●第五十話● 宴の後始末


 翌日、盾羽たてはの指示通り、晴矢ハルヤは早起きをして全校を掃除する準備をしていた。

 屠った後のすべての《人類の敵》同様――昨日真っ白な砂糖液塗れとなった桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんからは、綺麗さっぱりあの怪物の痕跡は消えていた。


 ……が、並み居るお嬢様方が、それで納得するはずもなかった。

『《人類の敵》塗れになってしまった我が校を、皆で力を合わせて綺麗に清めましょう――』と、いうわけだ。


 女生徒たちの挙げた声に応じるように、この日は急遽全校休校日となったのだった。



 だけど、今日一日で学校中の掃除が終わるなんて、とても思えなかった。今年の桜ノ宮女学院には、もう一回ゴールデン・ウィークが訪れることになるかもしれない。


 校内アナウンスによると、今年の五月祭の女王メイ・クイーンは、深羽に決まったそうだ。晴矢が執拗に固辞したからなのかどうかは、定かではない。




 すると、顔を洗っている晴矢の後ろで、寮部屋のドアが蹴破られるように開いた。


 ……この乱暴な夜討ち朝駆けをする奴に心当たりは、一人しかいない。タオルで顔を拭きながら、晴矢は言った。


「またおまえかよ、嫩葉わかば。いい加減、ヒトの部屋入る時は、ノックくらいしろよな――」


 文句を垂れながら振り返ってみて――、晴矢は一瞬、言葉を失った。



「嫩葉、おまえ、その髪……」



 ぽかんとして、晴矢は嫩葉の髪を指差した。


 高く結い上げられていた嫩葉の色素の薄い長い髪は、バッサリと切られて、彼女の頬にかかっている。ちょっと見は少年のようだった面立ちが、さらに中性的な魅力を増していた。見事なショートヘアだった。



 嫩葉は無造作に散った前髪を指先でいじって、唇を尖らせた。


「……何だよ。そんなに変か?」

「いや……。自分で切ったの?」

「うん」

「そ、か……」


 晴矢は頭を掻いて、それから、一番に思いついた言葉を口にした。


「あの、凄え似合ってるよ。か、可愛いと思う……」


 すると、今度は唇を尖らせて、嫩葉は晴矢を睨みつけてきた。


「……馬鹿。嘘でも格好いいって言えよな。そのつもりで切ったんだからさ」


 そう言って、嫩葉はふっと微笑んだ。


「あのな、髪切ったの、オマエのせいだから」

「えっ?」


「っていうのは冗談で、……ホントはオマエのおかげ。なんか、今まで窮屈に考えすぎてた。だからさ、オマエの言う通り、もうちょっとだけ自分の好きに生きてみることにしたんだよ。

 馬鹿馬鹿しい親の指図に従って髪伸ばすのなんかやめた。……長い髪って、好きじゃないから」


 それから、嫩葉はちょっとだけ頬を赤らめて続けた。


「……けど、たまには可愛いって言われるのもいいかもね。……案外、嬉しかった。

 ありがと、ハル」


「う、うん、あの、どういたしまして……」


 晴矢がどもっていると、嫩葉がチェシャ猫のようにニヤッと笑い、顔を近づけてきた。


「!」


 洗面台まで追いつめられて、まさかの壁ドン。

 ……女に壁ドンされてしまった。

 追いつめられた晴矢が慌てて唇を逸らすと、嫩葉の柔らかな唇が、頬にさらりと触れた。


 嫩葉の唇が離れると、晴矢は、思わずそこを手で覆った。


「――それじゃ、お先!」


 さっと身を翻して去った嫩葉を見送ると、一泊遅れて、顔中にカーッと熱が集まってきた。


「……はあ。本当に、心臓に悪い奴……」


 アイツに、本当は晴矢が男だとバレたら。……冗談じゃなく、殺されるかもしれない。



 〇



 女子寮を出ると、どこに用意してあったのか、ドデカいホースが何本も引っ張り出され、カグヤ・タワーの上階から、桜ノ宮女学院の敷地中に派手に放水がなされていた。



「……道理で、歯磨きの途中で水が止まったわけだ」


 おかげで、すすぎきっていない口の中にミントの味が残り、スースーしている。


 目をやれば、カグヤ・タワーの壁に掴まってホースの口を器用に操っているのは、嫩葉わかばとそのファンの少女たちだ。


 例のブルー・スライムもまた巨大化し、一年A組女子たちによって追い立てられ、体にたっぷりと含まれた温水仕様の『綺麗なお水』とやらで、校内清掃を手伝わされていた。

 ……《人類の敵》で汚れた校内を《人類の敵》で清める。……これでいいんだろうか?



『お嬢様的お掃除』に対する無粋な突込みは置いて、晴矢ハルヤはふと、掃除の助太刀に向かう前に踵を返した。


〈イン・ジ・アイ〉の通知によれば、生徒会権限で、今は学校中の水道が止まっているらしい。

 この措置に激怒していそうなあの女・・・の元へ、晴矢ハルヤは一人向かった。





 すっかり水の供給が止まって、ぬるま湯が滞った五右衛門風呂に、その人は青い顔をして浸かっていた。

 ――岩子いわこさんだ。

 妖艶な白い着物も、心なしか、今日は色気が足りないようだ。



「……朝っぱらだし、幽霊ゴーストの時間じゃないからかな? 元気ないっすねえ。岩子さん」


 しれっと晴矢が声をかけると、岩子さんは、眉間の皺をよりいっそう深めた。


「……何よ。嫌味でも言いにきたわけ?」


「まあ、お友達には大変お世話になりましたしね。いや、まさかあんたのお友達が、あんなにはた迷惑な奴だとは思いませんでしたよ。文車妖妃ふぐるまようひの文ちゃんでしたっけ?

 まさか、うちのガッコの蔵書狙いだったとはねえ」


 岩子さんは、ぬるま湯に漬かったまま、むすっと顔をしかめている。


「逃げないんすか。校内の清掃が終わったら、次の討伐対象はあんたになったっておかしくないと思うけど」


「余計なお世話よ。あたしの持ってる情報を軽んじるほど、桜ノ宮女学院の生徒会は馬鹿じゃないわ。それに、あの心優しい深羽がいるもの。

 こういう時のために手なずけてるのよ」


「そうですかねえ。その心優しい深羽は、姉ちゃんの意見にはもっと心優しく接するみたいですけど」


 晴矢がうそぶくと、岩子さんはますます顔をしかめた。


(……ま、でも、確かに万が一次の討伐対象が岩子さんなんてことになったら、深羽は全力で庇うだろうけどさ)


 そうは言わずに、晴矢は岩子さんに訊いた。



「で? あの文ちゃんはどこに逃げたんですか。知ってるんでしょ、万が一にも生徒会に成仏させられないための交渉材料にさ」


「そうよ。言うわけないでしょ、あたしの命を守るための生命線だもの」


 万一に備え、文車妖妃の居所は保険に取っておくってわけだ。

《人類の敵》との二重スパイみたいな真似といい、本当に食えない幽霊ゴーストだ。



 すると、防戦一辺倒だった岩子さんが、ふいにニタリと笑った。

 その不気味な笑みに背筋をゾッとさせていると、次の瞬間には、もっとゾッとすることになった。



「こんな罪のない幽霊ゴーストなんか苛めて、余裕ね? か弱い幽霊ゴーストだって、あなた一人くらいなら捻り潰せる程度の情報を持ってたりするものよ」


「?」


「ふふ……。あたしに逆らう生意気な若いツバメも案外いいものね。

 あなたを屈服させる日が楽しみだわ……十六歳の誕生日おめでとう。可愛い坊や・・



「――‼」






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ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


残りあと二回更新で完結の予定です!

できれば今日最後まで…と思っておりますので、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

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