22 傷口に沁みる笑顔

 


「やなやつ!やなやつ!やなやつ!」


 リプソン家の屋敷が見えなくなるところまできてエリンは怒りの声をあげた。ドシドシと大股で歩く。


「ほんとに一番の友なの?」


「……変わってしまったのか、いや、違うな。僕の立場が変わっただけだ」


「何それ。じゃああの男は、リュドが王子だったから仲良くしてただけってこと?」


「僕が王子のままであれば一生貫き通せたこと」


 エリンはじっとリュドヴィックを見る。さらりとした口調で表情も特に変化はない。

 

(でも何も感じていないわけないわ)


 初めての夜、でリュドヴィックが涙をぽろぽろこぼしていたことを思い出す。昨夜酒を飲みながらエルヴィスについて嬉しそうに語っていたことも思い出す。


「僕はきっと恨まれていたんだろうな」


「あれは妬みって言うのよ」


 エリンが訂正するとリュドヴィックは小さく笑ってくれた。


「しかしエルヴィスのいうことは正しい。彼に頼めないとなると、正攻法で貴族たちに交渉をしていかないといけないが……私が出向いてはいけないとはっきりわかったよ。そこは甘くて考えが浅かった」


「ルロワ辺境伯として、でもダメなの?」


「ああそうだ。主要貴族で僕の顔がわからない者などいない」


「でもあなたに同情的な人もいるでしょうし、協力してくれるかもよ」


「いや、だめなんだ」


 リュドヴィックは立ち止まって首を振った。


「僕は国外追放されている。ブランシャールの名前を語ることも許されていない。エルヴィスの言う通り、そんな僕が王都に来てはいけない。それは国王の信頼にも関わる」


「あ……」


「結局我が子可愛さに国内に留めていると思われる。そして追放された立場である息子は道楽を始めて昔の縁で売り込みをしてると思われたら……エルヴィスの言う通りだ。甘かった。


 事業をするにはネガティブに考えることも大事だな。―それをエルヴィスは気付かせてくれたのかもしれないな」


「いや、あの男は嫌な奴なだけよ。

 ――まあでもそうね。ちょっと甘かったかも。宰相が利用してくれればもう後は勝手に広がっていくくらいに呑気に考えていたわ」


「エルヴィスに頼めないなら交渉を行っていくしかないな」


「でも私も女だから相手にされないかも……貴族と交渉する者も選出した方がよさそうね」


 二人は歩きながら貴族たちの住宅地を抜けた。今からは食事をするために、イーデンとの面会のために、城下町へ戻る。


「イーデンに会うのが怖い?」


「そうだな……マクレガー家に招いてもらえなかったとなると……」


 イーデンに指定された場所は城下町にある食堂の一つだった。休憩時間に昼食を兼ねて面会がしないかと言われたが、彼も侯爵家の者なのだ。使用人の入り口から通された先ほどの出来事が蘇る。


「大丈夫?私一人で行ってこようか?」


「いやいいんだ。僕がイーデンに会いたい」


 リュドヴィックは緊張した面持ちで歩みを進めて、エリンは後から追いかけていった。



 ・・



 指定された食堂は、広々とした賑やかな場所だった。たくさんの人がいるから、まさかここに元王子がいるとは誰も思わないだろう。


「やあこっちだ」


 奥のテーブルから明るい声が聞こえて茶髪の青年が手を振っている。

 人をかき分けて二人が彼の元にたどり着くと、席を立って笑顔を向けた。人懐こい顔だ。



「リュド!元気そうでよかったよ!君がどうなったか本当に心配だったんだ!エリン嬢も久しぶりだね」


 パッと咲く笑顔とはつらつとした明るい声に、二人の重い心は少し晴れる。彼の表情はとても演技のものではなく旧友に会えた喜びを感じる。


「リュドはこんなところで食事だなんて初めてじゃないか?僕が頼んでやろうか」


「行ったことはある」


「リュドが!?ルロワの陽気さに染まったか!」


 イーデンは目を丸くした後に歯を見せて笑う。楽しそうな口調からはルロワへの嫌味も感じられずエリンはこっそり安堵した。


「イーデンだって。こういう飲食店に行っていたイメージはないが」


「行かざるを得ないんだよ」


 イーデンはそう言って店員に向かって手を挙げた。「ここはハニーチキンが美味しいんだ。何も言わずに食べてくれ、後悔させないから。――ハニーチキンを下さい」


「行かざるを得ないとは?」


 注文を聞いた店員が去っていくとリュドヴィックは尋ねた。


「僕も父に家を追い出されたからだよ」


「えっ?」


 イーデンはなんてことないような口調で言ったが、リュドヴィックは驚きが隠せなかったようだ。よそ行きの顔が崩れる。


「父は真面目で厳格な人だと知っているだろう」


「ああ」


「僕は罪人ではない、ああもちろん君も。だけどマクレガー家として僕のことを許せなかったみたいだ。侯爵家から籍を抜かれたわけではないけど、物理的に家は追い出された」


 イーデンが説明していると、ハニーチキンが届く。香ばしさに誘われてがイーデンは「食べてもいいかな?」と話を中断した。


「これは手で持ってかみつくんだ」


「魚の串焼きと同じだな」


「そういうこと!」


 パリパリの皮にとろりとしたソースが絡みついている。大事な話の途中ではあるが、皆空腹で香りには耐えきれずかぶりついた。


「それでイーデンは、チェスト学園で教師をしているんだな」


 王都に学園はいくつかあるが、イーデンは貴族が通う学園ではなく、平民が通う学園に勤めていた。


「そう。本当なら僕は母校で教師をした後に父の跡を継いで、学園長になる予定だった。でも父が許さなかった。リュドと違って僕たちは噂も回っていないんだけど、父の心の問題らしいよ」


「なるほど。マクレガー侯爵らしい」


「チェスト学園で経験を積んで立派に成長できれば、マクレガー家も学園長の跡継ぎも考えるってさ。父の希望に達さなければ今度こそマクレガーを名乗ることを許されなくなるよ」


「イーデンなら問題ないだろう」


 生徒会長をつとめていたのは家柄だけでなく、彼自身が優秀なのと人柄のおかげだ。彼が教師としてうまくいかないわけない、とリュドヴィックは思った。


「それで……だから悪いんだけど、二人の事業を手伝えない。僕の父を頼ろうとしてくれたんだろうけど、今は無理だ」


 イーデンは口元をナフキンで拭きながらもう一度「力になれず済まない」と呟いた。


「一応ドラゴン速達便についてお話させてもらってもいいかしら。あなたの勤めている学園は地方からくる子はいるんでしょう?使う場面があると思うの」


 エリンは書類をイーデンに渡し、どのようなサービスか簡単に説明した。イーデンは真剣に書類を読んでくれる。


「へえ、おもしろいね。個人的に使ってみたい……ただ個人的に送る遠方の知り合いはいないから、いつか二人に絵葉書でも送るよ」


「ふふ、待ってるわ」


「学園にも紹介しておくよ。生徒の領地に届ける書類はよくあるし。――僕たちの母校で出来ればよかったんだけど」


「本当にそうなのよ。でもイーデンの学園でいい噂が広まれば、利用したい人も増えるかも!」


 イーデンとエリンはきちんと話したのは初めてだったが波長が合うらしく、会話はテンポよく進んだ。


「貴族へのアピールが出来ないのは申し訳ない。でも僕も君たちの役には立ちたいと思っているよ。ドラゴンって実は興味があるんだよ」


「そう言ってもらえるなら嬉しいわ。どっかの陰険とは大違いよ」


「あ、もしかして今日はエルヴィスにも会ってきたのかな?」


 二人の恰好をおかしそうにイーデンは見た。確かに二人は格好はこの食堂ではものすごく浮いている。


「……その様子だと撃沈だったみたいだね。仕方ないよ、エルヴィスはずっとシャリーが好きだったからね。リュドが落ちぶれたと喜んでるんだよ」


「そうだったのか?」


「やっぱり妬んでいたのね」


「リュドはそのあたり鈍感だからな。エルヴィスが今シャリーと結婚するために躍起になっている噂は聞いたよ」


「気にすることはない。そのうちまたエルヴィスも助けてくれるさ」


 リュドヴィックは冷静に言ったのを見ながら、エリンは思い出した。


「イーデンお願いをひとつあるわ!」


「なんだい?」


「私達の結婚式にきてくれないかしら!?」


「もちろんだよ、ありがとう」


 エルヴィスとの面会で惨敗した二人に、イーデンの笑顔はよく沁みた。

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