●第二十二話● パジャマパーティー?


「……やっぱり。髪濡れたままお風呂を出ちゃったから、心配してたんです。乾かしましょう」

「いいよ。こんなん、放っておけばそのうち乾くって」

「駄目ですよ、風邪引いちゃいます。

 ほら、背中を流す約束してたのにできなかったでしょう? だから、その代わりです」

「う……」



 これ以上言い合っても無駄だと思って、晴矢ハルヤはそのまま、寝巻き姿の深羽みはねが持ってきてくれたドライヤーで髪を乾かしてもらうことにした。

 頭皮をマッサージするみたいに優しく温風を当てられると、それはそれは気持ちよかった。


(うむ……)

 女の子って、凄い。

 いつも晴矢が自分でやるような、ガシガシーッと適当に乾かす感じと、全然違うんだな。



「ハルちゃん、髪がサラサラで綺麗ですね。羨ましいなぁ。わたし、ずっとハルちゃんみたいなストレートヘアに憧れてたんです。

 わたしの髪って、ちょっと癖があるから、まとめるのもひと苦労で」


 ほわほわしている柔らかそうな猫っ毛を弄って、深羽みはねがため息をついた。

 女の子らしくて、充分魅力的だ――とは言えずに、晴矢ハルヤは乾いてきた頭を掻いた。



「そっかなあ。自分じゃわかんないけど……。髪なんか、いつも伸びたら自分で切るだけだし」

「そうなんですか? ハルちゃんって、器用なんですね」

「そんなことないよ。いい加減なだけ。髪型なんか、どうでもいいから」


 つーか、美容院なんかに行こうもんなら、あの性格の悪い妹に何を言われるかわからないし。

 でも、中学までは女子なんかほとんど学内にいなかったし、髪型に気を使っている奴の方が少数派だったんだけれど。

 すると。


「わたしは、自分の髪が気になっちゃって仕方ありません」


 なぜだか羨望に溢れた瞳で深羽みはね晴矢ハルヤを見て、それで……肩を並べて歯を磨いて、寝巻き姿の深羽はそのまま自分の部屋には帰らずに、晴矢のベッドの端にちょこんと座った。


 枕まで持参してきているから、嫌な予感はあった。

 そのまま、なんでこんなことになったんだろう――と思う間もなく、気がついたら晴矢ハルヤたちは、肩を並べてベッドに入っていた。

 


 しかし、深羽って、なんでこう警戒心がないんだろうか。

 超のつく箱入りのお嬢様だからか……いや、晴矢が『女』だからか。

 そりゃまあ、そうだ。

 まさか、同い年の同性に襲われるとは思うまい。


(しかし、電気は消さんぞ、絶対に)


 そう固く誓いつつ、晴矢ハルヤは隣の深羽みはねに一応訊いてみた。


「なあ、なんで自分の部屋に帰らないんだ?」

 

「わたしも、……眠れなくなりましたから。

 特に、桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんに来て、最初の実戦を経験した後は。だから、今夜だけでもハルちゃんのそばにいたいと思って……。

 でも、ご迷惑なら、帰りますけど」


 そう言って布団を握る深羽みはねの手は、震えていた。

 

 ……やっぱり、強がってはいても、本当は強くない。

 大丈夫だと口では言っても、本当は大丈夫じゃない。

 それが、この斎院さや深羽みはねという女の子なのだ。

 眠れないのは最初の頃だけじゃないんじゃないか――と思ったが、口に出して言うのはやめた。

 代わりに、努めて軽く答えた。


「いや、いいよ。じゃあ、今日だけよろしく」

 深羽は、ホッとしたように肩の力を抜いた。


 そういえば、昔は晴夏ハルカも可愛いところがあったのだ。

 保育園の頃だったか、海外のホラー映画を見た晩、怖い夢を見たと言って晴矢ハルヤのベッドに潜り込んできたことがあった。

 まったく――、どうしてああなった。



 気がつくと深羽みはね晴矢ハルヤの顔をじっと見つめていて、晴矢ハルヤは首を傾げた。


「俺の顔に、なんかついてる?」

「いいえ。ただ……、考えちゃって。

 あの、ハルちゃんには、――双子のお兄さんがいるんでしたよね」

「ふぁっ、えっ……⁉ げ、げほ!」


 ちょうど妹について考えていたところだったのもあって、焦って晴矢は咽せ込んだ。

 晴矢の背中を擦りながら、深羽みはねはなぜだか夢見るような声で呟いた。



「お兄さんのこと、ハルちゃんに訊いてみたかったんです。お兄さんとは、二卵性の双子なんですか? それとも一卵性かな。ハルちゃんに似てるお兄さんなんて、きっと、……凄く格好いいんだろうなぁ」

「あぐっ、ぶはっ⁉」

「わたし、父以外の男の人と話したことがないんです。だから、凄く気になっちゃって。同じくらいの歳の男の子が同じ家の中にいるって、どんな感じなんですか? わたしだったら、ハルちゃんに似てるお兄さんと一緒に暮らしていたら、きっと毎日ドキドキしちゃうと思います」


「ごほっ、げほっ、がほっ……!」

「大丈夫ですか?」

「ごほごほごほ! う、うん、平気……」


 咳き込みすぎて涙目になっている晴矢の背中を、深羽が慌ててさすり続けている。

 目尻に浮いた涙を擦ってぜえぜえしながら、晴矢ハルヤは噎せておかしくなった濁声で深羽みはねに必死に言った。


「お、おまえさ……。それは、男に対するハードルがダダ下がりしてるだけだと思うぞ……? それ、男がそばに来たら誰でもドキドキするってレベルじゃないのか」



 晴矢ハルヤたちが通っていた中学は超進学校だったのもあって、共学ではあったものの、男女比は九対一以下だった。

 だから、学食のオバチャンに話しかけるだけでドキドキしていたのは、そう遠い記憶の話ではない。

 オバチャンに『お兄ちゃん今日もイケメンだね』なんてからかわれた日には、顔が真っ赤になって爆笑されたもんだ。その晩はオバチャンの顔が頭から離れなくて、まさかこれが初恋かと煩悶したのは晴矢の黒歴史である。


 だから、深羽みはねの気持ちはわかるし、馬鹿にする気はない。

 ないんだけど……。

 晴矢がおそるおそるちらっと見ると、深羽は恥ずかしそうに頬を染めて笑って……。

「あはは……。そうかもしれません」


 心臓が、ぎゅーっと、絞られるようだった。




 ○




「男の子って、普段どんな風に暮らしてるんですか? 女の子と一緒かな。たとえば――そうだ。朝御飯って、食べるんですか?」

「そ、そりゃ食べるよ……。昼飯も食うし夕飯も食う。服も着るし顔も洗うし風呂も入るぞ」

「はあ……。そうなんだぁ……」


 半ば自棄ヤケになって皮肉交じりに答えたつもりが、深羽みはねは感心したようにこくこくと頷いている。

 放っておくと、ノートにメモでも取りかねない勢いだ。

 ここまで箱入りのお嬢様になってくると、〈イン・ジ・アイ〉で男について検索するなんていう発想もないらしい。

 そんな詮索はしたないってか……。親は何をしているんだ、親は。もうちょい娘に一般常識を教えといてくれよ……。


「それじゃ、ちゃんと料理も練習しなきゃなあ。やっぱり奥さんの手作りに勝るものはないですよね」

「俺ん家は、父さんも母さんも料理苦手だったから、毎食出来合いだったぞ? 別に、そこはそんなに拘らなくてもいいんじゃないの」

「そうなんですか? わたしの家でも母はほとんど料理を作らなくて、専属で働いてくれているコックさんが用意したものをいつも食べていたんです。味や栄養面の観点からも合理的だとは思うんですけど、そういうのってやっぱり味気ない気がして……」



 ……結局気がつけば、晴矢はすっかり深羽のペースにハマっていた。なんだか、パジャマパーティー()みたいな様相を呈してきている。


 まさか気づかないうちに晴矢もお嬢様の世界に毒され始めているんだろうか……と思うとゾッとしたが、――さっき布団を掴んで震えていた深羽の小さな手を思い出すと、つい付き合ってしまう。



「他にも訊きたいことあったらどうぞ。なんでも答えちゃる」

「本当ですか?」

「おう。自慢じゃないが、俺は男のことならなんでも知ってるからな」


(ま、代わりに女のことはなんにも知らないけどな!)


 自虐気味に笑っている晴矢ハルヤに気づかない深羽みはねは、素直にニコニコと笑っている。

「ハルちゃんはきっとお兄さんと仲良しなんですね。わたし、自分に兄もいたらなって憧れてたから、本当に羨ましいです。

 姉のことは大好きですし、女同士というのもいいですけど……」


 そう言うと、深羽みはねは少し寂しそうな表情になった。


(大好き、か……。それにしちゃ、ずいぶん冷たそうな姉さんだったけどな)


 そういえば、斎院さや盾羽たてはは癖のないストレートのロングヘアだった。

 晴矢は、深羽のふわふわとした髪を眺めた。と、深羽の髪から漂う、ふんわりとシャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。思わずドキッとしたことは隠して、晴矢は赤くなった顔を伏せて頭をかいた。


「……なあ、髪なんだけどさ。ええと……。そうだ、あの、こう、くるくるしてる髪型……。あれって、どうやるの――」



 そのまま、晴矢ハルヤたちは時間を忘れていろんなことを話した。

 パジャマパーティーなんて斜に構えていたのが嘘みたいに、それは忘れられない楽しい夜になった。




 ○




 けど、翌朝――。

「……ハルちゃん、ハルちゃんっ」

「ん、んあ……?」

「あっ、あの、あのあの、あのあのあのっ……」



 深羽みはねの声が、やたらと近くで聞こえる。



(……あれ、なんでこんな状況になってんだっけ? ……ああ、そうだ。昨夜は深羽みはねが俺の部屋に泊まったんだった)



 眠らない覚悟を決めていたつもりが、どうやらいつの間にか寝落ちしていたらしい。

 だんだん意識がハッキリしてきて――、……手に、何やら温かくて柔らかいものが触れていることに気がつく。



「……? ……っ⁉ ‼……」


 息を呑んで目を見開くと――、目の前には、真っ赤になって戸惑っている深羽の顔があった。

 そして、晴矢の両手は――ガッチリと深羽を抱きしめ、その体の柔らかいところを掴んでいた。


「わっ、わたしっ、わたしっ……」

 深羽が、耳元でわたわたと小さく叫んでいる。しかし、

「……うわあああああっ⁉」

 深羽よりも大きな悲鳴を上げて、晴矢は部屋のトイレに駆け込んだ。


 やけに楽しい夢を見たと思ったのだ。

 無意識とはいえ、まさか、自分が深羽にあんなことを……。火がついたように赤くなった頭を、晴矢はトイレの壁にガンガンぶつけた。


『はーっはっは! 困っているようだね、青春小ぞ……』

「うるせえっ!」


 例のごとく勝手に繋がれた悪魔いもうとからの〈イン・ジ・アイ〉回線をブツッと切って、晴矢は壁にもたれかかった。

 ……すると、トイレのドアを控えめにノックする音が響いた。


「……あの、ハルちゃん? き、気にしないでくださいね?

 一緒に寝てたんだし、偶然にああいうことが起こるのなんて、よくある……? あ、いえ、よくあることですし……。それに、わたしもつい、ハルちゃんにピッタリくっついて寝ちゃってたから、お互い様というか……。

 いえ、わたしが悪かったんです。すみません、わたし、馬鹿で……」


 深羽の声を聞いていて、ますます申し訳ない気持ちになった。痴漢の被害に遭うと、女はなぜか自分を責めるものだと聞いたことがあるけど、こういう心理なのか……。どう考えたって痴漢の方が悪いのにと疑問だったが、なんとなく理解できた気がする。


(……というか俺、痴漢?)


 無意識だったとはいえ、合意がない以上、立派な痴漢か……。

 また壁にガンガン頭をぶつけたくなるのを堪えて、晴矢はドアの外にこう言った。

「……いや、謝らないでくれよ。俺が悪いんだからさ……」





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 ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。



 来週は所用でちょっと更新頻度が下がると思いますが、この物語は最後までアップする予定なので、もしよろしければ、この先もお付き合いください!


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