26 再・ 涙の初夜


「お疲れ様ー」

 

 エリンの朗らかな声と共に軽くグラスを合わせる。お祝いでもらったルロワ産ワインだ。当分お金のことを気にしなくてもいいくらいお酒をいただいた。

 賑やかな一日が終わりに近づき、深まった夜。寝室のテーブルで二人はお疲れ様会だ。

 

「楽しかったけどさすがに疲れたわね」

「そうだな」

「でもリュドのことをみんなが受け入れてくれて嬉しかったなあ。あ、これ食べる? 結局食べ損なったでしょ、ゾーイさんの煮込み料理」

 机には今日の宴で出された料理がいくつか並んでいる。島民に次々と話しかけられ、二人はなかなか食事にありつけなかった。後で食べようとエリンは好物をこっそり寄せ集めていたのだ。


「昼から思っていたんだが、ゾーイさんとは?」

「三番通りに住んでるおばあちゃんよ。昔料理屋をしていたからおいしいの」

「そうか」


 おすすめされたのは、豆やベーコンを煮込んだ料理だ。全体的に鮮やかな紫色をしていて、見た目的にはあまりおいしそうに見えないのだが、食べると酸味が効いていておいしい。紫色の何かはルロワの特産物なのかもしれない。


「明日はゆっくりしましょう」

「明日の朝から動き出すわよ!と言い出すと思ったが」

「ここに来てからリュドも働きっぱなしだったしねー」


 よほどお腹が空いていたらしい。二人はすぐに料理を食べ終えてしまった。達成感や幸福感はあるとはいえ疲れが身体にたまっている。だけど、なんとなく自室に戻る気にはならない。すぐにしないといけない仕事の話があるわけでもないし、眠ってしまってもいい時間だ。それでもそれをお互い口にはせず、今日の出来事をぽつぽつと話しながらワインを飲んだ。

 リュドヴィックが何かを言おうと口を開いた瞬間、コンコンとノックの音が響いた。


「夜分遅くすみません。ブルーノ様から手紙を預かりましたのでお渡ししたく……」

「なんですって……!」

 

 椅子が転がる勢いでエリンは立ち上がると、扉に向かった。


「エド、どうやって受け取ったの」

 

 エリンの鋭い目を受けたエドは困った表情を見せる。


「申し訳ありません、奥様。私は直接お話をしておらず一匹のドラゴンがこの手紙を運んできまして」

「はあ……。ありがとう。次あの男から連絡があったら必ず教えて」

「かしこまりました」


 手紙を受け取って扉を閉める。

 ――結局、ブルーノを捕まえることはできなかったのだ。ジルベールが裏庭まで誘導して、エリンも到着した。大人しくブルーノは地上に降りるように見えたのだが……。彼が口笛を吹くと裏庭めがけて三十匹ほどのドラゴンが降りてきたのだ。強い風が巻き起こり、再び目を開けたときにはブルーノは自分のドラゴン・ルイーズに乗って空にいた。ジルベールやエリンが追いかけようにもドラゴンたちが邪魔で追いかけられず。リュドヴィックが裏庭に来た時には、怒りに震えるエリンとうなだれるジルベールしか残っていなかったのだった。


「あのおじさん、ドラゴン受けがやたらいいのよ。私のことも好いてくれてるけど、おじさんには適わないの」

 

 テーブルに座りなおしたエリンは吐き出すように言った。そして封筒を破って中身を確認する。リュドヴィックも後ろから一緒に文面を確認した。


『親愛なるリュドヴィック、エリン。結婚おめでとう!

 二人がドラゴン速達便を頑張っていると聞いたので、私もドラゴン速達便をやってみたよ!

 これ便利でとってもいいね。すごくいいアイデアです。二人はすごいね!

 結婚祝いの代わりと言ってはなんですが。私と親しくしている貴族にも数人勧めておきました。反応はよさそうだったので、良ければ訪ねてみてください。

 

 PS 王から命じられて今回の結婚を決めたつもりだったけど。

 君たち、本当は学生時代からアツアツだったんだね。まるで小説のようなラブロマンスだと聞きました。とてもうれしいです。ルロワの未来も安泰だね! 新しいルロワ家の一員が増えたらお祝いにきます。お元気で!』


「…………」

「…………」


 封筒にはもう一枚紙が入っていて、ブルーノが勧めてくれたらしい貴族の名前や住所が綴られている。エリンはそのリストをリュドヴィックに手渡す。有力貴族の名前が何名か並んでいて、たしかにこれはお祝いとしてはありがたい。


「……まあお父さんがいてもどうにもならないし。速達便を案内できる貴族が見つかっただけヨシとするか」

「そうだな」


 手紙をぐちゃぐちゃにするエリンを横目にリュドヴィックはワインを口に含んだ。


「次帰ってくるのは何年後になるのやら」


 エリンもぐいっとワインを煽った。


「エリン、もう四杯目だ。君は弱いんだから、水にしておいた方がいいんじゃないか」

 

 リュドヴィックは内心動揺しながらワインの瓶を自分の方に引き寄せた。エリンが発した言葉の内容が心をざわめかせた。その言い方であれば、何年か後には自分たちの間に子供がいると言っているのではないか。彼女にも一応夫婦という自覚はあったのか。


「結婚したんだよねえ、私たち」


 ワインを奪われたエリンは仕方なく水をたっぷり注ぎすぐに飲み干しながら、しみじみと言った。


「もうひと月以上前のことだけどな」

「でもちょっと今日実感が湧いた気がしない? 書類上の手続きじゃなくて、皆に認めてもらったから」

「結婚式というより、新領主お披露目式のようだったが」

「私は花嫁気分を味わったわよ」

「……そうか」


 今日のことを思い出して微笑むエリンを見てリュドヴィックは言葉に詰まった。


「結婚相手がリュドヴィックで良かったよ」とへらりと笑う。

 ほんの軽い口調だけど。今日一日、笑顔と祝福をたくさん浴びて。ルロワの一員として認めてもらって、柔らかくなっていたリュドヴィックの心に、その言葉は浸透していく。自分でも驚くほどのスピードで。


「エリン」

 先ほど言おうかと悩んでいた言葉が、身体の奥からこみあげてくる。リュドヴィックが顔を上げるとエリンの目の瞳は熱を持って潤んでいて、グラスを持つ手が汗で滲む。


「今日、どうする?」

「どうするとは」

「今日こそ本当の初夜でしょ」

「…………」


 エリンは立ち上がるとベッドに移動し腰掛ける。こっちにおいでと誘うようにじっとリュドヴィックを見ている。

 リュドヴィックとて考えなかったわけではない。親に勝手に決められた結婚だが、エリンの目的はルロワ家の繁栄なのだ。将来的にそのことも考えなくてはならないし、今日そういうことになるのが礼儀なのかもしれないと。だけど、エリンから向けられている感情は甘いものではないのだから、と思っていたのだ。


「こっち来ないの」


 すねた口調が聞こえてくるが、動揺したリュドヴィックはベッドの方すら向けない。顔の火照りが頭の奥まで到達している気がする。少しでも冷やそうと水を飲むが


「……これ、酒じゃないか」


 透明で水だと思ったものは果実酒のようだ、しかもかなりキツい。先ほどこれをエリンはかなりの量を飲んでいなかっただろうか。心配したリュドヴィックがベッドの方を見ると、エリンはしくしくえんえん、と擬音語がつきそうなくらい涙をこぼしていた。


「お、おい。エリンどうした」

「リュドはさ、やっぱりシャルロット様がいいんだ」

「え?」


 涙をいっぱいにためてエリンはリュドヴィックを見る。放っておくわけにもいかないのでベッドまで移動して、二人並んで座る。


「なぜシャリーが」

「シャルロット様はお姫様みたいだったもんね、リュドも王子様みたいでさ。いや、王子だったんだけど。いつも優しい目で見て、あー本当に王子様っているんだって思ってたもん。すみませんね、お姫様じゃなくて」

「何の話だ。それにシャリーは元婚約者ではあるが、元恋人ではない」


 リュドヴィックは初めての夜をぼんやり思い出した。エリンの前で大泣きしてしまった夜を。しかし、エリンがこんな風に泣くとは思っていなかった。あまりにも酔うと泣き上戸になるのだろうか。


「元恋人じゃなくても、子供の頃からずっとシャルロット様と結婚するつもりだったくせに」

「それは親が決めたことだったからであって……」

「今日だって。シャルロット様からの手紙にすごく喜んでたじゃない。宝物みたいに……」


 エリンはそう言うと思い出したのかボロボロと涙がこぼれる。リュドヴィックは昼間のことを思い出す。リュドヴィックが受け取った手紙を喜んでくれたエリンの明るい笑顔を。

 酒で多少気が大きくなっているとはいえ、この涙は少なからず本心なのではないか。そう思うと昼間の笑顔がちくりと胸に刺さる。


「そうだな。結婚式の場ではデリカシーがなかった。すまなかった」


 エリンとは事業のパートナーのようなもので、夫婦ではない。旧友はそう思っていたし、リュドヴィックもそう言い聞かせていた。しかし客観的に考えれば元婚約者からの手紙というのは結婚式にはふさわしくない。


「リュドは私のこと女だと思ってないんでしょ。ドラゴンの一匹だと思ってるんだ」

 

 そう言うと、エリンはリュドヴィックをベッドに押し倒した。いつもエリンが一人で眠っているベッドに。

 

「……そ、そんなことない」

「じゃあ、キスしてみなさいよ」

「はああ?」


 エリンの涙がリュドヴィックの頬に落ちる。どこまでが本心なのかリュドヴィックは困惑しつつも、自分の安易な行動が傷つけてしまっているかもしれないことには気づいた。


「ほら、やっぱりできないんだ。人前でしか王子になれないヘタレだ」

「……君だって。ドラゴン事業を一緒にやってくれる人間だったら、誰でもいいんじゃないのか」


 少しカチンときたリュドヴィックは体勢を起こす。二人の顔は本当にキスできてしまいそうなくらいに近づいた。


「あのいけ好かない男とか、イーデンの方が、ヘタレな僕よりいいだろ」

「なんでそうなるのよ」

「君だって、僕のことを事業パートナーとしか見てないんだろ。男として見てない」


 売り言葉に買い言葉だ。

 リュドヴィックの言葉にふくれ面になったエリンは、リュドヴィックの両頬をがっしりと挟むと、唇を押し付けた。


「男として見れます、残念でした」

 

 ざまあみろとエリンは小さく笑った。水分をたっぷり含んだ瞳が挑戦的にこちらを射抜く。

 リュドヴィックは衝動的にピンクに染まった頬に触れた。エリンは瞳を閉じて、ころんと一粒涙がこぼれる。

 

「……くそ。人の気も知らないで」


 リュドヴィックはエリンをそのままゆっくりベッドに押し倒した。エリンは抵抗することなく布団に沈んで、リュドヴィックの首に腕をまわした。


「エリンがキスをしろって言ったんだからな」


 そう言って顔を近づけると…………すうと寝息が聞こえてくる。

 

「……デジャブだ」


 リュドヴィックの身体はまたしてもエリンにがっしりと抱かれていて。ふりほどけないほどに強く抱きしめられている。

 あどけない寝顔に涙の筋が浮かんでいて。リュドヴィックは抵抗をやめた。

 火照った身体を冷やしたいのに、先ほどまでの会話を反芻すると熱がおさまりそうにない。

 普段のあっさりとしたエリンからは信じられないほど、わめいていたけれど。なぜかそれが嫌ではない。

 

「しかしこの体勢はしんどいな」

 

 エリンが下にいて、押しつぶさないようになんとか身体を起こしているのだ。リュドヴィックはエリンごと身体の向きを回転させて、自分の背中を布団に沈める。エリンはリュドヴィックの胸の上ですやすやと眠っている。


「はあ」


 朝までこのままの体勢なのだろうか。リュドヴィックは大きなため息をつく。

 ふと、先ほどのエリンからのキスの感触を思い出して、さらに大きなため息をついて何とかやり過ごすのだった。

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