●第三十三話● 混乱と動揺の教室



 晴矢ハルヤ深羽みはねが教室に戻ると、クラスメイト達は、ぎょっとしたように一斉に静まり返った。

 ……さっきまで、動揺のどよめきが廊下まで聞こえてきていたのに、今は、誰も彼もがまるで凶悪な《人類の敵》でも見るような目で、深羽を見つめていた。



 深羽は、悲しそうに顔を伏せて自分の席についた。


 ……斎院盾羽さやたてはの『意向』は、表立っての命令としては表されなかった。


 けれど、あっという間に校内の誰もが知るところとなったらしい。

 深羽に協力しようという生徒なんか、ただの一人も現れなかった。晴矢を除いては。


 仕方ないのかもしれない。

 彼女達だって、実家の企業や家族の期待を一身に背負っているのだ。感情だけで、友情だけで、そのすべてを放り出すことはできないだろう。

 でも、そうとわかっていても、深羽の胸中を考えると――。どうしても、腹が立ってしまう。



 すると、なおも深羽みはねと行動を共にしようとしている晴矢ハルヤを見て、嫩葉わかばが声をかけてきた。


「……ちょっと来いよ、ハル」

「何だよ」

「話があるんだよ。いいから早く」


 嫩葉が強引に腕を引くので、仕方なく晴矢は彼女について教室を出た。



 ○



「――もう深羽とは仲良くするなよ、ハル」

 開口一番、嫩葉は晴矢に言った。


 晴矢は、眉をひそめて嫩葉を見た。

「何それ? 本気で言ってんの?」

「そうだよ」

「何だってそんなこと言われなきゃなんないんだよ。

 それともまさか、これってイジメ?」


「ちゃ、茶化すなよ……! おまえだって、わかってるだろ? 深羽はもう駄目だ。助けられない……退学は避けられないよ。

 盾羽さんに背いて深羽と仲良くしたら、おまえはルール破りの大馬鹿だってレッテルを貼られるぞ。今後にも関わる。

 桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの駆除科は、ソロじゃコンプリートできないタイプの実技や任務もたくさんある。まわりから浮いたって、いいことないんだ。もしおまえが大学に行きたいんなら、なおさらだよ。

 あの七緒先生だって、生徒だった時はぶっちぎりで駆除科の主席だったんだぞ」


「そんなん、別にいいよ。放っとけよ、俺のことなんか」


 嫩葉が言いたいことは全部わかった。

 だから、晴矢はさっさとその場を去ろうとした。

 けれど、その腕をまた嫩葉に取られる。


「馬鹿か、おまえは。ボ、ボクだって、別に深羽が心配じゃないわけじゃないよ。

 深羽は優しいし、いい奴だ。だけど……、どうにもならないだろ? あいつがいなくなってからの方が学校生活は長いんだぞ。

 もう見切りをつけるべきなんだよっ」


「離せよ、嫩葉。いいんだよ、俺は別に……」

「別によく、なんてないだろ⁉ どうして生徒会に逆らってまで、深羽にこだわるんだよっ」


「それは、俺は、深羽が……」


(……深羽が、何?)


 一瞬考えて、自分自身に訊いてみて、でも、嫩葉わかばみたいにストレートには口に出せなくて、代わりに晴矢ハルヤはこう言った。


「俺は、深羽みはねと、……友達だから」

「と、友達? 理由、それだけかよ」


「それだけだよ。だからいいんだよ、俺らのことは放っとけ。それより、おまえもちょっとは自分のこと考えろよ。俺みたいなルール破りの大馬鹿と話してんのがバレたら、おまえのファンが悲しむぜ」

「……っ」



 時間と余裕のなさについ気が焦って、晴矢は嫩葉が気にしている――彼女の痛いところを、痛がるであろうところを突いてしまった。

 

 事実、嫩葉は、真っ赤になって黙り込んだ。

 ……嫩葉が傷ついている。

 晴矢が傷つけてしまった。

 失言の罪悪感に、胸が痛む。

 彼女は、嫩葉は、晴矢を心配してくれただけなのに。


 でも、今は嫩葉に構っている時間はなかった。この女の子には、仲間がいる。あの一年A組の教室にも、他のクラスにも、いくらでも。

 でも、深羽には、今の深羽には……。


「ごめん。嫌なこと言った。……でも、俺、行くから」


 それだけ言って頭を下げると、黙り込んでいる嫩葉を置いて、晴矢はさっさと教室へ戻った。

 そして――あらためて深羽の退学がもう目前だと悟って、深羽の腕を掴んだ。


「ハ……、ハルちゃん?」

「行こう、深羽。授業なんて受けてる場合じゃない。

 前倒しになった五月祭メイ・デイは、今夜なんだ。ちゃんと対策を練って、倒すんだ――あの《人類の敵》どもを」


 授業を放り出して教室を出て、晴矢ハルヤ深羽みはねは駆け出した。




 ○




「――わ……、嫩葉わかば……」

 教室に戻ると、クラスメイト達の心配そうな視線に囲まれ――。

 嫩葉は、肩をすくめた。


「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ」

 

 ぶっきら棒に答えてみたものの、嫩葉の不機嫌は周囲にひしひしと伝わっていた。

 クラスメイトの女達が、窺うようにこちらに見つめている。


(……鬱陶しいなあ)


 イライラとして、嫩葉わかばは指先の爪を嚙んだ。

 こんなに苛立つ理由はわかっている――ハルの馬鹿が、深羽みはねにばかりかかりきりになるからだ。



(何なんだよ、アイツ。何で、ボクの言うことを聞かないんだよ……)



 ……いつからだろう?

 気がつけば、嫩葉はハルのことばかりを考えるようになっていた。

 ハルが何をしているか、自分をどう思っているか気になって、そのハルが、深羽と親しいのが気に食わなくて……。


 いつの間にか、ハルの【一番】を自分にしたくて堪らなくなっていた。まるで、子供みたいに。ハルに自分だけを見て欲しい。ハルに自分のことばかりを考えさせたい。ハルに、自分がどうするか、何をするかでハラハラさせて、振り回したい。


 ハルの双子のお兄さんのことを考えるから、……会ったこともない神埜晴矢じんのハルヤに憧れるから、彼の代わりにハルのことで頭がいっぱいになってしまうのだろうか?

 どこまでも思い通りにならないハルに、自分自身に、嫩葉は腹が立ってしょうがなかった。



 キリキリとして眉間の皺を寄せていた嫩葉だが、いい加減、ご機嫌窺いのようなクラスメイト達に、何かフォローをしてやらなければならない。


 冷静さを取り戻そうと、嫩葉はすーっと大きく息を吸って吐いた。


 この桜ノ宮女学院では、嫩葉は少女達の憧れの的。理想の存在、王子様『役』なのだ。それを崩すような行動は慎みたい。

 

 ……嫩葉わかばは、有名な劇作家、シェイクスピアが残したふと言葉を思い出した。





 ――この世は一つの舞台だ。

 すべての男も女も役者にすぎない。

 それぞれ舞台に登場しては、消えていく。

 人はその時々にいろいろな役を演じるのだ。





 嫩葉が敬愛する盾羽たてはも、……きっと同じことを思っている気がした。

 人間なんて、きっと皆そうなんだ。

 与えられた役を、ただ演じるだけ。

 そうして生きて、死ぬ。


 だから、努めて静かな声で、彼女達の下らない、でも優しくて美しい空想を汚さないように、嫩葉わかばは言った。


「――なあ、皆。ボクら、本当にこのままでいいのかな」

「え……?」

「わ、嫩葉、それ、どういうこと……?」


 混乱したように、……あるいはその問いかけを待っていたかのように、教室がざわめき始める。

 そう、彼女達が嫩葉に求めている『役どころ』は、『台詞』は、……これなのだ。残酷にも。

 嫩葉は、凛と背筋を伸ばして立ち上がった。


「だって、今窮地に陥っているのは、他ならぬボクらのクラスメイトじゃないか。それをこのまま黙って放っておくなんて、しちゃいけないと思う。

 ボクらは、深羽みはねとハルのためにできることがないか、考えるべきなんじゃないかな」


 幼い頃から修めている薙刀の鍛錬で身に着けたよく通る張りのある声でそう言うと、ざわめきはすぐに感嘆に変わった。


「そ、そうよね……」

「嫩葉の言う通りですわ。同じクラスのお友達が大変な時に、見て見ぬ振りをするなんていけないことでした」


 人間の、世の中の、現実の悪意に晒されたことのない少女達は、すぐに瞳を輝かせた。

 どうやら、本当に心から喜んでいるようだ。

 ……まったく、羨ましいほど無垢なことだ。



「確か、旧校舎に集まってしまったあの幽霊ゴーストたちは、夜になったらまた暴れ出すのよね。深羽やハルは、幽霊ゴースト達を止めるためになにかするはずよ」

「じゃ、A組のわたくし達でそれを援護したら……?」

「でも、勝手に駆除用作業着や武器を持ち出すの? 重大な院則違反だわ」


 誰かがそう言って、また教室が静まりかける。

 嫩葉はその瞬間、声を上げていた。


「心配しないで、行くのはボクだけでいい。生徒会役員として、装備室のマスター・キーは持ってるから。

 ボクは、自分がどうなっても、深羽やハルを放ってはおけない。大丈夫、いざとなったらボクが七緒先生や盾羽さんに直談判するよ」


 すると、嫩葉わかばの自己犠牲の精神に感化されたのか、すぐにも次々に少女達の声が上がった。


「そんなのダメよ、いけませんわ! 嫩葉だけ危険な目に遭わせられません」

「わ、わたし、絶対一緒に行きます」

「わたくしも――」



 おずおずとした挙手がクラス中で続き、一番最後の少女も、嫩葉の方を見た。

 優しそうだけど、どこか頼りない、小さな瞳。

 その持ち主は……。




月穂つきほは? どうする?」



「……」

 急に髪の毛先を弄り出し、鈴耶月穂すずやつきほは、どこかおそるおそるとした態度で嫩葉を見た。


「……あ、あたしは……」



 それ以上、月穂の声は続かなかった。

 もじもじとしたまま、黙り込んでしまう。

 こういう中途半端な態度が、嫩葉は大嫌いだった。

 そして、鈴耶月穂はいつも、中途半端な奴だった。



 嫩葉わかばは責めるような声音にならないよう気をつけながら、颯爽と言った。

「嫌ならいいんだ。無理強いはしたくない。希望者だけで行こう」


「は、はい!」

「参りましょう、嫩葉」


 A組のほとんどが、……たった一人の例外を除いた少女達が、嫩葉の後に付き従う。

 嫩葉は、小走りに廊下を突き進んだ。


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