●第五十一話● 『晴矢君』


 ……あの食えない幽霊ゴースト女に晴矢ハルヤが男だと教えたのは、いったい誰だろうか?

 晴夏ハルカか?

 それとも、幽霊ゴーストの持つ異能かなにかで、本来の性別くらいは見ただけでわかってしまうのだろうか。



 ドデカい爆弾を抱えたまま校舎に入ると、もう月穂つきほたちがとっくに教室内の掃除を始めていた。


 窓を全部開けて全教室の机や椅子なんかの備品を一年A組総出で拭いていると、五月祭の女王メイ・クイーンに扮した深羽みはねが現われた。頭の上に色鮮やかな花冠を乗せ、豪奢なローブを肩にかけて。



「遅れました、皆さんごめんなさい!」

「お疲れ様、深羽みはね!」

五月祭の女王メイ・クイーン、おめでとう――!」


 例年なら、五月祭の女王メイ・クイーンの称号授与式は全校生徒の前で派手に行われるらしいのだが、体育館まで《人類の敵》の残滓塗れになった今年はイベントごと吹っ飛ばされた。

 生徒会室でささやかに賞状授与と写真撮影を終えてきたという深羽は、クラスメイトたちに囲まれて恥ずかしそうにはにかんでいた。


 やがて、クラスメイトたちから離れ、深羽がそっと近づいてきた。


「拭き掃除、手伝いますね」

「うん」


 しばらく並んで拭き掃除をしたところで、ふと深羽が呟いた。


「……あの、それで、ですね。ハルちゃん……」

「ん? どした?」


 晴矢が顔を上げても、深羽は熱心に机を拭いていた。

 心なしか、顔が赤い。

 深羽は、机に目を落としたまま、こう言った。


「わたし、ずっと考えてたんです」


「何を?」


「自分が、何をやりたいのかってことを。自分がどんなことを夢見てるのかなって。

 あんまり思いつかなかったんですけど……、ようやく一つだけ、やってみたいことが見つかりました」


「そっか。よかったな」


 ちょっと微笑んで、晴矢は深羽の横顔を眺めた。


「……訊いてもいい? どんなことか」


「子供っぽいって笑わないでくれますか?」


「うん」


 晴矢が頷くと――、深羽の横顔が、みるみるうちに赤くなっていく。

 どうしたんだろうと思っていると、深羽のぷっくりとしたさくらんぼみたいな唇が小さく動いた。


「わたし……、あの、いつか……」


「いつか?」




「――晴矢ハルヤ君と、文通してみたいです」




「……。……。……えっ⁉⁉」



 予想外。

 完全に、不意打ちだった。


 急に深羽に自分の本当の名前を呼ばれて――初めて彼女に名前を呼ばれて、胸がきゅっと締めつけられるように苦しくなった。

 心臓を蹴り上げられたみたいに、どくんどくんと鼓動が上がっていく。


 晴矢が目を剥いていると、はっとしたようにこちらを見て、深羽がぷっと頬を膨らませた。



「わ、笑わないでくださいってば、もう!」


「わ、笑ってないって! い、今の、どういうこと……?」



 今度は、晴矢の声の方が震えた。

 深羽は長い睫を伏せて、こう答えた。



「あの、わたし……。ハルちゃんと話してると、どうしても、ハルちゃんと生まれた時から過ごしていたお兄さんって、どんな男の子なのかなって気になっちゃって……。それで、ほら、あの時、手紙をいっぱい見たでしょう。

 えと、あの、文車妖妃ふぐるまようひの文ちゃんさんと戦った時です」


「……あ、ああ、あの時ね!」


 晴矢は手を打ってこくこく頷いた。

 カグヤ・タワーの大図書館で文車妖妃ふぐるまようひと戦った時、確かに恋文やら艶文やらが、無数に飛び交っていた。

 律儀な深羽は、それを〈イン・ジ・アイ〉で相当数読んでしまっていたようなのだ。

 すると、深羽は続けた。



「あの時に、ちょっとわたしには読むのが難しいお手紙もいっぱいあったんですけど、でも、中にはとっても素敵なものもあって。ああいう風に晴矢ハルヤ君といつかお手紙を交換できたらなって、思えたんです。

 ……変ですか? こんな風に思うのって」


「い、いや! そんなことない! と、思うよ……」


「本当ですか? ハルちゃんが変と思わないでくれるなら、わたし……」


 夢が叶ったわけでもないのに、嬉しそうに、深羽がぱっと顔を輝かせた。


 ……しかも、この小さな小さなささやかすぎる夢、晴矢に叶えられる範疇である。

 何と答えようか迷っていると、深羽はまた、掃除に意識を戻してしまった。


 晴矢も並んで机を拭きながら、逡巡を続けた。


 深羽に手紙を書こうか、書くまいか。

 彼女は晴矢という男に失望しないか、それとも、……ひょっとして、喜んでくれるのか。


 ……彼女の胸のほんの片隅にでも、晴矢が入ることは、できるか否か。


 けれど、彼女と手紙越しでも、男として――本当の自分として交流できたら、それは何より幸せだろうと思えた。


 そして、……確信した。


 自分は、この斎院さや深羽みはねという少女のことが、好きなのだ、と――。



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