●第二十七話● ファーストキスって、こんな風に終わっちゃうの?



「――やあ、転校生」

 そう言って部屋にズカズカ入ってきたのは、なんと――橘嫩葉たちばなわかばだった。



(そうか――)

 コイツも、生徒会役員。

 女子寮のマスター・キーを使えるのだ。


 嫩葉わかばは、晴矢ハルヤの許可も待たずにドカッと勉強机のそばの椅子に座った。そして、椅子をくるくるとまわして部屋中を眺める。



「ふーん。殺風景な部屋だな。見た目通りの詰まらん奴だ」

「……何なんだよ、おまえ。急に人の部屋に入ってきて……」

 

 出てってくれよ――と言おうとしたところで、脳裏にパッと、嫩葉わかばの裸が思い浮かぶ。


 一気に顔に熱が上って、晴矢ハルヤは言葉を喉の奥に引っ込めた。



(……ダメだ。なんか、強く言えない)



 不可抗力とはいえ、あんなところを見てしまった以上、晴矢には嫩葉に対して何らかの責任が生じているんじゃなかろうか。

 クソ生意気な性格のようだし、自分のことを『ボク』とか言っちゃっている痛いところも気に食わないが、コイツもこれで一応嫁入り前の身なんだし。


 眉間を寄せて、晴矢ハルヤは搾り出すような声でなるべく優しく訊いた。


「……何の用なんすかね? こんな夜中にさ」

「決まってる。転校生の暮らしぶりを監視に来たんだよ。生徒会役員としての義務だ」


 すっと唇を尖らせて、嫩葉わかばが言う。

 今度は勝手に晴矢のノートを捲って、流し読みを始めている。ちらちらと晴矢の様子を伺っていた嫩葉は、わざとらしく椅子の上であぐらをかいた。


「……なあ。オマエには、双子の兄弟がいるんだろ?」


 また晴矢の話か。

 そう思いながら目をやると、嫩葉の履いているスカートの隙間から下着が見えて――。慌てて目を逸らした後で、ふと気がつく。

 嫩葉わかばの身に着けている下着は、ボクサーパンツタイプだった。


(……コイツが、深羽みはねの言ってた俺の同類か)


 出ていく様子のない嫩葉に、晴矢は話を合わせた。

「えーと、俺の双子が何だって?」

「どんな奴なんだ、ソイツ」

「またその質問か」

「い、いいだろ、別に」


 むっとしたように、嫩葉わかば晴矢ハルヤを睨む。

 まあ予想の範囲の質問だったので、晴矢は答えた。


「まあ、普通かな……。普通の男だよ、うん」

「ふーん……」

「何で俺にそんなこと訊くんだよ」

「決まってるだろ」

 ぎゅっと眉間に皺を寄せて、嫩葉わかばは言った。

「……高校卒業したら、すぐ結婚しなきゃならないからだよ。まあ、ボクだけじゃないけど。皆生まれてすぐか、下手すれば母親の腹にいる時から婚約者候補が決まってるからさ」


「それって……」


「この桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの生徒なら、深羽みはねも上級生も、なんなら初等部のガキだってそうだよ。ボクらは皆、卒業後の進路は決まってる。結婚したら、将来国の支えになるような男児か、桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの生徒になれるような女児の出産さ。どうしても嫌なら付属の大学に進むっていう手もあるけど、条件は桜ノ宮女学院内で就職すること。つまりは七緒先生コースだ。

 結局どちらにしたって、ボクらは桜ノ宮女学院の呪縛からは逃れられない。だから……、少しでも男のことを知りたいんだよ。結婚する奴以外のことをさ」


「……」


 黙り込んだ晴矢ハルヤを見て、嫩葉わかばは肩をすくめた。

「何でそんな泣きそうな顔してんだよ。まさか、このこと今知ったのか?」

「べ、別に泣いてないし」

「そんなわかりきってる質問するってことは、オマエには決まった相手がいないんだな」

「ああ、まあ……」


「へーえ」

 怪訝そうに眉をひそめた嫩葉は、どこか羨ましそうに顎に手を当てた。

「オマエん家って……。ああ、学者家系か。なるほど、実家が企業持ちじゃないわけだ」


「正確には、貧乏学者の家系だけどな」

 両親どころか存命中の祖父母たちまでもが、研究費の捻出にいつもヒイヒイ言っている。

 だから、研究費支援の伝手として、晴夏ハルカを桜ノ宮女学院にぶち込む目算もあったわけだ。


(……まあ、そりゃ、晴夏でなくてもぶち切れるぜ)


 だけど、研究一本の人生で晩婚だった母は女らしい青春を謳歌しなかったことが今でも悔しいらしく、晴夏ハルカに女らしく女の幸せの究極を極めて欲しいと願ったのだ。

 ないものねだりというやつなのだろうが、まあ、母の気持ちもわからなくもない。

 それでなくとも、あの晴夏に女の幸せとやらが掴めるかどうかは、かなり怪しいところだったし。

 

 桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの生徒ともなれば、未来を約束される。

 大金持ちとの結婚。専業主婦――どころか専業夫人。

 家事も育児もやる必要なし。一流のプロを雇える。

 消費、消費、消費。浪費と贅沢三昧の豊かな毎日。


(まあ、後は、社交パーティー参加がおシゴトってとこ?)


 肝心の結婚相手だって、桜ノ宮女学院の生徒たちの容姿を見る限り、壊滅的な顔面の奴は選定段階で撥ねられているはずだから、それなりのイケメン揃いなんだろう。


 ある価値観から見れば紛うことなき『幸せ』だし、何とか我が娘を桜ノ宮女学院に捻じ込もうと頑張る親だって少なくない。



 けど……、それを幸せだと感じない奴もいるってことだ。



「――なあ、ハル。今までさ、本気で惚れた相手っている?」

「えっ……⁉ い、いや……、いないけど」

 

 ちょっと頬が熱くなったのを感じながら首を振ると、嫩葉わかばは呆れたような顔になった。


「オマエじゃなくて、兄貴の方だよ」

「……いねえよ」

「ふーん。そっか」

 嫩葉は、教室で顔を合わせた時よりも幾分素直な口調で、独り言でも言うみたいに呟いた。

「恋ってどんな気持ちなんだろうな。ボクも、恋……、してみたかったな」


「すればいいじゃん、今からだって」

「無理だよ。わかりきってるだろ。だいたい、どこで出会うっていうんだよ? 桜ノ宮女学院には、女しかいないのにさ」

「それは……」


 また黙り込んだ晴矢ハルヤを見て、嫩葉わかばが呆れたように肩をすくめた。


「だから、泣くなってのに」

「だから、泣いてなんかいねえっつーの!」


 ムキになって言い返した晴矢を見て、何を思ったのか、嫩葉がぐっと顔を寄せてきた。


「な、何だよ……」


 急に接近されたのに怖気づいて、逃げようとした拍子に、晴矢ハルヤはそのままベッドに倒れ込んだ。


「わっ、おいっ」


 そのまま嫩葉が晴矢の上に圧し掛かってきて――晴矢の目許を、嫩葉の繊細な指先が拭う。

 出てもいない晴矢の涙を拭った素振りをして、嫩葉はぷっと笑った。



「顔、真っ赤」

「う、うるさいな……」



「それに、しっかり泣いてるじゃないか。ほら、涙」

 ぺろりと自分の指先を舐めて、嫩葉わかばはチェシャ猫みたいにニヤッと笑った。

「意外とすぐ泣く奴なんだな、オマエ」



「……だから泣いてねえっての」

「無理するなよ。いいよ、今日はボクが慰めてやるよ」

 そう言うと、嫩葉わかばは息がかかるような距離にまで顔を近づけてきて――。



 固まっているうちに、あっと思う間もなく、そのまま、嫩葉に唇を押しつけられてしまった。……自分の唇に。



「っ――‼」



 嫩葉わかばの薄い唇は、柔らかでほのかに濡れて、温かかった。

 そして、これが――晴矢ハルヤの、正真正銘のファーストキスだった。

 数秒唇を合わせた後で顔を離すと、二人はしばし無言で見つめ合った。



「……」

「……」



 沈黙。

 吐息の音まで聞こえるようだった。

 呆然としている晴矢ハルヤに向かって、やがて、嫩葉わかばは悪戯っぽく微笑んだ。



「桜ノ宮女学院にいる間の恋愛ゴッコがしたくなったら、いつでも言うといい。ボクが付き合ってやるからさ。

 それじゃオヤスミ、泣き虫転校生」


 それだけ言うと、目を見開いて固まっている晴矢を置いて、嫩葉はさっさと出ていってしまった。


 ……やけに怪しい女子人気だと思っていたら、ああいう言動のせいか。


 この間の深羽みたいに嫩葉に泊り込まれたら困ると思っていたから、安堵した――はずなのに、どこか名残惜しさもある。

 いろんな感情が渦巻いて、もはやカオス。

 頭の中は滅茶苦茶だった。



(……いや待ってくれよ。ファーストキスって、こんなに呆気なく、ドラマもなにもなく終わるもん?)

 


 何ていうか、もっと、もっともっと、いっぱい時間をかけて、大事にしたかった。

 ……とか思っちゃうのって、自分がファンシーすぎたのだろうか?


「何なんだよ、これ……?」


 ぐしゃぐしゃ頭を掻いて、晴矢ハルヤは枕に顔を突っ込んだ。



 そして――恐ろしいことに、嫩葉わかばの深夜の襲撃は、それから二日と日を置かずに続くようになったのだった。





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 ここまで読んでくださって、ありがとうございます!


 章立てというのをやってみました…本作は、二部構成です。

 もうストーリーの半分くらいまで来ているので、もしよろしければ最後まで読んでいただけたらとても嬉しいです!

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