第9話 闇夜の中の白
黒いローブに赤い髪のその少女は、私より少し若いように見えた。
ドラゴンハートの領地に居たものだから、てっきり彼女は竜人なのかと思っていたのだけれど……その瞳孔は、私達人間と変わらない。
若葉のように綺麗な色の瞳が印象的で、大人しそうな雰囲気の子だ。
見るからに魔法使いのような格好をしているから、彼女も旅人なのかもしれない。
帝国の中でも、このドラゴンハート領の環境であれば、ここでしか採れない植物や魔物の素材も手に入るだろう。アカデミーにも研究者気質の生徒が居たから、この子もそんな風に魔法薬を研究しながら旅をしていても不思議ではない。
自分の背丈とそう変わらない大きな杖を岩に立て掛けているのを見るに、一人でも戦える実力があるのだろう。
「馬上からいきなり声を掛けたものですから、驚かせてしまったようですね。ごめんなさい……ええと……」
「あっ……あたし、イグニア……。確かに……ちょっとびっくりしたけど……気にしてない、から」
イグニアと名乗った彼女は恥ずかしそうに薄っすらと頬を染めながら、目を伏せた。
「それより……あたしに、何か用がって、声を掛けたんでしょ……?」
「は、はい! 人を探しているのですが、この辺りで黒髪の青年を見掛けませんでしたか? 脚に怪我を負っているようなのですが……」
どうやら彼女には、心当たりがあったらしい。
彼女は眠そうな垂れ目を少し見開かせて、左の方を指差して言う。
「それっぽい人なら……あっち。こんな所で、人に会うなんて思わなかったから……よく覚えてる。赤い目をした……男の人でしょ……?」
「はい、そうです! あちらの方に向かったんですね。情報提供、ありがとうございます!」
私は急いでお礼を言って、彼女が指し示した方へと馬を走らせる。
「イグニアさん、そろそろ陽が沈みますので、どうかお気を付けて! 本当に助かりました! それでは、私はこれにて……!」
「う、うん。さよなら……ヴィオレッタも、気を付けて……」
イグニアさんに見送られ、私は今度こそ殿下を見付けてみせると心に誓った。
……それにしても、可愛い女の子だったなぁ。
アカデミーでは見掛けた覚えが無いから、独学で魔法を学んでいるのかしら?
でも……会った事がないはずなのに、彼女には何か引っ掛かるものがある。
イグニア……イグニア、か……。
「まさか……ね」
ふと脳裏に浮かんだ、歳の離れた文通相手の顔を思い出しながら、私は馬に付与魔法を掛け直すのだった。
*
「アーデン領の、ヴィオレッタ……。じゃあ、やっぱりあの子が……」
馬に乗り走り去っていった金髪の少女の背を見送りながら、イグニアが呟く。
それは誰の耳に届く事も無く、乾いた風に掻き消された。
*
イグニアという少女から聞いた情報を頼りに、しばらく馬を走らせていく。
私の記憶通りなら、この方角だと竜人の里へと向かっているはず。里に行くには、山を一つ越えなければならない。次第にその山が近付いているからか、徐々に木々の密集する地域に差し掛かってきた。
「こうも木が多いと、視界が悪すぎるわね……」
今は一刻も早くフォルク殿下を保護せねばならないというのに、早く馬を走らせようとすると、障害物にぶつかりそうになってしまいそうだ。
これは多分、竜人達の主な移動手段が竜の姿に変化し、空を飛んでいるせいだと思う。
私達のような人間であれば、物流の為に山や森をある程度切り拓き、馬車が通れるような最低限の道を確保したりするものだ。けれども竜人は、そんな手間を掛けなくとも、竜の翼で楽々と移動出来てしまう。更にこのドラゴンハート領は、帝国の役人すらも滅多に立ち入らない自治領だ。偶にしか来ないような種族の為に、わざわざ道の整備などする必要が無いのでは……?
とにかく、これ以上急いで行動するのは難しそうだ。
それに、もしも殿下が木々に紛れて動けなくなっていたとしたら、うっかり見逃してしまう危険もある。焦る気持ちはどうしようもないけれど、確実に彼を見付けなければ話にならない。
通り掛かった先で大きな樹があれば、そこに人が隠れられそうな
殿下の足取りに繋がりそうなものは見付けられないまま、気が付けば辺りは随分と薄暗くなってきていた。
「……だけど、暗いからって何もせずにはいられない。今この瞬間だって、殿下の身に危機が迫っているかもしれないもの」
それに、数々の目撃者からの証言によれば、フォルク殿下は怪我を負っている。夜になったからといって、私は大人しく朝が来るのを待つような真似は出来そうになかった。
私は袋の中にストックしておいた魔石を一つ取り出し、手の中に握り込む。そのまま手から魔石に宿る魔力を引き出しながら、馬に乗ったままでも足元を照らせる程度の明かりを灯す魔法を発動させた。
この程度の使い方なら、魔石の中の魔力の消耗も少なく済むだろう。残りは五個だから、今夜の捜索での消費は二つ程度に抑えておきたい。殿下の怪我の程度にもよるけれど、彼の治療に使う分の石も残したかったからだ。
すっかり夜になった山の中を、最低限の光だけで進んでいく。
ぼんやりと照らし出される木々。時折耳に入るフクロウらしき鳥の鳴き声を聞きながら、私は地道に殿下の姿を探し続ける。
殿下の名前を呼びながら捜すのは、あまり得策では無いだろう。
私の予想が正しいとすれば、彼が勇者に選ばれず卒業式の後に姿を消した事と、皇位継承争いが関係している事になる。
その状況で下手にフォルク殿下の名を口にしながら行動すると、私が彼を探している事──敵に殿下の足取りを知られてしまう事に繋がる危険性があるからだった。
だから私は「誰か居ませんか」と呼び掛けながら、彼を捜すようにしている。私の声がもしも殿下の耳に届いたのなら、きっと返事をしてくれるはず。仮に今、私達の立場が逆だったとしたら、私は絶対に幼馴染の声を聞き逃しはしないから……。
それから、どれだけ時間が経っただろうか。
そろそろ次の魔石を取り出し、魔力補給をしなければとポーチに手を伸ばそうとした時の事だ。
視界の端に何か光がちらついたかと思えば、急に鳥達が悲鳴を上げるように鳴き声を発しながら、次々に空へ飛び立っていく羽ばたきの音がいくつも聞こえてきたのである。
同時に、先程の光が見えた方角から感じる、強力な魔法が使われた気配。もしかするとあの光は、その魔法によるものだったのかもしれない。
それを使ったのが殿下である可能性もあるので、私は大急ぎで馬を向かわせた。
少し開けた場所に飛び出すと、そこには二人の人影があった。
一人は、怪しい風貌の男──金色の光を放つ目をした、青白い顔の男だった。どうやらその男が先程の光の発生源であったらしく、周囲には魔法で焼き払われたであろう草木の焦げ跡が残っている。
そして、その魔法を使われたであろうもう一人の相手が、突然馬に乗って現れた私の方へと振り返った。
記憶に残る最後の姿の頃よりも伸びた黒髪に、印象的な真紅の瞳。
彼の眼が、私を視界に捉えた瞬間、大きく見開かれる。
「ヴィ……オ……?」
「……っ、はい!」
久々に彼の唇から紡がれた、私の名前。
やはり無傷という訳ではなかったけれど、彼は……フォルクハルト殿下は、確かに生きていらっしゃった……!
卒業式の後から着の身着のまま逃亡し続けるしかなかったのか、情報通りアカデミーの制服姿だった。
私は思わず声が震えてしまい、一気に目頭が熱くなる。
……しかし、再会を喜んでばかりはいられない。目の前には殿下を害そうとしている不審人物がおり、殿下の手には剣が握られている。つまり、あの男は殿下の敵であり、私の敵でもあるという事だ。
私は馬から降り、腰の剣を抜きながら、殿下と男の間に立ち塞がった。
「この場はどうか、私にお任せを。貴方はその馬に乗って、速やかにここから離れて下さい!」
「……っ、無理だ! 君を置いて僕だけ逃げ出すだなんて、そんな事は許されない! それに──
──その男、普通じゃないぞ!」
「えっ……」
……【普通じゃない】。
フォルク殿下の口にした言葉の意味を理解するよりも早く、謎の男が動き出す。
咄嗟に防御に出ようと剣を構えようとするも、自分が思っていたよりも動揺してしまっていたらしい。普段なら出来ていたはずの防御が間に合わず、男の接近を許してしまった。
何か暗器の類でも持ち合わせている暗殺者なのかと、次の瞬間に遅い来るであろう痛みを予想して耐えようとすると──
「ぅぐっ……!?」
その男はとんでもない腕力で剣を押し退け、私の身体を両手でがっしりと押さえ付けたかと思うと、首筋に激しい痛みが走った。
「こいつっ、噛み付いて……!」
「ヴィオッ! ……くっ!」
なおも私の首筋に噛み付いて離れない男を引き離そうと、殿下がこちらに駆け付けようとする足音がした。
けれども脚を負傷している彼は、思うように身体が動かないらしい。すぐに止めに入るには至らなかったものの、どうにか踏ん張って男に攻撃を加えたようだった。
「彼女から、離れろっ……!」
「グアァッ!?」
どうやら殿下は、私に夢中で噛み付いている男の頭部目掛けて剣を突き出していたらしく、その痛みで私から離れていってくれた。
額の辺りから血を流す男は、片手でその傷を抑えながら私達を鋭く睨んだ後、夜の闇に溶けるようにその姿を消してしまった。あれも、何かしらの魔法によるものなのか……。
……いや、それよりも。
あの男に噛まれ始めてから、どうにも気分が悪いのだ。立っているだけでも冷や汗が止まらず、吐き気もする。
そんな私の体調を知ってか知らずか、フォルク殿下がしっかりと身体を支えてくれていた。
「……ヴィオ、大丈夫か!? あの男に、首に噛み付かれていたが……」
「殿下……」
殿下は私の首筋を確認すると、その表情を歪める。
「傷口は……どうなっていますか……?」
「……あの男の、噛み跡が残っている。それも妙に鋭い犬歯をしているのか、まるで吸血鬼に噛まれたような──」
それを聞いて、妙に納得してしまった。
……何故なら私は今、殿下の怪我した脚から香る血液の匂いに、とても敏感になっていたから。
呼吸を繰り返す度、胸の中が甘い幸福感に満たされるような……そんな感覚を覚えていた。
ああ……私、吸血鬼に噛まれてしまったんだ。
「……ヴィオ? 気分が悪いようだが、少し休んだ方が──」
「──ごめん……なさい、殿下」
私は彼の言葉を遮って、そっと彼の腕の中から抜け出した。
そうして彼に背を向けて、つい先程も告げた言葉を彼に投げ掛ける。
「……その馬に乗って、すぐにここから離れて下さい」
「またあの男がこの場に戻って来る可能性はあるが、少なくともヴィオだけを置いてここを離れる理由は無いよ。君を巻き込むつもりは無かったんだが……それとも、何か事情があるのかい?」
「ええ。彼女の身体は、吸血鬼として作り替えられてしまいましたからね」
突然会話に割り込んできた第三者の声に、私達は同時に顔を向けた。
いったい、いつからそこに居たというのだろう。
そこに立っていたのは、絶対にこの場に居るはずの無い人物……!
「……お久し振りですね、ヴィオレッタ嬢。最後にお会いしたのは、貴女が兄さんと一緒にアカデミーに行かれる前でしたか。ふふ……相変わらず、貴女はとてもお美しい」
そう言ってこちらに微笑みを向けるのは、フォルク殿下とは対照的な純白の髪をした青年──ヘルデンラント聖帝国の第三皇子、ジークハルト殿下だった。
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