第11話『斯波家お家騒動・物部政権倒閣運動!』

 時系列は遡る。

 斯波の大立ち回りから1週間後、斯波一門はとある介護老人ホームに居た。そこに、高義の祖父で、斯波家前当主の斯波義矩が入所していた。

「爺ちゃん、調子はどう?」

「中々にキツイわい。頭は動くのに、体の自由が利かん。これほどイラつくことはない」

 義矩は、脳梗塞を2度患った上にパーキンソン病を併発していたため、介護が必要な状態であった(その上、言語もやや不明瞭になっていた)。その状況で、睦子に反発する斯波一門の一部の圧力で、斯波家継承を放棄したはずの春子とその夫(つまりは芳彦の両親)が彼の身元を引き受けることになった。そして春子は、義矩を老人ホームに突っ込み、その上で彼に無断で彼の私物の管理までし始めてしまい、義矩本人は勿論、高義も反発していた。しかし今回の乗っ取りの一件で、春子に代わって睦子が身元を引き受けることになった。

 さて、睦子と義矩の呼びかけで、斯波一門15人(内訳(序列順):睦子、義矩、高義、桃香、義矩の長弟(義茂。故人)一家3人、同次弟(義祐。故人)一家3人、同姉(三田尚子)一家4人、同妹(松田篤子))が、ホームの会議室を借り受けて、集結した。その部屋の角には、新たな『家臣』5人も陪席していた。

「今回、伝えなければならないことが二つあります。まず、ここにいる芳彦こと、高義を私の養子にしました。この高義を、斯波家の正式な跡継ぎにします」

「私達は賛成です」

「同じく、よし、いや高義君ならば、異存ない」

 義茂一家、義祐一家、篤子はすんなり賛同した。一方…、

「わかったわ。反対はしないわ」

元から春子夫婦に近かった三田一家は、案の定渋ったが、反対はしなかった。

続いて睦子が、一旦息をついてから、重い口を開いた。

「玉川春子、その夫:武雄を、斯波家から義絶、勘当したいと思います。私の姉ではありますが、これまで高義に対して行った『毒親』と言って差し支えない行動、そして斯波家断絶を放言し続けたことは、断じて許しがたいものです。ついては勘当という、断固たる対処を行います」

 これについて、義茂一家は賛同した。

「賛成します。夫が生きていても、賛同していたでしょう。春子を幼いころから見てきましたが、おおよそ斯波家の人間らしい行動とは思えません」

 と、義祐の妻。勿論、同一家も同様に言った。

 しかし、やはりというべきか、三田尚子が反発した。

「確かによし君のことはあるけど、勘当はやりすぎよ。そもそも春子ちゃんが跡継ぎの座から降りたのは、義矩やお母さんが厳しく接しすぎたことも、原因としてあるわよ」

「否定はできないと思う。それに、春子ちゃんのお母さんに対しても、義矩伯父さんと義祐叔父ちゃんはきつく当たりすぎていたと思う。近くで見ていて、流石に可哀そうだと、何度も思ったんだよ」

「兄さんに同意。あと、これはお母さんにも言えることだから、この際言うけど、そもそも 斯波家から家出した春子ちゃんの結婚に、何で寄ってたかってケチ付けたんだよ。武雄君が庶民の家だからって、価値観が時代錯誤も甚だしいだろ。そりゃあ春子ちゃんも反発するよ」

 尚子の息子2人は、尚子以上に春子に好意的であった。因みに、春子の結婚についてもう少し詳しく話すと、平成2年に、結婚の挨拶の為に斯波一門の会議に久方ぶりに参加した。そこで報告をした途端、未だ存命だった義矩の母:きよに加え、尚子夫婦、義茂夫婦、義祐夫婦、篤子夫婦がこぞって、「玉川家は百姓・庶民の家で、しかも武雄以外大卒がいない」という理由で猛反対したのである。この時、睦子と三田兄弟しか春子の結婚に賛成しておらず、このことが春子の斯波家に対する印象を更に悪化させた。結局、当時の当主であった義矩が、義矩の兄妹たちの予想に反して賛成に回ったために、(当主権限で)何とか結婚が認められた、という経緯がある。

 とはいえ、結婚後も春子夫婦に対する扱いは冷たく、睦子が当主になり、芳彦が実質的に跡継ぎ扱いになってからも、一門内での春子の序列は芳彦や義矩の兄妹達の次、武雄の序列に至っては(医師免許を取得してからも)常に最末席であった。このように、斯波家においては多くの火種、そして『歪み』が長きにわたって存在していたのである。しかし、繰り返しになるが、長年にわたる高義に対する両親の態度は、高義本人にとって耐えがたいものであった。故に、たとえ斯波家があのような『歪んだ』価値観を持ち続けていても、彼は斯波家を尊重し、その再興を目指そうとしたのであった。

 話を戻す。三田一家の反発は、睦子と高義の想定内であった。しかし、思わぬところから、思わぬ話が切り出された。

「それよりも、桃香さんのことよ。アイドルを卒業するんだし、今からでも大学に行ったらどうです?」

 と、義茂の妻:加代子。しかしこれは、『新しいチャレンジをしたら?』というポジティブな提案ではなく、『高卒女が斯波家次期当主の妻とは、不相応にも程がある』という意思表明であった。義茂一家は、先程の2つの提案については賛同したものの、高義と桃香の結婚には三田一家と共に反対していた。

 そんな彼女の言葉に、場の緊張度が更に増した。

「その通り。私たち一門は、御一新(明治維新のこと)以降、武士の血と誇りにかけて勉学と頭脳で身を立てることを尊んできたわけで。そこから逸れるような方を、一門に置いておくのは、ねぇ?」

 この尚子の言葉に、遂に義矩の堪忍袋の緒が切れた。

「姉さん!いくら姉さんでも、その言葉は許せん!」

「そうよ!尚子伯母さんも加代子叔母さんも、なんてこと言うの!」

 自身が専門学校卒で、度々三田一家などから軽視されてきた睦子も激怒した。

「いいかね?斯波家をここまで立て直して、家名を世間に再び知らしめることができたのは、睦子と高義と桃香ちゃんが頑張ったからだ。今まで文句ばっかり言ってきて、何も手を打ってこなかったのは、お前たちだろう!」

「そうです!睦子ちゃんが、ほぼ一文無しになっていた斯波家の資産を挽回させて、それを基に政権に一矢報いたのはよし君よ!そんなことを、加代子さん達やお義姉さまは認めないの!?」

 義祐の妻:喜代美も、義矩たちに同調した。

そして、睦子はとどめの言葉を発した。

「皆さん、斯波家はこれを機に、令和という新しい時代に合わせなきゃいけないのよ!名前も知られて、会社も作ったわけだし。もう内向きではいられないのよ!学歴至上主義とか、勉強が第一とか、もう時代遅れになった。これ以上、時代錯誤なことを続けていると、今度こそ一族が滅亡するわ!それでも反対なら、あなたたちも勘当します。私が、管領斯波家の当主なのです!」

 その言葉に、三田一家、義茂一家は苦虫を嚙み潰したような表情となる。彼らが辺りを見回すと、『家臣団』も、彼らを睨みつけていた。彼らは、遂に観念した。

「わかったわ。従うわよ」

「仕方ねえな…」

 漸く、荒れまくった一門会議が終わった。そしてこれにより、当主就任16年目にして、睦子の地位は確立したのであった。


 斯波高義は、かの乗っ取りの一件以降、アイドル業界における若き大物経営者兼プロデューサーとして、芸能界に大きな存在感を放つことになる。しかし斯波にとって、これは彼の『夢』の第一章に過ぎなかった。彼はここから、斯波家の再興、そして新たな夢に向かって、驀進していくのである。そしてそれは、遠く離れた南南興、そして楠木沙織自身にも影響を及ぼすことになる。


*    *


 同年 五月十 日、斯波高義は、小園桃香と結婚式を挙げた。

 桃香は、2 月末に、同年 9 月での引退を表明していた。斯波は、桃香が現役メンバーのうちに、彼女と結婚することで、恋愛禁止の完全撤廃をアピールしたのである。プロデューサーが、自身がプロデュースしている現役アイドルと結婚することについて、批判もあったものの、プロデュースを始めてまだ間もないこと、また桃香が既に芸能界引退を表明していたことから、微々たるもので済んだ。

 この結婚式に、経済界からの出席は殆どなかった(竹内が半ば牛耳っているのだから、当然と言えば当然である)代わりに、政界からは多様な人物が出席した。

 保守党からは岸本勇雄政調会長、森田正好元農水大臣、荒垣健防衛大臣、佐々木正敏外務副大臣、秋津悠斗学生部長、立花康平議員、他数名。護憲民衆党から船橋喜彦元首相、町田蓮子元国務相、他数名。令和奇兵隊からは山彦太郎党首。そして国政民衆党からは玉野雄一郎代表、矢本シオリ広報局長、小塚耕一代表代行、他数名。

 まさに、親竹内及び労働党以外の大物政治家が揃い踏みする形となった。

因みに荒垣、立花らの改新党グループはこの時期保守党に合流していた。

 また芸能界、特にアイドル業界からは多種多様な事務所から出席があった。むしろ斯波と桃香は、自分たちの家族や親友以外では、政治家とアイドルしか招待しておらず、メディアからは『芸能関連では令和一異色な結婚式』という評価を受けている。

 席につく斯波高義に秋津悠斗が歩み寄る場面があった。

「この度はご結婚おめでとうございます」

「秋津君! ありがとう。だが親父さんの事件があったのに来てくれるなんて」

「オヤジが来ると縁起が悪いですからね、名代です」

 秋津悠斗は強くなった。繊細で優しい少年だったが、重圧を乗り越えて政治家に必要な胆力を身に着けたのだなと斯波は思う。

「さて、人脈を作ってきます」

「はは、将来の野望のためか?」

「無論です」

 秋津悠斗がこの時名刺交換した野党党首級、与党反物部派、旧改新党グループは、斯波高義も含めて、将来の秋津悠斗内閣総理大臣を支える閣僚たちである。


      *     *


 斯波が告発した物部政権の芸能汚職とは、官邸の資金がUEN48、坂グループに投資され、政権幹部が同グループの慰労施設で接待を受けていた問題である。

 それを世に告発され、そればかりか半国営アイドルを斯波一門に保護、買収されたため、物部政権の支持率は黄色信号となっていた。

 この動きに伴い、保守党の公池会岸本派に所属する森田正好元文部科学大臣は斯波家と縁があり、森田自身の選挙区も物部のそれと競合するものである。岸本勇雄政調会長の主導で水面下で倒閣、静和会打倒に向けて動き出した。斯波一門と岸本派の密約である。

 岸本勇雄の家系は、大蔵省、財務省、銀行頭取を輩出してきた家系である。その気になれば、財務省、銀行を焚きつけて物部の仕事をやりにくくさせることなど造作もなかった。また、大泉、物部、福澤、物部と最近の総理総裁は静和会が握ってきた。ここで公池会がカムバックしたいと考えるのも当然だろう。

 斯波一門が物部のスキャンダルをつまびらかにするのに岸本派は陰で協力したのである。

 そのスキャンダルの中には、桜を見る会の事後処理において、財務官僚桜俊一に公文書改竄を強要して、地方へ左遷したことも含まれていた。この事実が知れ渡るや、たちまち政権は火だるまとなった。ちなみにこのスキャンダルの報道は保守党の秋津悠斗学生部長が手引きしており、恋人桜香子と自分を引き裂いた物部政権に復讐を果たした形だ。

 桜俊一の復権は、のちの岸本政権でなされることになる。


       *    *


 その頃世間では新型感染症が流行していた。

 選挙の関係で秋津悠斗が久々に実家に戻ると、母秋津英子がリビングにいた。

「あれ、母さん、お帰り。珍しいね」

 そう言えば最近母と会ってなかったと悠斗は思う。

「これからトンボ帰りよ」

 悠斗がテレビをつけると、物部泰三内閣総理大臣が小中高一斉休校を宣言していた。何ら科学的根拠のない突然の思い付きだ。そのせいで秋津英子はかえって忙しくなっている。

「教職員組合は徹底して物部おろしをするつもりよ。まあ、物部さん好きだった悠斗にとっては嫌な話だろうけど」

「いや、そんなことないよ母さん」

 悠斗と英子はソファーに腰を沈める。

「俺は物部さんを複雑な目で見ていて。最初は憧れだったけど、芸能界の政治利用や汚職などに手を染めた人でもある。一方、経済政策は大企業を豊かにしたけど派遣労働者を増やした。個人的なことだけれど、香子さんのパパを左遷させた元凶でもあるしね。毀誉褒貶激しい人だと思うよ」

「あなたなりの評価はよくわかったし、おおむね同意だけれども、これからは物部さんのことを踏まえてどんな政治がしたいの?」

 英子はさすが教師らしく、理知的に問いかける。

「一言でいえば、物部さんは乗り越えるべき先達だね。日本を豊かにする、アメリカと肩を並べるという志は立派だけれど、多くの間違いがあった。ひとつひとつ検証されなければならない。物部さんとは志は同じだけれど、違うアプローチをするよ」

 英子は悠斗の肩をたたいた。

「その意気よ」

 そう言い残し、英子は職場へトンボ帰りしていった。

 短い会話だったが、母と息子のわだかまりが解けた気がした。そう思う悠斗だった。

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