エピローグ

 ──雲野くもの 亜良音あらねは退屈していた。

 惰性に続く日常に意味はなく、決してこの飢えは満たされることはない。


 他とは違った。

 クラスメイトの男子に惹かれたことはなかったし、高嶺の花だとちやほやされていた男性教員にも興味はなかった。


 きっと神様は彼女を作る時になにか調合を間違えたのだ。

 

 けれど常識は持ち合わせていた。

 自分がおかしいってことは嫌って程分かっていたし、家族のためにも治したいと思っていた。

 自分の胸に渦巻くこの卑しい願望は叶えられてはいけない。


 ──雲野くもの 亜良音あらねは退屈していた。


 他人に迷惑をかけないように、自分を殺した。

 求められるがまま完璧な女の子を演じた。


 素を見せて良いのは方向性は違うが同じく変態ヘンタイ、姉の亜南あなんの前だけだ。


 姉の存在だけが唯一のよりどころだった。

 詩的に言うのなら、地獄に落ちないように天から降りてきた一筋の蜘蛛の糸。

 その細い糸にしがみついて生きてきた。


 しかし時折思ってしまうのだ。

 夜中に天井のシミを数えながら、このまま老いて死ぬくらいなら一度くらい可愛いショタを監禁して自分の好きに愛でてしまいたい。


 見た目だけで言えば美少女だ。

 罪に問われても、許してもらえるかもしれない。


 妄想に果てて。

 賢者のような思考に至った時、自分の愚かさとおぞましさに呆れてしまう。


 時に思う、現世こここそ地獄だ。

 前世になにか救いようのない事をしでかしてしまったのだろう。

 だからこんなにも生き辛いのだ。


 いっそ、この握りしめている蜘蛛の糸を手放して地獄の沼底に溺れてしまった方が楽なのかもしれない。


 自制が効かなくなる前にこの命を神に返してしまおうか。

 もう一度、調合しなおしてもらおう。

 今度は平凡になんの欠落もないように。




 ──そんなある日、日本は終わった。

 ゾンビ化するウイルスが蔓延したのだ。


 誰が何の為にそれを行ったのかは分からない。

 そのウイルスは命を、平和を、法律を奪っていった。


 ようやく自由だ。

 彼女は蜘蛛の糸を登り切ったのだ。

 頑張った彼女に神様が授けた奇跡、──そう思った。


 けれど、彼女の家族は他より善良だったようで営む温泉宿に人を集め安全地帯を作った。

 父のリーダーシップもかなりのもので、餓死する者もゾンビに襲われる者も次第にいなくなっていった。


 善良である家族の為に、善良であることを強いられた。

 外には彼女が望む全てがあるのに……。


 またしても、雲野くもの 亜良音あらねは──。


「退屈しているようだな」


 夜中、庭に出てゾンビの為に作られた壁を眺めていると声がした。

 低く、雷のように胸の内が揺れる声。


 彼女は振り返る。

 そこにはまるで姉が熱狂的にハマっているヒーロー番組に出てくるような──怪人。


 安っぽい表現だけど、まさに怪人だった。

 『イーッ!』と言う掛け声などをする戦闘員とかではなく、ラスボスと言われても納得してしまいそうなデザインの。


 白い雄牛の怪人。


「怖がることはない。同士よ、名は?」


「……亜良音あらね


「ほう。一文字満たされれば、蜘蛛の怪物と同じ名か」


「貴方は?」


「ゾンビの上位種【歪曲者パバード】」


 これは着ぐるみではない。

 この人外に殺されると覚悟した。

 ──期待した、と言う方が正しいか。


「なに、君を取って食おうという気はない。ましてやこの宿の者たちにも興味すらない。オレはただ贈り物を渡しに来ただけ。亜良音あらね。君を救う贈り物ギフトだ。受け取ってくれたまえ」


 そう言って白い雄牛の怪人は彼女の首元を裂いた。

 血が溢れる。

 まるでお祝いのシャンパンのように。


「見立て通り。君はあるべき存在に生まれ変わった。誕生日おめでとうHappy Birthday。蜘蛛の歪曲者パバード


 自分の身体を見る。

 目の前にいる存在と同じ、怪人だ。


 しかし取り乱す気は起きなかった。

 むしろ心地が良く、救われた気がした。


 白い雄牛の怪人は満足そうな頷きを見せ、背中を向ける。

 これからは好きにしなさい、とでも言うように。


オレ嗜好のショタエウロペを探す。君もそうするがいい」


 そしてひとつ言い残すように振り返り。



「【鉄人てつじん】にだけは気をつけろ。唯一我々を殺せる存在なのだからな」





 ──……彼女は脳天に熱線ビームを撃ち込まれ、消える意識の中でその言葉を思い出しただろう。

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