第11話 誰にも言えない

「不完全な吸血鬼化、か……。完全ではないといっても、伝承にある通りならやはり誰かの血を吸わなければならないのか……?」


 未だに朦朧とする意識の中、フォルク殿下は私を抱えながら考え込んでいるようだった。

 確かに殿下の仰る通り、今の私は血を──甘い香りを漂わせている彼の脚から滴る血液を、喉から手が出る程に欲している。それは間違い無く私が吸血鬼になろうとしている証明であり、この衝動のままに行動に移してしまえば、私達は二人揃って吸血鬼のお仲間に成り下がってしまうだろう。


 ──それだけは、駄目……。だって殿下は、勇者として魔王を倒すべき人なんだから……!


 先程、脳裏に蘇ったあの記憶──私が聖女として、勇者であるフォルク殿下と共に旅をしたあの鮮明な思い出は、確かに存在した歴史なのだと確信している。

 けれども何らかの要因で過去が歪み、いくつかの歴史が書き換えられ……それが結果として、今の状態になっているのだとしたら?

 私は間違い無く過去と同じ両親から生まれ、同じ素養を持った“ヴィオレッタ”という個人だ。ならば私には、聖女としての力もあるはずなのだ。


 己の限界を超えた力──【誓約】による、ある条件を満たす事で発動する、神と結ぶ強力な契約。

 これを使えば、私の吸血鬼化の進行を止めるか、抑える事が出来るかもしれない……!


 ただし、より強力な【誓約】を果たす為には、より厳しい条件を自分で設定する必要がある。吸血鬼化などという特殊な事例を食い止める為には、かなり難しい条件を満たさなければならないだろう。

 これを行うには、まず聖女による条件の確認が必要になる。

 今回は私自身がその内容を把握しているので、第一段階は実質クリアだ。

 私は“聖女だった頃の私”と同じように、自らに課す【誓約】を設定していく。




 私、ヴィオレッタ・アーデンは【誓約】を課す。


 自身が聖女の血筋である事を誰にも明かさぬ代わりに、吸血鬼化を止める力を、我に与えたまえ……!




 心の中で神に誓いを立て、自分の秘密を神と共有する。

 その瞬間、自分の中で確実に【誓約】が課せられたのが分かった。

 それと同時に、頭が沸騰しているような熱がすぅ……っと引き始めていくのを感じる。

 聖女にしか扱えない神との【誓約】とは、守らなければならない条件が厳しく、更に他の誰にも真似出来ないようなものであればある程、その効力を増していく。だが、完全には吸血衝動が止められていないあたり、どうやら今回の条件では、私の吸血鬼化を完全に食い止めるには至らないという事らしい。


 これは……もしかすると、もっと慎重に内容を考えるべきだったかもしれない。いくら熱で意識が朦朧としていたからといって、判断を急ぎすぎた可能性がある。

 もしくは、いくら【誓約】の力を駆使したとしても、魔族の力の前には、人類の神による【誓約】では対処しきれないのか……。


 ……とはいえ、ついさっきよりは身体が楽になった。少し体調も落ち着いたところで、私は未だ何かを思案している殿下に声を掛けた。


「……殿下。私はひとまず大丈夫ですから、先に脚の治療を済ませてしまいませんか?」

「ほ、本当に大丈夫なのか? ……顔色は多少良くなったようだが、僕は君に無茶をさせてまで怪我の治療をしてもらいたくはないぞ」

「ふふっ、平気ですよ。……昔、母に習ったおまじないが効いたみたいなんです。しばらくは体調も落ち着いてくれると思いますよ」

「おまじない……」


 小さく呟いた後、殿下はまた何か考え込み始めてしまった。

 ひとまず私は残りの魔石を取り出し、彼の片脚の傷に手を向ける。左手に握り込んだ魔石から魔力を吸い上げながら、右手から治癒魔法による独特の淡い光が放たれていくのを眺め、無事に傷が癒え始めたのを見て安心した。

 それと同時に、不思議と先程までの飢餓感のようなものが満たされていくのを実感していた。

 あれだけ殿下の血の匂いを嗅いで、今すぐにでも彼に噛み付いてしまいたい衝動に駆られていたのに……そこまで血が欲しいとは思わなくなってきているのだ。


「……もしかして」

「何か気になる事でもあるのか?」

「私の気のせいかもしれないんですが……魔石から魔力を取り込んでから、何故だか不思議と吸血衝動が落ち着いてきたので……」


 私の言葉に、フォルク殿下は何か気付いた様子で少し目を見開く。


「そうか……魔力だ!」

「魔力……ですか?」

「ああ、血液には魔力が籠るものだ。血を使って行う古い儀式や、魔法陣を描く方法もあるだろう? 仮説に過ぎないが、もしかすると吸血鬼が他者の血を求めるのは、不足する魔力を補給する意味合いがあるのかもしれない……!」

「だから魔石から魔力を取り込むと、こんな風になるんですね……!」


 殿下の仮説が事実なのだとすれば、魔石さえあれば他人の血を吸わなくても吸血衝動を抑える事が出来るようになる。

 しかし……そんな話をしている間に、残っていた魔石は残り一つだけになってしまっていた。山の中は、夜空の星々が照らす光以外には闇ばかり。これから一度アーデン領に戻って支度を整えるにしても、いつ魔物が襲って来るかも分からない環境下だ。戦闘に向けて魔力を温存したいところだが、魔石一つで明かりの確保をしつつ、私の吸血衝動を抑え続けるのは厳しいものがあるだろう。

 それは彼も理解しているようで、これからどうやって夜の山を越えていくかを考えているようだった。


 殿下の脚の治療が終わり、互いに無言の時間が続く。

 その沈黙を破ったのは、彼の方からだった。


「……ヴィオ。これから僕が言う事は命令ではなく、あくまでも提案の一つに過ぎない。君が嫌だと思うなら、素直に断ってくれ」


 真剣な表情で、紅い瞳をこちらに向けて来るフォルク殿下。

 まさか彼は私の為だからと言って、自分の血を捧げようとしているのではないだろうか?

 吸血しなければ大丈夫だからと、刃物で身体を傷付けたり……。そんな事を彼にさせるぐらいなら、その辺の獣の血を啜る方が圧倒的に良いに決まっているのに!


「ジークの言葉を信用するのなら、僕達が帝都に来るまで向こうからは手を出しに来ないはずだ。……とはいえ、魔物への警戒は必須だろう。夜は魔物が活発化するし、僕一人では対処しきれない可能性もある。ヴィオの体調も維持する為、君への魔力供給も必要不可欠だ。しかし、僕もとっくに魔石は使い切ってしまっていて……」

「わ、私の分も残り一つで……」


 そうなると、手軽に魔力を得るには血液が……殿下の血が必要になってしまう。

 しかし、そんな事は絶対に出来な──


「──だから、ここはもう一つの手段を取ろうと思う」

「えっ……?」


 も、もう一つの手段……?

 いったい何を言い出すのかと戸惑っていると、心無しか殿下の顔が赤くなっているような気がした。


「……と、……スを……」

「……はい?」

「僕と……キスを、してもらいたい……」

「え……ええぇぇえぇっ!?」

「も、勿論、君の意思を尊重する! ただその、血液以外の体液にもある程度の魔力は込められているから、僕が貧血を起こしたりすると不都合が出て来るだろうと思ってだな……!」


 そう言って顔を背けた彼は、誰がどう見ても羞恥心で溢れているのが丸わかりだった。

 むしろ、私の方がビックリしすぎて心臓がどうにかなってしまいそうなのですが!!


 確かに彼の言う通り、アカデミーでの授業でも聖女の頃に教会で学んだ座学の時間でも、人の血液や唾液には魔力があると習っていた。

 一番魔力が濃いのが血液だという話だったはずだけれど、吸血鬼にとって必要な血液の量も不明確だし、一度その味を覚えてしまったら止まらなくなる危険もある。そうなると、彼の提案が一番手軽に魔力補給が出来る……のだけれど……!


「……で、殿下は……良いんですか……? 私みたいな、婚約者でも何でもない女性と、キ、キスをする……だなんて……」


 私としては昔から(というか、過去らしき記憶の頃から)ずっとお慕いしているフォルク殿下と合意のもとでキスが出来るだなんて、願ったり叶ったりといいますか! こんなに幸せな事が許されるなら、吸血鬼に噛まれて良かったなんて思ってしまったりするんですが!?

 ……なんて不謹慎な欲望が全開なんですが、殿下は本当にそれで良いのかな、と。


 今の殿下にとって、私はただ偶然命を救っただけの幼馴染で。


 聖女だった時だって、一度もそんな甘い関係になんてなった事も無くて……。


 それなのに何の恋愛感情も無い私の為だけに、聖帝国の第二皇子の唇を簡単に差し出してしまって良いのだろうか……?


「……っ、無理ならこんな提案はしていない! むしろ、君の方こそ抵抗がある話なんじゃないのか……?」

「で、殿下に抵抗なんて一切ありません! 私は幼い頃から、身も心も殿下に捧げると誓って、アーデン家の令嬢として剣術に励み、貴方の騎士となる為に──っ!?」


 精一杯フォルク殿下への気持ちを熱弁していた私の口を、彼の薄い唇が塞いだのだと理解するのに、数秒を必要とした。

 それを理解した途端、驚愕と羞恥が同時に私を襲い来る。顔が火を吹くように熱を持ち、いつの間にか私の背中と後頭部に回された殿下の腕によって、私達はこれまで以上に密着していた。

 何秒、何十秒だったのか。私は、彼とどれだけ口付けを交わしていたのだろうか。また熱に浮かされるように頭がぼーっとして、何も考えられなくなってくる。これはきっと、緊張して体温が上がってしまっているせいだろう。

 しばらくして彼の方から口を離すと、


「……目、閉じてくれないか? 緊張……するだろ」


 吐息が掛かる距離で、甘く掠れた声で囁かれた。

 私は大人しく彼の言葉に従い、ギュッと目蓋を閉じる。

 殿下の指先が私の顎に触れ、口を開けるように促され──間も無くして再び落とされた彼の唇に身を任せ、口付けが更にその深さを増していく。


 ……私達は恋人ですらないのに、こんなキスをしているだなんて。


 これは決して【誓約】ではないけれど、誰にも明かせない秘密だな……なんて思いながら、私はそっと彼の服を掴み、幾度も降り注ぐフォルク殿下から注がれる魔力を受け止め続けていた。

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