第15話 手掛かりを求めて

 人類は生きているだけで、体内から魔力を生み出すものだ。

 けれども半端ながら吸血鬼になってしまった途端、私の身体はそういう仕組みではなくなってしまった。

 ただ呼吸を繰り返しているだけでも、少しずつ魔力が消費されていく。吸血鬼は何百年と余裕で生きられるものだというけれど、それは生命維持に魔力を回すようになっている恩恵なのかもしれない。


 そして勿論、魔物との戦闘になれば魔法を使う事になる。当然ながら魔力を消費する行為であるので、消耗する。

 するとやはりやって来るのが、吸血衝動である。

 馬車での移動中であっても、魔力を含んだ血液が欲しくなってしまう。となると、一番近くに居る人物であるフォルク殿下の首筋に噛み付きたくなってくるのだ。

 ハーフヴァンプになってから、八重歯が少し伸びた。口を閉じていれば目立たない程度ではあれど、これだけ鋭ければ、殿下のあの美しい滑らかな白い肌に牙を突き立てるのも簡単だ。


 かぷりと八重歯で肌を貫き、そこから温かで甘い香りが立ち昇る彼の血液を舌の上で転がせられたら、どれだけ幸福な事だろう……。


 そんな想像をしてしまうぐらいに、私の思考は隙あらば怪物の意思に塗り替えられそうになる。

 もしも実行に移そうものなら、絶対に殿下に嫌われる。軽蔑される。恨まれる。

 ……ずっと好きな人に、そんな風に思われてしまうのだけは嫌だった。

 それだけが、私の唯一と言ってもいい最後の砦。人間としての理性であり、恋する女の意地なのだ。

 仮に殿下から見放されてしまったら、私はきっと本物の怪物になってしまう事だろう。


 帝都まで向かう日々の中で、私は彼に嫌われる化け物になりたくない一心で、吸血衝動を抑え続けた。

 手持ちの魔石の魔力が一つずつ空っぽになっていく度に、怪物へと成り果てていく階段を降っていっているような錯覚を覚える。


 もしも魔石が全て無くなって、魔力をくれる殿下も側に居なかったら──私は、どこまで自分を抑え込んでいられるだろうか。




 *




 不安を抱えながらも、私達はとうとう目的地である帝都までやって来る事が出来た。

 アカデミー入学前までは年に一度は訪れていたこの場所は、パッと見た所そこまで印象は変わらなかった。

 魔物除けとして築かれた防壁の中に、身分に応じて区分けされた都がある。数年前までは貧民街もあったのだけれど、今では帝都のどこでも健康的で正常な生活を送る人々で溢れている。


 乗ってきた場所は専用のエリアに停め、管理人に必要な料金を渡して預けてきた。

 そこからは徒歩で宮廷を目指す事になるのだけれど、ここまで恐ろしい程に順調に来られたせいで、逆にジーク殿下が何を考えているのかが分からなかった。

 つい先日まではずっと兄であるフォルク殿下を狙っていたはずなのに、私がこの件に関わった途端、刺客が送り込まれて来る様子も無いからだ。


 しかし、ここはもう彼の……ジーク殿下の目の届く帝都である。

 次期皇帝の第一候補である長男のラインハルト殿下も宮廷に居られるはずだけれど、魔族と手を組むような三男が共に暮らす場所なのだ。何が起きても不思議ではない。

 私は変わらず傘を差したまま、一般人に溶け込んだ服装のままのフォルク殿下の後に続く。到着したのは夕方だったけれど、晴れていたので傘は手放せなかった。

 帝都を行き交う人々に紛れながら、小さく彼が言う。


「……覚悟は出来たか?」


 それは、これから宮廷に向かう事についてなのか、ジーク殿下と刃を交える可能性についての事なのか。

 どちらにせよ、私の答えは決まっている。


「当然です。私はどこまでも、貴方について行くと決めていますから」


 そう。例え私が聖女であっても、そうでなくても。

 私は貴方の為なら、喜んでこの身を投げ出すのだ。それで背中に大きな傷を負おうとも、噛まれて吸血鬼になってしまったとしても……。


 私が時を遡って人生をやり直しているというのは、きっと間違い無いのだと思う。

 それは私に宿る聖女の血筋によって【誓約】が使えた事と、何度も夢に見た戦いの記憶。そして、その際に負った剣の一撃と見事に一致する、消えない大きな痣が証明している。

 神の奇跡か運命の悪戯か、私はもう一度やり直す機会を得られた。

 今度こそは、殿下と共に最後まで立っていられたら……。


「……ありがとう」


 そう呟いた彼の声は、どこか寂しげに感じた。



 宮廷は帝都の全体を見渡せる高台に建っている為、そこまでの道のりは傾斜がある。普段から鍛えていない人では、途中でへばってしまうかもしれない。

 そんな坂道も難無く進んでいけば、これまた立派な跳ね橋が見えて来る。そこを警備するのは、きちんと磨かれた鎧を見に纏う騎士……皇帝直属の騎士団のはずだ。

 見張りの騎士二人は、私達が跳ね橋に近付いてくると、こちらを警戒した様子で鋭い声を掛けてきた。


「何者だ!」

「そこで一度止まりなさい!」


 私は殿下と違って素顔を晒しているけれど、頻繁に顔を見せていた訳ではない。対して殿下は帽子を目深まぶかに被っているからか、彼らは私達が誰なのか分からないようだった。

 そこで殿下が帽子を脱ぐと、途端に騎士達の表情が驚愕の色に染まる。


「あ、貴方様は、フォルクハルト殿下……!?」

「ジークハルト殿下の捜索隊が、血眼になって捜しても行方知れずでしたのに……。い、いえ! それよりも、殿下がご無事で何よりであります!」


 どうやら彼らは、純粋にフォルク殿下を心配していたようだ。

 宮廷に入ってすぐに罠が待ち受けているような事は無さそうだと、私達は密かに視線を交わして頷き合う。


「……お前達。僕はこれからジークに用事がある。同行する彼女は、アーデン伯爵家の令嬢だから心配はいらない。陛下と兄上には、お前達から無事を伝えてもらいたい」

「アーデン家……あのバルドール殿のご息女様ですか。畏まりました、お二人にはこちらからご報告を差し上げます!」


 間も無くして跳ね橋が降ろされ、宮廷へと続く道が開かれた。

 騎士の一人はその場に残り、もう一人は言われた通りに皇帝陛下とラインハルト殿下への報告に向かう為、駆け足で去っていった。

 その背中を見送りながら、私は殿下に小声で問い掛ける。


「よろしかったのですか? 陛下と兄君に、殿下の顔をお見せしなくて……」

「今は僕の事よりも、君の身体が最優先だろう? ここまでの移動に何日も向かってしまったし、これ以上時間を浪費するのは危険だからな」

「殿下……」


 こんな時でも、彼は私の事を優先してくれるなんて……。

 胸を締め付ける申し訳無さと同時に、感謝の気持ちが混ざり合って、静かに溶ける。


 宮廷内に入ると、先にこちらへ向かっていた先程の騎士が話を通してくれていたらしく、別の騎士がジーク殿下の元まで案内を申し出た。

 けれども殿下はその騎士がジーク殿下直属の騎士団の紋章を身に付けているのを確認し、「そこなら自力で行けるから、案内はいらない」ときっぱりと断った。

 ジーク殿下がどこまで魔族に深入りし、その闇の勢力を宮廷内にどれどけ引き入れているのか不透明な現状、私達の敵に回りそうな人物をなるべく遠ざけたかったのだと思う。

 ……どうしてそんな事が分かるのかって? これでも一応、フォルク殿下の幼馴染ですからね!




 *




 やって来たのは、宮廷の離れにある図書館だった。

 先代の皇帝が大の読書家だったそうで、広大な庭園の一角に図書館を建てたのだという。その図書館は並の一軒家よりも大きく、二階建ての立派な建築物だった。

 そこの一階の扉を開けようとした殿下に代わり、私がドアノブに手を掛けた。もしもここでジーク殿下から不意打ちを喰らっても、私なら吸血鬼の治癒力ですぐに直ってしまうからだ。


 慎重に開けた扉の先には、想像以上に沢山の書物で溢れていた。

 ただでさえ高い天井だというのに、天辺に届きそうな程に高い本棚の中には、ぎっちりと本の背表紙が並んでいる。

 子供の頃に何度かここの前を通った事はあったけれど、こうして実際に足を踏み入れたのは初めてだった。これだけ沢山の本があるというのに、まだ二階にも本棚があるのだろうから、先代陛下がどれだけ本が好きだったのかと改めて思い知らされる。

 すると、誰も触れていなかったはずの扉が急に音を立てて閉まり、背中にピリッとした感覚が走った。悪寒……のようなものだろうか。

 驚いて扉の方を振り返った私達に向けて、聞き覚えのある少年のアルトの声が掛けられた。


「お待ちしていましたよ、兄さん。……そして、ヴィオレッタ嬢」


 再び視線を前に戻せば、そこにはいつの間にかジーク殿下の姿があった。

 相変わらず薄っすらと不気味な笑みを貼り付けて、彼は引き続き言葉を紡ぐ。私は傘の持ち手を握り込み、フォルク殿下も静かに剣に手を掛けている。いつでも防御は取れるように、警戒は怠らない。


「嫌ですねぇ、そんなに警戒しないで下さいよ」

「……信用ならない」

「酷いなぁ、兄さん……。貴方達がここに来るまで、僕は何の妨害もしなかったじゃないですか」

「二ヶ月もフォルク殿下の命を付け狙っておきながら、今更急に態度を変えられても、そう簡単に信用は出来ません!」

「貴女までそんな事を言うんですか? 悲しいなぁ……。僕はただ、貴女に会いたかっただけですよ。ヴィオレッタ嬢……貴女を、僕の側に置く為に」

「貴様っ……!!」


 フォルク殿下の声に、激しい怒気が滲む。

 ……やはりジーク殿下は、何らかの目的があって私を自分の騎士にしたがっているのだろう。

 幼馴染である私が彼の騎士になれば、フォルク殿下を不快にさせる事が出来るから……なのだろうか。冷静さを欠けさせれば、向こうの勝機に繋がるから?


「……残念ですが、私はフォルク殿下の騎士になると決めています。貴方が魔族との繋がりがある事を陛下に申し上げ、きちんと処罰が下った暁に、フォルク殿下の正式な騎士として叙任式じょにんしきを執り行って頂きます」

「……そう、ですか。やはり、僕の騎士にはなって頂けないですか」


 ジーク殿下がそっと目を伏せてそう告げた、次の瞬間。


「それなら……兄さんから取り上げるしかなさそうですね」


 彼の瞳がこちらに向けられたかと思うと、パチンと指を鳴らした。それを合図に、図書館内に黒い霧のようなもやがぶわりと立ち込め始める。


「こ、これは……!?」

「あまり詳しくは言えませんが、これに触れ続ければ生命に関わります……とだけ、お伝えしておきましょう」

「ジークハルト、貴様っ……やはりこれが目的だったか! ヴィオを治す方法を教えるというのは、僕達を誘い出す方便だったんだな!?」

「ふふっ……手掛かりならありますよ? この図書館に。それが貴方に見付けられるかどうかは、また別の話ですがね」


 楽しそうに私達の反応を眺めるジーク殿下。

 彼は更にもう一度指を鳴らすと、今度はあの靄が激しい風を巻き起こし始めた。靄は私達に向けて吹き付け、それを吸い込まないようにと慌てて口元を手で押さえたものの、呼吸を止める訳にもいかない。

 少なからず靄を吸い込んでしまった……けれど、そこまで身体に違和感は無い。単なるハッタリだったのか──そう思ったのも束の間、隣でフォルク殿下が苦しげに呻き声をあげた。


「フォルク殿下!?」

「ぐっ……」


 先程ジーク殿下は、ここにハーフヴァンプ体質を治す手掛かりがあると言っていた。

 ならばこの図書館内を調べ回らなければならない……が、それではフォルク殿下の身に危険が及んでしまう。

 渦巻く突風に煽られて本棚が倒れ、書物が床にぶち撒けられ、風に煽られて宙を舞う。目当ての本は、もしかしたらあの中にあるのかもしれないけれど──


「……っ、一旦退きましょう!」

「し、しかし……それでは、君の身体は……!」

「手掛かりがここにあるのは分かったんです。今はひとまず、殿下の身の安全を優先させて頂きます!」


 言いながら私は殿下に肩を貸し、図書館の外へ飛び出した。

 幸いにもジーク殿下が追って来る様子も無く、私達は急いでその場を後にするのだった。




 *




 ヴィオレッタとフォルクハルトが逃げ去った後。

 ジークハルトは、すっかり荒れ果てた図書館で一人、人が変わったような凶悪な笑みを浮かべていた。


「今はまだ、好きに泳がせておけば良い。けれどもヴィオレッタ……はいずれ、のものにしてみせる」





 *




 図書館からいち早く距離を置いた後、私とフォルク殿下は跳ね橋の近くまで戻って来た。

 気が付けばもう陽が落ちていて、これなら傘を差す必要も無いだろう。


「はぁ、はぁ……。ここまで来れば、今は大丈夫かしら……。殿下……どこか痛んだり、苦しい所はありますか?」

「大分、落ち着いてきた……と、思う。それより、君の方は大丈夫だったのか……?」


 まだ少し顔色が悪い彼だけれど、しばらくはこれ以上動かない方が良いかもしれない。もう少し休んだら、またあの図書館に戻らなければならないが……。


「……ええ、私は問題ありません。もしかしたら、私の身体の事が影響しているのかもしれないですね」

「……そうか。二人で共倒れになるよりは、まだマシだったのかもしれないが……自分が情けないよ」


 私の身体──吸血鬼の影響を受けた状態であるからこそ、あの闇色の霧に触れても無事だった。そう考えるのが自然だろう。


「それにしても……あの霧の攻撃がまた来るとなると、次は私一人で行くべきでしょうか──あれ?」


 そろそろ魔力補給で魔石を使おうと懐に手を伸ばしたところ、手触りに違和感があった。

 カサッ……と乾いた音がしたそれを手に取ってみると、どうやらそれは何かが記された紙片だったらしい。あの暴風のせいで、飛んだ本のページが千切れたのだろう。


「ヴィオ、それは……?」

「ええと、何かの本の一ページのようですね。……『望みを叶える、五冊の魔導書』?」

「魔導書……!? すまないヴィオ、それを見せてもらえるか!?」

「は、はい!」


 魔導書と聞いて、目の色を変えた殿下。

 彼はすぐにその紙片に目を通すと、しばらくしてパッと顔を上げた。


「どうやらジークが言っていた手掛かりというのは、この事だったらしい……!」

「ええっ!? そんな偶然ってあるんですね……」

「……もしかすると、これすらも奴の仕組んだ罠かもしれないがな。だが、この魔導書……確かにこれは、実在するものなんだ」

「望みを叶える魔導書だなんて、そんな都合の良い物が本当に……?」

「ああ……。その中の一冊は、僕の母上が所有しているはずだ。……幼い頃、そんな話を聞いた覚えがある」


 その魔導書とやらが実在し、それが五冊揃えばどんな願いも叶うというのなら……私のこの体質も、元通りの人間に戻せる。

 逆に言えば、今はそれしか手段が無い。この話が嘘でも真でも、調べてみる価値はあるだろう。


「母上に会いに行こう。それに、もしこの話が事実なら……この本の存在を知っていたジークも、この魔導書の価値を知っている事になる」

「魔族と繋がりがあるジーク殿下よりも先に魔導書を集めなければ、彼に悪用される危険がある──そういう事ですね?」

「ああ。ならば早速、母上の元へ急ごう」

「はい、殿下! ……あっ、すみません。その前に──」


 と、私は改めて魔石の入った袋を探り始めた。

 魔力不足を感じ始めていたので、人混みに出てから吸血衝動が強く現れたら怖いのもあり、先に魔力を補給しようと思ったからだ。

 けれどもどれだけ探しても魔石が見付からず、慌てる私。


「ど、どうしましょう! 私、どこかに魔石を落としてきてしまったみたいです!」

「……それなら、緊急手段を取るしかないな」


 そ、それはつまり……キスですかぁ!?


「だ、駄目ですよ殿下! ここはいつ騎士や兵士の往来があるか分かりませんし、跳ね橋の見張りをしている騎士だって向こうに居るのに──」

「大丈夫だ。ほら……」


 そう言いながら、殿下は私の手から傘を抜き取ると、そっと傘を開かせる。

 そのまま彼は空いた手で私の腰を抱き寄せて、あっという間に唇が塞がれた。


「んっ……」

「……はぁっ……この中でなら、誰にも見られる心配も無いだろう?」

「そ、それは……そうかもしれないですが……んんっ……!」


 反論は聞かないとでも言うように、再びその薄い唇で声を塞がれ、下手に開いていた私の口内に殿下の舌が侵入する。

 やはり何度繰り返しても慣れない行為だけれど、互いの熱が溶け合うこの感覚は、ある意味で吸血行為にも似た高揚感があった。

 彼が側に居てくれれば、私は化け物にならなくても済む……。フォルク殿下の体温を感じると、そう安心出来た。


「……これぐらいなら、魔力は足りそうか?」

「は、はい……。その、すみません……ご迷惑をお掛けして……」

「この程度、僕は一向に構わないさ。だが、念の為に魔石は改めて確保しておこう。買い物が済んだら、夜明けを待ってここを発とう」


 そうして私達は魔導書の真実を確かめるべく、フォルク殿下の母君が暮らす辺境の地を目指す事になるのだった。




 第1章 完

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姫騎士令嬢ヴィオレッタ物語 恋する吸血鬼は傘を差す 由岐 @yuki3dayo

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