魔法使いの担当医

けものさん

第一部『隔離病棟脱出編』

第一話『逃す幸せも無くす程の溜め息』

 今日も朝が来る。

 昨日も朝が来たのだから、どうせ今日も朝は来る。

 今日も朝が来たのだから、どうせ明日も朝が来る。

 私は、それが憂鬱で堪らなかった。


「はぁ、仕事だ……」


 溜め息を吐けば幸せが逃げるだなんて言葉は誰が言い出したのだろうと思いながら、寝起きの私はいつも通りに錬金壺の中に香草と水を放り込む。甘味は……この前近所に住んでいる新聞屋さんから大量に貰ってしまった、もとい押し付けられたオレンジジャムで良いだろう。

「……はぁ、こんな量使い切れるかな」

 本日数度目の溜め息、寝起きに一回、顔を洗って身支度をしている間に一回。

 そうして今ので三回目、誰かが言ったらしい言葉の通りだと、私はもう既に朝っぱらから三つの幸せを手放している事になる。


湧き立ち草これは……買い足さなきゃかぁ」

 私は戸棚から、錬金術用の乾燥している湧き立ち草わきだちぐさを取り、半分だけ千切って、指先ですりつぶしながら錬金壺の中にパッと入れる。そうして最後に私の髪の毛を一本。これはおまじないみたいなもので、あまり使わない。この錬金術は私が使ったという証明みたいなものだ。

「髪も少し伸びたなぁ……」

 母から継いだ明るい金色の、少し長い髪の毛が一本、壺の中に音も無く吸い込まれていった。


 そのうちに大きめのティーカップを用意して、もう一溜め息。


――錬金術、この世界に於ける旧式の魔法のような物だ。

 私は何よりこの錬金術が好きだ。お菓子を作るのも好きだった。昔の夢はお菓子屋さんだったくらいだから。または錬金術師になりたかった。なりたかったのだけれど、夢はそう都合良く叶えられない。


「あああぁ……仕事行きたくないぃ……」

 私は敬愛すべき錬金壺ちゃんを抱きしめながら話しかける。

 そうして、しばらくすべすべした感触を確かめてから、コトンと洒落っ気の無い木製のテーブルの上に壺ちゃんを置いた。その横には、仕事着が入った鞄。

 

 私はいわゆる魔法医院勤めの魔法医だ。親が魔法医院の家系だったのが生まれながらの運の尽き。言われるがまま魔法医になって半年、親が経営している魔法病院に勤めて、回復魔法で魔力を使い切って眠る日々に辟易していた。私は魔力の貯蔵量が人より少ないからか、強い回復魔法も使えないし、毎日の疲労が酷い。


「錬金術なら、いくらでも出来るのにな」

 錬金壺ちゃんをそっと撫でる。彼ら……というのも妙な話であるけれど、独り身どころか友達すらいない私にとっては、少し虚しくても『彼』と呼んでいいだろう。


 しかし、当たり前だけれど返事は返ってこない。


――魔法医、前線に出ることの無い民間の回復魔法使い。

 私が魔法医院に勤める事になったのは、やはりひとえに血筋のせいでしかない。両親が魔法医、しかもお偉いさん、ならばその一人娘の私が同じ職業を望まれるのもおかしい話ではないだろう。

 理解は出来る。だけれど納得は出来ないし、していない。


 私は錬金壺を持ち上げて、ティーカップにその中身をそっと注ぐ。

 出来たのはいつも飲んでいる単なる紅茶『のような』物。正直、錬金壺なんて使わずとも紅茶は作る事が出来る。けれど私はそもそも紅茶に興味も無ければ、味も飲めたならそこまで文句は無い。何を作るかよりも、作るという行為自体が楽しい。こうして私は魔法医でありながらも錬金術を使っている。今日の私を頑張らせる為の、そうして私の目を醒ます為のルーティンになっていた。


 運動をするのも嫌いでは無いけれど、朝から元気に外に出るだけの元気は、精神的には持ち合わせていない。なんせ魔法医は激務だし、魔法を使うにも自分の身体に蓄えた魔力を使うのだ。本当は憂さ晴らしに汗を流したいけれど、この半年は錬金術だけで我慢していた。


 今日の錬金は紅茶のようなものだったけれど、作る物は珈琲だって構わない。好みとして紅茶が多いものの。私の朝に付き合ってくれるのならばどんな飲み物でも良いのだ。


――私はとにかく錬金術を使っていたい。


 私の、魔法医になるために習わされてきた回復魔法は、使えはするがハッキリ行って魔力が足りない以上、ハリボテでしかない。魔力の許容量を高めるなんて事は、余程の事がなければ出来ない。

 いわば生まれ持った見える素質、それが魔力の許容量だ。

「頭の良い落ちこぼれ、かぁ」

 昔言われた事を思い出して、私は頭が良いらしい落ちこぼれな頭を振る。

 魔法学校での成績が悪いと両親から厳しい叱咤が待っていたので、成績はうんと良かった。


 だけれど結局、やっぱり私が『ケウス魔法病院』専属の『魔法医』になったのは、両親がやんややんやと煩かったからで、いつのまにかそれこそ魔法にかけられたかのようにレールの上を走らされていたのだ。


 だって人には生まれ持って決まった魔力の許容量があるから、それが少ない私を魔法医にさせるというのは、親のわがままに付き合わされたという以外に無いだろう。使える魔法は知っていても、魔力が少なければ魔法医として大成は出来ない。だけれど親にもメンツという物があるらしい、悲しい話だと思う。



 そういう事もあってか、正直な話、私は今の自分の仕事があまり好きではない。

 

 命を救う仕事という意味では、素晴らしいとは思っている。

 けれど私自身が納得してその行為をしていないという事に、何か凄く、ひっかかりを覚えてしまうのだ。

「朝の錬金ルーティン、少し増やそうかな……」

 少々はしたないとは思いつつも、パンを齧りながら、一人ぼやく。

 お菓子でもあればもう少し気分も上がるかもしれない、けれど買うには高いし、錬金術で作るにしてもその分早く起きなければいけないから健康に良いとも言い難い。

 賃金こそ良い方ではあっても、お菓子作りを毎日のルーティンに組み込むのは贅沢でしかない。

「まだ私は21歳……お菓子に敗北しきってもまだ……でもなぁ……」

 壺ちゃんと話す癖がついていると、独り言もえらく増えるようになった。

 21歳とはいえ、不摂生をするのは駄目だと思ってしまうのが悲しいかな、医療の道を志すしかなかった事の弊害というか、なんというか。良い事ではあるのだけれど複雑な気持ちだ。

 

 お菓子を想う、錬金術を想う、その度に、私の心には未だに子供の頃の夢がよぎっていく。


 お菓子屋さんになりたかった。

 錬金術師に、なりたかった。


 大好きなお婆ちゃんが、いつもお菓子をくれたから。

 大好きなお婆ちゃんは、名のある錬金術師だったから。


 血筋というものでレールを敷かれて、そうして両親に職業を決められるのならば、私はその両親であるところのお婆ちゃんの跡を継いで、錬金術師になることは許されなかったのだろうか。

 私の錬金術はお婆ちゃんがこっそりと教えてくれた物だ。魔法医学を押し付けられた私にとっては、その錬金術の授業が何より楽しかった。名のある錬金術師の元で錬金術を学ぶという意味では、ある意味それも錬金術の英才教育なのだけれど、時代はもう錬金術を通り越していた。


――それでも、子供が夢を見る理由は、それくらいで良い。

 大好きなお婆ちゃんと、お菓子と、楽しかった時間。

 それくらいで、いいはずなのに、そうはいかないのが現実。悲しくも夢とは反対の言葉だ。


 大人が夢に執着する理由も、そんな事で良いと思いながらも、現実には抗えなかった。


「せめて、別のトコならなぁ……」

『ケウス魔法病院』に新人魔法医が入り、その名前が『トリス・ケウス』だなんて、面倒な事しか思いつかない。実際に面倒な事ばかりだった。

 『トリス』という名前は可愛らしくて気に入っているけれど、それすらお婆ちゃんが付けてくれた名前だと知って、より両親の事が何とも言えない人達に見えて、お婆ちゃんが好きになった。

 両親とは表向き良好な関係を築いてはいるものの、上手くはいっていない。とりわけ医院長である父は、私の事をゴミを見るような目で見る事すらある。

「魔力少なくてごめんなさいね……っと」

 私は一人呟いて、お婆ちゃんの形見の錬金壺を大事に抱え、流し台に置く。 


 魔法医という仕事に慣れてはきた。溜め息にも、疲労にも、そうして「親の七光りだ」という周りからのやっかみにも、慣れるしかなかった。

 だけれどいつか私の溜め息が、あるかどうかもわからない幸せが逃げずにいてくれる日が来るのだろうか。

 そんな事を思いながら、紅茶のような物を作った大事な錬金釜ちゃんを軽く水洗いをしてから、戸棚の瓶からあらかじめ錬金してあった煙綺香エンキコウ(命名:私)を手に取り壺の中に入れる。


 お婆ちゃんに貰った大事な錬金釜だ。壺のそこにある香に向けて、極々簡易的な炎の魔法を使い点火する。私の魔力量でも出来る最低限の魔法、とはいえもう少し強い魔法も使えるけれど、仕事前に仕事に使うエネルギーを多く使うわけにもいかない。

「今日もせっせと綺麗モク(命名:私)出しといてねぇ」

 錬金壺と話す癖なんて、誰にも言えない。けれどそもそも、こんな姿を見せたり、こんな話をする程に心を許せた人もいない。


 そんな事をしているうちに、出勤の時間が近づいてきて、もう一溜め息。


――私から逃げる幸せなんてありゃしないんだ。好きなだけ吐いてやろうじゃないか。


 その代わりにと言わんばかりに、私は自宅を出て思い切り外の少し冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。

「さぁ……って、行ってくるね。壺ちゃんと……」

『お婆ちゃん』と言いかけて、私は口を噤んだ。

 私は存在している物、人に挨拶はしても、もう存在していない人には、挨拶をしないと決めたのだった。だって、悲しくなってしまうだけだから。

 お婆ちゃんがいたならどう思っただろうと考える、亡くなっても言葉をかけてほしいだろうか。

 でもきっと「死んでもアタシと話したいならせめて骨くらい持ってきてからにしな!」なんて笑い飛ばすだろう。だから、少なくとも今は言わない。


 それでも未だに癖が抜けない、お婆ちゃんはとっくにいなくなっていても、錬金をする度に思うのはあの人の顔だった。だけれど、それでも私にとって一番の理解者を忘れた日は一度も無い。しかも魔法医になってからは、尚更だ。

 

 それでも私は、ちゃんと口を噤む事にしたのだ。だって魔法医になってしまったのだから。


――だってもう、大人になったのだから。


 私はずっと、これからもずっと朝のルーティンを欠かさない。私がお婆ちゃんを思い出すのは、その時だけで良い。

 だから、憂鬱な今を乗り切る為に思い出す事じゃあ無いじゃないかなんて思いながら、今日も大量の溜息を引っ提げたまま、私は玄関の扉を閉じた。


『ケウス魔法医院』への出勤の為に、一人暮らしの新人魔法医のトリス・『ケウス』なんていう忌々しい名前を受け継いでしまった私は、少し強めに、だけれどゆっくりと靴の踵を鳴らして、全身に溜息を纏って、職場へと歩き始めたのだった。

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