第12話『物部政権退陣!!未来への立志と政争』

 黒塗りの高級車の車列が大学附属病院の敷地に滑り込む。

 物部泰三内閣総理大臣は、この日、大学付属病院に長時間滞在していた。

 官邸筋は「定期検査だ」と言い張っていたが、健康不安説が浮上した。

 実は物部は、桜を見る会などの疑惑で極秘裏に東京地検特捜部による任意聴取を受けてきた。ただでさえ捜査中の身でありながら、弱り目に祟り目。持病の潰瘍性大腸炎が悪化したのだ。

 もはやこの時、物部辞任まで秒読みとなっていた。

 政界にも更なる異変があった。

新型感染症流行を機に、物部総理大臣の取り巻きと、羽賀官房長官の取り巻きとの間で隙間風が吹いていた。

 教師の秋津英子が迷惑したように、新型感染症を理由とした一斉休校には多くの反対意見が巻き起こった。これを独断で決めたのが物部でないかと言われている。

 感染禍の中自宅待機を呼びかけようと有名歌手が自宅でくつろぐ動画を投稿した際、物部がこれに便乗し、炎上した事件もあった。

 物部と羽賀の隙間風は、ポスト物部レースを加速させた。

 羽賀信義は「自分にも総理が務まるのではないか」という思いが頭をもたげたのだろう。会食において御屋敷幹事長から言われた言葉を思い出す。

「あなたがやるなら応援する」と。

 一方、政調会長を務めていた岸本勇雄は、物部と対立していたこともあり、新型感染症にあたり、独自に困窮世帯に30万円を給付するプランを打ち出す。ところが総務会で御屋敷芳弘幹事長による横槍が入り、国民全員一律10万円に変更された。御屋敷幹事長の存在感に岸本のメンツはつぶされた。

 ポスト物部レースを理解した上で、物部は羽賀信義に言い残した。

「羽賀さん、後は頼むよ」

 2020年8月28日。物部泰三内閣総理大臣は記者会見にて辞意を表明した。

 荒垣防衛大臣を前面に押し出した富国強兵の物部ドクトリンを実行し、消費税増税をめぐって財務省と争ったこの政権。新型感染症にも立ち向かった物部政権だったが、桜を見る会とそれに伴う公文書改竄、国有地売却問題。派遣労働の改悪など問題点も検証されなければならないだろう。

 総裁選には、羽賀信義内閣官房長官、岸本勇雄政務調査会長、因幡守元幹事長が戦旗を掲げた。

 同年9月、保守党総裁選の日程を決める権限を持つ御屋敷芳弘幹事長は、緊急事態の総裁選と銘打ち、党員票を制限した形での選挙を断行することとした。これは、羽賀信義と連合した御屋敷芳弘が、国会議員票よりも党員票を得るであろう因幡守のアドバンテージを削るための狡猾な策だ。さらに、総裁選自体の日取りも、岸本勇雄の著書「岸本ビジョン」が発売されるよりも前となった。岸本潰しだ。

 羽賀と御屋敷の枢軸で新しい総理総裁が誰となるかは既定路線と思われたが、御屋敷派のみに主導権を握らせることを許さない物部派、青梅派、茂手木派は三派閥共同で羽賀総理総裁誕生へ団結する旨の記者会見を開く。

 かくして誕生した羽賀政権は、政界側の軍師には御屋敷芳弘、経済界側の軍師には竹内蔵之介と、物部政権の負の遺産を継承した政権となった……


     *     *


 秋津悠斗は自由芸能同盟の通話アプリを開き、ボイスチャンネルに接続する。斯波ほか中央委員もいた。

「こんばんは、お疲れ様です」

『ご苦労秋津君』

 秋津の挨拶を斯波が受けた。

「なんだか、乗り越えるべき敵がいなくなっちゃったなあって」

 秋津悠斗はそう切り出した。

『そう、そうなんだよな秋津君。乗り越えるべき敵がいなくなってしまった』

 玉川党もとい自由芸能同盟は物部の芸能汚職を糺すために結成された斯波家臣団である。そう思うのも無理はない。

『そうだ、秋津君、党学生部委員長は今季限りなんだろ?』

「それについては推測が混ざる部分もありますが」

『やはり政権内部で動きがあったのか!?』

 悠斗は語る……

 党学生部委員長を交代させられるのは、事実上の更迭なのだと。

 秋津悠斗が中央委員待遇で参加した玉川党は、岸本派と密約を結んで、物部政権を倒閣した。これに対し、羽賀官房長官は公安警察の筋から情報を仕入れ、秋津悠斗を含む玉川党メンバーを公安監視対象としたのだ。当然党学生部委員長を拝命していた悠斗も無傷ではいられなかった。物部の退陣と同時に党学生部委員長を更迭されたのだ。

 世間は、政界は、甘くない。だが秋津悠斗は落胆していなかった。


      *    *


 秋津悠斗が桜香子と音信不通、正確に言えば口論してブロック状態となってから2年が経った。

 実は悠斗は、謝って連絡しようとは何度も思っていた。だがためらった。許してもらえるとは思わなくて……

 香子も、とっくに許していた。だが自分からは連絡する勇気が出なくて……

 そのように逡巡する悠斗のもとに、財務官僚桜俊一から一報がもたらされた。

 悠斗は驚いた。

 桜俊一は物部政権によって公文書改竄のスケープゴートにさせられ、一家ごと週刊誌報道の地獄を見る。地方財務局で謹慎生活を送っていたところ、秋津悠斗の手引きにより、そして岸本派と斯波家臣団の連携による物部政権倒閣運動で、疑惑が晴れたのだ。

今は財務省審議官を務めている俊一。主計局長から事務次官への出世コースに戻れるのも時間の問題だろう。

《はじめまして。秋津先生。娘がお世話になっております。財務省の桜俊一と申します》

《恐れ入ります桜審議官。まさか交際のことをご存知でいらしたとは》

《父君の秋津国土交通大臣にはお世話になりましたからね》

《もしや、桜さんは財務省から派遣された私の教育係では?》

《ご名答》

 将来有望な政治家には、財務省から教育係がつき、財政を指南するのだ。

 羽賀政権からは冷遇されていても、秋津悠斗は物部政権に影響を与え、財政政策通の岸本勇雄とも玉川党を通じて盟約を結ぶ仲である。

《男どうし腹を割って話しましょう。そこまでの頭脳がおありなんだ、娘にも勇気を出して、今の想いを素直に話してみたらどうです?》

 秋津悠斗は、かつての恋人の父から背中を押され、感動していた。

《……わかりました桜さん。香子さんに、今の気持ちを伝えてみることにします》

《娘は待っております。見守っておりますぞ》


      *     *


 前略:

 お元気ですか。

 父君が財務省から派遣された私の教育係を務める旨の連絡を頂きました。お父様はいい方ですね。香子さんのご家族と一緒にお仕事ができることを嬉しく思います。

 仕事と、言えば。二年前私は、香子さんがパーソナルリクルートサービスと派遣契約を結んだことに強い言葉でなじりました。自分の持論のために人の人生そのものを否定したのが間違いでした。これを、深くお詫びします。

 罪滅ぼしをしたくて、岸本政調会長、森田大臣、斯波さんと組んで、物部政権があなたのお父様にスケープゴートを強要した事件の真相を世に出しました。それによって、確かにお父様からは感謝されたかもしれない。しかし、あなたの平和な生活をますます搔き乱しているような気がしてならないのです。

 力量がないくせに、世界に逆らい人を助けたいと思う、結局私は偽善で政治をやっているのかもしれませんね。

 最後かもしれないのでお伝えします。

 好きです。これまでも。これからも。

 願わくば、香子さんとの糸がもう一度つながりますように……


 ずるい、どうして。

 二歳下の男の子にまっすぐ好きをぶつけられ香子は身悶えた。

 香子はキーボードに向き合う。


 RÉ:

 悠斗君。お久しぶりです。拝読させていただきました。

 まず初めに、謝罪は不要です。

 お父さんも冤罪が晴れ、栄転することになりました。悠斗君の行動力にびっくりしたけど、感謝しています。

 ただ、一度口に出した言葉は取り消せないってことは忘れないでいただきたいです。政治家も司書も言葉を扱う仕事に変わりはないから。

 だからこそ、言葉で理不尽と戦ってきたきた悠斗君を尊敬しています。

 私も悠斗君を見習って、環境を変えてみようかな。

 リアルでは会えないですけど、ネットのやり取りならしてもいいかなって思います。

 けれど、お付き合いをやり直すことはまだ考えさせてください。心の整理がついていないので……

 これからよろしくお願いしますね、悠斗君。


     *    *


 国土交通副大臣という偉い大人に、正義感をまっすぐにぶつけたあの日、悠斗はオヤジを得た。オヤジの紹介で森田親子と知り合い、その縁で南興社会主義人民共和国の大統領令嬢とも人脈ができた。その席で、森田議員は斯波家の存在を語る。

 悠斗は、日本を取り戻すと謳う物部泰三政権に憧れて桜を見る会に参加したものの、高校の先輩から政権が芸能人を政治利用していることを聞く。その裏では、青梅副総理兼財務大臣、羽賀官房長官、御屋敷幹事長、竹内会長、春本プロデューサーが奸臣となっていた。

 武家斯波家の子孫である玉川芳彦はこれを良しとせず、悠斗の向かう先に待ち構える。

 桜を見る会は有権者を接待するための公職選挙法違反の宴だった。物部政権はその事実を隠蔽すべく、公文書を改竄させ、その罪を財務官僚桜俊一になすりつけた。

 桜俊一は地方財務局に左遷される。その娘桜香子と交際していた悠斗は、物部政権の魔の手によって、恋人と引き裂かれる。政治家になりたい、司書になりたい、と語らったあの日の思い出を悠斗は忘れていない。

 悠斗は物部政権に対し、どんな感情を抱けばよいか混乱していた。そこへ一つの道筋を与えたのが斯波家の子孫玉川芳彦である。日本を守ることと物部政権に立ち向かうことは決して矛盾しないと気付いた悠斗は、国枝や柏木といった同志を得る。

 そして悠斗は、名門大学の政治経済学部に入学した。一方桜香子は父の事件の影響で就活が暗惨たる結果となっていた。彼女に竹内蔵之介の魔の手が忍び寄る。

 この頃悠斗は、民衆党総理経験者の船橋喜彦との印象的な出会いを果たし、政治が奥深いことを知った。保守党員秋津悠斗の裏の顔は、革命家玉川芳彦の協力者。

 改元され、令和の世となった。

 オヤジは国土交通大臣として入閣し、実績と華があった悠斗は、党学生部委員長に推挙された。政界の英雄荒垣健防衛大臣は秋津悠斗をどう見るのか。

 とうとう玉川芳彦は斯波家次期当主斯波高義を名乗り、物部政権と芸能界の癒着を糺す。特にアイドルを保護するため、新しい芸能事務所を立ち上げる。

 物部政権は弱体化し、岸本派はこれを機に森田を通じて斯波一門と盟約を交わし、倒閣運動を行う。秋津国土交通大臣は自派閥の御屋敷幹事長ではなく森田に味方。

 御屋敷は裏切った秋津を、交通事故の加害者に仕立て上げる。秋津悠斗は選挙区内で、秋津文彦の後継候補と目されるようになった。

 倒閣運動により、物部政権の疑惑が再検証され、桜俊一の潔白が証明される。復権した桜俊一は、財務省の秋津悠斗の担当でもある。彼の仲介で、秋津悠斗と桜香子はブランクを乗り越えようと歩み寄る……

 秋津悠斗の夢は、物部泰三を超える政治家となることだ。


 あの日の少年は志を立てた。そして、政争に巻き込まれる──







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