●第四十九話● これにて! 幽霊騒動



 姉の前で、深羽みはねは、音もなく柔らかな物腰で立ち上がった。


 駆除用作業着姿なのに、まるでドレスにでも身を包んでいるかのような気高い姿だった。

 深羽は膝を折って、優雅に会釈をした。それを見て、晴矢も慌てて立ち上がった。

 盾羽たてはは、ふんと鼻を鳴らし、長い黒髪をなびかせた。


「……無事に《人類の敵》をすべて退治したようね、深羽」

「はい、盾羽お姉様」


「けど、桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんは見苦しい有り様だわ。もっと美しい解決はできなかったの?」

「申し訳ございません……」


 しゅんとして、深羽は顔を伏せた。

 我慢ならず、晴矢は、深羽に代わって盾羽に立ち向かった。


「そういう言い方はないんじゃないですか。あんたの言ってた通り、《人類の敵》はすべて殲滅したんだし」

「……」


 静かに、盾羽が晴矢を見る。その鋭く冷たい視線に一瞬たじろぎかけたが、晴矢は胸を張って盾羽の視線を受けた。


「……それなら訊くけど。〈境界の鏡ゲート・ミラー〉は、どうしたの? 今回ずいぶんな暴走を見せたようだけど」

「それは……」


 後ろで、嫩葉わかばがびくりと身をすくめる気配がする。晴矢は、嫩葉を背後に庇って答えた。


「俺と深羽ですぐに回収します。無事すべて上手くいきましたよ。この上なく美しいやり方で」

「そう……、そういうことね」


 盾羽が、唇をわずかに開いて笑う。赤い唇。かすかにのぞく濡れた舌。その美しさに、晴矢は思わず目を奪われた。

 自分の微笑みの価値を余すところなく理解しているこの斎院盾羽という女は、晴矢の顔が赤らんだことを気にも留めずに続けた。


「そういうことならいいわ。この件については、これ以上は不問にします」

「! それじゃ……」

「ただし」

「……」

「この《人類の敵》が汚した桜ノ宮女学院を清めるのは、あなたたちの仕事よ。わかったら可能な限り速やかに騒動の後始末をなさい。深羽。……ハル」


 それだけ言うと、従者のように控える京堂雛きょうどうひなと一緒に、盾羽は晴矢たちに背を向けて去っていった。

 それから、少しの間沈黙があって――。

 足腰から力の抜けた深羽が、地面にへなへなと座り込んだ。

 慌てて晴矢がそれを支えると、深羽はほっとしたようにふにゃけた笑顔を浮かべた。


「ああ、よかった。無事にすべて終わって……。本当にありがとうございました、ハルちゃん」



 ○



「――盾羽。本当にいいの? 深羽あのこをこの桜ノ宮女学院に残して」


 並んで歩く雛が、ふいに盾羽に訊いてきた。

 盾羽は肩をすくめ、深羽と、そして、妹を守ろうと懸命に立ちまわった神埜晴夏ハルカを思い浮かべた。


「そうね。神埜の娘が来たのだもの……予想より――早いのかもしれない。となると、計画に修正が必要ね。深羽を外に出すより、内に置いておいた方が利用価値が上がるかもしれないわ」

「……盾羽。いいのよ? わたしにだけは、本音を言っても」

 幼馴染みの雛が、案ずるように盾羽の顔を覗き込んだ。盾羽はさらりと長い髪を搔き上げて、首を振った。


「嘘なんかついてないわ。嫌いだもの。紛い物は」


 親友の答えを聞いて、雛は、悲しそうに眼鏡の奥の瞳を伏せた。

 盾羽は、カグヤ・タワーを強く見据えた。

(……誰にも、わたしの気持ちはわからない)

 両親であっても、親友であっても、……血を分けた妹であっても。

 どこまでも一人で戦い抜くと、盾羽は誓ったのだ。



 ○



 屋上で鏡面が砂糖液塗れになった〈境界の鏡〉を回収し、ほとんど腰砕けになっている深羽を背負って寮部屋まで送った後で自分の部屋に帰ると、――晴矢は、〈イン・ジ・アイ〉の通信を開いた。



『……おい、応答しろ。どうせずーっと聞いてたんだろ、おいってば! ――晴夏ハルカ‼』



 晴矢が〈イン・ジ・アイ〉に何度も叫びかけると、ようやく、わざとらしい声が脳内に響いた。


『……うーんむにゃむにゃ。こっちが今何時かわかっているのかね。昼寝時にうるさい愚兄だなあ。何の用だい』


『とぼけるなっ。全部わかってんだぞ。……おまえの仕業だったんだろ、晴夏ハルカ


 そう責め立てると、まったく悪びれもしない返事が返ってきた。


『ああ、ボクが用意した特大バースデー・ケーキのこと? 結構仕込みが大変だったんだよ。でも、まあ、他ならぬお兄のためだからね。這いつくばって礼を言ってくれればそれでいいよ』


『誰が礼なんか言うか! ……嫩葉の奴が、急に声が聞こえるようになったって言ってたから、おかしいと思ったんだ』


 頭の中で不審な声が聞こえるという状況は、心霊現象や精神疾患によるものではなければ、――心当たりがあった。


『……おまえが、嫩葉の〈イン・ジ・アイ〉をハッキングして、あいつの頭ん中にあることないこと吹き込んでたんだろ』


『へへ。バレた?』


『やっぱり俺以外の〈イン・ジ・アイ〉にも不正アクセスできたんだな』


『当たり前だろうが、チョロいね。……あの子が、綿飴男コットンキャンディ・マンをとっても怖がってるってのがわかって、親近感が湧いてね。彼女、強がってるけど案外精神のガードが緩いから、狙い目だと思ったんだ。

 ミステリアス・ウィザードの面目躍如といったところだろう?』


(……我が妹ながら、悪魔か、おまえは!)

 晴矢は、眉間に皺を深く寄せたまま強く抗議した。


『ふざけんな! そのせいで、嫩葉わかばがどんな真似をする羽目になって、この桜ノ宮女学院の奴らに迷惑をかけたと――』


『桜ノ宮女学院の奴ら? その中の固有名詞について怒ってるんじゃないのかい? お兄は』


『うるさい』


『まあまあ、そう怒らないでくれよ。ボクも、意味もなくお兄の通う桜ノ宮女学院に攻撃を仕掛けたわけじゃないんだ。ボクは、桜ノ宮女学院が外部からの攻撃にどの程度の備えを持っているのかを知りたかったんだよ。

《人類最後の砦》とやらがいかほどのものか、ぜひともこの目で確かめたくてね』


『は……? なんのために……?』


『馬鹿だな――気づかないの? 大事な兄を預けるに足る施設かどうかを確認するためだよ。

 ボクは両親や祖父母と違って、他人から提示されたデータだけで信頼するほどお人好しじゃないのでね』


『……』

 

 晴矢は、呆気に取られて目を瞬いた。

 晴夏の奴め……、本気だろうか?

 口からデマカセばかりで生きてきたような妹だし、信用ならないことは確かだ。

 だけど、本当に晴矢のためだというなら……。……いや、許してなるものか。

 晴矢は、急いで晴夏に言った。


『と、とにかく、だ。二度とこんな真似すんなよな。次は絶対に許さない……』


『あれ? いいのかな、ボクにそんな口利いて。――ふふふ。忘れちゃいけないよ。

 ボクがその気になれば、お兄が本当は男だってこと、いつだって理事長にも校長にも生徒会長にも、……斎院さや深羽みはねにも、言いつけられるってことをさ』


『――‼』


『わかったら、せいぜいボクの手の平の上で危うい青春を楽しんでくれたまえ。……あと、届いたよ、お兄からの誕生日プレゼントのクソほどダサいオルゴール。あんなセンスのないもん、今時どこで見つけたんだい?

 ま、せいぜい大事にしておくよ』


 それだけ言うと、また例の高笑いをエフェクトつきで残して、妹との回線は途切れた。

 深く深くため息をついて、晴矢は頭を抱え込んだ。


「……っんとに、何考えてんだよ、おまえはさあ……」


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