魔法陣物語

ぐーすかうなぎ

前日譚 パールブルーの城壁

 キア王子が兵を連れ立って仰々しくもフィカレウス王城を発ち、隣国へ出向いて数日。――これはその終わりごろ、すなわち帰還する直前のことである。

 王子たちが山をくだり終えると、そこには広大なグリーンの大地、そして大きな城壁が一つそびえ立っているのが見えた。

 フィカレウス王国の第一城壁だ。王城や民の住まう城下を守る形で立っている要塞でもある。

 空にはさすがに届かない高さだが、それでもそのつくりは立派にもどっしりとしていた。

 だがここから見渡す限りだと、この第一城壁、ひいてはその奥にある山々とも、いささかの距離があった。いや、悪いのではない。むしろ朝日の光をうけて、漆黒であるはずの城壁がパールブルーを帯びた様(さま)をしっかりと目にすることができたため、王子はしばしその幻想に酔いしれたのだ。

 外からのフィカレウス城下の景色は幾度となく見てきているが、それでも感動した。

 キア王子はしばし逡巡したのち、兵たちにも声をかけることにした。

「見ろ。すがすがしい朝だ。雲も今はない。私たちの美しいフィカレウスだ」

 だが兵たちの反応はまちまちといった感じで、王子は苦笑した。

 気苦労のたえない兵士たちのなぐさめになるかは知らないが、こういうのは気持ちだとキア王子は心得ていた。

 ふと、一人の兵士が王子に報告をした。

「――キア王子。ティルに任せた荷物なのですが」

「なんだ」

「不手際でその、この近辺に落ちた可能性が高いそうです。道中で探しましょう」

「ふむ、そうだな。では進むとするか」

 ティル、というのは空を飛ぶ大きな鳥のことだ。

 王子らが山々を進むにあたり、先に余計な荷物を城まで運ぶよう飛ばしたのだが――なんと述べるべきか――ティルは気まぐれで時折、その任を放棄してしまう。今回も例にもれずで、結局王子が手ずから探すハメとなった。

「ありましたよ。王子、ここです!」

「そうか。面倒をかけたな」

「いえ!」

 案外あっけなく見つかった。王子は荷に問題がないかと確認したのち、それを背負ったのだった。

 仰々しく人々の賑わいとともにはじまった旅だ。王子の帰還を喜ぶために仰々しく終わろうと、これまた兵たちや民が準備をしていた。

 いまだ朝日をうけている第一城壁をくぐるためには、ナト川から伸ばしたお堀の上に位置するエルトーン大橋を通らねばならなかったのだが、そこにはすでに大勢の民がいて、通る通らないどころの騒ぎではなくなっていた。

 人でぎゅうぎゅう詰めなうえ、大量の紙吹雪……まるで祭りだ。

 キア王子はエルトーン大橋の向かって右の方へと追いやられてしまい、しかもその反動でたもとに広がっているお堀をのぞきこむ形となった。

 まぁ、お堀といっても現在は川扱いで、攻め入るものを寄せ付けない、というような戦時の雰囲気はない。むしろ観光客を小船に乗せて、船でめぐる歴史ツアーなるものを船乗りたちが開演しているぐらいだ。

 しかし偶然にもそういった小船のうえで眠りほうけている少女を見つけると、王子はなんだか嫌な予感がしたのだった。すかさず彼女を追いかけるようにして人々を押しのけ、エルトーン大橋の左の方向に詰め寄り叫ぶ。

「おい!起きろ!落ちるぞ!」

 お堀に向かって――いや、少女に向かって、王子は声をかけ続けた。しかし――。

 ドボン――ッ。

 少女はよほど疲れていたのか、お堀――すなわち川だが――そこへ落ちてしまった。

「おい、兵士よ!近くにいるか!私の荷を持て」

「ぐ――は、はい、ですが何を――ってまさか!」

「決まってる。助けるんだ」

 言うなり、王子はエルトーン大橋から飛び降りた。

 賑わいの勢いが短い悲鳴とともにスンッと静まりかえる。

 そのすきに兵士たちが慌てふためきながら、迅速に民に立ち入りの規制をかけていく――。

「フューリーさんを呼べ!あの人ならこの場を仕切れる!」

「わかりました!」

 一方のキア王子は少女の気配にむかって、まっすぐ泳ぐ。だが、泥くさい水質が王子の自由を次第に奪っていく。あがくすきも与えないと言わんばかりだ。

 水深が進むにつれ視界が暗くつつまれていく。そこへ、少女のもがいてる手だけが王子の眼前に現れた。

 キア王子はすかさずその手をにぎると、引っ張りあげるようにして日差しにむかって泳いだ。

「ケホケホケホッ」

「大丈夫ですか!王子!」

「平気だ!それより、この子をはやく!」

「今ロープを渡します!」

 浮かび上がった二つの頭は、泥まみれだった。

 ロープ伝いにお堀をのぼりきったキア王子。そしてその王子にヒョロヒョロとしがみついていた少女は――体力を奪われ切ったのか突っ伏した。

 そこへ騒動の収拾をはかっていた王国兵士の青年・フューリーがかけつけた。彼は二人の無事を確認すると、規制により門の奥であわあわと祈っていた皆に向かって叫んだ。

「安心しろ!無事だ!」

 ワ――――ッ!という歓声が響く。いちいち大げさではあるものの、皆が皆、それほどまでに王子を大切にしているともとれた。

 キア王子はむせつつ、少女の容態を気にした。

「おい!しっかりしろ!――水を飲んだのか。フューリー、吐かせてやれ。軽くたたくだけでいい」

「わかりました」

 フューリーが処置するかたわらで、ふと王子は今一度、第一城壁を見上げたのだった。――遠目ではあったが、そこにいる兵士たちが、喜びを全身で表すようにして手を振っているのが見えた。

 そのせいだろうか。以降何がしかの難題とぶつかる度に、彼の燃えるような気持ちがこの日のパールブルーの城壁を思い描いてしまう。だが、決してうぬ惚れないために、それらをそっと胸の中でうち消すのであった……。

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