第十ニ話『魔法使いの担当医、兼』
五階から飛び降りたにも関わらず、ファサっという柔らかな感触で目を開ける。
そこには何とも面倒そうな顔をしたギストと、小鳥の姿になって重そうに鞄を地面に置くカサギさんの姿があった。
「おいトリス! 寝てる場合じゃねえぞ! おま……トリスも殺しは嫌だろ? ならさっさと……」
「お前でいいですよもう! 今更ですってば! 逃げましょう!。裏口が近いです。行きましょう……って鞄パンパンじゃないですか! これ何入ってるんですか⁉」
私はとりあえず立ち上がって走り始める、飛び降りた最中の失態は無かった事にしてもらおう、私も忘れてしまうが勝ちだ。
だが、思った以上に時間を使ってしまっていたのか、裏口にも衛兵が何人か集まっているのが見え、私達は身を隠した。
「トリス様もせっかちですな……とりあえずその鞄の中身を出していただけますか? あとは旦那様が気を利かせるかと。あとあの警備員はそこらへんに置いておきました」
警備員さんを脱出させてあげたのは良かった。これで彼も最低限、医院に戻るとしても被害者として面目が立つだろう。だけれどいつのまにか私が様付けで呼ばれ、ギストが旦那様と呼ばれていることに抗議したくはあったが、そんな事を言っている場合でも無いので私は言われるがまま鞄の中身を確かめてから、鞄をひっくり返して中身を地面へと出す。
「壺ちゃん達……こんな姿になっちゃって……」
その強固さ故に粉々とまでは行かなかったが、執拗に割られたのだろう。鞄から出てきたのは私が持っていた錬金壺達の破片だった。
「ごめんね……大事にしてあげられなくて……」
落ち込む私を見て、ギストは溜め息混じりにカサギを軽く睨む。
「お前は本当に……人間味しかねぇな。鳥の癖によ」
「旦那様に似たんですよ。ですが、素敵なプレゼントでしょう? 私からの結婚祝いという事に致しましょうか」
ギストは難しい顔をしながらその壺の破片達に手をかざすと、破片達が液状になり、一つにまとまって小さな光を纏い始める。
「トリス……は、壺が良いんだよな? 元通りにゃ出来ねえけど、こいつらにはアンタから貰ったであろう魔力が細かく宿ってる。お前の魔力許容量を凌駕する程度にはな。だから望むなら、使い魔として何とかすることは出来るが……」
その言葉を聞き終わる前に、私は何も言わずに首を激しく縦に振った。
魔力を自由に使えるようになった彼はこんな芸当も出来るのかと感動すら覚えた。彼に会ってから一番感謝しているかもしれない。
「顕現の為の魔力はコイツらで充分、魔法は俺が使う。でも契約はお前がやらなきゃ意味がないからな、いつも壺に話しかけてるくらいの想いを込めて、手ぇ突っ込んでみな」
言っている事は良く分からないし、なんで私が壺ちゃんと喋っているのを知っているのかも分からないし問い詰めたいけれど、とりあえず私は興奮を隠せずに光り輝く壺ちゃん達の集合体に手を思い切り突っ込んだ。
「今! 少しでも良い! 魔力を込めろ!」
言われるがまま魔力を込める。思えば私だって魔法医、魔法くらい使えるという事を最近は忘れかけていた。
眼の前には、大きな壺が一つ。
「えっと……大きな壺ちゃん……? これで、いいんですか?」
「えぇ、おめでとうございます。トリス様。カサギも仲間が出来て嬉しく思いますよ」
その壺は、不意にふわふわとその場で浮き上がった。
「壺ちゃんが浮いてる……可愛い」
「テレルゼ」
壺が、喋った。壺は、喋らないのに。
――壺が、喋った。
「へぇああああ⁉」
浮遊する壺に勿論喋る為の口は無いが、その穴の中、底が見えない暗闇から確かに少し甲高いが、男とも女とも分からないような不思議な声が聞こえてきていた。
「アルジ。ノゾクナ、テレルゼ」
「あ、はい……ごめんね壺ちゃん」
困惑が止まらないまま、私はぼんやりと照れているらしい壺ちゃんを眺めてから、カサギさんに視線を移し、最後にギストに何とも言えない視線を送った。
「謝んな謝んな、コイツは今からお前の使い魔だよ。トリス程の想いが錬金壺達に伝わっているなら、契約なんて容易い。うちの人間味のある使い魔の結婚祝いだってよ」
「それは、確かに物凄く、ものすごーく嬉しいんですけど……というかギストはなんで急に私を名前で呼びだしたんです? 気まずさが滲み出てますけど大丈夫ですか?」
言うと壺ちゃんがケラケラと笑う。
「テレテルゼ」
随分と壺ちゃんは楽観主義というか、場に溶け込む天才か何かなのかもしれない。もう既にギストを弄っている。
「仕方ねぇだろ。一応は婚姻契約を結んだんだ。使い魔が使われないとその意義を得られないのと同義で、俺達もある程度距離感を縮めなきゃ契約が壊れる可能性があんだよ……。お前って呼ぶのもその一貫、拒否してたら怖いもんだぜほんと」
「成る程……じゃあとりあえずこの場を突破しましょうか……ギィくん!」
彼の顔が赤くなるのが分かって、してやったりと言わんばかりに私は軽くガッツポーズをした。彼がたった今言った事なのだから、否定のしようもないだろう。
軽口を叩けるのは彼だけじゃない。今だったら尚更。
「……テレテルゼ?」
壺ちゃんが近寄って来てそっと呟く、どうやら私に向かって言ってきているであろう壺ちゃんをコツンと叩いた後、軽く撫でて私は笑った。
「やっと話せる。よろしくね! 壺ちゃん。名前はあとで!」
「イケルゼ」
意思疎通が出来るか心配になってきたけれど、それも何だか可愛らしく見えてしまうのは、今までいくら話しかけても返答が無かったせいかもしれない。
「ナンカ、ヤルゼ」
そう言って壺ちゃんは何処までも暗い穴をこちらに向けてくる。
やや圧が強めかつ、意味があまり通らない言葉の説明は、壺ちゃんではなくカサギさんがしてくれた。
「失礼、鞄の中にはまだ壊れていない錬金壺もありましたな……カサギとした事があらぬ失態を……おそらくはその錬金壺を何らかの物質に変化させたという事でしょう。最後の一つだったはずなのに、本当に申し訳ない」
「いえ、大丈夫です。結果的に壺ちゃんがいるわけですし、気になさらないでください」
そう言うとカサギさんはクゥと小さく鳥の声で泣いた。逆にそのカワイコぶり方があざとくて嫌だったとは言えない。
「ツクルゼ」
「おぉ……壺ちゃん何が作れるのー?」
「ショカイトクテン、ナンデモツクルゼ?」
『ショカイトクテン』とはなんだろうか。使い魔専用の言葉だろうかと不思議に思いながらも、どうやら中に入っていたのはただの小さな錬金壺だったけれどある程度自由は効くらしい。とはいえいくら愛情を込めて壺達と接していても、本当に何でもという事はないだろう。その口から出せる範囲の物が限界だとすると、それだけで限られてはくる。
「必要なモン頼んでくれよ、衛兵を気絶させられる程度の」
「そう言われると、カサギとしては爆弾あたりが思い当たりますが……」
この人達は本当に爆弾が好きだなと思いつつ、私は一つの武器をイメージする。
壺ちゃんは私からの命令を待っているようで、二人の言葉には反応しない。
見える衛兵は四人、対してこちらは使い魔二体に人間が二人。
流石に仕事として雇われているだけの衛兵に大きな傷を負わせるわけにはいかない。だからカサギさんが言っていた爆弾は壺ちゃんが作れたとしても駄目だ。
ギストが言う衛兵を気絶させられる程度の物を頼むのが良いだろうけれど、果たして何が良いだろう。と考えていた時に衛兵の「あそこに誰かいるぞ!」という声が響いた。
「おいおい、俺等は手加減には慣れてねぇぞ。どうするよトリス」
そう言いながらギストは徒手空拳のまま茂みから飛び出して、両手を上にあげた。
そうしてカサギさんは私と壺ちゃんを覆い隠すように巨鳥となり、翼を広げ衛兵を威嚇する。
「あの爆発だ。今に加勢も来る。大人しくしていたなら……」
そう言いながら近寄って来た衛兵に向かって、ギストは上にあげた手を思い切り衛兵の肩に叩き落した。そのままひるんだ衛兵の顔面に思いきり拳を叩き込む。
衛兵は、反撃とばかりにギストを剣で切り裂こうと反応したまでは良かったが、その剣はギストの頬を掠っただけで終わり、剣をガランと落とし、その場でうずくまる。ギストは頬に伝った血を拭いながら衛兵の顔に膝蹴りを入れると、衛兵はその場で動かなくなった。死んでいるという事は無いにしても、中々バイオレンスな光景。
「魔法の気配が無きゃすーぐこれだ。魔法使いは近接戦闘が出来ねぇって決めつけんなよ? しっかし、良い服着てんなぁ? 俺専用って言っていいくらい魔防の加護を纏っていやがる。なぁトリス、本気でぶっ放していいか?」
「だーめーでーす!」
そんな事を言っている間にも、衛兵はギラつく剣をこちらに向けてジリジリと近づいてきている。見るからに高級そうで、鋭そうな剣、この魔法病院は警備員もとい衛兵の剣一本にも綺麗な装飾までついている物を与えているのかと思うと、中々に憎らしかった。だったら私の部屋のベッドももっと良い物に出来ただろうに。
それに、あんな立派な剣、触った事も無い。
――羨ましいよなぁ。
そんな事を思った。つまり、私は今あんなのが欲しい。
丁度、考えていた武器も剣だったけれど、どうにもイメージが付かなかった。
「壺ちゃん! 私、アレよりイケてる剣が欲しいな!」
「イケルゼ! テ、イレルゼ!」
そう言って壺ちゃんは暗闇に私の手を誘った。
「剣だぁ⁉ よりによって何選んでんだよトリス!」
ギストの声が聞こえるが、私はあえてそれを無視して、駆け出しながらその手の感触を確かめる。
――うん、確かに剣だ。心地の良い、重み。
浮遊している壺ちゃんの口から剣を引き抜くと同時に私は衛兵の方へと駆け出す。
チラリとその剣を見て、それが剥き身じゃなく鞘に収まっている事を確認する。
「なら死なない! 大丈夫!」
カサギさんの翼から、飛び出した私は、突然の事に驚いた衛兵達に向かってその剣を鞘ごとぶつける。カサギさんの羽根が舞い、それが落ちる前に、残った三人の衛兵のうち、一人の腹部に重めの突きを、一人の足を狙ってすぐには立てない程度の殴打を、そうして最後の一人の剣を弾き飛ばして、剣の柄の部分で首元を軽く突いた。
「はあぁ?」
ギストの驚愕した声が小さく響く。
「魔法医が剣を振るえないなんて決めつけ、ギィくんはしませんよね?」
日々のストレスの憂さを晴らすには剣を振るうに限る。
憂さが多い程その数は増える。魔法医としての勉学を強制され続けていた私にとって、錬金術と剣を振るうという行為は最高の憂さ晴らしだった。
「そういえば、幾つかご趣味があると仰っていましたね……」
つまりはその趣味が、剣術だった。とはいえ、いい大人が、しかも魔法医になってからは世間体を考えても剣を振り回す機会はそうそう多くなく、久々のいい運動になった。
だからつまり、壺の重さなんて剣に比べたら大した事は無い。
「イケテルゼ!」
壺ちゃんだけが褒めてくれる、ギストとカサギさんはやや引いているようだった。
「モッテクゼ!」
そう言って、壺ちゃんは私に剣をしまうようにその口を近づけて促す。
どうやら収納空間としても機能するらしい。
「イツデモ、ハキダセルゼ?」
どうやら中々高性能な壺ちゃんらしい。
「ほらギィくん頬出して」
私と壺ちゃんのやり取りをぼうっとみていたギストの頬から未だ血が軽く流れているのに気づき、私は彼に向けて外傷治癒の魔法をかける。
「あ、あぁ……そういえば魔法医だったか。もう、俺はトリスが何だか分からなくなってきたよ……」
褒められているのか何なのか、だけれど悪い気はしなかった。
「私、ギィくんの担当医なんですけど!」
ともかく、私とギストはこれで運命共同体となってしまった。
私は壺ちゃんに剣をしまって、裏口を思い切りギストの魔法によってグシャグシャに破壊して貰って、やっとこの忌々しい魔法病院から脱出した。
「これからどーするよ。トリスちゃんセンセー」
照れ隠しなのか分からないが、よく分からない名前で呼ばれつつ、私達は魔法病院からやや離れた所でギストの身隠しの魔法で姿を隠した。
「さぁ……でもとりあえず挨拶周りじゃないですか? あ、私新聞屋さんと仲良しだったんで! こういうのはどうです?」
大魔法使いギスト・ケイオンによる、ケウス魔法病院の破壊及び脱走は、明日の号外になるだろう。
それに合わせて、本人の声明を出してやろうという提案だ。
「クク、いいじゃねぇか。誰に似たんだか」
「それはまぁ……貴方にでしょうね」
そんな事を言いながら私達は、魔法文を書いてドドシさんの家を訪ねた。
夜だけれど、ガンガンと扉を叩いて、ドドシさんを叩き起こす。身隠しの魔法はその時だけ解いて貰った。ドドシさんの明日の新聞制作を大変な物にしてあげる為に、証明は必要だ。
「こんな夜更けに一体どいつが……トリスちゃん⁉ 久々だねぇってアンタ!」
私達はニヤリと笑って、状況を書き記した魔法文をドドシさんに手渡す。そうして魔法射影機で私とギストが二人で腕を組みニッコリと笑った映像を撮ってもらう。
「こりゃ大儲けだな! ドシシ! トリスちゃんの家周りについては任せてくんな。家内にでも言って整理してもらっておくからよ!」
「帰ってこれないと思いますけどね!」
そう言うとドドシさんは相変わらずドシシ! と笑っていた。
「あんなヤツもいるんだな」
街を出る時に、ふとギストが呟く。
「そりゃあ、いますよ。悪い人ばかりじゃたまったもんじゃないですって。だから変えて行きましょ。とりあえずは目に映る嘘つき達を!」
「自白剤でか?」
「いいえ! 実力で!」
ギストは愉快そうに笑っていた。きっと私は、最初からその顔が見たかったのかもしれない。諦めの色はもう、少なくとも今の彼からも、きっと私からも見えないだろう。姿は、魔法の力で見えなくなってはいるけれど。
「改めて、よろしく頼む。トリス」
彼はそっと手を出した。
「テレテ……!」
「はいはい、壺ちゃんは空気を読む事も覚えるんだぜ?」
そう言いながら私は壺ちゃんを軽く小突いて、おそらくは握手のつもりで出されたであろうギストの手を、ぎゅっと握った。
これから、私は何を自称して生きていけばいいのだろうか。まだ決めてはいないけれど、世間から見れば犯罪者だ。しかし主観的に考えたなら、何を名乗る事だって出来る。魔法医はうんざりだけれど、魔法剣士でも錬金術師でも良い。
私もまた、やっと解き放たれたのだと思った。その代償は決して軽くは無くても、溜め息ばかりの日々よりかは、いくらか愉快に、決まっている。
――だって、この隔離病棟で過ごした日々ですら楽しかったのだから。
それでもギストの担当医という事実を変えたいとは思わなかった。それは、いつの間にかその呼び名が、私だけの物だという小さな独占欲のようなものに変わっていたからなのかもしれないと思うと、少し顔が赤くなった気がした。婚姻契約をしているのにも関わらず、今更な話ではあったけれど。
そういう事だって、私達のペースで進めて行けば良い。だって私達は婚姻していて、担当医と患者で、パートナーなのだから。
「がんばろうね、皆」
「イケルゼ!」
なんたって、壺だって喋るようになってしまうのだ。だから何だって起こるのだと思った。それを希望と呼ぶには些か滑稽すぎるかもしれないけれど。
勿論、真実や正義がいつもまかり通るとは限らない。
けれど私は世界最強の魔法使いの担当医だ。
担当したからには、彼の行く末を見なくてはいけないんじゃないだろうか。
「そうだギィくん。ありがとね」
「何がだ?」
「んー、色々!」
万感の想いは、一言で済ませる事にした。医院長への叫びも、全部まとめて、彼は、私の世界を変えてくれたのだ。
だけれど、それをあえて言うのは野暮だし、自白剤の効果も流石に薄れてきた。
私だって彼の世界を変えてあげたのだからおあいこだろう。
「それにしても主、素敵な伴侶を得ましたな」
「ぐ…………ぬ……」
カサギさんの言葉にギストが顔を赤くして何かに耐えている。
「あ……あぁ……そう……だな。後で……覚えとけよ」
思わず私も顔が赤くなる、カサギさんはなんてことを彼に言わせるのだ。
ギストが自白剤入り紅茶を飲んだのはさっきだから、まだ自白剤は効いているはず。要は彼は彼で、私と一緒にいる事がまんざらでも無いという事じゃないか。
「テレテルゼ!」
「照れてないよ!」
お喋りな壺ちゃんは、これから時間をかけてゆっくりと調教していかなければいけないようだ。
冬の気配が近づいて少しだけ冷たくなった言いながら、私はギストの手を少しだけ強く握りなおして、誰かの世界を変える為に、一歩ずつでも歩んでいこうと、大きく、深呼吸だと分かるように、息を吸い込んだ。
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