魔法使いの担当医

第八話『もっと甘くて良かった』

　私とお婆ちゃんの関係性がハッキリした事で、私の鬱々とした気分もだいぶ整い、ギストとカサギさんと『紅茶のようなもの』ではなく錬金術で作り出した『紅茶』を楽しむ時間を過ごしているうちに、とうとう自白剤の素材が集まり、作戦決行の準備が整った。

　とはいっても此処からは私の仕事、錬金術で自白剤を作ったりと、事前準備をするしかない。リハーサルなんて無い、ぶっつけ本番だ。

　先日の診療記録にはとりあえずギストが事件の全貌を話す気になったという事と、医院長の同伴、そうして誰かしら嘘をついていそうな人を見繕って欲しいという奇妙な要望を届けておいた。

　もしかすると医院長の同伴は良いにしても後半は許されないかもしれないかもしれないので一応警備員さんと食事を運ぶ係の人に詳しい事を避けて、同伴をお願いだけしておいた。

　もし彼らが自白剤を飲む事になって、何かマズいことを口走ったとしても、協力してくれたという事でチャラになるはずだ。

　ついでに言えば自白剤を作り使用するという私の悪行とも呼べる行為も、チャラになる事を願っている。というよりそうでなくてはどうしようもない。

　そうして、最後であろう診療記録を送った日の夜、私はギストの部屋を訪ねた。

　もしかするとこれが最後のゆっくりとした会話かもしれない。

「おっ、センセーじゃないか。夜に来るたぁ珍しいな。なんだかんだ一ヶ月以上の付き合いになるが、初めてじゃないか？」

「まぁ一応……明日は私達の運命が決まる日ですしね。それにしてもこの鉄格子、夜に見ると本当に鬱陶しいですね……そりゃあローブもちぎりたくなるってもんです」

「あぁ……慣れたよ。でもいつかコイツに食われないレベルの魔法でぶっ飛ばしてやるさ。覚えたい魔法は尽きねえ。センセーが錬金術の事を好きなように、俺も魔法の事が好きなんだよ、あんま人には言わねえけどな」

　魔法使いである自分自身にはしっかりとした自信があるのだろう。ギストはそう言って笑ってから、少し厳しい目で、小さく息を吐く。

「それに、どっちかっていうと俺の運命が決まる日だしな……さぁって、上手くいくもんかね」

「いかなきゃ困りますよ。ニの策も三の策は思いついて無いわけですし……ただ、少なくとも私はギストの味方ですよ。貴方が悪い人じゃあないって事を見抜けない程、私の目は節穴じゃあない。なんてたって」　

「担当医様だしな」

　ギストは茶化していたが、その気持ちは本当だった。一ヶ月程度の関係ではあったが、彼の人柄については何となく理解していたし。彼はその素行や口調こそ荒々しいところがあっても、その性質は決して悪い物ではない。飄々としながらも、何かしらちゃんとした事を考えている節はいくつも見受けられた。

　色々な感情を、おそらくはその軽口で誤魔化しているのだろうという事も、分かっていた。

　逆に言えば、私の事もある程度見抜かれているのだろうなとも思っていたけれど、不思議と不快感は感じていなかった。

「しかしよぉセンセ、やっぱ爆弾も……」と言いかけたギストを視線で黙らせると、彼は肩をすくめて笑った。これは、久々に見る諦めのような表情だ。彼の中では未だに人間全般への不信感が残っているのだろう。だけれど実際、作っておきたかったのは山々だった。次善策がないのは、やはり怖い

「まぁ……しゃーないわなぁ……って、待てよ？　なぁセンセ、出来た自白剤って俺が飲む必要無くねぇか？　あれって苦えんだろ？　なんかすり替えとか……」

「いやいや、苦いって理由だけでリスク侵さないでくださいよ。ギストにもとりあえず効くかどうかは別として、洗いざらい話してもらわないと、私に話してくれた事は、私自身は信じていますが、全て話してくれたかの実証は結局いくら信じたとしても取れていないわけですし……そこはやっぱり信用問題とは別の話になっちゃいますよ」

　言うと、ギストは少し拗ねたような顔をする。この前二十一歳になった私よりも五つか六つは歳上の筈なのに、その仕草がヤケに子供っぽくて少し笑ってしまった。

「もう、そんな顔されても駄目ですからね。ギスト自身に罪が……まぁあんまり無いって事は、信じてはいますよ。勇者さんと戦士さんへの暴行と、僧侶さんへの嫌がらせは別として。ただまぁ、証拠としてはやっぱり真実であるという裏付けは重要です。だから明日はちゃんと飲んでくださいね？　この病院のトップであるあの馬鹿親父が来るんですし」

「わーったわーった。俺も男だ、グズりゃしねえよ。ただまぁ……上手くやろう」

「えぇ、上手くやりましょう。じゃあ、明日に備えてゆっくり眠ってください。とはいえ此処のベッドは硬くてうんざりですけどね」

「俺はそうでもないけどなぁ」

「私の部屋のは酷いんですよ！」

　そう言って振り返ろうとすると、トン、と机の上に何かが置かれる音がした。

「待ってくれセンセ。このジャム、美味かったよ。返しとく」

「あげたばかりで?!　この数日で食べきる程ってギスト……相当甘党じゃないですか……何か匙でも上げておけばよかったですね……」

　満タンの瓶の中身を数日で無くすということは、指ですくって食べたのだろうか。食事道具も返却する決まりになっているはずなので、申し訳ない事をした。食事か何かの際に使ってもらえたらと思って渡したけれど、まさかこんなにすぐ食べきるなんて。

　彼は少し照れた顔を見せた後、振り返ってベッドに寝転んだ。

「もう少し甘くても良かったとは思うけどな。なんかあったら、また頼むよ」

　そんな事を言ってのけるあたり、相当の甘党だ。この隔離病棟から出る時は、是非私のオレンジジャムを一瓶以外全部持っていってほしい。

「もうきっと、何も無いですよ。正しい事は、正しくあるべきなんですから」

　何かあったらたまったものではない。不安なのは私も同じではあったけれど、それでも何もない素振りで返事をして、私は本当に鉄格子だけが照らす暗がりの中、彼が置いた瓶を手にとって部屋に戻った。

　一応、明日上手くいけばギストと会うのはこれで最後だろう。

　それに、この隔離病棟ともおさらばだ。私はとりあえず鞄に適当な物を詰め込んでいく。丁度さっき貰った瓶や、見つかってはまずい余った錬金素材の一部を密かに詰め込んだ。流石にお婆ちゃんの形見の錬金壺は入らなかったが、携帯用の小さい壺もとりあえず入れて置いた。家についてもルーティンはこれで出来るはず。

「こんなもんかなぁ……壺ちゃんもありがとね」

　壺は話さない。けれど、それでもいいかなぁなんていうくらいの、ちょっとした満足感があった。

「こっから出たら、私ももうちょっと頑張るからね」

　壺はやっぱり話さない。けれど、壺と話すのももうお終いにしようかなぁなんて考え始めるような経験だった。

　ギストと過ごしたこの日々は、魔法医としての私よりも、錬金術師としての私でいられた日々だった気がする。それは、私が私として行きられた貴重な日々だ。初めてレールから外れる事の出来た日々だった。不自由の中の自由とは不思議な話だけれど、それでも確かに、私はこの出られない病棟で自由を感じていたのだと思う。

　そうして、ギストと軽口を叩き合ったり、カサギさんと雑談するという不思議な関係もまた、私の素の姿なのだろうなと思った。友達がいたなら、恋人がいたなら、こんな感じだったのかもしれない。とはいえ担当患者にそんな想いを抱くのはご法度なのは勿論分かっているから、仮定の話でしかないけれど。

　ただ、それらはきっと、私が本来望んでいた日々で、本来望んでいた私だったのだろうと、そんな事を思う。

　錬金術師は、私にとって魔法医よりもずっと天職だったんだろうなと思わせるには充分な成果も、自白剤の錬金でしっかりと目に見えている。これは決して簡単な錬金ではない。違法錬金に指定されているものは、そもそもどれもが簡単に作れるような代物ではないのだ。

　けれど私は魔法医だ。だからこそ、これは大変で、ちょっと苦しくて、それでも幸せな夢の時間だったのだろうと思う事にした。

「そういえば、最後にカサギさんに会いたかったなぁ」

　流石のギストでも自分の使い魔を明日の大事なタイミングで出すって事も無いだろう。

　そう考えるとカサギさんには会えずに終いになるという事になる。どちらかというと私としてはギストと協力関係にあったというよりは、カサギさんと協力してギストを助けるみたいな構図になっているような感覚があったので、少しだけ寂しかった。

　でも仕方がない。カサギさんはちゃんと使い魔として、使われてくれた。鳥であっても何であっても、彼の性格であれば私が感謝している事くらいは分かってくれているだろうと思った。

　あとは、今眼の前にある自白剤を使った明日の作戦が上手く行って、ギストの容疑が晴れてくれたらいい。というよりもそれ以外があっちゃいけない。

「ふーむ……自白剤やら爆弾やら、か……」

　私はふと、改めてギストが良く言っていた爆弾の事を思い出して、隔離病棟が作られた時の記述に目を通す。そうして辿り着くのはギストの部屋を構成している壁の向こう等を確認していく。

「あ、本当に魔法防御に特化してるんだ。流石大魔法使いを閉じ込めるだけある……」

　ギストが執拗に爆弾と言っていたのも頷ける。彼がいる部屋の魔防壁は魔法こそほぼ完全に防ぐが、それ以外の物理的な衝撃については分厚い壁程度の硬さしかないらしい。とはいえだいぶ分厚いらしく簡単に壊せるような壁ではないのは間違い無い。だからこそ彼は爆弾と言っていたのだろう。

「爆弾ね……」

　一瞬頭の中を駆けたそのレシピを頭をブンブンと振って消して、私もいい加減慣れてきたベッドに潜り込んだ。

――一発分なら、工夫したらギリギリ作れるかもしれない。

　それでも少しだけ、ほんの、ほんの少しだけ頭から離れないそのレシピの材料を、眠い頭のまま、鞄にさっと入れる。

「そんなドデカい威力のは作れないし、素材が見つかっても大変だし、ね？」

　鞄の中にある小さな錬金壺ちゃんもまた、決して話してはくれないが、何か言いたそうにしている気がして、私は目を逸しながら、改めてベッドに潜り込んだ。

「うん、へーき。へーき……なんとかなる、なんとかなる」

　暗闇は返事をしない。けれど暗闇が返事をするのは怖いから、してくれなくてもいい。

　壺ちゃんを抱くのもいつのまにかやめていた。壺離れの時期かもしれない。

　だけれど、私は眠りにつくまで一人で小さく「大丈夫」だなんて、そんな事を呟いていた。

　隔離病棟で過ごす最後の日になるであろう夜は、今までで一番寝苦しい夜だった事は、言うまでもない。