第12話

 翌朝、朝食を取ろうと食堂に行くと、いつも居る筈の父上の姿が無かった。私は母上の目の前の席へと座り朝食を取り始める。父上が居ないことで、場の静けさは更に増していた。


「母上、父上のお姿が見えませんが、どうしたのですか?」

「あの人ならセバスと共に、ウィル・クロイ子爵の所へお出かけになられたわ」

「子爵のところへですか?まさか、昨日の件を報告しに行ったのでは……」

「ええそうよ。昨日の『魔獣』の件だけれど、多分討伐隊が派遣されることになると思うから、アレックスも気を付けるのよ?」


 母上は私が話しかけてきたことに、嬉しそうな顔をしながら答える。しかし、私の心は穏やかでは無かった。昨日、父上がセバスに何か耳打ちをして居た時、この件について何らかの行動をとるとは思っていたが、まさか翌日に行動を起こすとは想定外だった。


 近隣住民の事を考えれば間違いなく正しい判断なのだが、私にとったら最悪の判断である。もし討伐隊が派遣され、魔獣が討伐されてしまえば折角の観察の機会が無くなってしまうからだ。


 私は急いでご飯を平らげて食堂を後にする。討伐隊よりも早く、魔獣を見つけなければと慌てて屋敷の門を出ようとした時、メイドのエリスが私の前に立ちはだかった。


「どこに行かれるのでしょうか坊ちゃん……まさか森に行くなどとは言いませんよね?」

「何を言っているエリス!森に行くに決まっているだろう!早くいかねば『魔獣』が討伐されてしまうではないか!」

「そうですね。ですから坊ちゃんはここでじっとしていてください。貴方が危険な目に遭うのを私達は望んでおりません」


 エリスは私の眼をジッと見つめ、両手を左右に広げて見せる。このまま彼女の脇を通り抜けることも出来るが、その選択は出来ない。エリスを説得せずに放置すれば、兵達が私を追ってくることになる。


 母上にも報告されてしまうだろうし、ここは何としてもエリスを説得するしかない。


「馬鹿な事を言うな!ユグル兄様が無事に騎士団に入団した以上、私が死んでも問題は無いはずだ!私の命なのだから自由にさせてくれ!いま『魔獣』を観察できなければ、次いつ遭遇出来るのか分からないんだぞ!!」


 きっとエリスは両親に頼まれてこの場に居るのだろう。私の性格からして『魔獣』を見に行くと推測した父上が、エリスに頼んで足止めをさせているのだ。もう既に家督はユグル兄様が継ぐと決まっているのだから、私が死んでも問題ないというのに。


「どうしても、行くというのですか?」

「ああ、無理やりでもそこを通らせて貰う!私の好奇心を抑えられるものなどどこにもない!」

「はぁ......分かりました。実力では坊ちゃまには敵いませんからね。ですが、私も着いて行かせて頂きます!これ以上の譲歩は致しませんのでご承知ください!」


 エリスは私の硬い意思を変えることが出来ないと分かったのか、森に行かせないことを諦めて自らも着いて行くと言ってきた。所謂お目付け役として、私が無茶をしないようにという事だろう。


 私としても、生まれてからずっと一緒に過ごしてきたメイドが居るところで無茶は出来ない。仕方が無いが今回は戦闘を避けることにしよう。


「分かった、それでいい!私もエリスが居るところで戦闘をするような馬鹿な真似はしない。さぁ、そうと決まれば早くいくぞ!!」

「少しお待ちください。身軽な格好に着替えてまいりますので」 


 そう言ってエリスは屋敷へと戻っていく。無駄な時間稼ぎをしているのだろうが、十分待って来なかったら先に出発してしまおうと決めた。しかしエリスは直ぐに着替えてやってきた。来なければ一人自由に行動できたというのに。仕方なく私はエリスと共に森の方へと向かっていった。


 ◇


「おかしい……」


 森の中へと足を踏み込んだ私は違和感を覚え、一言呟いた。エリスは不思議そうな顔をして私に聞き返す。

 

「何がおかしいのですか?別に変った様子は見受けられませんが」


 どうやらエリスは気づいていないらしい。私達がいる場所はまだ森の入口付近。つまり魔物が出るエリアまではもう少し奥へと進まないといけないはずだ。それなのに、私の足元にはゴブリンの足跡があるのだ。


「ここはまだ森の入口だぞ。それなのになぜゴブリンの足跡があるんだ?それに他の動物の気配が無い。フーワラビットも鳥の姿すらも見えないなんて、おかしいとは思わないか?」

「そう言えば、そうですね。この森で何かが起きているのでしょうか」


 エリスが話し終えたその瞬間、私の鼻を悪臭が襲った。昨日よりも遥かにキツイ悪臭に思わず鼻をつまむ。隣に居たエリスは初めての匂いに驚いて、叫び声をあげながら鼻をつまんだ。


 その直後、木の陰から私の身長を遥かに超える大きさの熊が現れた。その口元は血で染まっている。


「こいつだ!こいつが悪臭の正体!父上の推測通り、熊の魔獣だったのか!」


 興奮冷めやらぬ状態ながらも、私は目の前の巨大な熊を対象に『分析』を発動させた。


 ----------------------

【種族】 レッドベアー


【Lv】 20

【HP】 1300/1300

【魔力】 250/250

【攻撃力】 D+

【防御力】 D+

【敏捷性】 E+

【知力】  F

【運】  F


【スキル】

 斬爪

 噛み付き


【状態】

 魔獣化


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「凄い!凄いぞエリス!以前に見かけた熊とは比べ物にならないステータスだ!しかもスキルまで所持している!まさか魔獣化した動物はスキルを覚えるとでもいうのか?魔獣化が肉体に与える影響は巨大化やステータス上昇だけではないという事か!」


 私は鼻をつまんでいた手を離し、思わず両手を広げながら叫んでいた。冷静でいなければならないと分かってはいるものの、高ぶった感情というものは中々抑えることが出来ない。


「グルォォォォォォォ!!!」


 レッドベアーが雄叫びを上げる。隣に立っていたエリスは余りの恐怖にカタカタと震え始めた。

 

「そうかそうか!お前はそうやって鳴くのだな!もっと貴様の生態を曝け出せ!!」


 レッドベアーは四足歩行へと体勢を切り替えて、私めがけて突進を繰り出してきた。私はすぐさま剣を右手に握り、左手でエリスを抱きかかえてスキルを発動させる。


「『飛翔剣』!」


 スキル発動と同時に地面を思いきり蹴り、空高く舞い上がる。


『飛翔剣』の魔法式は『飛翔剣』=<空高く飛び><敵めがけて><剣を振るう>というモノだ。その式の<敵めがけて>という部分を消去したことにより、回避行動用の剣術と化したのだ。


 レッドベアーの突進を回避して再び地面に降りたった私は、自分の意思と反してその場で剣を振るう。これが物凄く恥ずかしい欠点なのだが致し方ない。風魔法の『飛翔』を使えればこんな恥ずかしい思いはしなくて済むのだが。


 今有るもので、この場をしのぐしかない。


「エリス、出来るだけ遠くに行け!私はこいつの観察を続ける!お前を庇っている暇は無いのでな!」

「で、ですが、それでは坊ちゃまが!」

「良いから行け!私には回避スキルがある!それにいざとなったら単独で逃走出来る!合理的に考えろ!私が囮になっているうちに逃げるんだ!これは命令だ!」


 私の必死の叫びにより、エリスは瞳から涙を流して「すみません……」と一言呟き背中を向け、きた道を戻っていった。


 何故エリスが涙を流し、私に向けて謝罪の言葉を述べたかは理解できないが、これでやっとレッドベアーの生態を観察することが出来る。


「さぁ、レッドベアー!観察のお時間だ!たっぷりと貴様の生態を味合わせてもらうぞ!」



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