第3話『秋津悠斗の学生生活』
「おい! どこ見てんだ」
不良の怒鳴り声で雀が逃げる。
「なんだよ、君がぶつかってきたんだろ」
秋津悠斗も顔中を口にして言い返した。
秋津悠斗のとある朝。登校風景。同じ学校の学ランを着た不良が悠斗に絡む。だが
「あわわ、止めなくちゃ」
「秋津なら大丈夫だ」
セーラー服を着た上級生の美咲が慌てるが、美咲の彼氏の洋介が肩をぐいとつかみ、抑える。
だんだんとギャラリーが増えてきた。
「やる気か!」
その台詞を言ったのは悠斗だった。その紫の瞳に、ひどく芯の通った意志を感じたものだから、不良はたじろいだ。
「お、覚えてろよ」
不良がいなくなった途端、ギャラリーが悠斗に羨望のまなざしを向ける。
悠斗はすまし顔で堂々と群がるギャラリーの中央を歩く。モーゼの海のように人らが自然と道を譲った。
「あ、そうだ、悠斗に用事があるんだった」
悠斗の同級生の1人が近寄り、並んで歩く。
「おはよう」
挨拶を受けた途端、悠斗が朗らかな笑みに戻った。
「おはよう」
「修学旅行の班決めなんだけどさ、例のあいつ外す話あったじゃん」
クラスで浮いている者がいたのだ。
「可哀想じゃん、誘ってあげなよ。てか俺が班長の班だからね」
「悠斗……」
洋介と美咲は強くて優しい悠斗の魅力を垣間見た気がした。
* *
朝のホームルームで転校生として紹介されたのはなんと悠斗に絡んできた不良だった。
「なんで君がいるんだ」
「こちらのセリフだ」
1時間目は社会だった。
全日本教職員組合であり労働党党員のベテラン教師が授業の開始前に滔々と持論を述べる。
日米安保にいそしむ物部政権を批判し、時間が半分過ぎたところで簡単なプリントをやらせる。いつも社会科準備室で読書をしているような変わった教師だった。
インテリぶったひょろっと背の高い老人だ。生徒会顧問を務めている。
生徒も持論ばかり述べる先公に飽き飽きしていた。頭がいい生徒は簡単なプリントだけの授業に不満で、不良の方は先公の偉そうな持論にうんざりである。
そこで悠斗は挙手してかまをかけてみることとした。
「先生は物部ドクトリンに反対していらっしゃいますが、それは全教組とこの高校の公式見解ということでよろしいですね?」
教師の顔が青くなったり赤くなったりした。
「秋津悠斗くん! 昼食を食べ終えたら社会科準備室まで来なさい!」
1時間目は終わった。
休み時間になると、トイレもそこそこに、クラスの中心メンバーらが話しかけてきた。
「すげーじゃん秋津、先公をぎゃふんと言わせるなんてよ」
「私も、勉強したいのに先生の話ばかり聞かされるから飽き飽きしていたの」
秋津悠斗が照れ隠しに頭をかいていると、先ほどの不良がこっちを見てくる。
「ダチ公にしてやってもいいぜ」
「まじですか」
登校中に因縁をつけてきた不良と仲良くなってしまった。
* *
今日の昼食は出版部の部室で先輩らと食べていた。
悠斗の弁当は手作りで、梅干しにゴマを振りかけた白米、たこさんウインナーに卵焼き、プラスアルファで前日の残り物と簡単なものではあるが。
東城洋介に、彼の恋人の美咲も一緒だ。
「…というわけで1限目にそんな出来事がありましてね」と悠斗。
「え、やば!」と美咲。
「教師への批判はやめとけ内申に響くぞ」
洋介の言うことは正しい。特に洋介は父が海上自衛隊の艦長で自身も防衛大学校志望だから、下手を打てば平和主義の日教組に進路を歪めかねられない。シビアに高校生活を送ってきたのだろう。生徒指導部主任が顧問を務める剣道部を兼部し、好印象、模範的な生徒となるべく努力している。
悠斗、洋介、美咲で政治談議がつづいた。
* *
昼食を食べ終えた悠斗は、13時きっかりに社会科準備室前に出頭し、引き戸を3回ノックする。
「失礼致します。2年1組3番の秋津悠斗です」
「どうぞ」
悠斗が反抗した社会科教師は、気難しそうにソファーに座り、小説らしきものを老いた手でパラパラとめくっている。
教師は、なかなか話し出そうとしない。待つのは𠮟責か、特別指導か、最悪でも反省文だろう。
「あの、」
「秋津悠斗君。君に沖縄修学旅行の学年代表をまかせたい」
突然の宣告であった。
* *
ちょうど政界でも沖縄問題がテーマとなっていた。
在日米軍基地の沖縄県への押し付けももちろんそうであるし、沖縄が物部総理大臣の芸能汚職の舞台ともなっていた。
歯に衣着せぬ物言いで有名な衆議院議長の息子、奥羽太郎衆議院議員は、ブログにてある事実を告発。
それは、アイドルグループUEN48が政府からの地域振興予算を得てライブを開きかけたが悪天候で中止したというものだった。
物部の芸能汚職もさることながら、沖縄県には根深い問題が存在する。米軍基地に経済を依存しているのだ。
物部はあろうことか、そんな沖縄のための地域振興予算を、オトモダチの春本健一Pをうるおすために使った。
沖縄問題は一筋縄では語れない。
国会議事堂前にて、野党が市民集会をひらき、辺野古基地移設問題、沖縄の芸能汚職をテーマにスピーチする。
労働党中央執行委員長の蘇我和成衆議院議員、民衆党の船橋喜彦幹事長、玉野雄一郎代表代行、矢本シオリ憲法調査会長、社会福祉党党首の敷島ふそう参議院議員らがステージに並ぶ。
まずは蘇我委員長のスピーチだ。
「みなさあん、こんにちはあ、労働党の蘇我和成です。今日われわれ労働党は国会議員団全員が駆け付けました。野党と市民のたたかいで、ともにこの集会を成功させようではありませんか。物部さんは辺野古移設を強行しました。この事実だけでもアメリカ追従外交を繰り広げていることがわかります」
やや鼻にかかった声で蘇我は市民目線の弁を振るう。
蘇我和成。
野党労働党中央委員会幹部会常任幹部会委員長。長い肩書だが、党首だ。
ナンバーツーたる書記局長の時代も含めれば、1990年から党要職にいる東大卒のエリートだ。
続いて民衆党の矢本シオリ、玉野雄一郎が芸能汚職についてマイクを握り、万雷の拍手が送られた。
蘇我、矢本、玉野。
かれらはいずれも、将来の秋津政権を野党党首ながら入閣して重要閣僚として支える実力派議員であった。
だがその未来も、保守党代議士の養子である秋津と武家の子孫たる玉川の対立軸によって揺れ動くいまだ不確定のものでしかない。
このとき、秋津悠斗は修学旅行を控えていた。秋津悠斗は沖縄で何を見聞し、何を残すのか。
* *
秋津悠斗ら千葉県立某高校2学年を乗せた飛行機は那覇空港滑走路に着陸した。
悠斗はワイシャツに黒のスキニージーンズに灰色のカーディガンだが、それは本土の10月の早朝に合わせたコーディネート。暑い。
空港に待機されていたバスに乗り、平和記念資料館へ資料館へと学年を乗せて走る。
1日目は戦争体験者の語り部の話を聞く。鉄血勤皇隊にいたおじいだ。
眼鏡をかけたしわくちゃのおじいが目を瞑りながら当時を回想する。
「戦車がずらーと並んでね、どどどどどっと」
秋津悠斗は表現に誇張がついていると感じた。
語り部の講演は終わった。秋津悠斗が心を突き動かされたのは講演ではなく展示のほうであった。
B52爆撃機の巨大な模型が天井から吊るされ沖縄への米国の苛烈な施政を表現する。洞窟では民兵が戦っている。
悠斗はガマでの地上戦を知りたいと思った。知らなければと思った。
2日目は午前がチビチリガマで午後が海だ。
だがその悠斗のピュアな気持ちはしぼむこととなった。
米軍沖縄上陸当時八歳だった語り部のおばあがチビチリガマの千羽鶴の前で語る。
──日本政府は沖縄を守っていない!
──天皇がいたから沖縄は苦しめられたんだ!
と、持論にも似た県民感情を爆発させていく。
日本が好きな悠斗は島のチビチリガマのおばあを睨みつけ、去っていってしまった。
せっかく沖縄の人らに歩み寄る気持ちができたのに、ネトウヨ的バイアスが勝ってしまった。
あとの日程を悠斗は観光を楽しみ、沖縄修学旅行は終わってしまった。
* *
高校2年生の3学期。悠斗の姿は国会議事堂にあった。
予算委員会などでお馴染み、国会議事堂衆議院第1委員会室の構造は、1階が議場、吹き抜けの2階が傍聴席となっている。
その傍聴席に進み出て、着席する前に、立ったまま階下の議場を睨み見下ろす。英雄のような姿。まるで総理大臣になったかのような堂々たる態度だが、彼はこの時点では高校生でしかない。秋津悠斗は言動にいちいちカリスマ性が垣間見えるのだ。
衆議院予算委員会が始まる。物部泰三内閣総理大臣、青梅一郎副総理兼財務大臣、岸本勇雄外務大臣らそうそうたる顔ぶれが一列に閣僚席に着座する。
『休憩以前に引き続き、会議を再開します。民衆党矢本シオリ君より質問の通告がありました。民衆党の時間の範囲内でこれを許します』
『委員長』
『矢本シオリ君』
本日質問を通告したのは矢本シオリ衆議院議員。新進気鋭の検事出身の弁護士であり、代議士に転身した女傑だ。一時期は民衆党の幹事長に抜擢されかけたほどだが選挙事務所でのガソリン代の架空計上疑惑がそれを阻んだ。それとて彼女の能力に嫉妬した永田町の嫉妬による疑いでしかない。
『総理、去年の2月29日、この予算委員会の場で、『保育園落ちた日本くたばれ』というブログを紹介してから、約1年が経ちました。今年も去年同様、待機児童問題が解決していません。そして直近2年、待機児童数は増え続けています……』
矢本は堂々たる弁舌で、政権与党の失政を追及する。
『まず総理にお尋ねします。昨年の通常国会でも、臨時国会でも繰り返し、待機児童ゼロにする、と仰ってます。いつまでに、ゼロにする、と仰っているのですか?』
物部がまさに、ですね、いわばという喋り方を多用しながら苦しい答弁をする。
見かねた矢本が一緒に考えていきたい、とフォローするが、物部は民衆党政権時代のことをあげつらい難しいことなのだと力説する。
建設的な議論をしたかったのに民衆党政権のことをあげつらわれ矢本の眉間にしわが寄る。
官僚が総理に駆け寄り耳打ちする。
官僚の名札には桜俊一と示されていた。財務省官僚のはずだが、官邸に出向し、政権と一体となって施策を進めている。矢本はこの官僚のことをすかさずメモに記した。
『総理、事務方に聞かなくて結構です! 厚労大臣に答えさせたら、公約が噓だったことになります!』
それに対し、物部は肉付いた頬をたゆませながら嘲笑した。
『そんなに興奮しないでください』
与党議員席がどっと沸いた。
『笑う所ではないのです……』
矢本は悲しそうに、だが暗い怒りを込めて告げた。
「これは……だめだな」
秋津悠斗は腕を組んだ。憧れる物部が野党議員の建設的な質疑を嘲り笑ったからだ。
物部政権は野党と市民をないがしろにしているのだ! 沖縄のおばあが言っていたことを悠斗は思い出す。視界に黒い霧が立ち込める錯覚にとらわれた。
果たして物部政権は、正しいのか──
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