第二話『瞳が、声が、何だか気になったから』

 秋風が冬の匂いを巻き込みはじめて、現魔王暦21年、魔王の名前は忘れちゃったけれど同じ年なので覚えやすい。そろそろ今年も私の住む国に冬が来る。

 この広い広い『マキュリア』という世界の中でも雪が降る地域は少ないらしい。なんせここはマキュリアの北部も北部、この街『ウィントニア』はしっかりと豪雪が降る時期がある。戦った事はないけれど、現魔王の住処からそう遠くないらしく、魔物も手強いと聞いた。


 まだ雪が降る時期時期には遠いけれど、今日は少し服選びを間違えてしまったようで、少し寒い。

「ん……冬用の外套……よりは錬金素材買いたいなぁ……ンバブッッ!」

 そんな事をぼんやり呟きながら歩いていたら、美の女神の怒りでも買ってしまったのか、これでもかぶってろとばかりに顔に思い切り紙らしき物がぶつかる。

 私は掲示板か何かだっただろうか、女神の天罰にしても秋風のいたずらにしては少々やりすぎな気がする。


 丁度両手が仕事用鞄で塞がっていたのでワタワタしていると、聞き覚えのある声が紙向こうから聞こえてきた。

「悪い悪い! 大丈夫かいトリス嬢ちゃん!」

 私という美の女神を怒らせた掲示板に話しかける声は『新聞屋のドドシ』さんだろう、つまり私は今情報を顔にぶつけられているという事になる。

「あばばばいびょうぶべすへどだいじょうぶですけど……ほれ、これ、ほってとってぼらえびゃふは?もらえますか?

 理解が及ばないであろうと思いながらも言語を発してみる。

「ん? ……あぁ! 荷物ね! すまんすまん!」

 なんというか、おそらく言いたい事は伝わったようで、彼は未だ風と共に私の顔をしばきつづけている新聞紙を取ってくれた。

「悪いね! 今日は号外なもんで外配りでよ。一枚すっ飛んじまったよ、ドシシシ!」

 非常にお名前にフィットしているようで少しズレている独特で豪快な笑い声をさせながら、ドドシさんは私の顔に向かって情報攻撃をし続けていた一枚の新聞を顔から剥がしてくれた。

 相変わらず豪快なおじさんだ。生まれ故郷から両親の経営する魔法医院のあるウィントニアに移り住んでそこそこに長いが、どうして彼が新聞屋なのか未だに分からない。

 ゴシップ好きというわけでもなさそうだし、どうしてか分からないけれど筋肉隆々だし。何故かオレンジジャムを大量に押し付けてくるし。

「いえ……大丈夫です。まぁ風の悪戯ですよ。そういえばこの前のオレンジジャム、ありがとうございます」

 私には少し甘すぎたから、使い切るまでには相当時間がかかりそうだけれど、料理の味付けや錬金の素材……というと怒られそうだけれど、そのあたりで使うには丁度良い。

「ドシシ! ありゃあ俺には甘すぎるからな」

 彼は笑って私の顔をしばいていた号外らしき新聞を一枚手渡してくる。

 新聞もくださいとは言っていないのだけれど、おそらくは彼なりの行為のようなものなのだろう。 


――というか、つまりやっぱりジャムは押し付けられているじゃないか!

 ドドシさんも甘すぎるって言ってたって事はこれはさては押し付けられている、そのあたりハッキリ言っちゃうあたり、豪快すぎるというか、本当にゴシップには向いていないというか、隠し事が出来無さそうだなと思う。やっているのは書く仕事なのだけれど。


 ともかく、何かに付けて押し付けられる運命の元に生まれでもしたかと思うくらいには憂鬱が続く。

 境遇を押し付けられ、オレンジジャムを押し付けられ、新聞紙を押し付けられ。;


 とはいえこれもただのこじつけで、実際本気で嫌だったのは境遇だけなのだけれど。オレンジジャムについては善意も含まれているのだろうし、彼が豪快でデリカシーに多少欠けていても、良い人なのは間違いない。

「まぁ、トリスちゃんも持っていってくれよ。お詫びに……って号外はタダだったな!」

「あはは……せっかくなのでもらっておきますね」

 言われながら私は荷物を置いて魔法印刷によって作られた新聞を受け取る。

 

 号外と言うからには何かあったのだろうと新聞に目を落とすと、紙面では少々ガラが悪そうで、ローブを羽織った黒髪の魔法使いらしき男性が、こちらを睨みつけていた。

 とはいっても睨まれたのは紙面に掲載する為の魔法映写機で動画を記録している人間であって、私が睨まれたわけでは無い。それでも少し寒気がする程の憎しみが入り交ざった青い瞳が印象的だった。

 号外というだけあって魔法印刷も気合が入っているのだろう、そっと彼の映っている印刷部分を触ると「クソ! 雑魚がよって集まりやがって! 話が通じねえなぁ……!」という怒りと悲しみが混じったような声と、十数人の魔法使いらしき人達に拘束魔法らしき物をかけられる男性の映像が紙面の上で動いている。

 おそらく彼はいかにもこちらに魔法が飛んできそうな勢いで手から光を放とうとするが、すんでの所でそれを自ら辞めたように見えた。


 気付けば私は、その声と、眼光の鋭さに見入ってしまっていた。その緊迫感にドキリとしたくらいだ。

 よく見ると捕まえられているその男性にも見覚えもあった。丁度私が魔法医になった頃に、持て囃されていた勇者パーティーの魔法使いだったから、名前は失念してしまった。何故なら私には全く関係の無い事だったからだ。彼らが倒そうとしている現魔王の名前も知らないし、勇者パーティーの人達の名前も一切知らない。私に必要なのは患者さんの名前を間違えない事なのだ。


 だけれど、その捕まった魔法使いの名前はすぐにその新聞紙の見出しが教えてくれた。

『号外! 大魔法使いギスト、勇者パーティー追放⁉』

 そんな言葉から始まる一枚の魔法新聞には、あまり興味の無い勇者パーティーの現状や、今回号外になる程らしい大魔法使いギストさんやらの暴力沙汰の話が書かれていた。

「しっかし、大変だねぇ……」

「そうですか? なんか、よくありそうなものですけどね……簡単に言えば人間トラブッ!」

 言いかけた所で、私が手に持ったままの新聞紙がもう一度風に遊ばれて私の顔をしばきにかかってきたので、私は会話を諦め、再度再生される魔法印刷の映像を停止する。

「おっちょこちょいだねぇトリス嬢ちゃんは」

 彼は苦笑しているけれど、さっき人の顔に新聞紙をぶっ飛ばした人には言われたくない。しかも私の顔面にした癖に、でもまぁそれくらいで怒っていても仕方ない。ドドシさんに向けた溜め息を我慢しつつ、ドドシさんに別れを告げて少し早足で病院に向かった。


 勇者パーティーとはいえ、人間の集まりだ。そりゃトラブルくらいあるだろうと思いつつ、読み歩きも危険なので、何となく捨てられないまま、私は貰った魔法新聞を折り畳んで鞄にしまった。


 あのギストさんとやらは一体何をしたのだろう。それくらい気になるといえば気になる。魔法新聞のあの映像も、何となく気になっていた。

 端的に言えば凄く怒っているのに、何故かその声からは深い悲しみのような、諦めみたいな物が伝わった気がして、その視線からは憎しみとはまた違う怒りのような物が伝わった気がして、何だか自分の身分とは全く違うのにも関わらず、共感してしまいそうになってしまった。


 全く知らない人なのに、未来永劫関係無い人なのに。

「なーんか……今日は調子出ないな」

 いつのまにか早足も、とぼとぼとした歩みに変わっていた。


――そういう日があるのは、分かる。

 朝から憂鬱なのはいつもの事だけれど、外に出ると寒くて、新聞が顔を直撃して、何だか良くないニュースで号外が出ているなんていう日。良くない重なる日があるなんて事は、分かってはいる。

 人間は、一日に三つの不幸が重なると心が折れるなんて話を聞く。

 溜息ならいくら吐いてもいいかもしれないけれど、確かに三つも不幸が重なるのは御免だ。


 そう考えると、不幸と呼ぶ程の事は起きていないと思い直す。

 学校の精神医療の分野で習った認知的不協和に陥っているかもしれない。事実は事実として存在するけれど、別の何かに認知をすり替える事で、心の平穏を保つやり方。

 オレンジジャムが甘いから困る。けれど何かには使えるから助かる。みたいな事だと思えばいい。

 実際の問題はオレンジジャムが甘い事。そこはそのままで、他の何かに使えると、自分の認知を変える。すると甘すぎるオレンジジャムの問題は、精神的に少しだけ和らぐという人間の心の防衛本能だ。

「ん、でも流石に飛躍しすぎか。あんま精神医学頑張らなかったもんなぁ」


 そんな事を考えながらも、なんだか上手に納得出来なかった。

――あの声と眼光が、凄く、凄く私の心を刺激していた。


 それでも今日のお仕事は待ってくれない。

 親が医院長ならば尚更だ。ズル休みなんて事を大人になってやってのける度胸があるかは別として、ちょっとした事で休ませてくれる程、うちの魔法医院……というか両親は甘くない。

「さぁ、今日も……頑張りたくない」

 誰にも聞こえないように、そっと呟く。

 

 眼前には、観光客にウィントニアの城だと説明しても納得してくれるくらいの、巨大な施設。

 『ウィントニアに癒やし』あり、だなんて本当に馬鹿な事を言われるような魔法医院こと、私の名字を冠した大嫌いな職場がそびえ立っていた。


 此処から自分の診療室に辿り着くのもそこそこに長いと考えると、やっぱり帰りたいなぁなんて思ってしまう程だ。

 私が一般女性よりもやや痩せていられるのも、この出勤退勤の後に、更に続く無駄に長い運動があるからだと思っているが、感謝は……あんまりしたくなかった。

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