第10話 熱い衝動と記憶の糸

「ジークハルト……! やはりお前だったんだな!?」

「何の事です?」


 鬼気迫る勢いでフォルク殿下にそう詰め寄られたジーク殿下は、わざとらしい笑みを浮かべながら首を傾げた。

 そんな弟の態度に、フォルク殿下の怒りは更に勢いを増す。

 殿下はまだ痛むであろう片脚を引き摺りながらも、具合の悪い私を背に庇って下さった。


「ここまで来て、まだしらばっくれるつもりとは……。我が弟ながら、末恐ろしいものだな。……アカデミーの卒業式が終わった直後、他の生徒達に勘付かれないように僕に刺客を差し向けたのは、ジーク……お前だったんだろう!?」


 卒業式の直後に、刺客が……!?

 まさか殿下は、誰も事件に巻き込まないように……私にすら何も告げぬまま、人知れず姿を隠し続けていたというの……?

 あの日から約二ヶ月もの間、こんな怪我を負いながらも……フォルク殿下は、ずっと一人で命を狙われて……。


 彼が命を狙われた理由は、勇者の血筋である兄のフォルク殿下が、勇者になれなかったから?

 それとも、アカデミー卒業後から熾烈になると予想されていた後継者争いの為、以前から兄を暗殺する計画を企てていたからなの……?


 想定外の事実の発覚に、思わず言葉を失ってしまう。

 けれども、問い詰められている立場であるはずのジーク殿下の余裕の笑みは、未だ崩れぬまま。意味ありげに細められた皇族の真紅の瞳に、私は言葉に尽くせない嫌な予感を覚えた。


「……何故フォルク兄さんは、ライン兄さんではなく僕を疑うのです? ライン兄さんにだって、貴方の命を狙う動機があるじゃないですか」

「僕は、後継者争いに興味は無い。次代のヘルデンラント皇帝に相応しい者は、兄上とお前とで話し合いでもして決めれば良いと……昔からそう言ってきたはずだ。だから兄上には、皇帝の座に興味の無い僕を狙う理由が無い」

「その理屈が通るなら、僕が兄さんを狙う理由も無いという事では?」

「いや……お前には、別の動機があるんだろう。それが今、ここにお前が現れた事で確信に変わった……!」


 言いながらフォルク殿下は愛剣を構え直し、何とその剣先を実の弟であるジーク殿下へと向けたのだ。


「ほう……?」

「フォルク殿下……!?」


 その行為が意味する事の重みを、この場に居る私達三人はよく理解しているはずだ。

 同じ皇族に対し、剣を向ける──フォルク殿下からジーク殿下に対する、宣戦布告。弟への明確な敵対心を示すものだからだ。


 尚もジーク殿下は余裕たっぷりに振る舞っており、興味深そうに顎に手を当てて、兄を観察している。


「宜しいのですか? フォルク兄さんが、今僕にしている事の重み……。いくら貴方の母親に問題があろうとも、それすらも分からないような愚かな兄ではないと思っていましたが……どうやら僕の勘違いだったようですね?」

「お前に僕の生まれについて、とやかく言われる筋合いは無い! そして僕は、何も間違ってなどいない──ジークハルト=ドラヒェン・フレスヴェルグ、貴様は間違い無く悪の側だっ! 僕の知っているジークは、吸血鬼と裏で手を組むような邪悪な人間ではなかった!!」


 ……そう。ジーク殿下が現れたのは、先程私に噛み付いてきた吸血鬼の男が消えて間も無くの事だった。

 そもそもここはドラゴンハート領内であり、遠い帝都の宮廷に居るはずの彼がこんな場所に居る事は、あまりにも不自然な事なのだ。


「……そうですね。僕はもう、ではありません。兄さんを狙った刺客も、先程ヴィオレッタ嬢を襲ったあの者も、僕の命令で動いた者達です」

「そ、そんな……!」

「ジークハルト……お前の目的は、一体何なんだ!」

「残念ですが、今はまだそれを明かす時ではないのですよ。……けれど、彼女の身体が作り替えられている最中だというのは事実です」


 彼のその発言に、私とフォルク殿下はハッと息を飲んだ。

 ジーク殿下は私達によく言い聞かせるように、ゆったりとした口調で話を続ける。


「……勇者になれなかった哀れな兄さんに、彼女を救うチャンスを与えましょう」

「何だと……!?」

「吸血鬼に噛まれた者は、同じ吸血鬼になる──というのは、子供でも知っているような有名な話ですよね? 兄さんが吸血を中断させた事により、あの吸血鬼によるヴィオレッタ嬢の吸血鬼化は不完全に終わりました。言うなれば、ハーフヴァンプとでも呼ぶべき存在にね。けれどもこのまま彼女を放置していれば、徐々にその身体は日光に弱くなり、完全な吸血鬼として完成されるでしょう」


 不完全な吸血鬼化……ハーフヴァンプ。

 私が今も殿下の血に反応してしまうのは、この身体が少しずつ吸血鬼としての本能に抗えないように、作り替えられようとしているから……。

 しかし、ジーク殿下の話が事実であるのなら、彼は私の吸血鬼化を止める方法を知っているという事になる。やはり彼は、何らかの理由で吸血鬼と──魔族と繋がっているのだろう。


「彼女を救う術を知りたければ、帝都までお越し下さい。……まあ、兄さんが無事に生きて宮廷まで来られるなら、という話ですがね」

「そんな悠長な事を言っている場合か!? 万が一にも手遅れになれば、ヴィオの身は大変な事になるんだぞ! 今すぐ彼女を救う方法を教えろ、ジークハルトッ!!」

「ふふっ、お断りさせて頂きます」


 綺麗な笑顔で拒絶したジーク殿下は、瞬きをしたほんの一瞬で姿を眩ませてしまった。

 すると驚愕する私の耳元で、ジーク殿下がそっと囁くのが聞こえた。


「あの日のお誘いですが……今もまだ、有効ですからね?」

「…………っ!」


 咄嗟に声のした方に振り向くも、既にそこには彼の姿などどこにも無い。

 その後はどれだけ周囲を見回してもジーク殿下は見付からず、私はとうとうその場に立っているのも苦しい状態になってしまった。脚に上手く力が入らず、ぜぇぜぇと呼吸が荒くなる。


「ヴィオっ、大丈夫か!?」

「はぁっ……でん、か……」


 やめて……近寄らないで……!

 そう叫んで彼を止めたいのに、彼は構わず私を抱き抱え、必死に呼び掛けてくるのだ。

 これはまずい……。殿下の血の匂いが近くなって、意識がそっちにばかり持って行かれそうになる……!

 本当に私が吸血鬼になりかけているのだとしたら、殿下に噛み付いてしまったら……彼は……彼まで同じ吸血鬼になってしまうんじゃないの……!?


 ああ……からだが、あつい……。




 *




 また、同じ夢を見た。


 夢の中の私は、白いローブを見に纏っていた。そして、敵と対峙している剣士──美しい黒髪の勇者様を庇って、背中に深い傷を負ってしまうのだ。


「ど、どうして……君が、僕なんかを庇って……!」


 いきなり私が飛び出してきた事実に驚愕し、大きく目を見開き、顔色を真っ青にした勇者様。

 彼の深い真紅の瞳は、私の姿を捉えながらも、その綺麗な眼が涙の膜に覆われて潤んでいくのが分かる。


 それは、あまりにも現実感のある夢で。

 背中に受けた剣の冷たい金属の感覚と、その後に襲い来る焼けるような痛みに、ぐっと奥歯を噛み締めずにはいられない。

 一気に冷や汗が吹き出してきて、流れ出す血で濡れていく法衣が、じっとりと肌に張り付いていくのが感じられた。


 この場には私と勇者様と、私を斬った敵しか居ない。

 勇者様はこれまでの連戦のせいでボロボロで、私にももう、彼を治すだけの魔力も残っていなかった。

 だから私が、彼を庇って盾になるしかなかった。




 ──そうだ。私は確かに、この光景を知っている。




「貴方は……この世界の、希望そのものです……。だから、貴方は……生きなくちゃ、いけません……」

「僕だけが生き残っても、意味が無い……! 僕のせいで君が死ぬだなんて……駄目だ、死ぬなっ……! 死ぬなよ、!」


 私は聖女となる家系に生まれた血筋の娘で、勇者に選ばれたフォルク殿下と共に、魔王討伐の旅に出た。

 聖女ヴィオレッタとして中央教会で育てられた私は、アカデミーを卒業したばかりの殿下と仲間達と共に、魔王復活を目論む魔族達と戦ったのだ。


 けれども魔王軍の幹部の凶刃から殿下を庇い、背中に致命傷を負ってしまった……。


「ごめん、なさい……。私、貴方にずっと……言えなかったことが、あるんです……」


 もう助からないだろうというのは、どんどん痛みの感覚が失われていく間に理解してしまっていた。

 だから最期に、これまで隠し続けてきた彼への想いを打ち明けたのだ。


「わたし……あなたの、ことが……ずっと、ずっと……



 すき、でした……」




 *




 熱に浮かされた私の身体は、未だにフォルク殿下の腕の中だった。

 吸血鬼化が進んでいる影響なのか、高熱のせいでしばらく意識を飛ばしてしまっていたらしい。


 ……けれども同時に、私は全てを思い出した。


 私は確かに聖女として過ごした経験があり、その時に共に旅をした黒髪の勇者とは、間違い無くこのフォルクハルト殿下、その人だったのだと。

 なのに一体どういう事なのか、今の私は聖女ではなく、アーデン伯爵の義理の娘という立場。

 フォルク殿下も勇者にはなれず、聖女だった頃には心強い味方であったはずのジーク殿下と敵対している状況なのだ。


 何がどうなってこんな事になっているのか……まるで分からない。

 まるで、同じ舞台設定で同じ顔と名前の登場人物が出て来るのに、それぞれ展開が異なる二つの物語があるような……。


 聖女のヴィオレッタ。

 そして、伯爵令嬢のヴィオレッタ。


 勇者のフォルク殿下。

 そして、勇者に選ばれなかったフォルク殿下。


 それから……私が聖女だった時の記憶とは何かが違う、吸血鬼と繋がりのあるジーク殿下。


 現時点で判明している中でも明確に違いがあるのは、私達三人の立場なのだ。


「ヴィオ……! 良かった……急に気を失ったようだったから、とても心配したよ」


 ……その中で、変わらないものもあった。



 今の私も、変わらずフォルク殿下に恋をしている。

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