27 この感情の名前はまだわからない


 爽やかな朝だ。

 爽やかな朝に似つかわしくないのはエリンの顔色だった。二日酔いもあるけれど、昨夜の失態を覚えているからだ。

 出会った日の初夜が明けた朝のように。リュドヴィックに抱きしめられたまま眠っていた。

 違うのは、この状況をエリンが作り出してしまっていることと、記憶が途中までしかないことだ。


「……えっと…………」


 エリンは記憶を紐解いていく。まず、自分がシャルロットのことを持ち出して、わめいたことは覚えている。


「最悪だ、リュドにとっては大切な人たちなのに」


 今まではシャルロットについて、あまり深く考えてはいなかった。素敵なご令嬢で、妃になるべく生まれたような、お姫様みたいな人。

 だけど王都に行ってリュドヴィックの旧友たちに出会ってから。リュドヴィックと彼らの絆に気づいてから。なんとなく重苦しい気持ちが芽生えてしまったのは本当だ。


(でもすべてを失ってしまったリュドにとって、あの手紙はかけがえのないものだったはずなのに)


「……謝らないと」

 

 抱かれた胸は規則的に上下している。見上げるとリュドヴィックの唇が目に入った。


「…………」


 次にエリンはリュドヴィックに自分からキスをしたことを思い出した。ジルベールやイーデンのことを持ち出されて、ついカッとなってやった。


(男として見ているか……そんなことはわからないわよ)


 だけど。初めて夜を過ごした時と違って。もう反抗期のドラゴンには思えない。回されている腕は太く、エリンは抜け出すこともできない。どうしたって意識してしまう。


「ええと、それからどうなったんだっけ」


 思い出そうとするとエリンの頭はずきずきと痛んだ。そもそも事の始まりはエリンがベッドに誘ったことにあることを思い出したからだ。


「え、え、え……!?」


 エリンの一番最後の記憶はリュドヴィックに優しく押し倒されたところで途切れている。


「まさか、えっ……」


 エリンは自分の身体を確認して、ほっと一息つく。ネグリジェは乱れていないし、リュドヴィックだってきちんと着ている。


「だ、大丈夫よね、そうよね」

「さっきから何を一人でぶつぶつ言ってるんだ」


 呆れたような声が上から降ってきてエリンの心臓は止まるかと思った。


「ひ、ひい!」

「なんだ、その声は」


 くすくすとリュドヴィックは笑いをこぼした。


「あの、怒ってないの……」

「何に対して」

「私が酔っ払って、その、色々言ったり、したりしたこと」

「覚えているのか」


 一瞬目を見開いた後にリュドヴィックはおかしそうに笑った。

 

「ちょっと待って。それで、あの……いつまで、私たち抱き合ってるの」

「あ」


 笑っていたリュドヴィックも状況を把握してすぐに顔を赤くする。二人はどちらともなく離れると、エリンは起き上がって正座をするから、リュドヴィックもつられて正座をした。


「本当にごめんなさい。もうお酒は控えるわ」

「……まあそれはそうした方がいいかもしれないな」


 眠気など即吹っ飛んでいる。向かい合わせになるが、気恥ずかしくて二人とも顔を上げられないでいる。

 昨日話した内容に触れてもいいのか、よくないのか。あれは本心なのか、どういった感情なのか。理解を深めるのがなんとなく怖いのだ。


「あの……手紙のことはごめんなさい。リュドの大切なものを否定するみたいで。全然その、手紙は大切にしてもらって構わないの」

「いや、僕もデリカシーがなかった」

 

 そしてまた二人して黙り込む。


「……き、今日はお互いゆっくりしましょう。私も少しお酒が抜けていないみたいだし、もう少し寝ようかな」


 エリンは困ったように笑った。いつもどうやってリュドヴィックと会話をしていたかなぜか思い出せない。

 

「ああ、そうだな。僕も寝ようかな」


 リュドヴィックも、学園にいた頃のような笑顔を貼り付けてから同意した。

 お互い顔を上げて、目が合うとどうにもできない感情に支配されて、へらりと笑うことしかできない。

 

 いっそ今日が仕事の予定が立て込んでいれば、そのままいつもの事業パートナーに戻れたかもしれない。

 自由な時間をお互いどう過ごすか考えていなかったのだ。

 エリンはリュドヴィックを島の飲食店に連れて行こうか、とぼんやり考えていたが言い出せない。

 リュドヴィックも、きっと一日エリンに振り回されるのだろうと思っていた。


「えっと、じゃあ。寝るね」


 エリンはもそもそと布団の中に戻っていく。


「ああ。じゃあ僕は自分の部屋に戻ろうかな」


 リュドヴィックはそう言ってベッドから立ち上がろうとした。


(そうか。リュドヴィックはいつも自室のソファで寝てるものね)


 寝室で二人で話をしても、寝るときには解散する。昨日は特例だったはずだ。

 リュドヴィックが部屋から出ていこうとするのを


「リュド」エリンは思わず呼び止めた。


「どうした?」

 リュドヴィックが振り向いて尋ねるけど、何か用があるわけでも、言いたいことがあるわけでもない。エリンが次の言葉を紡げずにいると、リュドヴィックはすたすたとベッドまで戻ってきてまたベッドに腰かけた。


「エリン」

「なに」

「昨日本当はエリンに言いたかったことがあるんだ。なかなか言えなかったけど」

 

 リュドヴィックの表情は思いつめているように見える。


(やっぱりシャルロット様が……)


 エリンには珍しいネガティブな感情がお腹の中にたまってざわざわとする。

 だけどちゃんと聞かないといけない。エリンは覚悟を決めて布団から這い出して、リュドヴィックの隣に座った。


「君にとっては不本意な結婚だったと思うが、僕はエリンと結婚出来てよかったと思っている。これからもよろしく頼む」

「え」


 気まずそうに少しだけ目をそらしながら、耳まで真っ赤にしてリュドヴィックは言った。


「……なんだ、その顔は」

「だって」

「覚えていないかもしれないが、エリンだって言ったんだぞ。結婚相手が、ぼ、僕で良かったと」

「……覚えてない」


 エリンの言葉にリュドヴィックはそうだろうなとこぼしてから、ため息をついた。


「でも、そう思ってる。リュドが来てくれて良かったって」

「僕が優秀だからだろ」

「あははっ」

「なんだ」

「リュドが自分を卑下しなくなってる……! そう、貴方は優秀だわ」


 いつもの調子が戻ったようにエリンはカラッとした笑顔を見せた。この笑顔にリュドヴィックはいつもつられて頬が緩む。

 

「ずっと私の夫になる人はどんな人かなって思ってたの。一緒にこの島のことを考えてくれる人なら誰でもよかったというのは、本当」

「やっぱりそうじゃないか」

「でももう今はリュド以外考えられないな」

「そ、そうか」


 また二人とも次の言葉が見つからない。でも先ほどと違うのは、うつむかずにお互いを見ていることだ。

 これが恋愛感情なのかはわからない。甘い雰囲気になるのはまだ早い気もする。だけど特別で、唯一のパートナーなのは間違いなかった。重苦しい夜のような感情は消えて、今抱く感情は朝のような爽やかさだ。この感情にはまだ名前をつけられない。

 

「…………」

「…………」 

「今日リュドは何か予定がある?」

「いや、ない。でもエリンと過ごすんだろうなとは思ってた」

「じゃあ、今日は外でご飯を食べない? 昨日話してたゾーイさんのお孫さんの料理店おいしいの」

「行く」


 そして目を合わせて、どちらからともなく笑みをこぼした。おかしいことがあるわけでもないのに、自然と。


「よし。頭が痛いので、寝ます!」

「僕も寝る。君がのしかかってきたからうまく眠れなかったんだ」

「それはすみませんでした」


 エリンはまた布団の中に戻ると、少しだけ布団を開いてみせた。


「リュドもここで寝る?」


 リュドヴィックの顔がまた赤くなり、視線が泳ぐ。


「僕は君みたいに図太くはないんだ。自室で眠る。昼に部屋の前で集合しよう」


 早口でそう言うと、リュドヴィックは寝室から出て行った。

 残されたエリンは染まった頬を隠すようにすっぽりと頭から布団をかぶった。


「私だってそんなに図太くないわよ」


 

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