」

「愛の巣って言葉、わからないんだけど」

「俺とあんなの秘密のお家のことだよ」

「お家? お布団がないんだけど。お茶碗も」

「心配するな。ちゃんと用意してある」

「お手洗いがないんだけど」

「近くに仮設のがある。水飲み場もみつけたから、水にも困らないぞ」

「なら、安心なんだけど。あ。クマさんがいないんだけど」

「クマさん?」

「いつも枕元に置いてるんだけど。寝るときはぎゅっとして寝るんだけど」

「そうか、じゃあ、後で取ってきてやる。そういえば、お菓子とか食料も持ってきたんだ」


 と、俺は鞄を開ける。

 鞄の中には、何故か日向の携帯端末が入っていた。端末の電源が入っていて、よく見ると、位置情報システムのアプリケーションが起動していた。

 やられた。

 つまり、鞄に端末を放り込んだのは日向か。GPSで俺の現在位置を捕捉されていたらしい。少々面倒くさいな。

 スパン! と、子気味良い音と共に物置小屋の戸が開く。


「こ、く、し、くうううん」


 鬼が入って来た。


「や、やあ日向。丁度会いたいと思ってたんだ。心配したんだぞ。こいつぅ」


 俺はそう言って、日向のおでこを指先でつんと突く。直後、日向の正拳突きが鳩尾に突き刺さる。鈍重な衝撃が突き抜けて、俺は崩れ落ちた。

 下手すりゃ死ぬ一撃だった。



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