第七話『大錬金術師の弟子』
それからも、カサギさんが運んでくれる素材を細かく備蓄しながら、ギストと何となく話をしつつ、幾つかの次善策を練ってはみたものの、内容はそこまで進展せずの日が続いた。
相変わらず爆弾で壁を吹き飛ばすだとか、混乱薬をばら撒いてその隙に逃げ出すだとか、物騒な話ばかり続く。ただ、実際そのくらいしなければいけない程度には手詰まりではあった。
ギストの提案はどれも私を本当の隔離施設こと、牢獄に送り込まんばかりの提案が続くので、やや辟易としてきていたけれど、それが彼なりのジョークなのだろうということも分かるくらいの距離感。
笑えるけれど笑えない。だって実際にその方法も視野に入れる必要もあるのだから。
「いっそ爆弾なら、二個作っちゃえばいいんじゃないですか? 自白剤の件が駄目だったとして、爆弾脱出なんてして捕まるのは私嫌ですし、私も何処かの壁を壊して脱出して、後は責任取ってギストが助けてくださいよ……」
「それもまぁ悪くねぇなぁ……意外と本当に作っておいた方がいいのかもな」
お互いに込み入った話はしないにしても、何となく心を許せていっているような気がしたし、向こうもそうなのではないかなんて思い始めてもいた。
とはいえ担当医と担当患者の関係は揺るがない。揺るがせてはいけない気がして、少しだけ心に壁を張る私の悪癖のような物が出ている事も否めない。
それでも、日がな一日中話し相手がいない日常というのはどうにも退屈なもので、壺ちゃんには話しかけても言葉が帰ってこない。それが少しさみしいと思うのは仕方がない事だろうとは思う。
「とはいえ、素材の問題ですね。早く結果を出さないと怪しまれますし。自白剤の材料を集めて貰ってからになるかな……」
一週間程、隔離病棟で暮らしてみて、前の暮らしとどちらがマシだろうと考える。
それでもやっぱり、自宅のベッドで眠りたいし、鍵はかかっていても隔離病棟での自室で着替えるのなんかも少し気持ちが悪い。そもそもオシャレ着なんて物を着る機会も無いし、簡単な衣服に白衣姿。
髪は後ろで一本にまとめるだけ、清潔にはしていても、私に洒落っ気は皆無だった。
それでも自分はまだうら若き乙女なのだ。錬金の次の次くらいにはオシャレもしたいし、美味しいケーキなんかも食べたい。出来れば身体を動かして汗なんかも流したい。
それに、更に伸びてきた自分の髪の毛を自分で切る羽目になるのは、やはり御免なのだ。
とりあえずカサギさんが少しずつ届けてくれる自白剤を作るための錬金素材を貰い、そうして自室に戻ってそれを隠してから、何となく担当患者こと『ギスト・ケイオン』との会話が上手くいっているという、虚偽なのか虚偽ではないのか分からない診療記録を書いて例の可哀想な警備員さんに渡して、やや同情されつつ、そうして私はかなり同情しつつ、残りの時間は休日のように過ごす。
他の隔離病棟患者の診察をしろと言われる事もなく、そのあたりはちゃんと病院内部から魔法医が来ているようだ。だけれど勿論ギストがいる特製の牢屋の方には近づかない。
何となく隔離病棟を練り歩いてみて、あそこだけ特別に作られているのが分かる。
一本の暗めの通路から続く正方形で明かりが少ない広めの部屋。その部屋の半分くらいの位置に鉄格子があり、もう半分は私達が自由に歩けるスペース。物置として使っていたようで、私達が動けるスペースは椅子やら机やらが積んであった。明らかに牢獄感満載なのに、ギストは意外と気に入っているみたいだった。
私は仕事が好きなわけではないが、ギストの所に行く以外にやる事が無いというのは、それはそれで憂鬱というか、時間を持て余した。自由ならまだしも、やれる事は限られている。下手に動くと怪しまれるから娯楽も勉強も無く、ただ壺ちゃん達がいるだけ。
それだけでもまぁ幸せといえば幸せかもしれないが、目的が明確にある以上、少し歯がゆい気持ちが強い。
父が干渉して来ないのも不思議だ。あの小狡い父の事だからそろそろ何か行動を起こされると思っていたけれどなにもない。それはそれで平和なのだけれど、私はそこまで必要の無い人間だったのだろうかと思うと何とも言えない気持ちになる。
これでも一応は魔法医であって、新人だとしても半年間色んな人の怪我や病気と寄り添って来たのだ。それこそ、私が担当していた患者さんだっていた。その人達も今は他の魔法医が担当しているのだろう。
そう思うと、この現実はどうにも苦い。
――しかし、オレンジジャムは相変わらず甘い。
やっと完璧になった朝のルーティンで無理矢理そんな暗い気持ちを押し殺しても、頭の何処かでノイズが走っている気がした。
「しかし余るな! オレンジジャム! ドドシさんめ!」
あえて声に出してみる。
改めて要望して、給与から購入して届けて貰った幾つかの一般的な錬金素材と一緒に、自宅から届けてもらった小箱を開けるとそこにはぎっしりとオレンジジャムの瓶が詰まっていた。持ってきてほしい物にオレンジジャムとしか書かなかった私も私だけれど、まさかこれを食べきるまで此処にいろとでも言いたいのだろうかと勘ぐる程度には詰め込まれていた。
「いーち、にー、さーん、よーん、ごー。数えるのもやんなっちゃうよねー」
話しかけても壺ちゃんは答えない! 答えてくれない! けれど愛おしい!
いっそ、自宅に戻れたら動物でも飼ってみようか。それかカサギさんみたいな使い魔の一匹くらい、何とか私の魔力量でも使役出来たりしないのだろうか。
使い魔については、魔法学校に通っていた頃でも回復魔法を専門で学んでいた自分は教わらなかった事だ。ある程度の攻撃魔法などについては教養として学ばされたが、使い魔の使役や契約なんて話はあまり詳しくない。
現に、この前ギストが言っていた『使い魔は使ってあげるのが大事なんてルール』だとか『序列をしっかりする』だなんて、初めて聞いたくらいだ。仮にも魔法学校では首席だったのだけれど、基本的には必要の無い知識として取り扱われているのかもしれない。
「うーん……とりあえず検診にいってきましょっか。行こ、壺ちゃん」
壺ちゃんは答えようとしない! 何故なら話せないからだ! ……せめて答えたいだとか思ってくれていたらいいのになと思う。
今日は何となく簡単な錬金素材を鞄に入れ、例によってギストから重いのでは無いかと言われた錬金壺を持ち上げる。
「壺ちゃんも剣よりはずーっと軽いのにねー、失礼しちゃうよねー」
勿論壺は無言のままである! 肯定か否定かだけでもしてくれたらいいのに。
そうして一週間以上通った廊下の奥、一際暗がりの中で、いい加減鬱陶しいだろうなと思う光る鉄格子。カーテンくらいつけてあげたいけれど、下手な事をするのは悪手だと思い黙っていた。
その向こうでは手製なのか分からないが、目の上に布を縛り付けて静かに眠っているギストがいた。ローブがちぎれているのが見える。余程鉄格子の光が鬱陶しかったのだろう。
「まぁ……魔力も吸うしね……」
正方形の部屋の半分、鉄格子の向こうはギストの領域。
それは当たり前なのだけれど、鉄格子から手前の空間については私の領域と言っていいくらいには、机や椅子、簡単な棚まで用意していた。なんといっても暇だったので、綺麗に掃除までしてある。流石にギストの方には行きようも無いが。棚の素材については食事を運ぶ係の人に予め話を通してあるので怪しまれてはいないはずだ。
というよりも、食事を運ぶ係の人も、私がしている事の内容は伝わっているらしく「大変ですね……」なんていう言葉をぶつけられた。私とそう年齢も代わらないくらいのお姉さんだったが、警備員と同じように彼女も監禁状態にあるようだ。
何ともきな臭さを感じてしまう。特に父をよく知る私は、この隔離病棟での勤務環境はどうなっているのか問い詰めてやりたいという気持ちに駆られていた。
「ま、たまにはサービスも良いでしょ」
小声で呟き、元々今日はそのつもりではあったのだけれど、私は自宅から届けて貰ったカップを用意して、錬金壺でいつもの『紅茶のようなもの』を作る朝のルーティンと同じ事を始める。
彼の口に合わなければまぁ、それまでの話。私がやりたいからやる、気まぐれだ。
それに、オレンジジャムが余り過ぎている。差し入れという意味で受け取ってもらえると実際の所助かるのだけれど、そのあたりもどうだろうと思いつつ、私はいつもよりもゆっくりと錬金壺で『紅茶のようなもの』を作っていく。
「良き香りですね、トリス嬢」
その声にふと顔を上げると、カサギさんが窓の縁にいるのが見えた。
「あ、おはようございますカサギさん。そう言ってくださると嬉しい限りです。私の数少ない趣味の一つなので」
「趣味というよりも、特技に見えますな」
何とも嬉しい事を言ってくれる、鳥だけど。
ギスト越しの会話でも、どうもギストは起きる様子が無いので、あまり話す機会が無いカサギさんとぼんやりと世間話を続けた。
「トリス嬢は本当に錬金術がお好きのようで……この香りは紅茶……ですかな?」
「あはは……、紅茶……のようなものですね。本当は錬金術師でもこういう使い方をする人はいないんですけど、お婆ちゃんが良く作ってくれたのでつい癖で……」
「いえ、謙遜は為さらず、それは手法こそ違えど、紛れもなく高級な紅茶と遜色ない物かと存じます。そういえば数少ない趣味と仰っていましたが、他にもご趣味が? 錬金術だけでも相当な技術といえると思いますが……」
そんなお世辞に照れ、最近出来ていないもう一つの趣味を答えようとすると、ギストが「そうだ! 紅茶だ!」とガバっとベッドから身体を起こした。
カサギさんは彼が起きている事に気付いていたのだろう、驚く素振りもなかったが、私は驚いて思わず手に持っていたオレンジジャムの瓶を落としかけた。
「っとと! ギスト! 狸寝入り良くない! ……ですよ!」
「分かった! 思い出した!」
ギストは寝ぼけ顔のまま鉄格子の前まで来て、私が用意していた紅茶が入ったカップを手にとって、その匂いを嗅いだ。
「この匂い、この匂いだったんだ。なんか気になってたんだよ。センセの匂い」
「匂いって! デリカシーとか! 無いんですか!」
「主、流石にそれは私でも許容致しかねますな……」
こうしてニ対一の舌戦が始まる、わけではなく。彼は私が錬金で作った紅茶のようなものを躊躇う事無く飲み込んで、何度か頷いた。
「俺さ、確か錬金術投げ出したって言ったよな?」
「え、あぁ……確か言ってましたね。俺には合わねぇやでしたっけ」
確かやってみようとしたが、投げ出したなんて話だった気がする。
「習ったの、センセの婆さんじゃないか? 確か……ブレン婆さんだ。道理でケウスにピンと来たかと思った。あー! 胸の支えが取れた」
勝手に納得しているみたいだけれど、事実ならジャムの瓶が手から滑り落ちるなんてレベルではない。私のお婆ちゃんの名前がブレンディ・ケウス。確かに人に教える事も出来る程の錬金術師だったし、ブレンさんと呼ばれる事も多かった。
「いやいやいや! 一人で納得しないでくださいってば! こっちの方がビックリですよ……まさかギストがお婆ちゃんと知り合いだったなんて……というか投げ出したってなんですか! お婆ちゃんの元で習っておいて! お婆ちゃん凄い人だったでしょ! 滅多に弟子取らなかったんですよあの人!」
「いやいや……合う合わないってぇのはあるんだよセンセ。アンタも分かるだろ? 俺は魔法使いであって、錬金術師にはなれやしないって、分かったんだよ。ブレン婆さんだって納得してくれたからなぁ。今でも覚えてるぜ『アンタは新時代の神秘を磨きな!』つってよ」
彼は胸を張って言うものの、お婆ちゃんの教えは錬金術が好きじゃないと厳しく思うのも分かる。それにお婆ちゃんがそう言ったという事は、お婆ちゃんなりに彼の魔法使いとしての更なる可能性を思っての事だったのだろう。
同時に、私についても、魔法使いとしての才能が無い代わりに、錬金術師としての私の可能性を広げてくれたのだと、信じている。
アレだけちゃんと教えてくれたのは、私にだけ特別だったというわけでは無いはず、ちゃんと弟子として、扱ってくれていたはずだ。
「いやいやいや、それにしたってお婆ちゃんの教え方って凄い分かりやすかったですよね⁉ 多少身につけるくらいはすぐにでも……」
「いやいやいやいや、だーいぶ謎だったぞ? 細かい作業の連続と知識の網羅の連続で速攻ぶん投げちまったよ。『唯一付いてくる大馬鹿で可愛い弟子がいる』だかって言っちゃいたが、それがセンセーの事だったとはなぁ……好きこそ物のなんとやらってやつなんだろうな。成る程なぁ……」
どうも納得しているギストは置いておくとして、私の頭はややパニック状態だった。
「お婆ちゃんに弟子はいなかったから……それが私って事、なんですかね? いつ頃の事でした?」
「んー、六、七年前か? 俺が確か二十歳くらいの頃だからな。でもまぁ……多分センセーの事だろうよ。俺も錬金術くらい見てきちゃいるが、センセー程ぶっ飛んでる錬金術師を見たのはブレン婆さん以来だぜ? それがほら、技術にも出てるじゃねえか。なぁカサギ」
「仰る通りで……主が狸寝入りをしていた間、お話がてら錬金の手際を見させて頂いておりましたが、トリス嬢の手元には迷いが一切無いように見受けられました。作っているのが飲料物だとしても、それ程の手際はそうそう見れるものではないかと」
ギストやカサギさんに錬金術の簡単な知識があるのも驚きだったが、そもそもカサギさんから見た私は錬金術についての素養のようなものが垣間見えたらしい。
驚きの連続ではあったものの、いやいや合戦の最終的な結論として、どうやら私はお婆ちゃんの弟子として認識されていたらしいという事が、妙に嬉しかった。
「そっか……お婆ちゃん。そう思ってくれてたんだ……」
私はお婆ちゃんの形見の壺をそっと撫でる。
「私が継げてたなら、良かったのにね……」
壺は何も言わない。お婆ちゃんからも何も言ってもらえず終いだった。
「センセーが継いでたら良かったじゃねえか。でもまぁしがらみってヤツなんだろうな」
「そーですよ。此処がケウス魔法病院だってギストも最初に言ってたじゃないですか。愛する祖母より厳しい両親、そういう事です。勉強なんていくらした所で、私の魔力量なんてたかが知れてるのに……」
努力で魔力量を増やせたらどれだけ良かっただろうと思う。けれどそう簡単にどうにかなるのなら眼の前の魔法使いは勇者パーティーに選ばれなかっただろうし、この隔離病棟だってそもそも作られなかったはずだ。
というか、今の話を聞いていたら、私が魔法学校にいた時代にギストとすれ違っていたという事になる。
お婆ちゃんはどうして隠していたのだろう。やはり魔力量の事で言い出しづらかったのだろうか。
そうして資料を斜め読みしていたせいでギストの年齢をすっかり忘れていたけれど、私より六、七歳も上だったのは意外だ。雑な記憶のようだったけれど、聞く所によれば二十六歳か二十七歳、少し童顔のせいか、もう少し若く見えた。
「とはいえ俺からは何も言えんわな。決めたのはセンセだからよ」
その言葉が、妙に心に刺さった。
「まぁ……それもそうなんですけどね」
そう言って、私はオレンジジャムの瓶をトンと机に置いた。
「良ければどうぞ。甘いのが嫌いでなければ」
やや興奮しているギストが蓋を開けているのを見て少しホッとして、私は自分のカップに入れた紅茶を飲んだ。
少し冷めたそれは、私の気持ちをなんだか代弁しているようで、何とも言えない味がした。
思えば手に持っていたジャムはずっと自分の紅茶に入れようとしていたジャムだ。それを入れずに彼に渡してしまっているし、冷えたせいか味もやや渋い。
「ありがとな、センセ。それにこの匂い、嫌いじゃない……あの婆さんもな」
「ん、じゃあ私達の貧乏くじがどうにかなるまでは、作りに来ますよ、その方がきっとお婆ちゃんも喜んだでしょうし」
その言葉を聞いて、流石にギストも察したのだろう。
――お婆ちゃんは、もう既に亡くなって五年になる。
彼が言う通りならば、私が最後の弟子だ。六、七年前にはもう、殆どお婆ちゃんは外に出なかった。
家に来る人のみを受け入れて、弟子はほぼ執らなかったはず、その中でも、やはりギストは特別だったのだろう。要は錬金術で言えば、ギストは私の弟弟子という事になる。
「……あぁ、頼むよ。俺から見たセンセーは、もうトリス魔法病院の魔法医というよりか、大錬金術師ブレンディ・ケウスの弟子だしな。最後に良い弟子を持ったもんだよ。婆さんも」
その言葉が、お婆ちゃんを亡くした私の、五年間で初めての、何よりの慰めで。
そうしてまた、お婆ちゃんへの何よりの賛辞のように聞こえた。
会ってまだ間もない彼から出たその言葉が、今まで聞いた一番の、お婆ちゃんへの手向けの言葉だった。不意に流れそうになった涙を抑えて、私は後ろを向き、カサギさんが持ってきてくれた錬金素材を机の上へとギストに運んでもらう。
「きっと、喜んでます。伝えられたら、良かったんですけどね!」
少しだけ無理に笑って、私は錬金素材を鞄に詰めて、そっと壺を持ち上げてギストとカサギさんに背を向けた。
「素材ももう少しですね……とりあえずは明日の『紅茶』、楽しみにしててください」
「私も嗜みたいものですが……鳥姿の辛いところですな」
そんなカサギさんの声に苦笑して、明日は小瓶も用意しようかだとか、そもそもカサギさんは鳥だけれど紅茶を楽しめるのだろうかなんて、少し不思議な事を考えながら、私はお婆ちゃんの、大錬金術師の形見の壺を、ぎゅうっと強く抱きしめていた。
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