第2話 K市会社ビル
こんな世の中において、F市が、無謀な、
「ダイナマイト計画」
を進めているのを見て、K市の市長は、
「あいつは反面教師だ」
ということで、自分たちの考え方を優先するというやり方に徹するようになってきた。
元々、F市との間の確執は、戦後くらいからあり、ある意味、
「ライバル関係にある」
と言ってもいいだろう。
元々、K市も、一度県庁所在地としての名が挙がったことがあった。ただそれは、隣の、D市との合併が条件であったが、これに対しては、K市の方も、D市の方も、声を揃える形で、
「それは嫌だ」
ということで、お蔵入りになったのだった。
また、
「平成の市町合併」
でも、D市との合併の話があったが、これもなしになった、
ただこの時は、D市側の反対が強かった。
「お互いにせっかく市として成り立っているのに、合併することはない」
というのが、D市の理屈で、K市の方も、結構独自の政治を行っているところがあったので、他との合併は避けたかったのだ。
「県庁所在地である、F市に吸収合併される」
などという、根も葉もないうわさが立ったが、K市の住民は、K市が、F市に並々ならぬ対抗心を持っていることは分かっているので、
「合併など、天地がひっくり返らなければ、ありえない」
と思っていた。
そもそも、もし不況などで倒れるとすれば、他の市の方が先で、最期までK市は生き残るとほとんどの皆が思っていた。
実際に、ここは市県民税も他に比べれば高かったのだが、それでも、
「他の市に住むよりは、ここにいた方が絶対にいい」
ということで、転出する人はほとんどいなかった。
さすがに、今では飽和状態になっているので、転入を受け入れられる状況で会ないが、そのおかげで、市の懐は潤っている。
市が誘致する会社も、しっかりしたところが多く、安定していた。
そんなK市というところは、実にいいところで、環境面、教育、実に行き届いているところだったのだ。
もっとも、K市が、全国的にも、
「モデル都市」
だといわれるようになったのは、最近のことで、それこそ、
「パンデミックのおかげ」
ともいえるかも知れない。
ここでは、病院が充実していて、医療も充実していた。
他の地区で患者が多発しても、ここでは、結果、医療崩壊を起こすことはなかった。
市の方針を、企業も家庭も一致岩傑して守ったのだ。
国の体制からいえば、逆らっているところもあったが、市長が、立ちはだかってくれて、市民全員が、盾になる形で、うまく回していた。
「逆に、中央政府に逆らう自治体だったから、余計に、団結した」
といえるのではないだろうか。
この土地の人間は、そもそも、そういう人が多いのか、中央政府に不満を持っている人が比較的多かった。
だから、市の方針が、
「政府に逆らう」
というやり方で、貫いてこれたのだろう。
市の方としても、国家に逆らう市民を後ろ盾にすれば、
「中央に逆らうことができる」
と思っているのだろう。
他の自治体でも、
「市民が逆らってくれたら、自分たちが矢面に立つくらいの覚悟はある」
という自治体も、全国にはあるに違いない。
実際に、水面下では、他の県でも似たような考えを持っている市とは、連携を取っていて、
「どちらかが、活動を起こせば、その後方支援は、水面下で行う」
というような考え方を持って、体勢を築いていたのだった。
だからこそ、今回のようなパンデミックが発生した時、自治体によって、
「被害のひどいところ」
または、
「比較的被害の少ないところ」
と、明らかに分かるところが多かった。
自治体は自治体で、政府のいうことばかり聞いているわけではなく、自分たちで自主的に行動できる体制を、最初から築いているところは、少なくないのだった。
そんな中の一つにK市があり、K市が、
「モデル都市だ」
と言われるようになったのも、K市をプロパガンダとして、国政に逆らう体制を築いているのだった、
そういう意味で、K市というところは、結構破天荒なところがあるのではないだろうか?
政府に逆らうという意味では、そういえば、ここの市長は、元々作家で、政府批判の矢面になっている人だったと聞いたことがあった。
政府や、官僚などの話題を、結構早くから掘り下げる作家で、トレンディドラマが流行った頃からこっち、官僚における。
「キャリア、ノンキャリ」
などと言った階層への挑戦を描く作品が主流となってきたが、その先駆けのような作品を書いていたのが、ここの市長だった。
それだけに、中央政府や官僚についても詳しいだろう。どこまで取材ができたのか、官僚や政治家が、どこまで話をしてくれたのか分からないが、ある意味、ある程度のことは話しておかないと、
「何を書かれるか分からない」
ということである。
中途半端な知識から、
「読者に面白おかしく伝える」
ということを主体として書かれると、もし、それが本当のことでも、書かれては困ることを暴かれるのは困るだろう。
下手にニアミスになるようなつもりで作家としては書いていても、それが真実であれば、普通であれば、
「名誉棄損」
といえるのだろうが、下手にここでごねると、
「痛くもない腹を探られた」
とでも言わんばかりの自体になりかねないと言えるであろう。
特に、自分が書き始めた作風がウケて、二番煎じで、どんどん新しい作品が生まれてくると、
「自分が本当の生みの親なのに」
と思いながらも、人に取られたことで、自分は、別の道を模索するようになる。
「どうせ、まわりが追いかけてくるのだろうが、先駆者が自分であるということを、世間が認めてさえくれれば、それでいい」
と考えていた。
彼は、
「他の人に踏み荒らされたものを悔やむよりも、また新たな世界を開拓する」
ということに生きがいを感じ、
「とにかく、先を見ること」
ということをモットーに感じ、いつの間にか市長選に立候補し、圧倒的多数で、当選したのだった。
そこから先は、今が3期目で、結構長期政権なのだが、それでも、いまだに新たな開拓を模索している。隣の、F市の市長と比較すればするほど、
「月とスッポンだ」
といえるだろう。
特に、今回のパンデミックにおいて、その対応の早さが全国的にも表彰に値するくらいの成果があり、感染者数は、人口のわりに少なかった。
しかも、隣が、県庁所在地であるF市なのにである。
F市の場合は、大都市の中では全国でもワーストに近いくらい、十万人に一人の割合の患者が、相当多い。
K市の市長は、早急に、K市との境に非常線を貼り、往来を禁止する措置を取った。
もちろん、緊急事態宣言が出ている間だけのことだが、その狙いは、少々厳しく締め付けても、結果として、感染が少なければ、
「K市が正しかったんだ」
という前例を作ったことになり、他の市と比較すればするほど、評価は高くなる。
しかも、隣がF市だというのも、幸いだった。
感染に苦しんでいるF市の人たちには申し訳ないが、K市のいいところばかりが、目立って、F市は世間から非難されることになった。
もっとも、F市の市長が、自分の体裁ばかりつくろっているので、
「市民のことは置き去りだ」
と言われても無理はない。
何しろ、F市の市長が、
「K市を目の敵にしている」
と思われているので、
「あの市長は、市民を犠牲にして、自分のプライドと体裁ばかりを見繕っているんだ」
と言われるのだ。
だからこそ、
「ダイナマイト計画」
などという馬鹿げたことをして、時代を逆行するという、
「やってはいけないタブー」
を犯そうとしているのだ。
それを、K市の市長は分かっているが、余計なことは言わない。それよりも、もし、F市が失敗し、さらに財政がひっ迫してきた時、
「我がK市に、その災いをいかに最小限に食い止めるか?」
ということが大切だった。
これは、さすがにK市の職員は、皆がわかっていて、今は、そのための情報収集などに余念がなく、準備段階に入っているといってもいい。
「とにかく、隣のF市のとばっちりを食らって、共倒れだけはあってはならない」
と皆が感じている。
そのためには、F市が破綻しても、
「自業自得だ」
というくらいに考え、最終的に最悪の事態も考え、対応できるように考えているのだった。
ただ、今までと、今回とでは、少し事情が違っている。全国的に、いや、全世界規模でのパンデミックなので、
「どこか一つがよくなっても」
という事態になっていた。
逆に、この期に及んで、
「自分のところさえよければ」
などということを考えているところは、
「悲惨な末路しか見えてこない」
といえるのではないだろうか?
それでも、一番は、
「自分のまわり」
である。
「自分のまわりも守れなくて、その大きなまわりを考えたりなどできるはずがない」
という考えであるが、それは、あくまでも、
「自分さえよければいい」
という考えとは根本から違っている。
世の中において、何かが起こった時、まず考えるのは、自分や自分のまわりのことであろう。
しかし、すべてを自分の保守に回ってしまうと、殻に閉じこもった自分からしか、周りが見えず、それが、
「まずは自分が」
という考えになると、まわりから自分を見ているような、一種の気持ちに余裕が出てくるのだろう。
これが、保守であれば、
「ますは、自分だけが」
という言い回しになり、本来なら何が違うのか、すぐにわかるはずなのに、分からない状況に陥ると、自分がその当事者になっている以上、本来なら分かるはずのものが、永遠に分からないという状況に陥ってしまうことだろう。
それを思うと、
「自分がまわりを見る目」
そして
「まわりから自分を見る目」
の両方が見えてこないと、相手の被害に巻き込まれた時、救うことができなくなる。
外から見えると、自分の外側に何があるかが見えてくる。いかに逃げるかということがわかるということは、
「いかに、大きさを錯覚しないか?」
ということであり、キチンと収まるものが収まらないように見えて、慌てふためくことになる。
そうなると、それこそ、サルが石を持ったまま、穴から手を出そうとしているところを見ることができず、いつまでも逃げられないと感じてしまうに違いない。
このビルは、他のビルと同様に、ワンフロアが、それほど大きくなかった。だから、一つの階で一つの事務所となっている。社員の人数が、十数名で、一番奥が給湯室関係になっていて、反対側にパーティションをおいて仕切りを作り、その場所を会議室にしていた。
だが、事務所は営業所になっているので、昼間は、ほとんど営業社員が出払っていることで、多くても昼間は、5,6人というところであろう。
そういうこともあって、
「事務所をいちいち都会に持つ必要なんかないじゃないか?」
と言われているのだろう。
週に一度、どこかで1、2時間程度、ミーティングを行えれば、それでいいのだ。
必要資料などは、どこかの倉庫に預けておいて、そこから必要な時に持ってくればいいだけである。それだけのことであれば、最近は、
「ノマドスペース」
であったり、貸事務所、あるいは、貸し会議室なるものを使えばいいのだ。
社員を毎日通勤させる必要はない。
印鑑だって、今では、
「電子印鑑」
というソフトがあり、データーに印鑑を押印できるシステムになっている。
もちろん、登録されている印鑑は、パスワードつきになっているので、その人でなければ押印することはできない。これであれば、
「印鑑を押さなければいけないので、出社しないといけない」
ということもなくなるのだ。
そういう意味で、
「ダイナマイト計画」
がどれだけ、時代錯誤で、時代をさかのぼろうとしている、愚策なのかということがわかるというものだ。
ノマドスペースのノマドというのは、
「遊牧民」
という意味だという。
要するに、ホームグランドを持たずに、出社することもなく、仕事だけをこなしていればいいということになる。
そのため、最近では、
「レンタル会議室」
「レンタルスペース」
というものが、流行っているのだ。
「ひと月いくら、一日いくら」
と言った単位で借りるので、まるで、ネットカフェのようなイメージに近いのだろうか?
「キチンと仕事の成果を出せば、出社しなくてもいい」
という考えは、10年前くらいからあった。
ネットカフェがあるのだから、レンタルスペースがあってもいいわけで、ただ、どうしても、印鑑の問題だったり、出社して確認しなければいけないことがあったりで、簡単に普及というわけにはいかなかった。
それでも、事務所を使わない仕事方法を用いている人もくなくもなく、実際に、大きな会社でも、
「数年後には、全国の影響所の、何割かを減らす」
と宣言しているところもあった。
ただ、ネット環境であったり、印鑑の問題などが整備されていなかったこともあって、
「どこの会社でも」
というわけにはいかなかった。
もちろん、会社の中には、営業社員でも、
「会社に来るのは、週に一度」
というところもあっただろう。
完全に事務所によらずに、直行直帰。もちろん、その日の日報は必ずメールで提出するということは必須ではあるが。
そんな会社が増えてきているところで、世の中は、
「世界的なパンデミック」
の時代を迎えた。
公道自粛の時代になって、
「緊急事態宣言」
が発令され、会社によっては、最初からテレワークの体制ができているところもあったが、ほとんどは、体勢どころか、何をどうしていいのか分からないところも多かっただろう。
何しろ、
「会社に来ないと仕事ができない」
という人も大多数で、テレワークができるのは、ごく限られた人たちだけではないかと思われた。
そんな状態が続いていたが、ある時、会社ビルに泥棒が入ったのだ。
ただ、それが泥棒だけで終わることなく、殺人事件に発展したことで、話は大きくなり、しばらく、事務所に赴くことも難しくなった。
ちょうどテレワーク推進ということもあり、ほとんどの会社がテレワークを行うようになったが、そのせいで却って、事件の捜査は時間が掛かることになった。
犯行があったのが、ビルのロビーがある三階だった。
というのも、このビルはちょうど川の土手に位置していて、ロビーがある正面玄関はと手部分にあることで、三階がロビーになっていた。そして、土手の下側が、歯医者と、駐車場になっているという一種不可思議な構造になっていて、地上五階の建物に見えるが、実際には、七階建てだといってもいいだろう。
このビルは他のビルと同じように、土地面積が狭く、ワンフロアで一事務所というところになっていた。だから、一つの階に一つの会社しか入っていないので、その会社が全員退社すれば、ロビーで警備を掛け、その階には、基本的に入ることができない。
ただし、非常階段があり、非常階段側のカギが開いていれば、非常階段は、基本的に出入り自由で、警備もないので、簡単に入ることができる。もちろん、警備が掛かっていれば、事務所のカギを開けた瞬間に、警備会社に信号が行き、十分ほどで、警備員が駆け付けるということになっている。
また、三階のロビーにて、警備を掛けておくと、エレベーターは、その階を押しても反応しない。つまり、エレベーターでの移動は不可能なのだ。
本当であれば、非常階段の扉にも警備を掛けるべきなのだろう。
つまり、非常階段のカギを閉めなければ、ロビーで警備が掛からないというような形にするべきなのだろうが、そんなことはなかった。
実際に、このビルに入ったテナントの会社のほとんどは、最初の頃、非常階段側のカギを閉めるという習慣はなかったという。
そもそも、非常階段は、本来なら、ずっと閉め切っていてもいいはずである。そうすれば、開け閉めを気にすることはないからだ。
しかし、非常階段で、喫煙者がタバコを吸うという時期が結構あったので、どうしても、非常階段には、ひっきりなしに人が出入りしているので、誰かが会社にいる時は、非常階段を閉めるということはなかった。
下手に締めると、締め出してしまうことになるからだ。
もちろん、一階まで非常階段を使って下りれば、カギが掛かっていても、表に出ることはできるので、そこからまた正面玄関から回って、エレベーターで事務所に戻ってこようと思えばできないわけではない。
しかし、そんなバカなことは、愚の骨頂である。
だから、最期に帰る人間が、戸締りと一緒に非常口の扉を施錠するというのが日課になったわけだが、それでも、最初は施錠していなかったところが多かった。
最後に帰る人間がいい加減だったりしたせいもあり、今でも、締める会社、締めない会社とさまざまなようだ。
ただ、さすがに、
「受動喫煙防止法」
というものができて、基本的には、
「非常階段であっても、タバコを吸ってはいけない」
という法律ができたのだが、なかなか実際に守られているところがどれだけあるのか、正直、疑問である。
中には、客がいない時は、オーナーが、店でタバコを吸っていたりするという話も聞いたことがある、
それを思うと、
「法律なんて、あってないようなものだ」
としか思えなかった。
実際に、法律制定後は、
「室内がダメなら、表で吸うしかないじゃないか?」
という、ルールを守らない喫煙者の勝手な理屈で、公園などで、大っぴらにタバコを吸っている。
歩きながらの、咥えタバコも多いくらいだ。
そんな光景を見ていると、
「本当に、日本という国は、腐ってるな」
と思わざるをえない。
もし、
「日本だけじゃなく、外国だってそうだ。もっとひどい国もある」
などといって、言い訳でもしようものなら、これほど愚の骨頂はない。
「他がしているから、法律違反でも、許される」
と言っているのと同じで、それこそ、
「自分はバカだ」
と言っているようなものではないか?
それを正当化しようという考えが、それこそバカなのだとしか思えないのだった。
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