第13話

 エリスの姿が見えなくなり、私とレッドベアーはお互いの瞳を見つめていた。まるでこれから始まるダンスに緊張しているかのように、奴の瞳は赤く潤んでいる。私は奴の攻撃が来るまでじっとその場で待機した。


「グルォオオオオ!!」


 レッドベアーが雄たけびを上げ、私目掛けて右手を振り下ろす。通常の熊の手よりも二倍の大きさになっているその手は、大木をも切り裂く禍々しい爪に、巨石をも粉々に破壊できる硬さが見て取れた。


 この右手を体で受け止めたい欲求に駆られるが、そんなことをしてしまったら私の身体はバラバラに弾け飛んでしまうだろう。


「『飛翔剣』!」


 先程と同様に迫りくるレッドベアーの右手を飛んで躱す。奴の右手が地面に触れた瞬間、地面はひび割れ、小さなクレーターのようなものが発生した。やはり、あの攻撃を食らっていったら私の臓物は体の外へとぶち撒かれていただろう。


「くそぉぉ!私にもっと防御力があれば!強靭な肉体があれば!お前のその右手を受け止めることが出来るのに!」


 私は自分の欲望を抑えることが出来ず、思いのたけを叫ぶ。私に力が無いせいでヤツの攻撃をこの身で受けることが出来ないのがどれだけ悲しいことか。奴の爪は、私の身体に甚大なダメージを与えるに違いない。


「仕方ない……レッドベアーよ!貴様の魂が安らかに眠りにつく事を願っている!叶う事ならば、再びその姿で私の前に現れてくれ!」


 そう言いながら、右手を体の前に持ってきて『火球』の魔法式を書き換え始める。頭の中で思い浮かべて瞬時に書き換える事ができれば簡単なのだが、『再構築』のスキルは、目の前に魔法式を出現させて、指先で文字を書いていくのだ。この手間が無ければ、より強力なスキルであっただろう。


 『火球』の魔法式を無事に書き換えた私は、右手を目の前に突き出し、レッドベアー目掛けて魔法を放った。


「『火球』!!」


 私が詠唱した瞬間、私の右手のひらから直径三メートルもの巨大な火の玉が出現した。


 『火球』=<巨大な火の玉を><敵に向かって><真直ぐに放つ>


 これが今の『火球』の魔法式である。通常の火球が消費魔力十に対して、こいつの消費魔力はなんと八十だ。火の玉に「巨大な」という文言をつけただけで、八倍の消費魔力になったのは正直誤算だった。


 しかし、私の右手から放たれた火球はレッドベアーを飲み込んでいく。そのまま木々を薙ぎ倒していき、轟音をなり響かせて爆発した。あたりにはレッドベアーの物であった、腕や脚や頭が飛び散っている。


 ステータスでは完全に遅れをとっていたものの、スキルを使ってしまえばこんなものだった。私はあたりに飛散したレッドベアーの部位達を拾い上げて、アイテムボックスへと取り込んでいく。


「申し訳なかった……私のステータスが低いあまり、貴様と長時間戯れる事ができなかった。どうか安らかに眠るが良い」


 レッドベアーとの戦いに難無く勝利した私は、屋敷へと走りだした。出来ればエリスに追いついて、屋敷から外には出なかった事にして貰うのが一番なのだが、そうはいかないだろう。


 父が帰る前にこの出来事を有耶無耶にしてしまおうとも考えたが、周辺に住まう人々の為にも、レッドベアーを討伐した事は皆に知ってもらったほうが良いだろう。


 屋敷に戻った私は、母達に報告をしようと屋敷の扉を開ける。きっとエリスや母上が心配しているだろうと想像していたが、予想に反し私の前には父上の姿があった。その周囲には装備をした者達の姿もある。

 

「クソ!レッドベアーだったとは……直ぐに部隊を編成しろ!アレックスの死を無駄にするな!」

「ごめんなさい、ごめんなさい……私のせいで、私のせいで坊っちゃまが……」

「……エリス、今は悲しむよりも前にすべき事がある。アレックスがお前を逃がしてくれたおかげで、我々は相手を知る事が出来た!我が息子は、立派に務めを果たしたのだ!」


 彼らの話を聞く限り、どうやら私は亡くなっていると思われているらしい。私のスキルを知っていれば、レッドベアー如きに遅れを取らないと判るだろうに。全く失礼な家族だ。


「ただいま戻りました」


 私が声をかけると、一斉に皆の視線が私へと移る。父上は驚いた表情を浮かべると同時に、安堵の瞳を浮かべた。


「アレックス!!!!」


 父上が私の名前を呼びながら駆け寄ってくる。まだ利用価値のある私が無事に帰ってきて、安心したのだろう。その後ろには頬を濡らしながら咽び泣くエリスの姿がある。周囲の人間も彼女と同じように涙を流している。


 私にはなぜ彼等が泣いているのか理解できなかった。


 涙とは、目にある涙腺から出る液体。ひどく痛みを受けたり、感情が動かされた時に流れ出るもの。恐らく、死んだと思っていた私が無事に帰ってきた事で、喜びの感情があふれ出ているのだろう。


 だがなぜ、彼等はそこまで喜ぶのか私には分からなかった。どこまでいっても、私はユグル兄様の代替品でしかない。皆が涙を流すほどの価値はないのだ。


 皆の涙に動揺している時だった。私の左右頬を強烈な痛みが襲った。


 ゴツン


 鈍い音が鳴り響く。目の前には瞳に涙を貯めた父の姿があった。


 私は今、産まれて初めて父上に殴られたのだ。なぜ殴られたのか、私は理解することが出来なかった。思わず父上の顔を見つめ返す。その瞬間──


「……馬鹿者が!!」


 父上はそう私を罵ったあと、力一杯強く抱きしめてくれた。私は父上の真似をして、父上の体を抱きしめ返す。暫くして、私の左肩が湿っていくのが分かった。父上の頬を伝う涙が、私の肩を濡らしていくのだ。


「アレックス!」

「坊っちゃま!」


 その様子を眺めていた母上とエリスが父上に続くように私に抱きついてきた。二人も父上と同じように涙を流している。


「もう二度と会えないかと思いました!」


 私の袖を掴み、涙ながらに語るエリス。その言葉に私を抱き締めていた父上の力が強くなる。何故彼等が涙を流すのか、理解ができなかった。


 そんな時、私の頬を一筋の涙が流れていった。ふと、脳裏にあの日の言葉が過る。二人の兄とワインを飲み交わしたあの日。殴りかかってきたバン兄様を制したユグル兄様の言葉。


 『父上も母上も、バンも私も、君のことを愛しているんだ。そのことを忘れないでくれ』


「これが愛なのか……」


 私は三人を抱き締めた。その力は三人の力とは比べられない程にか弱い力だった。ただ私は確かに、『家族の愛』という目には見えない存在を知ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る