●第三十四話● その幽霊の名は、『岩子さん』


「――今回の事故の原因は、なんだと思う? 深羽みはね


 教室を飛び出すなり、晴矢ハルヤは深羽に訊いた。


「たぶん……、誰かが〈境界の鏡ゲート・ミラー〉の袱紗を外したんだと思います。桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんに迎撃準備ができる前に、《人類の敵》が現われるように」

「やっぱりか。となると、犯人は限られるよな。あの古い鏡の秘密を知ってるとなると、教師、理事会役員、……それから、生徒会役員経験者の誰かの仕業か」


「いいえ、わたしはそうは思いません」

「何で? 他にいないだろ?」


「でも、外部からの不正な干渉があった可能性は残ります。桜ノ宮女学院の中に、秘密道具を不当に弄ぶような人はいないと思うんです」

「外部って……。そんなん、無理だろ。桜ノ宮女学院のネットワークに侵入なんて、〈イン・ジ・アイ〉の監視もあるのに、できるのか?」


 それとも、物理的な不法侵入があったと言いたいのだろうか? もしくは、〈イン・ジ・アイ〉を搭載してない闇人たちのこととか?


 しかし、どちらにせよ、桜ノ宮女学院の管理防衛システムは、国家の重要施設のそれに匹敵する。それこそ、国際指名手配でも受けるようなレベルの技術を持った犯罪者でもなけりゃ、オンライン上でも物理的にも侵入なんて不可能だ。


「そりゃ、同じガッコの奴を疑いたくないのはわかるけどさ」

 言って、晴矢は肩をすくめた。

「……まあ、犯人探しは後でいいよ。集まった幽霊ゴースト――紙状をした人魂どもの討伐が、当面の任務だ」


「わたしも、誰が〈境界の鏡ゲート・ミラー〉の袱紗を取ったか調べることはいずれ必要になると思います。でも、今は人魂達を倒すことが先決です。

 被害が一般の方たちにまで及んだら大変ですから」


「鏡は、あのまま屋上だったよな? あれって、壊せば止まるの?

 それとも、壊したら更なるえらい事態が起きちゃうわけ?」


「そこまでは、わたしも知りません。そういうことは一度も起きていませんし、〈神器は壊すべからず〉という禁忌がありますから」


「じゃ、壊れた場合には何が起こるかわからないってことだな。なら、鏡の破壊は任務達成条件にはならないわけか」

「むしろ、任務失敗条件に該当すると思います」


「なるほど。じゃ、結局、当初条件に戻るんだな」

「ええ。なんとか鏡の袱紗を戻すことができれば、これ以上人魂達を喚び寄せることはなくなると思います」

「だけど、あの数だ」

 

 あの紙状の人魂達は、まるで自分たちを喚び寄せた鏡を守っているようにすら見えた。

 しかし、深羽の話では、幽霊ゴースト系はそこまで巧みな連携のできる《人類の敵》じゃないはずだったのだが……。


「……少し、話を訊きに行ってみましょうか」

「誰に?」

「模擬戦用に捕まえてある幽霊ゴースト系の《人類の敵》です。名前は……」


岩子いわこさん、か」

「はい」


 晴矢ハルヤ達は、《人類の敵》居住区へと、急いで向かった。



 ○



 サーッと、大量の液体の流れる音がする。


 水? ……いや、温度がある。

 血? ……無論、そんなわけない。


 それは、熱いシャワーの流れる音だった。


 模擬戦用モンスターである岩子いわこさんは今、シャワールームで湯を浴びているのだ。

 白いシャワーカーテンが引かれている向こうには、生々しく岩子さんの裸体が写す影が浮かんでいる。


「……えっと、……出直す?」

 晴矢が訊くと、深羽が首を振った。


「いえ、このまま話しかけましょう。岩子さんは綺麗好きなんです。

 いつ来ても、大抵はシャワーを浴びてるか、それともお風呂に入っていますから」



 道理で、岩子さん専用バスルームなんてものがあるわけだ。

 これも《人類の敵》にまで及ぶ愛に溢れた深羽たち生徒会活動の賜物なのか、《人類の敵》居住区には、岩子さん専用浴場はいくつもあった。

 ジャグジーに露天風呂にサウナに、それから五右衛門風呂に棺桶っぽいのとなぜだか井戸のような竪穴型の風呂まで、揃い踏みである。


 それら大小の風呂を納めた浴室へ続く扉を晴矢ハルヤが覗いていると、深羽みはねが、シャワーカーテンの隅っこをちょいちょいと引っ張った。



岩子いわこさん、岩子さん……。お楽しみのところを申し訳ありません。少し、お話させていただいてもいいですか?」


「……」

 シャワーは、しばらく何事もなく続いた。

 しかし、すぐに濡れたような女の声が響いた。


「……その声は、深羽ね? よく来たわね。待ってたわ」

「お話、できますか?」


「もちろんよ。他の誰の頼みもあたしは聞かないけど、他ならぬあなただもの。

 あなたは、ここの糞ったれで小便くさい小娘たちの中で、唯一あたしたちに敬意を払ってくれる子よ。それに、優しくて親切だから」



 その声と一緒にキュッと水道の蛇口を閉める音が鳴り、シャワーは止まった。

 白い半透明のシャワーカーテンが引かれて、――岩子いわこさんが現れた。


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