第7話『船橋喜彦の背中・桜香子へのリクルート』

 桜舞い散る街はいとおしき桜香子を思い出す。そのような4月の初旬。

「あの、秋津悠斗さんですか」

 駅前の待ち合わせ場所にやってきたのは大柄でワイシャツ姿の高校生だった。

「国枝晴敏さん?」

「SNSでは左翼と右翼ごちゃまぜの思想が強い方だと思っていたら……まさか秋津文彦議員の息子さんだったとは」

「養子だけどね」

 のちに総理大臣になった際に垢バレするが、秋津悠斗はこの時期、SNSにて匿名で政治的な発言を繰り返していた。フォロワーは1000人程度だが、国枝が言ったように、左右ごちゃまぜの思想で少なからぬ反響を呼んでいた。以下は当時の秋津悠斗の主張である。

・皇室を尊ぶこと。

・アメリカ、中国から独立した自主外交

・あらゆる差別の解消

・自衛隊強化

・公共事業、防災強化

・1票の格差の是正。

・老朽化した原発の廃炉。

 これが秋津政権の原点、船中八策となった。この素材に斯波、森田、荒垣、立花、国枝らの理論的エッセンスが加わり、そして何より物部泰三の遺志が込められ、秋津ドクトリンとして大成するのだ。

 さて、秋津悠斗と今オフ会している国枝であるが、そんなことはつゆ知らず、なぜここに呼ばれたのかと思う。

「で、僕にここが呼ばれた理由は?」

「もうひとり、来たら話すから」

 実は大方の予想はついていた。国枝は内部進学する私立大学で戦史、歴史を専攻する予定である。大方、ミリオタ知識を求められるのだろう。

 彼らの横を、ヘッドホンにパーカーを着けた丸顔の少年が通り過ぎようとする。何やら英語の歌を口ずさんでいる。とてもネイティブらしい発音だ。やや褐色の肌を見た国枝は彼が南興社会主義人民共和国の生まれではないかと思う。

「あれ、柏木君? こっちこっち」

「え、あ、秋津先輩に国枝君か」

 ヘッドホンを外しながら柏木が歩み寄る。

「俺の高校の後輩で柏木神璽君。こちらはフォロワーの国枝晴敏君」

「よろしく」

「こちらこそ」

 3人はカラオケ店に入っていった。

「ここなら音が漏れる心配もないか」

「で、話とは」

 秋津悠斗は意を決し、切り出した──

「俺は政治家になって日本を変えたい」

 秋津悠斗は政治家志望として高揚感に包まれていたものの、まだ志は漠然としていた。

「でしょうね、秋津議員の息子さんですもの」

「だがそのためには俺がやりたいマニフェストの理論的裏付けがない」

「なるほど?」

「そこでだ、柏木信継外務省局長のご子息で南興とのハーフの柏木君と、戦史歴史を専攻する予定の国枝晴敏君に、俺の仲間になってもらいたいんだ」

 頭を下げ、返事を待つ間に、今までの体験が脳裏をかすめる。

 ──秋津議員、弟子にしてください!

 ──香子さん、俺、政治家になって迎えに行きます!

 ──保守党議員の息子として、のうのうと暮らしていたこれまでの環境が恵まれていたことを、あらためて実感しました。

 ここが政治家人生の試練のひとつだ。仲間を得られなくてどうして政治家になれようか。

「わかりましたよ秋津先輩」

 柏木が沈黙を破る。

「国会議員の卵の政策スタッフになれるなんて光栄です」

「……!」

 悠斗の顔が晴れ渡った。ここに、将来の秋津内閣での外務大臣と防衛大臣の抜擢が運命づけられた。

 

    *    *


 とある千葉県内の市議会議員選挙、秋津父子が演説場所を押さえに行くと護憲民衆党陣営が先に駅前ロータリーにいた。

「偵察行ってきます」

 幸い悠斗はそこまで顔が知られていない。そもそも顔が文彦と似ていないので気づかれないのだ。

「そんな大げさに構えなくていいが、まあついてきなさい。

 野党第一党護憲民衆党最高顧問にして前内閣総理大臣の船橋喜彦がそこにはいた。

 演説場所の交渉に向かう最中、悠斗は文彦とはぐれてしまい、握手を待つ聴衆の列に阻まれる。そうこうしているうちに握手の順番を譲られた。間際に悠斗は腕章を隠し忘れていたのに気づく。

「若い力を貸して下さい」

 船橋は片目を瞑り、それを隠すように指先でジェスチャーしてみせた。

「どうぞ聞いていって下さいね」

 敵陣営だとばれたが、なんと船橋は演説を聞かせる度量を見せたのだ。

 船橋の演説は堂々と、それでいて言い含める落ち着きがあった。

「北朝鮮からミサイルが撃たれた時、物部首相は何をしていましたか?」

 花見! 聴衆が怒りを込めて投げられたボールを返す。桜を見る会のことだ。

 双方向の声が野党と市民を熱い塊に練り上げていく。

 正義感に満ちた演説に体に流れる血潮は熱くなるものの、すんでのところで保守党党員としての党派性が働き、悠斗は葛藤していた。自衛隊の強化を謳う物部が危機管理の立場から野党に批判されるのも情けない話だ。 筋は通っているが今は素直に頷けない。

 演説を終えると、船橋陣営はロータリーから潔く引き揚げた。

「政治というのは、まあ単純な右左だったり与党野党の図式じゃないというこっちゃ」

 文彦は煙草を吹かしながら語る。

 例えばここの市議会の候補には保守党から公認を得るにあたって20人の党員勧誘ノルマが課せられる。結果公認を得た保守党市議会議員は2、3人。公認を得られなかった党員は隠れ保守党員となるのだ。

むしろ市町村議員には党派性を超えての仕事が求められるから保守党の色が邪魔になるのかもしれない。公民党や労働党は所属を明らかにするが。

これが都道府県議会、国会議員となるにつれて党のカラーが濃くなるのだ。

色は、派閥という形で党内でも分かれている。

 物部泰三内閣総理大臣率いる最大派閥の静和会。

 青梅一郎副総理兼財務大臣率いる保守本流の威公会。

 岸本勇雄政務調査会長率いる官僚出身の公池会。

 茂手木敏正経済財政政策担当大臣率いる政局に強い世経会。

 因幡守元幹事長率いる非主流派の月光会。

 石井伸之元幹事長率いる少数派閥の近代政治研究会。

 そして、御屋敷芳弘幹事長率いる武闘派の師範会。

 秋津文彦は保守党御屋敷派のニューリーダーであった。その彼は選挙カーの助手席から愛想よく手を振る。

 今日の主役は衆議院議員候補の秋津文彦と、応援弁士は自派の御屋敷幹事長と岸本派の森田正好だ。  

「マイクテストマイクテスト。駅前ご通行中の皆様、お騒がせしております」

 丁度その時、御屋敷幹事長を乗せた黒塗りの高級車が駅前ロータリーになめらかに滑り込んだ。

「やっばり御屋敷さんはいけすかないなあ。都会と選挙区にばかり道路を通しているんだもんなあ」

 国土交通大臣の秋津文彦の持論は地方分権であった。土木建設に関して、自治体の頭越しに国に陳情が上がることで撒き餌となり、それが中央の官僚の権限を強めている現状を憂いていた。

「オヤジ、そのマイク入ってます」 

街頭演説を設営する悠斗に言われ慌てる文彦。

「おっと!」

 保守党国交族として運輸大臣、経済産業大臣、党総務会長、党幹事長を歴任してきた御屋敷芳弘は黒塗りの高級車の中で皺だらけの顔を歪めた。


     *    *


 秋津悠斗が恋焦がれる人は、図書館司書を目指し、関西の合同就活会場にいた。

 図書館の運営を行政から委託される大手図書館運営会社の新卒採用担当者に相対した桜香子。担当者は書類を見るなり言う。

「あなたもしかして、桜俊一元参事官の娘さん?」

 四角い眼鏡で淡々と喋る嫌味な男だ。パイプ椅子に座る香子の肩が揺れる。

「そうですが……」

「申し訳ありませんが、今回はご縁がなかったということで」

 トントンと書類の端を揃えながら担当者は冷たく宣告した。

 香子は膝の上でそろえた手をぎゅっと握りしめる。肩がこわばる。

「おや? 不服そうですね」

 担当者はため息をつきながら追い打ちをかける。

「あなたの親御さん、物部政権に協力して公文書を改竄したんでしょう? そのような方の家族に公立図書館の大切な蔵書を触らせるわけにはいきませんよ」

 この仕打ちはなんだと香子は思う。

 以前、青梅副総理兼財務大臣から、報道と世論のほとぼりが冷めるまで東京に近づかないように言いつけられた。なのに日本中どこへ行っても犯罪者の家族として扱われる。インターネット掲示板には、自分たちの個人情報まで晒されている。

「どうぞお帰りください」

 香子はハンカチで塩辛く滲んだ顔を隠し、その場を去る。

 そこへ別のブースからスタッフたちが追いかけてきた。

 首からぶら下げた名札には、パーソナルリクルートサービスと書かれていた。

 スタッフらの中央から重役らしき人物が現れる。

「あの……」

「申し遅れました、私、パーソナルリクルートサービスの会長を務める竹内蔵之介です。あなたの就職についてご相談があるのですが」






 






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