●第三十五話● お舐めなさいな、足の裏を


 ……彼女の身に着けている真っ白な死装束は、ほとんど肌蹴られ、帯を締めている意味があるのか不明なほど極限まで緩められていた。


 装束の布地は、上気した白く艶めかしい柔肌にぴったりと貼りついている。


 袷から水滴を浮かせた肉感的な肢体が覗き、太腿は大胆に組まれていた。


 そして、その先には膝と白いふくらはぎ、そして、踵に繊細なつま先までもがしっかりとついていた。


 濡れた黒髪の頭には、お約束の白い三角形をしたお約束のアレが載っている。


 長い髪に隠れた左目から頬にかけては、火傷なのかそれとも病気か、爛れ落ちていた。



 けれど――、全体の印象としては、匂い立つような美女そのもの。



 この恐ろしいほど存在感と現実感のある女が、……《人類の敵》の幽霊ゴースト岩子いわこさんだった。



「うふふふふ……。その焦燥しきった顔もとってもいじらしくて可愛いわよ。深羽みはね。今日はお友達連れなのね。

 その子が、例の転校生?」


 岩子さんが、瞳を妖しく閃かせ、濡れたような声で囁く。

 深羽は頷いた。


「はい。ハルちゃんです」

「……えーと、どうも」


 晴矢ハルヤが軽く頭を下げると、岩子さんは目を細めてこちらを見た。


「ふぅん……。そう」


 声だけでなく、視線も濡れたような色気を放っていた。

 何ともはや、とんでもない《人類の敵》もいたものだ。

 無数に上がる白い湯気を揺らして、岩子さんはニタリと不気味に微笑んだ。


「それで、あたしに何を訊きたいの?」


幽霊ゴースト駆除についてです。ほら、以前、五月祭メイ・デイで催す幽霊ゴースト駆除の企画の相談をさせてもらったでしょう?」

「もちろん覚えているわ」


「実は、〈境界の鏡ゲート・ミラー〉が暴走して、幽霊ゴースト――紙状をした、人魂達が止め処なく集まるようになってしまったんです」

「それは大変」


「日のある今は、旧校舎の屋上以外の人魂は霧散しています。でも、夜になったらまた集まってきて、わたしたちに対する攻撃を開始するでしょう。

 近隣への被害が広まる前に、なんとかこの桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいん内で彼らを食い止めたいんです」



「それだけじゃないでしょう。深羽みはね、あたしとあなたの仲ですもの。

 無粋な隠し事はやめて?」


「……」



「そんな大事故があなたの企画で起こってしまったんなら、当然、あなたの退学クビがかかっているはずよ。

 生徒会は、あなたの頸を刎ねると言っているんでしょう?」


「けど、それよりも、一般の方々への被害を出さない方が大事ですから」


「まあ……。あなたらしいのね。そっちのあなた……ハルも、深羽と同じ意見でここに来たの?」


「ええ、まあ」

「そう」


「岩子さんにお訊きしたいのは、今回集まった紙状で人魂様ひとだまよう幽霊ゴースト達の行動についてです。今回の人魂たちの行動に、組織的な統制が見られるんです。人魂を集めているのは、〈境界の鏡ゲート・ミラー〉ですが、まるでそれを守るように、彼らは動いているんです。これは、今までは見られなかった現象です。

 幽霊ゴーストは、基本的に単独行動を好みますから……」


 深羽が顔を上げて首を傾げた。

「岩子さん、理由はわかりますか?」


「元仲間のことですもの。多少の心当たりはあるわね」

「本当ですか? それって、いったいどんな……」

「待って。焦らないで」


 身を乗り出した深羽みはねのぷっくりとした唇を、意味深に岩子いわこさんの白い指がぷにっと止めた。

 晴矢ハルヤは、思わず深羽の腕を取って岩子さんから引き離した。



「あん。どうして離れるの?」

「どうしたんですか? ハルちゃん」


 二人して怪訝そうに。晴矢を見上げてきた。

「いや、だってさ」


 晴矢としては、深羽を《人類の敵》から守ったつもりなんだが、……違うのだろうか?



 すると、岩子さんがまた、ニタリとあの不気味な微笑を浮かべた。

「うふふふふ……。まるで深羽の騎士ナイトね」

「そんなつもりはないですけど」


「あら、無理して否定しなくてもいいのよ。深羽を案じるのは、あなたもあたしも一緒というわけね。

 素敵じゃない。女同士だけに許される、儚くも美しい深い友情だわ」


「なら、さっさと教えてください。あの紙みたいな姿をした幽霊ゴースト――人魂どもに、何が起きたんですか?」



「教えてあげる前に、深羽に訊きたいことがあるの。

 ほら……、例のことよ」


「!」



 深羽が、ハッとしたように息を呑む。

「あ……、あの……。岩子さん、それは……」


 深羽の真っ白な顔が、みるみるうちに真っ赤になっていった。

 何のことかと訝っていると、いたいけな深羽の赤い顔を見て、さも愉しそうに岩子さんがケタケタと笑った。



「もう、深羽ったら……。あたしのお友達が書いてくれたこのあたしの生前回顧録を渡したのは、ずいぶん前でしょう。

 何度も急かしたのに、その顔を見るとまだ読んでいないのね?」


「は……、はい……。つ、つい忙しくて……。すみません、岩子さん。

 せっかく、わたしのためにお友達に頼んでくださったのに……」


「とってもがっかりしたわ。それじゃ、読み終えるまでおねだりはなしよ。

 雑談なら付き合ってあげてもいいけど」


「そっ、そんなっ……。ま、待ってください、岩子さん! 今は緊急事態なんです。今夜には、また人魂が無数に集まってきます。

 それまでに対策を考えないと……!」


 慌てたように、深羽が言う。

 しかし、岩子さんは素知らぬ顔で鼻歌なんかを口ずさみ始めた。


 晴矢は、深羽の肩をちょいちょいと突っついた。

「そんなに長えの? その回顧録って。今から急いで取りに帰って速攻で読めばいいじゃん」


「あ……。それが、岩子さんの生前回顧録は……」


「全二十巻よ。あたしのお友達は、文章家なのよ。

 書き始めたらノリにノッちゃったらしくて、夜までどころか、明日の朝までに読めたらびっくりだわ」


 晴矢ハルヤは、閉口した。

 それじゃ、回顧録どころか、ほとんど日記みたいなもんだ。


(……んな長い他人の人生録なんか、読んでられっか!)


 偉人の回顧録だって、相当面白い人生歩んでなけりゃ、もっと短くまとめられてるやつじゃない限り避ける。

 呆れて、晴矢は岩子さんを眺めた。


「……よくそんなもん、友達に書かせましたね」


「あら。あの子が自分から志願したのよ。あの子、そういう小説を書くのが大好きだもの。

 このあたしの信望者でもあるしね」


 ふふんと笑い、岩子さんは続けた。


「あたしたちはね、あなたたち生身の人間と違って時間はたーっぷりあるし、暇を持て余してるのよ」


「別の条件じゃダメなんですか。日暮れまでにできるので」


「どうかしら」

「深羽とだって、友達なんでしょ。見せてくださいよ、美しい友情ってやつを。

 俺なら、友達が困ってたら、黙って見捨てるなんてできません」

 

 いや、深羽以外が相手なら、どうかはわからんけど。

 つーか、あの数の人魂相手だとしたら、かなり怪しいところと思うけれど。


 そこのところは伏せて晴矢が言うと、岩子さんはちらっとこちらを見た。

 それから――、これ見よがしに、肉感溢れるむっちりとした太腿をゆっくり組み替えた。



「……いいわ。深羽みはねと新しいお友達が来てるんだもの。少しくらいは融通を利かせてあげなくてはね。それじゃ、条件を変えてあげましょう。

 あなたたち二人で――、仲良く並んで跪いて、あたしの足の裏でもお舐めなさいな」


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