第三話『そりゃあ大変でしょうね』
嫌々ながらも、魔法医院の長い廊下を運動だと思い込みながら歩く。ちなみにこれこそが認知的不協和だと、思う。自信はないけれど。長い廊下に問題があるのに、運動だと思う事で心の平穏を保つ。
「多分、合ってるはず……」
数分歩いて階段を登り、また階段を登り、そうして数分歩いてやっと辿り着いた自分の診療室。
私はそこで仕事着という名の白衣を羽織り、やっと一息つこうと思った所に、目の前の魔法具が小さく震え、音が鳴っているのに気付いた。
私の部屋にだけ置いてある装置、魔力によって文字を飛ばす連絡手段。
声などを送る事が出来る優れ物もあるけれど、それを楽に使えるのは魔力を潤沢に蓄えられる"一般人"に限った話。
私の部屋以外には大体その声で話せる魔法具があるのだけれど、私の場合は魔力の節約の為、文字を送る程度の物しか置かれていない。
この魔法社会で、魔力許容量が少ないというのは本当に不便だ。眠ったり休めば多少回復するにしても、その許容される器が小さくてはどうにもならない。つまりこれはそんな私への病院側からの配慮であり、世界から与えられた嫌味でもある。何とも悔しい。
あらゆる人の魔力許容量は生まれた時に測定され、そこから増減する事は余程の禁忌を侵さない限り起こらない。生まれ持った見える才能。それを殆ど持たずに生まれたレアケースが私。両親はさぞ落胆した事だろう。それでも権威を振るって自分の娘を自分の医院で働かせるあたり、割と私も両親については落胆させてもらっていい立場だと思う。
私のように生まれつきではなく、魔力許容量減衰の呪いに罹ってしまったりする場合もあるのだが、そういう物を治療する為に魔法医院は存在している。そうなると私は生まれつき呪い付きみたいであまり考えたくはないけれど。
そんな治療を生業としている万年魔力不足女こと私に送られた連絡を見ると、送り先は医院長であるところの父からだった。
『魔法医トリス・ケウス。ただちに医院長室まで来る事』
その文字を見て私はげんなりとする。
そもそも、この魔法病院は本当に巨大すぎるのだ。私の家からこの病院に歩いて出勤する時間よりも、この病院の中で迷ってしまえばその時間の方が長くなるくらいの場所。七階建てにする必要はあったのかと何度も何度も問い詰めたくなる。勿論入院患者のフロアもあるから全ての階層に行く事は無いけれど。
そんな病院の私の診療室から父のいる医院長室まで、思ったより離れていないにせよ急いでも5分近くはかかるだろうか。
『今から参ります』
今からとは書いているものの、多少の猶予は許されるだろうと思いながら、私は鞄の中から診察用の魔法具をいくつか用意する。その時に先程貰った新聞が見えて、後で読もうと机の上に出してから、カーテンで仕切られている個人的な空間で、一応身だしなみは整える。最近はあまり切りに行く余裕の無い髪も、一応は艶がかっていて良い調子、しかし父に会うのに髪型を気にする必要は無いだろう。
そもそも綺麗にするのは、錬金の際に必要以上に髪の毛が間違って入り込まないように、要は抜け落ちないようにケアしているだけなので、あまり美意識は高いとは思わない。
だからこの髪型も魔法医としての意味は全くない。見やすいような金髪で生まれた事も、錬金の時に髪の毛に気づきやすいという理由で感謝しているくらいだ。おまじないとして入れる事はあっても、大量に髪の毛を入れる事は無い。色々とブレが起きるのでそこらへんはチェックしておかなきゃ錬金術は失敗しやすくなる。
要は、洒落っ気よりも自分がどれだけ楽しめるかという事を考えて生きなければ、私はやっていられないのだ。
今日は朝からあまり気分が持ち上がらない。勇者パーティーの魔法使いギ……何とかさんの声と視線に妙な気持ちにさせられたのもあるが、そうさせられただけなのは何とも悔しいので、後で何をしでかしたかくらいは読んで、少しでもモヤモヤした気分を晴らしたい。号外が出る辺り、本当に悪い事をしたのだろう。
廊下を歩いていると、通り過ぎる看護師がコソコソと何かしら言っているであろう雰囲気が伝わってくる。最近は無くなったと思ったのに、今日に限ってそんな事をされて、尚更気分が落ち込む。
「はぁ……歩いているのを見ただけでなんだかんだ言うのは流石に半年で飽きてくれないかなぁ……」
口には出す。けれど聞こえるようには言えない。人がする事の中で、自分が凄く嫌いな行為の一つではあったけれど、不和もまた望むべき事では無かった。だから結局無視をするのに限る。
喧嘩したところで、どうせ怒られるのは私なんだから。父も母も、私を医院に勤めさせてはいるものの、成果を期待なんてしていない。現状くらい知っているだろうに、知らなくても考えれば分かるだろうに、私を庇ってくれるなんて事はこの半年、一度も無かった。
周りがやいのやいの言いたいのも分かる、だって実際に七光りで入ったような物だもの。だけれど魔力量こそ少なくとも、真面目に魔法医を目指させられたんだ。相当努力した。そこを勘違いされているのは、流石に頭に来る。
だけれど事実として見える部分しか、人は見ない。当たり前だ。
そう考えると、自分の父が医院長、母は看護師長なんだもの。陰口は叩かれるでしょうとは思う。
両親にこの現状を訴えるのはあまりにもみっともないと思い黙ってはいる。こちらから助けなんて求めるくらいなら辞めてやる。そんなに弱く育ったつもりは無い。
それでもやはり気分が良いわけではない。魔法医になりたくてなったわけでもなければ、七光りと言われない程度の努力はしてきたのだもの。というかさせられてきたのだもの、私は魔力許容量こそ少ないけれど、そこらへんにいる魔法医よりも知識や対処法については余程ちゃんとしていると自負はしている。
まぁ、その魔力許容量が無いから本当に立派で名を残す存在にはなれないけれど、なるつもりもサラサラ無いけれど。
それでも、じゃあ私を『トリス・ケウス』という個人として見てくれる人がいるかと言えば……何処にもいない。それは、多分、きっと、おそらく、私にも悪いところはあったのだと思う。
同年代との付き合いは何とも苦手だった。そもそも『ケウス』という名前が魔法学校の時代から足を引っ張っていたのだ。なんせ学校もウィントニアだ。身内を含めケウス魔法医院にお世話になった事が無い人の方が少ない。一瞬その名前に寄り付いてくる人もいたけれど、まだ子供で魔力量の少ない事を知識でカバー出来ると思っていた私に遊ぶ余裕は殆ど無かった。勉強勉強勉強の日々。
実際、知識だけでカバーなんて出来ないと気付いた頃には、友達なんて一人もいなかった。
それに気付いてしまってからは、孤高の優等生を演じつつ、お婆ちゃんの所に通い、貰った壺ちゃんと話し始め、憂さ晴らしは錬金と運動で汗をかいて発散するばかりだった。
友達と和気あいあいと過ごした記憶なんて少しもなく、恋愛なんて考えたことも無い。両親が綺麗に産んでくれた事には感謝している。見た目だけは多少いいのかもしれない。けれど寄ってきた男がいたかと言えば、そのありがたい見た目と天秤にかけて近寄るべきでは無いと判断される程度には、好色を望む男も離れるようなオーラを出していたのだろう。
学生の頃は今よりもずっとギラギラしていた。
ハッキリ言って、腐った青春時代だったと思う。
ドシシさんくらいまで歳上の気さくなおじさんだとか、お婆ちゃんみたいな年頃の人とはうまくやれるし、やれていたのだけれど、あの人達を友達というにはやはり、少し違う。
そうして、仕事場ではご覧の通り、「下手に関わると」という言葉を何度耳にしたことか。
そんな事を考えながら歩いてたら、流石に半年以上歩き回っていたというか、よく都合良く父に呼び出されていたという事もあり、あっという間に医院長室へと辿り着いていた。ノックをして名乗ると「入れ」という父の声が聞こえてきた。
「失礼します。お父さ……『ルメス医院長』。何の御用でしょうか」
この癖はどうにも抜けない。眼の前にいるのは父なのだ。家だろうと病院だろうと厳格というか、融通の効かない人だというのは変わりないのだが、何故かお父様と呼びそうになってしまう。本当は様をつけるような人では無いとは思いながらも、そう躾けられたのだ、仕方がない。
むしろ、医院長とすら呼びたくないのかもしれないとすら思っている。
それは私が未だに魔法医にされたという事実から抗っている証拠なのかもしれないし、私が父の部下であるという事実を嫌っているのかもしれないと、思う。
「まあ、そう硬くなるな。座りなさい」
珍しく、少し優しげな顔で父は私にソファに座る事を勧めた。父ももう既に来賓用のソファの真向かいに腰を下ろして、あろうことか酒を飲んでいる。
――絶対に良くない話だ。
この二十一年の勘が告げていた。優しい顔など父がそう簡単にするものか。
こういう時こそ優しく接してくる私の父『ルメス・ケウス』という男はそういう男だ。
「飲むか?」
父はさりげない風を装いながら、私にワインを勧める。
「いえ、勤務中ですので……」
「私も勤務中だが?」
この会話だけで『あぁ……うちの父はこういう人だよなあ』と思ってしまう。
要は厳格で融通が効かないが、抜け目も無くズルもするのだ。
矛盾している沢山の言葉を並べて、その権力でもみ消すような人、つまり自分勝手という言葉に落ち着く。ハッキリ言えば、私は父が好きではない。
私は「では頂きます……」と彼からグラスを渡され、紅いワインを少量継いでもらう。医院長に直接ワインを継がれる一年目の魔法医。なんと素晴らしき身分だろうと嫌味を言ってあげたい。事実ただの親子だ。
飲んでみても味は良く分からなかったが、昔似た味の飲み物を錬金壺で作った事がある気がする。美味しいかはともかく、私はそのワインの構造を理解するようにゆっくりと味わう。どうせなら何かの足しにしたい。気分が良くても悪くても、ワインの味は変わらない。だからこそこんな最低な気分でも、そのワインをゆっくりと味わった。
結局、美味しいとはあまり思えなかったが、ワインのラベルでそれが高級酒な事くらいはわかった。何故ならボロついていたからだ。
――ボロついたワイン。
それは我が家では極々たまに、祝い事か、もしくはうんと悪い事が起こった時に開くボトルだった。
私が魔法医校を学力のみで首席卒業した時や医院に入った時、外で医療行為をして感謝状を貰った時。
そんな時に、そんな時には""絶対に開けられる事の無かった""ボトル。
私に関しては、おそらくは私が生まれて魔力量を測られた時に開けられたであろうボトルだ。
考えすぎかもしれないが、開けたのを見たのは大体お金絡みの話だとかが殆ど。やれ昇進、提携に成功、国からの支援。そんな事ばかりで開いてきた。
お婆ちゃんが亡くなった時にもボトルは開けられたけれど、その意味は、あまり考えたくない。
「それで、ご要件は……」
言うと、父はグッと自分のグラスに入っているやや多めのワインを飲み干し、溜め息をついた。
驚いた。今日はこの人も溜め息の日らしい。母あたりも、もしかしたら今頃溜め息をついているのかもしれない。それならばケウス一族溜め息の日だ。
「悪いな……配置換えだ。トリス、今日からお前はとある患者の担当医になってもらう」
「担当医? この病院に来てまだ一年も経っていない私が、ですか?」
そう言うと、彼は少し眉を潜めて、自分のグラスにワインを多めに注ぎ直す。
トントンと指で机を叩く音が聞こえる、これは父が苛ついている合図だ。
要は口答えをするなという事なのだろう。
「それは……医院長としての命令ですか? それともお父様の……希望ですか?」
あのワインを勧めてきた時点で、もうこの会話は単純な上司と部下の話では無い。
父と娘の会話としての意味もあるという事は何となく察していた。
――要は、自分の娘だから面倒事に使いやすいという事。
「どちらもだ。お前にしか頼めない。隔離病棟の、とある患者なんだが……」
隔離病棟という言葉でピンと来た。これは確かにどちらもだろう。
思った通り、自分の娘が自分の病院の魔法医だから、面倒なトラブルに当てられるという利点を使っているだけ。
やはり自分勝手としか言いようが無い。他の人を選ぶには反感を買うような事だから私を選んだのだ。見栄っ張りが透けている。
誰が好きこのんでこの病院の隔離病棟に行きたがるだろうか。
巨大なケウス魔法医院の隅の隅、病院を囲む庭園の裏口なんかの近くにある隔離病棟は、魔法を急に暴発させてしまう病の人や、他人の魔力を吸い込んでしまうような病の人、言い出せばある程度キリが無いような、通常の魔法医では手に負えなく、それでいて周りに危険を及ぼす可能性のある人間が送り込まれる場所。
――つまりは、このケウス魔法医院の中でも面倒事の多い病棟だ。
要は外に出してはいけない人を封じ込める魔法の檻のような所。実際に魔法を防ぐ檻が各部屋に配置してあったはずだ。厳重な警備と、まるで監獄のような雰囲気は、魔法病院という機関の仄暗い部分を象徴しているようだったと、見学時に衝撃を受けた事を記憶している。
「隔離病棟……ですか」
「あぁ……すまない」
思ってもいないだろうに、そう言って父はいつの間にか二杯目も飲み切って自分のグラスに三杯目を注ぎ、それをグイッと飲み干した。そうして彼はもう一度ワインを注ごうとする。
ピチャン、とワインが空になる音がした。
私も飲んだとはいえ、この短時間で一人で一本のワインを、しかも高級であろう物を一人で開けたのか。味わうという点で言えば、少量飲んだ私の方がまだ味わっているだろう。
私に飲ませたのもまぁ、体裁の為だったんだろうなと思うと、やはりこの父の狡猾さに腹がたった。どうせ高級だろうけれど飲み慣れているか、金に糸目はつけていないのだろう。
要は高級そうなワインを娘に振る舞ったという権威を私に見せているだけなのだ、この男は。
結局、言われた事に抗う事は出来ない。
どうやら、今日はうんと悪い事が起きた日という事で間違い無いようだ。
私が担当するらしい患者がとても面倒な事だけは分かった。そうして、誰かしらを近くにおかないといけない状況だということも理解した。勿論納得はしていない。
おそらくは話し合いの余地などない。少し紅潮した父は、どうせ自分の為に酒に酔っているし、私への申し訳無さからワインボトルを開けたわけでは無いのだろうなと思うと、これだけ苦手意識があって、決して好きじゃない父だとしても、やっぱり一人の娘として、少しだけお互いに哀れに思えて悲しくなった。
私は言われるがまま、その隔離病棟への異動を了承し、あらかたの書類を確認する間も無く、担当する患者がいる隔離病棟に新たに与えられた自分の診療室へと、警備員の案内で連れられていく。
どうも急ぎのようで、直接隔離病棟に連れていかれそうになったので、私は警備員を呼び止める。
「ちょっと良いですか? 流石に……鞄くらいは持っていかないと」
「失礼、それもそうですよね。お待ちしております」
話が分かる人で助かった。柔らかな態度は好感も持てる。この病院の警備員には珍しい、なんせ融通が効かない人が多い。だってトップの馬鹿ルメス医院長が融通効かないのだもの。
警備員を、あと数分後には私の元診療室になってしまう部屋の外に待たせ、急いで鞄に魔法具を詰め込んで行く。部屋を出る時に新聞の事を思い出して、鞄の一番上に入れて、私は鞄の中身も整理せずに約半年間を共にした自分の診療室に別れを告げる。錬金壺は持ち込んでいないのでさよならは言わない。
そうして鞄一つ持って向かう先は病院の暗部。
途中からは確かそこそこ偉い立場の看護師も付き添い、隔離病棟の入口の魔法具で作られた錠前を解除してくれた。扉一つ目
そこから警備員がマスターキーを使って、扉二つ目。
そうしてやっと警備員が腰にぶら下げていた鉄の鍵を使って。扉三つ目。
流石に三重扉はやりすぎな気もするけれど、そのくらいに危険な患者がいるという事なのだろう。
そこから少し歩き、入り口の近くに私の新しい診療室があった。
「大変ですね……トリス女医のようなお綺麗な方にはこんな場所似つかわしくも無いでしょうに……」
温和な警備員は何とも言えない顔をしながら、少々憐れみのような物を感じるお世辞のような事を言い、私の担当医らしき人がいる場所の地図を渡し、持ち場へ戻っていった。綺麗かどうかで言えば確かに母も父も美麗と言われる顔立ちではあったから、それを受け継いではいるものの、それが役に立った事はない。
ドドシさんに続いて今日二度目の「大変」を聞いたが、全くその通りだ。
「これ…………診療室かなぁ……」
何とも広い、まるで住む為にあるような気がする。
部屋の奥には水場も見えるし、奥に見える謎の扉を開いたらシャワーとトイレまであった。
机も診療用の物とは違う。少なくとも私が半年間共にした元診療室の物よりも一般的な物が揃っていた。
――嫌な予感がする。
ベッドを見る限り、部屋の奥にある事から、患者用ではなく、私のものだだろう。
「まさか調理場が……ある……」
基本的に備え付けられている診療道具すら部屋には置いていなかった。
その代わりに揃いきっている生活用品。
「あれ、まさか私……此処に住む事になるンッッッ!!」
なんて一人でゴチかけた瞬間。
爆発音と共に、地面が揺れた。
この医院を外から見る限り、爆発物を投げ込める隙間なんてこの病棟には無いはずだ。持ち込めるようなザルな警備でも無いはず。
つまりは、誰かしらがこの隔離病棟で爆発魔法を使ったという事で間違い無いだろう。けれど、隔離病棟の患者は魔力を吸収する檻が近くにあるはずだから、こんな魔法が発動するなんて事は無いはずなのだ。
代わらず鳴り響く爆発音と揺れ、それが、私の鞄から新聞を落とす。
そうして、私はその揺れを起こしている正体を知った。
「あぁ……そりゃ、何度も『大変』って言われるわけだ……」
勇者パーティーを追放されたギストさんが、新聞の中で相変わらずこちらを睨んでいる。
ギストという名前も、決して今思い出したわけではない。
ただ、新聞の一つの文面が目に入ったのだ。
『反逆の大魔法使いギストは、ケウス魔法病院に隔離される予定』という言葉が、爆発音の正体を物語っていた。
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