第3話 不安は紅茶で流し込んで

 あの卒業式の日から二ヶ月が経過した今もなお、フォルク殿下の行方は分からないままだ。


 あの日、壇上に上がった勇者候補生は五人だった。

 一人は勿論、勇者の末裔であるフォルク殿下。

 そして──勇者としてアカデミーから盛大に送り出された、リュート・ジンという男子生徒だ。


 私は殿下が勇者に選ばれなかった事実に愕然とし、正直に言って、その後の記憶がほとんど無い……。

 フォルク殿下は誰よりも優秀で、困った人が居れば身分に関係無く、すぐに手を差し伸べる優しさもある人だ。

 実際、成績面ではリュートさんよりも上位であり、アカデミー生のほとんどが殿下が勇者に選ばられると確信していた事だろう。

 ……しかし、中央教会から呼ばれて来た聖女様の神託によれば、神が選ばれた勇者はリュートさんなのだという。


 アカデミーを卒業した私は、行方不明になった殿下の情報を探しながら、伯爵家のあるアーデン領に帰った。

 宮廷のある帝都の方でも、騎士団の方々がフォルク殿下を捜索する特別部隊を設置し、継続して行方を追っているそうだけれど……特に目立った成果は無い。

 私も養父であるバルドールお義父様にお願いして、領民に殿下らしき人物の目撃情報があれば、すぐに私に報せてもらうようにした。


「失礼致します。ヴィオレッタお嬢様……お茶をお持ち致しました」


 自室の窓からぼんやりと外を眺めていると、侍女のイルザが紅茶を用意してくれたようだった。

 テーブルの上に置かれた紅茶は湯気が立っており、茶葉の深い香りに混ざって、甘い果物の匂いがふわりと漂っている。

 イルザは心配そうに私を見ながら、銀のお盆を抱えていた。


「お嬢様のお好きな葡萄を加えた、フルーツティーを用意してみました。……ご気分がよろしければ、領民にも顔をお見せして下さいませ。城の者達も含め、皆がお嬢様のお顔を見たがっておりますわ」

「……心配させてしまって、ごめんなさい」


 私はイルザの淹れてくれた紅茶を口に含み、彼女に微笑んだ。

 ……上手く笑えていると良いのだけれど。


「イルザの紅茶で、ちょっぴり元気が出ました。これを飲んだら、少し外を散歩してこようと思います」

「もったいないお言葉ですわ。こちらに使用したのは早摘みの葡萄でして、もうしばらくすればワイン用の葡萄畑が収穫時期を迎えるそうです」

「それじゃあ、そちらの様子も見てきましょう。ワインはアーデン領の名産ですし……私も次期当主として、もっとしっかりとしなくてはなりませんね」

「付き添いが必要になりましたら、わたくしにお声掛け下さい。……皆に顔を見せて頂きたいのは事実ですが、お嬢様にご無理をさせたい訳ではございませんので」

「ええ、ありがとうございます」

「それでは、わたくしは失礼致します」


 そう言って、イルザは静かに去っていった。

 彼女は男爵家の令嬢で、私と違って本物のお嬢様だ。

 けれどもアーデン家で働いている侍女達は、誰もが私に親切にしてくれている。

 領民達も私の出自を知っているはずなのに、私を『アーデン家の娘』として扱ってくれるのだ。

 それは、この地を治めるバルドールお義父様の人柄によるものなのか、それとも田舎だから人々が大らかなのか……。どちらにせよ、私の第二の人生はとても恵まれているものだと思う。


 アーデン領は聖皇国の中で最も美味しいワインの生産地として有名で、私を引き取って下さったお義父様の大好物でもある。

 お義父様は息子夫婦を戦争で亡くし、私を伯爵家の跡継ぎとして育ててくれた。この城も戦争で一部が崩れてしまったそうなのだけれど、改装した結果、そんな爪痕も分からない程に美しい城となっていた。

 美味しい水と葡萄とワイン、美しい城──それこそが、我がアーデン領の名物だ。

 私はここで暮らすようになってから食べさせてもらった葡萄が好物になり、来年成人を迎えてからは、お義父様と一緒に私の生まれ年のワインを開けようと約束している。その場には、フォルク殿下も来て下さると……三人で、そう約束しているのだ。


 私は紅茶の入ったカップを見詰めながら、改めて考えた。


「……こんなに時間が経ったのに、どうして殿下の目撃談が一つも無いのかしら」


 宮廷騎士団ですら見付けられない、殿下の足跡。

 お義父様に聞いた話によれば、捜索隊の指揮をとっているのは、殿下の弟君であるジークハルト皇子なのだという。

 ジーク殿下は私と同い年の十九歳で、第三皇子。アカデミーには通わず、宮廷に家庭教師を招いて勉学に励んでいるらしい。


 ……私が思うに、怪しいのはフォルク殿下の二人のご兄弟。

 三男のジークハルト殿下か、同じ宮廷で生活している長男のラインハルト殿下が弟君に指示を出し、フォルク殿下捜索の妨げている可能性が考えられるのだ。



 フォルク殿下は、フレスヴェルグ皇族の第二皇子だ。

 このまま彼が発見されなければ、皇位継承権を巡る跡目争いは、第一皇子であるラインハルト殿下と、第三皇子であるジークハルト殿下が競い合う事になる。

 残された二人の王子からすれば、優秀なフォルク殿下が消えたのは好都合だろう。


 ……考えすぎだと思いたいけれど、ここまでの捜索で何の成果も得られないのは、いくら何でもおかしい。

 フォルク殿下が居なくなった事と、皇位継承の争いが無関係ならばまだ良い。けれど、もしもどちらかの皇子によって、殿下の捜索が妨害されていたのだとしたら……?




 *




 あれはまだ、私が十歳になったばかりの頃。

 宮廷に招かれ、殿下の誕生日をお祝いするパーティーに出席した時の事だ。

 初めてお会いした第三王子のジークハルト殿下から、こんな事を言われたのだ。


「ふーん……。貴方がフォルク兄さんお気に入りのご令嬢ですか。養子だと聞いていましたけど、ここに招待された令嬢達に負けず劣らず……いや、抜きん出ている美しさですね」

「えっ……!? あ、ありがとうございます……!」


 ジークハルト殿下は第二夫人の子供で、黒髪であるフォルク殿下とは対象的に、透き通るような白い髪をした少年だった。

 フレスヴェルグ家の三人の皇子は、誰もが目を見張る美貌の持ち主だ。彼ら兄弟に共通している真紅の瞳こそが、フレスヴェルグの血筋である証だ。

 私はフォルク殿下のご兄弟に嫌われてはいけないと緊張していたのもあり、予想以上にジークハルト殿下から好感触を得られていて驚いた。元は平民の出である事もあり、てっきりもっと冷たい態度を取られるとばかり思っていたからだ。

 しかしその驚愕は、別の驚きに塗り替えられる。


「お名前は確か、ヴィオレッタ嬢でしたか。騎士の名門、アーデン伯爵家の」

「はいっ! 私を引き取って下さったバルドールお義父様のご指導の下、フォルクハルト殿下に仕える騎士となるべく、日々研鑽を積んでおります! 四年後には、アカデミーに入学しようかと考えておりまして──」

「……貴方、僕に仕えてみる気はありませんか?」

「そ、それは……私が、ジークハルト殿下の騎士になると……?」

「ええ!」


 予想だにしていなかった提案に、私は激しく動揺し、混乱した。

 けれどもジークハルト殿下は清々しい笑顔で、更にこう続ける。


「これは貴方にとっても、悪い話ではないと思いますよ? 残念ながらフォルク兄さんは、優秀ではありながらも【血】に問題を抱えています」

「フォルク殿下の……【血】、ですか……?」

「ライン兄さんと僕の母上は、由緒正しい家柄の令嬢です。けれどもフォルク兄さんの母は……どこの馬の骨とも分からない、得体の知れない女性です」


 後から知った事だったけれど、この話は事実であるらしかった。

 長男のラインハルト殿下の母君は、隣国の公爵家の娘で第一夫人。

 三男のジークハルト殿下の母君は、魔法の名門であるブラン侯爵家の出身。

 そしてフォルク殿下の母君はというと……皇族の真紅の瞳を宿した殿下を産んだ功績を認められ、愛人でありながら第三夫人の座を与えられた。

 しかし第三夫人の待遇はかなり悪いようで、少ない侍女と共に、宮廷から遠く離れた僻地へ追いやられたのだという。

 そのせいで殿下は、母君とほとんど顔を合わせた事が無い。私も、彼女の顔すら見た事が無いのだ。


「そんな兄さんの騎士になっても……ヴィオレッタ嬢の将来は、決して明るくないのではありませんか? 僕では不満でしたら、ライン兄さんでも構いません。仮にフォルク兄さんが皇位に就いても、兄さんの生まれが悪いせいで、遅かれ早かれ民衆からの猛反発に──」


 ジークハルト殿下が、どうして私を引き込もうとしたのかは分からない。

 彼の言葉通りに受け取るなら、私の将来を考えての提案だったのだと思う。

 ……しかし、フォルク殿下が誰の血を引いていたとしても、死にかけだった私を見付けてくれた事実は変わらない。変えようがないのだ!


 私は、彼の兄である殿下の事をあれこれ言われて、腹が立って仕方が無かった。

 気が付いたらぼろぼろと泣き出してしまって、ジークハルト殿下が喋るのを止め、ぎょっとした顔をしていた。


「あ……ごめんなさい。貴方を泣かせるつもりは無かったんです」


 それなら、どんなつもりがあってそんな事を言ったの……!?


 そう言ってやりたかったけれど、周囲に大勢の目があるから、何も言葉に出来なかった。




 *




 この一件の後、ジークハルト殿下からお詫びの品が届いたりもしたけれど……あれからどうにも、私は彼の事が苦手だ。

 そうして、改めて実感した。

 やはり私がお仕えしたいのは、フォルクハルト殿下──この世でただ、彼一人だけなのだと。


「……少し、外の風に当たろう。町と畑の様子を見て、気持ちが落ち着いてから、改めて考えた方が良いかもしれないわ」


 考え事をしている間に飲み頃になっていた紅茶を、一気に飲み干す。

 私は壁に立て掛けておいた剣を腰に挿してから、自室を出た。

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