俺は魔法使いにはなれなかった

霊鬼

本文

『うん、約束する』


 遠い、遠い日の記憶の中から声が木霊する。

 あの頃は良かった。何人もの大人がそう言うように、物語の主人公がそう語るように、俺は自分の将来を疑うことはなかった。

 だけど今じゃ、そんな思い出は眩し過ぎる。結局は才能なんてなかった凡才の俺にとって、その光は目を焦がしてしまう。


『――と一緒なら、あんまり魔法は得意じゃないけど、きっとなれる気がする』


 目の前に立つ少女の顔は、飽きるほど見た顔で、もう二度と見たくない顔だった。そう思っている自分に、一番吐き気がした。


『一緒に、大魔法使いになろうね』


 そう言って、またこいつは、俺が決して叶えられない夢を口にした。






 魔法は生活の側に根付いたものだ。魔法によって世界の文明レベルは大きく上がり、魔物なんていう異形の化け物に困らされる事もなくなった。

 そしてこの平和な世の中において、子供が憧れる職業は自然と魔法使いになる。

 厳密に言えば、魔法使いの中にも種類はいるのだが、全般的に目立つ上に格好良いのには違いない。所謂、ヒーローとしての地位を確立していた。


 魔法とは神秘を起こすもの。神から与えられた祝福とも言われる。

 火や水、雷などを操る力を持っていて、研究によって様々な応用がなされた。車とかはそれを端的に表している。

 そもそもあんな形に金属を加工するなんて、魔法なしでできるものか。それこそできるのは神様ぐらいだろう。


「……また、あの夢か」


 ――そんな、変な現実逃避に入るぐらいの悪夢を見た。

 最近は何故かよく見る。まるで逃さないと言わんばかりに、俺の首を掴んで離さない記憶である。

 幼い頃、一緒に魔法を練習していた幼馴染との、何気ない会話の記憶。それがここまで俺を苦しめるなど、誰が予想できただろうか。


「今日も、早く起きすぎちまった」


 そう言いながらカーテンを開ける。

 窓越しに広がる世界には、いつも通り車が道路を走っていて、ビルと家が並んでいた。そしていつも通り、その視界の真ん中には、明らかに異質で巨大な一つの塔がある。

 俺が生まれた時はなかったそれも、今は違和感なんてない。


「……引っ越し先、間違えたか」


 そう言って、俺はカーテンを閉じた。

 あの塔は賢者の塔と呼ばれる、この世界で最も高い建築物である。物理学と魔法を掛け合わせて作り出した、この世界の発展を象徴した建築物だ。

 あそこは魔法使いの総本山みたいな所で、魔法使いの中でも特にエリート、大魔法使いだけが住まう事を許される。


 あそこに、俺の幼馴染はいる。


 だから見たくない。内見した時は嫌とは思わなかったが、それからあの悪夢を見るようになった。因果関係がないとは決して言わせない。全部あの塔のせいだ。


「……ん?」


 朝から吐き気を感じて嫌な気分に打ちひしがれていると、携帯電話が鳴る音が聞こえた。二つ折りで、上が画面、下はボタンの誰でも持っているような物である。

 俺はすぐに携帯を取って、ボタンを押して出る。


『おはようございます!!』

「うるさ……」


 携帯から伝わる音がうるさすぎて、耳を離す。そして電話の音量を下げる。

 文句の一つでも言いたくなったが、誰から電話がかかって来ているか見ずに出た俺にも責がある。俺は落ち着いて再び電話に耳を当てた。


「こんな朝っぱらから元気だな、お前は」

『陰鬱そうな同期の休日に彩りを与えようと!』


 この電話越しに話す女は、会社の同期である。明朗快活であり、優秀なのだが声がデカ過ぎるのと、ちょっと頭が悪いのが欠点だ。


「そう言えば、完成した魔道具を今日受け取りに来るって言ってたな。何か予定に不具合でもあったのか?」

『いえ、何も問題はありません! なので開けてください!』


 開けて? 何を?


『今、私は貴方の家の前にいます! 大人しく――』


 ピッと電話を切った。

 今直ぐに目の前の寝具に寝転がりたい気分だったが、せめてもの良心が働き、不承不承ながらも着替え始めた。

 メリーさんですら段階を踏んでくるというのに、何だこいつは。初手で玄関前に辿り着いてるのはクソゲー過ぎるだろ。


「というか、何で俺の家の場所を知ってるんだ」


 俺の頭の中には教えた記憶はない。酒を飲んだ時にうっかり漏らしてしまったのだろうか。それが真実なら今世紀最大の失敗である。


 俺は最低限の身支度を終えて、そしていつもよりやけに重く感じる家のドアを開けた。


「おはようございます!!」

「……それ、さっきも聞いたよ」


 眼の前の女、アメリアは黄色い目を輝かせながら笑顔たっぷりにそう挨拶した。服装は私服、という感じではなく運動着っぽい感じがする。


「魔道具は今日の昼頃に受け取る予定でしたが! 早朝ランニングで偶然通りがかった為、日差しが強い昼間にもう一度出るのが嫌で今来ました!」

「なら事前にそう伝えてくれよ。俺の事情はガン無視か」

「何か朝に来られたら嫌な事情でもあるのですか? もしかして家の中に彼女がいたり?」


 彼女、そんなものがいたら賢者の塔を見て溜め息を吐く生活を送らずに済むのだろうか。いや、逆だな。そういうのを吹っ切れられる奴に彼女ができるのだろう。


「逆にいると思うか?」

「思いません!」

「分かってるじゃないか。そうだ、いるわけがない」


 あれ、おかしいな。目から汗が……


「それなら折角ですし、一緒にランニングをしましょう。最近、一人で走ってばかりで退屈だったんです」

「魔道具の受け取りはどうした」

「走り終わった後でも問題はありません。さあ、さあ!」


 営業職と技術職の体力が一緒だと思うなよ。こちとら今から一週間の疲れを洗い流そうというのに。

 そう思いながら扉を閉じようとして、そしてふと視界の端に閉じたカーテンが見えた。すると家の中にいるのが嫌に思えてきて、扉を閉じようとしている手を止める。


「分かったよ、付き合ってやる。ただしウォーキングだ。俺は走りたくない」

「はい、分かりました。では、近くの公園で待っていますので!」


 現在時刻は7時より前、太陽も未だ上っていなくて肌寒い。いくら歩くとはいえ、多少の上着は必要だ。

 走り行くアメリアを見ながら、ボーッとそんな事を考えていた。未だ思考がまとまる感覚はない。きっと寝ぼけているのだろう。

 俺は扉を閉じて、家の中へ戻って行った。


 洗面台で水を顔に叩きつけ、外に出るための服を着る。

 男の身支度は早いもので全ての準備が10分と少しで終わった。朝食はいつも面倒で食べていないので、そのままドアを開けて家を出る。

 流石に12月は寒い。少し猫背気味になりながらも、俺は待たせているだろうアメリアの所へ足早と向かう。


「あ、来ましたね。それでは行きましょう」


 アメリアは俺が声をかけるより早くそう言った。

 大股でズンズンと進む彼女の後ろを、少し小走りで追いかける。その行動力は羨ましい限りで、違いなく美徳ではあるが、出不精の俺には眩しすぎる。

 しかし何の運命か、こいつとは気が合う。趣味や仕事も違うというのにな。今思えば不思議な間柄だ。


「で、どこに行くんだ?」

「ここからグルッと賢者の塔まで行って、ここに戻って来るだけです。ただの散歩みたいなものですよ」


 俺は顔を顰める。隠そうともしなかった。行きたくないと言うには情けなく、だからといって行くのは絶対に嫌な俺の気持ちを察して欲しかったのだ。


「いやあ楽しみですね! わかります!」


 しかしこいつが分かるはずがない。知っていた。少しでも期待した俺が馬鹿だった。


「その賢者の塔で最近、大発明があったそうですよ。魔法学賞が授与されるとかで」

「……そんな話あったか?」

「ありましたよ! 今朝のニュース見てないんですか?」


 見てるわけがない。ほとんどお前に起こされたようなものだ。

 しかし、魔道具を扱う一人の魔術師として魔法学賞となれば見逃せない。適当に泳がしていれば勝手に内容まで喋ってくれるだろうし、言い返したい気持ちをグッと堪える。


「私にはよく分からないんですけど、どうやら空気中から人為的に魔力を集めることが可能になって……」

能動集魔のうどうしゅうまぁ!? アレって机上の空論じゃなかったのかよ!」


 思わず大きな声が出た。眠気も完全に覚める。うるさかったのか、不満げな視線をアメリアが飛ばしているが構うものか。

 今まで人は集魔しゅうまという魔力を体内に取り込む行為を、体に備わる器官でしか行えなかった。つまり魔力を回復させるには待つしかなかったのだ。

 しかし能動集魔が可能になるのなら、自分から魔力を回復させる事ができる。


「つ、つまり、もう魔力交換をせずとも永遠に動き続ける魔道具が作れるってことだろ?」

「多分、そういうことなんですかね」

「今までバッテリーに魔力を定期的に入れなおさなくちゃいけなかった事が必要なくなる。世紀の大発見じゃねえか!」


 となればうちの会社も忙しくなるぞ。どれだけ複雑な術式であったとしても、これを欲しがる奴はいる。

 まずは論文を確認して、それから実用可能か確認、加えて製作する魔導具も決めなくちゃな。それから部長に案を提出して――


「危ないですよ」

「うぐっ!」


 後ろからシャツを掴まれて、首が少し締まると同時に足が止まる。

 何だ、と文句を言うために振り返ろうと思った瞬間に、俺の目の前を自動車が横切った。俺は気付かずに道路へと進んでしまうところだったらしい。

 一気に血の気が引き、呼吸が詰まる。俺は後ろへとよろけながら少し下がった。


「考え出すと目の前が見えなくなる癖、直した方がいいんじゃないですか?」

「ああ、俺もたった今そう思ったところだ」


 危なかった。アメリアがいなかったら俺はきっと止まらずに車に轢かれてしまっていただろう。

 昔からそうなのだ。魔法の話となればつい夢中になってしまう。こんな性格をしているから、昇進の話が一向に来ないのだろう。俺だってこんな人の話も碌に聞けない奴は信用できない。


「……さて、つきましたよ」


 いくつかの交差点を越え、とうとう辿り着いてしまう。こうなれば逃げる事はできない。

 俺は目の前の塔を見上げた。鉄骨造の、とにかく高く聳え立つ白い塔である。確か高さは400メートル程で、形としては先細りしていく円錐のようなものである。

 内部は魔法使いが研究を行う為の施設となっており、その中でも大魔法使いに属する人ならば寝泊まりだってできたはずだ。


「いつもより人が多いですね。やっぱりみんな、今朝のニュースを聞いて来たんでしょうか」

「そうだろうな」


 一般人もそうだが、マスコミらしき人も多い。きっと論文の発表者にインタビューでもしたいのだろう。教科書に名前が載るような大発明者のインタビューなんて、万金の価値があるに違いない。

 俺とアメリアも野次馬精神で人だかりに近づいて行く。こんな早朝だからまだ賢者の塔は開いていない。それでもここまで入り口に人が集まっているというのは中々の事である。これだけでこの発明が如何に偉大だったかを証明しているようなものだ。


「おい、来たぞ!」


 誰が言ったかは分からない。だがその瞬間に人の動きは更に激しくなった。マスコミは大きなカメラやらを取り出して、そうじゃない人も携帯を高く掲げて入り口の付近を撮ろうとしている。

 何が起こっているのかは分からない。背伸びしても向こう側が見えないのだ。だが、状況から察するにきっとその論文の主がやって来たのだろう。俺も気になりはするが、流石にこの人混みを割って入る勇気はない。アメリアも似たような感じだ。

 だから俺とアメリアは遠巻きにそれを眺めているだけに留めた。


「急げ、もう出てくるぞ!」

「マイクとカメラ準備しろ!」

「出てくるって! もっと前に行こう!」


 人がもみくちゃになって声が飛び交う。怪我人が出そうな勢いだ。やはり近付かないのは正解だった。

 それを見ていると一つ疑問が浮かび上がった。


「そう言えば、論文を発表したのは誰なんだ?」

「かなり若い大魔法使いでしたね。それこそ、私達と同年代ぐらいの。確か名前は……何だったっけ」


 珍しい。人の顔と名前を直ぐに暗記できるアメリアが思い出せないなんて。

 名前を思い出せなくて唸っているアメリアをよそに、人混みは更に動く。声から察するに、警備員みたいな人が集団を下がらせているようだ。


「朝だったから記憶があやふやなんですよね……えーと確か、え、え……」


 無理でダメ元、何とか顔だけでも見えないかと人混みの隙間から向こう側を覗こうとするがよく見えない。

 それにしても大変だ。論文を発表しただけでこうなのだから、魔法学賞を受賞してしまったらもっと大変になることだろう。


「取材はまた後ほど行いますので、道をお譲りください!」


 警備員の必死な叫びのおかげか、人々は下がり始める。

 よく見れば近くに車が停まっていた。きっとあれに乗って移動するのだろう。そうなると民衆を振り切って、やっと俺ぐらい後ろにいる人でもその姿が見えるようになる。


「そうだ! エリヤですよ!」


 長く白い髪に、縁の薄い丸眼鏡。背は平均より低く、とても大発明をした大魔法使いには見えない。だが、俺はこの女を知っていた。

 ドクン、と心臓が震える。血の巡りを肌で感じ取れる程に胸の鼓動は速くなり、目の前が真っ白になるほどに頭がこの光景を拒絶していた。

 体は寒さとは別種の、妙な冷えつきを起こす。俺の全身から、嫌な汗が流れていた。


 そして何より、俺はあの女と、目が合った気がした。


「行くぞ、アメリア。もう十分だろ」


 返事は聞かない。どうせ嫌だと言っても置いて行くのだ。それならば返答を聞く過程そのものが無駄と言えるだろう。

 今は何よりここから離れる必要があった。ここに一分一秒でも長くいれば、頭がおかしくなる自信があった。


「え! もう行くんですか!?」


 頭が痛い。ズキズキと痛む。まるで頭が斧で割られているようだ。


『やったよ! 私、試験に受かったよ! 大魔法使いになれたの!』


 遠い記憶の声が木霊する。吐き気が止まらない。幾度も見た夢の一幕が頭の中で響き続ける。


『そうかよ、そりゃ良かったな』


 少女の声と俺の声が交互に響く。やめろと心の中で叫んでも、俺の口は閉じない。閉ざせない。

 人は自分の過ちを正すことはできない。一度起こった出来事を、なかった事になどできはしない。


『これで、一緒に――』

『俺は、落ちたよ』

『――え?』


 うるさい、黙れ、静かにしろ。何も思い出したくない。何も、聞きたくない。


『なん、で。あんなに頑張ってたじゃん、おかしいよ! きっと何かの間違いだよ!』

『そんなの、俺が一番そう思ってるよ』


 目を閉じても、あの時の辛そうな表情の彼女の顔が浮かんでくる。耳を塞いでも、あの時の悲痛な叫びが頭に響く。


『なあ、教えてくれよ。俺は何年も前からずっと、それこそお前の何杯も努力してきたんだぞ。俺とエリヤ、一体何が違うってんだよ』

『――』

『何で俺が落ちて、エリヤが受かるんだよ』


 プツンと声が途切れる。情景が剥がれ落ちる。この先の事を、俺は記憶していないからだ。

 だから俺の頭は唯一にして最悪のカセットテープを、何度も、何度も再生し続ける。永遠の擦り切れる事のない、最悪の記憶を。


 俺とエリヤは、いわゆる幼馴染だった。家族ぐるみの付き合いというやつで、遊ぶ機会も当然かなり多くて、仲良くなるのも自然な事だった。

 だからこそ俺の夢に、強く影響を受けた。俺が大魔法使いを目指していると聞いて、エリヤもそれを目指すようになった。

 その結果は、今の状況を見れば分かることだろう。俺はしがない魔術師になり、あいつは魔法学賞を受賞するぐらいの大魔法使いになった。それが答えだ。

 大魔法使いへの試験に落ちてから数年、ずっと連絡は取っていなかった。俺にはその勇気も、度胸もなかった。


「ぁ、はぁ」


 俺は息を切らしていた。気付かぬ内に走り出していたようだ。そして気付かぬ間に、野良猫がたむろしてそうな小汚い路地裏に入り込んでしまったらしい。

 近くにアメリアはいない。振り切ってしまったのだろうか。迷惑をかけたかもしれない。後で謝らなければいけないだろう。


 だが、今は無理だ。足が棒のようになって動かない。俺は建物を背に、そのまま座り込んだ。

 俺がウォーキングって言ったのに、こんなに全力疾走をしたのだからアメリアは驚いているだろう。それこそ俺にすら追いつけない程にだ。

 長い付き合いではあるが、あいつをここまで驚かせたのは初めてに違いない。


「は、笑えねえ」


 そう自虐を込めながら呟いたのと同時に、携帯が鳴った。電話の着信音である事は疲れた俺の体にも理解できた。

 半ば本能的に、相手が誰であるかもよく確認せずに応答のボタンを押した。


「もしもし」

『何で走って行っちゃったんですか! しかも赤信号も突っ切って! 流石の私も心配しましたよ!』


 開口一番から叱責の声が飛ぶ。声は少し震えていて、本当に心配してくれていたのだと分かった。


「すまん」

『……分かりました。反省しているようですしそれでいいです。今どこにいるんですか?』


 周りを見渡す。路地裏だ、そんな感想しか出てこない。目印となるものがとにかく周辺にない。そう伝えると、逡巡の後に溜息を吐かれた。


『それじゃあ、適当な場所で待ち合わせでもしますか?』

「いや、俺は疲れて動けない。先に帰っててくれ。落ち着いたら帰る」

『……本当にらしくないですね。一体何で走って行ったんですか?』


 その質問には直ぐに返せない。俺でも何故逃げたかを言葉にするのは難しかったからだ。

 逃げなくちゃいけない、そんな強迫観念が俺の体を突き動かした。これ以上あいつを認識し続けるのを、俺の脳が拒んだのだ。


『答えられないわけですね、分かりました』


 プツンと、電話が切られる。


「それなら聞きません。それはそうとして、ウォーキングは続行しますが」


 表通りの方、路地裏の入り口と言うべきか。そこにアメリアは携帯を右手に持ちながら立っていた。そして座り込む俺の方へと歩いてくる。

 そしてアメリアもその場にしゃがんだ。


「珍しい格好ですね。汗を滝のように流す姿なんて見る事はないと思ってましたよ」


 厭味ったらしくそう言いながら、俺の顔を携帯で撮る。文句の一つでも言ってやろうと口を開こうとするが、上手く言葉が出なくて諦める。

 俺には何も言う資格はなかった。今回ばかりは、俺が全面的に悪い。これは反論の余地のない事実である。


「立てますか?」

「……10分は待ってくれ。そうしたら、呼吸も整う」


 そうですか、と言ってアメリアは俺の隣に、俺と同じように座り込んだ。「服が汚れるぞ」と俺が言っても、「いいんですよ」と言うだけだった。何がいいのかは全くもって分からないが、当人が良いのなら良いのだろう。

 そのまま特に俺もアメリアも口を開く事はなく、時間だけが過ぎた。一応、こいつなりに気を遣ってくれていたのだろう。


「お前は、才能って存在すると思うか?」


 だからこそ、これを言うのがせめてもの誠意な気がした。


「俺はあると思うんだ。天才というのは、自分が何を間違えているのかを正しく把握できる人の事だ。スポーツ選手とかはよく自分のことを努力の人って言うけど、あんなの俺に言わせれば才能だ。同じ時間をかけたはずなのに、何故か違う結果が出てくる。それが、才能の違いなんだ」


 努力なくして成功はなし。しかしこの裏、努力したものは必ず成功するというのは誤りだ。人の時間にはどうしても限りがある。その限りある時間をフルに使って努力したところで、同じ時間をより効率良く使ってくる奴には勝てない。

 俺とエリヤは典型的なその例だ。エリヤは魔法において自分の何が正しくないのかを理解できた。俺には、何度やっても、何度調べても、何度試行錯誤しても、何も分からなかった。それが答えなのだ。

 俺が一歩進む間に天才は二歩進んでいて、それが何年も何年も続けば、気付けばどうしようもない差になっている。


 アメリアはポカンとしている。意味が分からないというようで、その表情を見て俺は聞いてはいけない事を聞いてしまったと理解した。

 自分の感情を満たす為だけの言葉だった。こんな事、言ってはいけない。


「……悪い、忘れてくれ。頭が混乱してるみたいだ」

「ああ、いえ、違うんです。私は――」


 アメリアが何かを言いかけた瞬間に、大地が揺れる。そこまで大した揺れじゃない。止まっていれば揺れを感じる程度のもの。

 問題なのはその理由、地震が何故起きたか、という一点である。


 緊急アラートが街中に響く。人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う声が聞こえる。そして何より空に、街に大きな影を落とす黒き竜が存在する。

 それは現代の魔力の濫用により生まれた魔力生物、魔物と呼ばれる異形の存在であった。

 その化け物は、他ならぬ俺達の真上にいた。


「失礼しますよ!」


 乱暴に俺を引っ張って背中に担ぎ、アメリアは走り始める。

 竜とは災害だ。現れればそれを倒せる魔法使いが現れるまで街を荒らし回り、必ず大きな被害を残していく。それが真上に現れたのだ。俺はアメリアに担がれながら、呆然と空を見上げる事しかできなかった。

 だって、目の前に落雷が落ちて人が無事でいられるだろうか。真下で大地震が起きて無事でいられるだろうか。俺は死んだのだと、心のどこかでそう思ってしまうのは変な事じゃないはずだ。その竜の目は、確かにこっちを向いたのだから。


「……俺を置いて逃げろ、アメリア。一人なら多分、逃げ切れる」


 あの竜は、俺を見たのだ。過去に魔法使いを目指した俺の魔力量は人より多い。きっと奴にとって俺は美味そうなエサなのだろう。

 魔物とは即ち、意志を持たない魔力の塊のようなものだ。その魔物の単一の欲求は、自分の消滅を回避するために魔力を取り込みたいというものだけである。

 だから俺を置いていけば確実にドラゴンはアメリアではなく、俺を狙う。


「嫌です! 友達を置いて逃げろなんて親から教わっていません!」

「逃げ切れるわけないだろ、冷静になれ! お前だけならともかく、俺を背負って逃げるなんて無理だ!」


 走っても走っても、竜の影からは逃れられない。明らかに俺を背負っているせいで逃げ遅れていた。少なくとも付近の街道に人は既にいない。

 建造物の地下だとか、既に遠くに移動したのだろう。こういう姿を見ると子供の頃にやった避難訓練は無駄ではなかったのだと実感する。


「あ――」


 アメリアは躓いて、その場に転んだ。当然ながらおぶられていた俺も、地面に勢い良く転がる。

 影は濃くなる。芳醇な魔力が近付いて来るのを肌で感じる。竜は既に地に、俺の眼前へと降り立った。


 死んだと、俺はそう思った。それと同時に、開放されるのだとも。


 二十数年、俺は随分と無駄の多い人生を送っていた。叶わない夢を口にして、くだらない事に悩み続けて、あんなに純粋な幼馴染と勝手に敵対して――本当にくだらない生き方だった。

 もっと早く終わるべき人生だった。だって俺の心は、魔法使いになれなかったあの時に、もうとっくに死んでいたのだから。


「障壁展開っ!」


 大口を開け、俺へと迫る竜の頭が寸前で止まる。見えない、分厚い壁に遮られたように。

 アメリアは掌を竜へと向けていた。先のアメリアの言葉から察するに、魔法で見えない壁を作ったのだろう。

 だがそうなれば、単純な生物である竜の矛先がどちらに向かうかなど明らかだ。俺の目の前で、まるで埃を払うかのように容易く、竜の前足がアメリアの体を飛ばした。


 足の疲れは幾分か取れていた。いや、例え取れていなかったとしても、俺は走らなければならなかった。

 こいつは馬鹿だ。人を助けようとして自分が怪我をしちゃ意味がない。だが、何故助けようとしたかなんて聞かなくても分かった辺り、俺も同じ馬鹿なのだろう。

 誰だってそうだ。昨日まで仲良くしていた奴が、目の前で無惨に殺される様を見たいわけがない。それだけの単純な理由で、こいつは命をかけたのだ。


 心は既に死んでいた。全てが上手くいくと疑わず、自分の限界までの全力を出し尽くせていたあの時にはもう戻れない。

 それでもそれを火に焼べるぐらいならできる。

 目の前の友達を助けられるだけの炎を心に燃やすだけ。それだけでいいんだ。


「アメリアっ!」


 友の名を叫びながら、俺は全身に流れる魔力を両足へと集めていく。不自然に、俺の足元で風が起きた。

 俺の体は暴風に飛ばされて、一瞬だけ空を飛ぶ。そしてアメリアの体が地面に落ちる前に、その体を抱きしめて地面に転がる。

 痛い。痛いが、本当に痛いのは俺じゃない。


 アメリアは頭から血を流していた。それに身体中に炎症が起きている。骨もどこかは折れているだろう。歩いたり走ったりする事は絶対にできない。

 俺は朧気な知識でアメリアの頭に触って、簡単な回復の魔法で血を止める。俺にできるのは止血までだ。これ以上は病院に行かなくてはどうにもならない。

 それも、この場から逃げ切れるというのが最低条件だ。


「立方障壁多重展開、強度最大……!」


 立方体の形をした見えない壁が俺とアメリアを覆う。竜はその見えない壁にその前足を乗せ、体重をかけ始める。直ぐにそれが壊れそうになるのを俺は感じた。

 魔法とは本来、杖を介して行うものである。杖による補助がなくては魔法の効力なんて十分の一になってしまう。

 杖を持ってたって竜に勝てるか分からないのに、持っていないのならば、億が一にも俺に勝ち目はない。


 肉体的な疲労とはまた別種の辛さが俺を襲う。頭が痛い。吐き気がする。魔力がなくなってきた時の症状だ。

 しかしこれを解けば、俺もアメリアも死ぬ。魔力が尽きるのが先か、集中力を切らして魔法が解けるのが先か。結末は変わらないが、俺の気持ちぐらいは変わるだろう。

 一分でもいい、一秒でもいい。例え俺が死んだとしても、アメリアだけは――


 そう思った刹那の事である。

 フッと、竜が質量を失った。竜の首がその胴と離れて落ちる。助けが来たのだと、そう理解した瞬間に俺は全身から力が抜けて魔法を解いた。

 ここは賢者の塔の近く。優秀な魔法使いが揃っている。それこそ竜ですら簡単に倒せるような大魔法使いがうじゃうじゃいるのだ。

 持久戦に持ち込めた時点で俺の勝ちであったと言える。


 竜はボロボロと体の端から崩れ落ちていき、魔力に戻っていく。その崩れ行く竜の死体の奥に人がいた。右手に十数センチの杖を握っていることから、直ぐに魔法使いである事が分かった。

 アメリアは意識を失っている。だが、生きてはいる。助けてもらっておいて悪いが、アメリアの治療を手伝って欲しかった。俺にはもう、そんな魔力はなかったからだ。

 しかしそんな考えは、その人の顔を俺の脳が認識した瞬間に消し飛ぶ。


「エリ、ヤ?」

「……久しぶり、だね」


 それは間違いなくエリヤだった。気まずそうに、視線をそらしながらもこっちへと、歩いてくる。

 頭の中が真っ白になる。思考が頭の中で駆け巡るだけで、それが形になる事は決してない。

 エリヤは何も言わずに杖をアメリアへと向けた。すると全身にあったアメリアの腫れが、少しマシになったように見えた。

 その魔法の技量はあの時よりも更に洗練されている。俺がもはや、決して届かない域にまで。


「それじゃあ、もう、行くね。きっと救助の人が直ぐに来るから」


 そう言ってエリヤは俺に背を向けた。

 心臓が揺れた。自分の体が、まるで自分の体ではないような錯覚に陥り、頭痛と吐き気がより酷くなる。

 だからこそと言うべきか、俺の体は半ば本能的に立ち上がることを選択し、エリヤの肩を掴んだ。


 自分でも何故そんな事をしたのか分からなかった。止めたところで言う事なんて何一つ頭の中にない。

 俺が直ぐに肩を離すと、エリヤは不思議そうな顔をしながら振り返った。

 その顔を見て、分かった。エリヤも俺と同じなのだ。大魔法使いになって、これ程の実績を持っていながら、俺に怯えていた。

 俺もエリヤも、あの時に縛られたままなのだ。俺の、せいで。


「エリヤ!」


 俺の為に、何より彼女の為に、俺は言わなくてはならなかった。

 ずっと答えは分かってはいたのだ。分かっていながらも悩み続けていたのは、また同じように、夢に敗れてしまうのが怖ったからだ。

 だがきっと、あの馬鹿にそんな事を言ったら、そんな事を考えるなんて人生の損、と言うに違いない。今回で俺もそれがよく分かった。


「大魔法使いになれておめでとう! 何年も言うのが遅れたけど、ずっとそれが伝えたかったんだ!」


 あの時に言いたかった言葉を、やっとこの口で言えた。すると、何も思いつかなかった頭の中から、堰を切ったように言葉が溢れ出す。


「それと約束を果たせなくてごめん! 俺は大魔法使いになれなかった!」


 俺は試験に落ちた後、特に悩むことなく魔術師になった。それは魔法を諦めたわけではない。心の奥底のどこかで、俺はここなら、エリヤに追いつけると思っていたのだ。


「だけど約束する! 俺は歴史に語り継がれるような魔道具を発明して、お前を越えてみせる!」


 エリヤが聞いているか、それをどう思っているかなんて関係ない。これは清算なのだ。俺とエリヤの関係を、マイナスからゼロに戻すための。


「これが俺の――モーセの誓いだ! 次は絶対に、守ってみせる!」


 もしかしたらまた、あの時みたいに俺は敗れるのかもしれない。それでも俺は夢見てしまった、魔法に焦がれるような恋をしてしまった。もう自分を誤魔化して生きるのはやめだ。

 無理に立ち上がって叫んだせいか視界は朧気で、エリヤがどんな顔をしているかさえ分からない。

 だけど俺の心は再び火を灯したのだ。

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俺は魔法使いにはなれなかった 霊鬼 @reiki201941

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