23 三歩進んで二歩下がるけど一歩は進んでいる

 

「今夜は飲もう!」


 机にワインがドンと置かれた。エリンがどこからかワインとグラスを持ってきたらしい。

 夜、二人の寝室。

 二人は同じベッドに眠ることはないが、夜間に事業の相談をするときはこの部屋を活用している。広い館のなか、リビングや応接間までいくのが億劫だという単純な理由だ。

 三人との面会を終えて、ルロワ島に帰ってきた夜。少し相談がしたいとエリンに言われてリュドヴィックは寝室にやってきていた。


「ワインか。そんな気分になれないな」

「王都お疲れ会よ。それともドラゴン酔いした?」

「いや、それはもう大丈夫だ」

「じゃあどうぞ」


 エリンは赤ワインをなみなみと注ぐとリュドヴィックに手渡すから、それ以上は反論せずに受け取った。昼間の一件はまだ胸を重くさせているけどそれを気にしすぎても仕方のない話だ。


「速達便、トントン拍子に進むと思ったんだけどなあ。そんな甘くはなかったわね。ひとまず王都での待機場所は確保できたし、平民向けとはいえ学校と繋がれたことは良かったけど」


 エリンは自分のグラスにもワインを注ぐと疲れた声を出した。


「主な取引相手は貴族で想定していたからな。貴族との繋がりをどうしていくか」

「これから貴族向けに案内を強めていかないといけないわね」


 エリンはグラスに目を向けて揺れる赤を眺める。なんと切り出していいか迷っているようで少し悩んでから口を開いた。


「リュドは嫌だと思うのだけど――」

「……構わない。あの男が適任だろ」


 リュドヴィックはさらりと返すので、エリンは正直面食らった。


「うん。ジルなら王都で貴族との繋がりがある」


 貴族向けの案内を誰に任せるか考えて、ジルベールしかエリンは思いつかなかった。王立騎士団であれば貴族から見下されることもないし、ご夫人からの人気も高い。エリンの前では少々おかしな挙動だが、表向きはスマートな男なのだ。


「問題はジルには騎士の仕事があることね」

「騎士団も毎日警護の仕事があるわけではない。軌道に乗るまでの間だ。週に数時間だて時間を作れるようにグルーバーに掛け合ってみよう」

「ありがとう」


 ジルベールに任せる事をリュドヴィックがどう思うのか、エリンは内心不安であった。二人はあまり相性がいいとはいえない。


(私が言い出すことをわかっていたみたいだわ)


 エリンは言葉を飲み込む代わりにドライフルーツを齧った。リュドヴィックの前にも小皿を置くと、彼も一口齧る。


「苦い」

「オロゴロンフルーツは乾燥させると渋いのよ」

「渋すぎないか。でも案外癖になるな」

「そうでしょう」


 リュドヴィックは黄緑色のドライフルーツをもう一粒口にほおりこんだ。


「残念だけど速達便はすぐには流行らなさそうだから、他の案も進めていきたいわね」

「そうだな。三日後からはそちらも進めよう」

「三日後? 明日からしないの?」


 エリンが聞くとリュドヴィックは呆れた表情を作る。


「おい忘れたのか、明後日は結婚式だろう」

「ああ、そうでした」


 乙女の憧れだと主張していたし、リュドヴィックの旧友たちにアピールはしたくせに、仕事のことを考えると頭から抜け落ちるらしい。


「でもどんどん進めないと」

「急ぎの予定はないだろう。急いても仕方ない」

「まあ……そうね」


 パンクするくらい忙しくなるのでは?と夢描いていた速達便もゆるやかな始まりになりそうだし、天才魔法士に相談するとしても事業の中身も固めていない。早くドラゴン事業を進めたいと気持ちばかり焦るけど、夢は大きくて掴めない雲みたいだ。


「ちょっと焦りすぎていたかも。明日はゆっくりするわ」


 リュドヴィックが来てから怒涛の日々だった。毎日バタバタと何かしら動いていて、休養の日などなかった。


「明日は事務仕事に専念します」


 エリンは領地に関する書類がたまっていたことを思い出してそう言うと


「……ゆっくりするんじゃなかったのか」

 リュドヴィックが咎めるようにエリンをじろりと見る。


「リュドはしてくれててもいいわよ」

「二人で終わらせたらすぐ終わるだろ」


 ため息をつきながらも付き合ってくれるリュドヴィックにエリンは笑みをこぼした。

 ……思い返せば、エリンはずっと楽しかった。念願のドラゴン事業を考えることができて。優秀なパートナーまで来てくれて。でもリュドヴィックはどうだろうか。文句をいいつつも毎日付き合ってくれたけど。彼は慣れない島で過ごすだけで疲れるだろうし、ドラゴンに乗ることだって容易ではなかった。

 せめて結婚式と翌日くらいはリュドヴィックのためにもゆっくり過ごしたほうがいいかもしれない。エリンはそう考えた。


「そもそも書類仕事に関しては専門の人間を雇った方がいい。僕とエリンはドラゴン事業に専念できるし、訓練生やメイドから引き抜くのはどうだ」

「いいわね。有り余る人材問題も解消できるわね」

「外に出していくだけでなく、中を支える人材も確保するべきだ。速達便を届けてくれるドラゴンとドラゴン使いだけでなく、ドラゴン事業の運営を支えてくれる者も必要だ。書類仕事もそうだし細々としたものはどんどん多くなる」


 すっかりワインの瓶を空にしたリュドヴィックは次のワインに手をかける。


「確かにそうね……実行部隊ばかり考えていたわ。この館は部屋もありあまっているし、ここを本部にして運営担当を雇っていきましょう」

「次の事業を考える前にそのあたりの採用を進めた方がいいな。一度整ってしまえば今後が楽になる」

「そうしましょう。結婚式で島の皆にリュドの顔見せもできるしね」


 先程まで何から手を出せばいいのかわからないほど大きくてぼやけてた夢が、整理することで少しずつクリアになっていく。


「なんだか全部うまくいく気がしてきたぞー!」


 一度気持ちがすっきりすればどこまでも前向きになれるエリンは楽し気な声をあげた。そんなエリンをリュドヴィックも口角を上げながら見守り、ワインをもう一口飲んだ。


「あ、今日は二本までだからね」


 ゆっくりさせてあげたいが、それと節約は別の話である。


 ・・


「エリン様……! 本当に美しいです!」


 メイドが部屋に三十人はいる。多すぎだ。

 エリンの晴れ姿を作り上げることに多くのメイドが立候補して、いつも通り特に仕事もなかったので皆が部屋になだれ込むことになった。

 三十人に少しずつ化粧を施してもらい、エリンのふわふわの癖っ毛はゆるやかなウェーブのシニヨンにまとまった。

 細身の純白のドレスを着たエリンに大げさなくらいメイドたちは瞳をうるませた。


「エリン様、本当にお美しいです……!」

「大げさだなあ」


 でも鏡を見たエリンも悪い気はしない。

 ドラゴンに乗るから、と言っていつも髪の毛を適当に三つ編みやポニーテールに結んで化粧っ気もなく、パンツルックなのだ。

 先日あのいけ好かない男の家に行くときはドレスを着たが、自分ではこんなにうまく化粧はできなかったし、学園でもそうだ。

 ふわふわの髪の毛がこんな美しくウェーブに変わるとは。

 時間がなくて適当に決めたドレスだったが、メイドたちがエリンの身体にぴったり沿うように手直しもしてくれている。

 爽やかな白はエリンによく似合った。


「リュドヴィック様もきっとお喜びになります」

「それはどうかなあ」


 だって、リュドヴィックは美しいお姫様に慣れているし。

 私のことを好きなわけではないし。

 あ、でも可愛いとは思ってくれているわよ。

 ……って、だからなんだって言うのよ。


 脳内で一人会話が広がっていくのを、エリンは振り払った。


「では館の外に向かいましょうか」

「ええ」


 ルロワの結婚式は教会では行わない。というか教会はない。

 ルロワには信仰する神はなく、日々の恵みや健康をルロワの大地に、ルロワの民に感謝する。


「もうたくさんのひとが集まってくれているわ……!」


 窓から湖の先を見る。湖のほとりにずらりと島民が並んでいるのが見える。湖の上にもドラゴンに乗った人々が。


 結婚する人たちの自宅に皆が集まって島と民に誓うのだ、永遠の愛を。


「よし、行きましょう! リュドのことをみんなに紹介しないとね! おっとと……」

「エリン様、今日はドレスですからね」

「えへへ、そうでした」


 ドレスの裾を踏まないようにピンと背筋を伸ばして、エリンは部屋をでた。

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